学位論文要旨



No 216839
著者(漢字) 安,廷苑
著者(英字)
著者(カナ) アン,ジョンウォン
標題(和) キリシタン時代における婚姻問題の研究
標題(洋)
報告番号 216839
報告番号 乙16839
学位授与日 2007.09.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16839号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 教授 大貫,隆
 東京大学 教授 並木,頼寿
 東京大学 教授 村井,章介
 上智大学 準教授 川村,信三
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、十六・十七世紀の東アジアにおけるカトリック教会の婚姻問題に焦点を合わせた研究である。大航海時代に東アジアに到来したキリシタン宣教師たちは、ヨーロッパ本国とは異なる様々な価値観に直面することとなる。とりわけ、当時の日本や中国における婚姻は、蓄妾や離婚が一般的に見られるように、カトリック教会の婚姻観とは真っ向から対立するものであった。カトリックの教会法では婚姻の単一性と不解消性を原則としているので、一夫多妻制と離婚は厳しく禁止されている。たとえ異教徒間の婚姻関係であったとしても、カトリック教会は有効な婚姻であると見なしていたので、離婚歴のある未信者は改宗に際しては教会法によって最初の婚姻関係に戻るべきであると同時に、最初の結婚相手の生存中に再婚は原則的に許されないことであった。さらに、正規の配偶者以外に妾を持つことは、カトリック教会では断固として禁じられていたのである。本稿では、キリシタン宣教師たちが東アジアの婚姻に対して教会法と現地の社会との間で解決策を模索していった過程とその内容について、イエズス会の史料を中心として考察を行なった。

本稿は全五章から構成されている。第一章から第三章まででは日本の婚姻問題について取り上げており、第四章と第五章では中国の婚姻問題について取り上げている。

第一章「イエズス会巡察師ヴァリニャーノによる日本の婚姻問題に関する諮問要請」では、東インド巡察師アレッシャンドロ・ヴァリニャーノの見解を中心に日本の婚姻問題を取り上げた。一五九二年、彼はヨーロッパの諸大学に婚姻問題を含めた倫理上の諸問題を諮問した。この諮問に対しては、スペインの著名な神学者ガブリエル・バスケスの回答が伝存している。彼の回答は、イエズス会総長や枢機卿会議で承認され、最終的にローマ教皇の承認を得ている。神学者バスケスの回答は一五九五年に提出され、その後日本にもたらされた。イエズス会総長とローマ教皇によって承認された彼の回答は、日本布教に対するカトリック教会の公式見解の一つとして日本の宣教師たちにとっては当面する諸問題の解決策となり得るものであった。その一方で、日本のイエズス会宣教師たちはヴァリニャーノを中心にして、諮問の結果が提示される以前からカトリック教会の婚姻の教理を日本社会の現状に適応させて拡大解釈させる方法を採用し、それをすでに実践していた。彼らは布教を円滑に行なうために日本人の離婚を認め、キリスト教徒と異教徒との婚姻を黙認していた。しかも、彼らはトリエント公会議の婚姻に関する採決を日本では適用しないことさえ望んでいた。彼らは最終的にローマ教皇による特免の発布をもって、婚姻問題が解決されることを望んでいた。ヴァリニャーノの諮問は、従来断片的に議論されていた日本人の婚姻問題を理論的に再構築したものとして重要な意味を持っている。

第二章「ヴァリニャ-ノ以前の日本の婚姻問題をめぐる諸事例-アジュダ図書館所蔵の婚姻問題に関する史料の分析-」では、アジュダ図書館所蔵の写本を中心に、ヴァリニャ-ノ以前に存在した日本人の婚姻問題に対する教会の諸見解を考察した。ヴァリニャ-ノの諮問に先立ち一五六〇年代に提示された、イエズス会インド管区長クアドロスと神学者ロドリゲス、司教カルネイロ、そしてマルティンスと思われる日本司教の回答は、その後の婚姻問題に関する議論において基本的な枠組みを形成したと思われる。この時点で、彼らは日本の婚姻問題に対して慎重な態度を示しており、彼らが示した婚姻問題の議論の枠組みはその後日本の婚姻問題をめぐるヴァリニャ-ノの見解に繋がっていたと考えられる。しかしクアドロス、ロドリゲス、カルネイロ、そしてマルティンスが提示した回答は、日本の婚姻問題に対する最終的な解決策にはならなかった。彼らの解決策はいずれも、異宗婚姻と離婚問題を同時に解決することができなかったのである。日本のイエズス会は、日本人の離婚を正当化して改宗者を出す方針で質問している。質問者は、日本人の婚姻が無効であると見なすことによって離婚問題を解決しようとした。しかし、クアドロス以下、回答者は日本人の婚姻が有効であるという見解を示すに留まったのである。日本人の婚姻は、一方が改宗した時点で異宗婚姻となってしまう。異宗婚姻が有効であるとするならば、一方の改宗後も婚姻関係は持続させることが可能になるが、一方で、離婚歴のある者が改宗した場合、過去の離婚が異宗を理由に正当化できなくなってしまう。マルティンスと推定される日本司教が、条件付きではあるが、現状追認の形で日本人の離婚を容認する可能性を示しているのは、離婚問題を解決するための苦渋の選択であったように思われる。

第三章「禁教令下における日本司教セルケイラの特免」では、イエズス会の巡察師であったヴァリニャーノとは異なり、カトリック教会の公職である日本司教の立場にあったセルケイラが、一六一二年に日本司教の権限によって日本地域に与えようとした婚姻に関する特免について考察した。イエズス会だけでなく、ローマカトリック教会から日本教会の最高責任者として派遣された日本司教が、布教現場の日本で婚姻問題の解決法を実践的に提示している。日本司教セルケイラの登場と、一六〇五年の彼による教理書の刊行は、日本の婚姻問題に関するヴァリニャーノの方針を実施する上で、大きな後押しとなったはずである。実際、セルケイラは布教現場で実施できる婚姻の特免を一六一二年付で日本地域を対象に発布している。教会法に精通したセルケイラの婚姻問題に対する解決法は、トリエント公会議の規定を尊重しつつも日本布教における巡察師ヴァリニャーノの努力を継承したものであった。それは、実際に有効な一つの原則を形成したものであったと言えよう。

第四章「ディアスの報告書から見る中国教会における婚姻問題」では、マカオ・コレジオ院長を務めていたマヌエル・ディアスが一六〇〇年に作成した中国の婚姻問題に関する報告書を分析し、中国の婚姻問題を考察した。ディアスは、離婚歴のある中国人の改宗や妾の問題などを詳細に報告しており、当時の中国の婚姻事情について正確な認識のもとでこの報告書を作成したと思われる。その特徴として、異教徒の受洗に際する婚姻問題との関わりが焦点になっていることが指摘できる。それによって、例えば、すでにキリスト教徒となっている者が未信者と結婚する異宗婚姻の問題や、婚姻挙行の際にトリエント公会議の採決に従う問題などには言及されていない。それは中国布教の初期段階において、ディアスはあくまでもこれからキリスト教へ改宗しようとする者を想定して議論を進めていたためと思われる。また、日本とは違って、妾の問題が大きく取り上げられている点も、中国社会の婚姻事情を反映している。ディアスの見解を一五九二年にヴァリニャーノが提議した日本の婚姻問題の議論と比較すると、異宗婚姻に対する認識の相違などが見られながらも、布教地の地域的特殊性を考慮して柔軟な姿勢で解決策を求めようとする点では一致している。こうした努力は、イエズス会内部では日本や中国などの布教地において、少なくとも十六世紀から十七世紀までいわば底流として繋がっていたものと思われる。

第五章「教理書『聖事禮典』による中国教会の婚姻儀礼」では、一六七五年にイエズス会士ルイス・ブリオ(漢名:利類思)が北京において出版した中国語の教理書『聖事禮典』における婚姻関係記事の分析を行なった。同書と日本司教セルケイラ編『サカラメンタ提要』を比較検討することによって、中国カトリック教会において成立した婚姻の教理の内容と特徴を明らかにすることを試みた。両書の内容を比較すると、ブリオは『サカラメンタ提要』を参照し、その内容を簡略化したものと思われる。彼は宣教師という立場から中国布教に必要なものだけをまとめており、ラテン語の習得が困難な中国人司祭を考慮して中国語で執筆した。『聖事禮典』は『サカラメンタ提要』の内容を継承し、ヨーロッパの典礼書には見られない『サカラメンタ提要』独自の条文を取り入れながらも、一方では中国の事情を考慮し、例えばトリエント公会議の重要教令であるタメットシ教令の内容などは省略している。カトリック教会の婚姻問題に対して、日本布教で見られたヴァリニャーノなどによる布教方針が、日本司教セルケイラの『サカラメンタ提要』で教理書という形式で集約された上に、中国布教においても『聖事禮典』に継承されていったと言える。

日本の婚姻問題に関するイエズス会内の見解は、一五六〇年代にクアドロスやロドリゲスによって基本的な枠組みが形成され、一五九二年にヴァリニャーノによってその解決に向けた議論の形が確立された。ヴァリニャーノは、異宗婚姻の問題と離婚の問題を切り離して論ずることによって、日本人の婚姻が無効であることを立証し、婚姻問題を解決するための突破口を開くことに初めて成功した。クアドロスとロドリゲスに始まる婚姻問題に関する一連の史料については、遺された史料がその後参照され、布教活動に用いられていた可能性も考えられる。東アジアのカトリック教会における婚姻問題に対しては、ヴァリニャーノに代表されるカトリック教会内では例外的かつ革新的とも言える解決策が、続いて軌道に乗っていく中国の布教方針にまで継承されていったと思われる。彼らの見解は、日本と中国にその適用が限定された例外措置であったと言える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、16世紀から17世紀にかけてカトリック教会が日本と中国への布教に際して直面した離婚・再婚問題を取り上げ、さらに日中両国で作製された典礼書を比較して、キリスト教教義の東アジアへの適応過程を分析したものである。この問題は、日中それぞれの社会史として見た場合、極めて興味深いものであるが、本研究はスペイン語・ポルトガル語・ラテン語・中国語などで記された一次史料の探索と紹介に主たる努力を注いでいる。

全体は5章から構成され、前半の三章は日本、後半二章は中国における婚姻問題とそれに関わる典礼の分析にあてられている。

16世紀半ばに東アジアへの布教が始まったとき、カトリック教会は日本での離婚の頻繁さに直面して信徒獲得に著しい困難を覚えた。1563年のトリエント公会議は、婚姻の単一性と不解消性というカトリックの基本教義を確認したばかりであったが、東アジアでは離婚も再婚も極めてありふれた慣習であり、もし教義を厳格に守ると異教徒の改宗が不可能となったからである。

日本布教を始めたイエズス会の宣教師たちは直ちにこの問題に気づき、上司に対して婚姻障害の緩和の可能性につき問い質した。しかし、1565年頃、ゴアにあったインド管区長クアドロスと神学者ロドリゲスが在日本宣教師たちに与えた回答は否定的なものであった。両者は、教会の伝統的な見解に従い、日本の異教徒たちの間の婚姻は、神の恩寵は得られないが、自然法に照らせば有効なものであるとし、その上で、離婚経験者は改宗に際しては最初の妻に戻るべきだと回答した。当時の日本の慣習では夫妻とも再婚することが多かったから、これは実行困難な条件であった。ただし、クアドロスは、日本人の婚姻契約は不解消性という条件を含んでいないという指摘に対し、離婚の可能性が契約時に明示されている場合はその婚姻は無効だという見解も述べている。同様の回答は、最初の中国・日本地域司教であったカルネイロも1567年に与えている。在日本宣教師は、日本人の婚姻は最初から離婚を条件としているから無効なのではないかと問いかけたが、やはり有効だと答えたのである。信者でなかった時代の婚姻を無効とすれば改宗に伴って任意の妻を娶れば良いのであるが、その可能性を斥けたのである。次の日本司教マルティンスが1585-95年ころ与えたものと推定される回答も同様であった。ただし、彼は、夫妻双方が再婚して子供がいるなら、最初の相手に戻る必要はないという拡張も行っている。

婚姻の単一性と不解消性という基本教義と日本の慣習の板挟みを解消したのは、イエズス会の日本巡察師ヴァリニャーノであった。彼は1592年、第二回目の巡察報告に際し、特に使節をヨーロッパに送って、諸大学の神学者たちに異教徒時の婚姻は無効ではないかと諮問した。これに対し、アルカラ大学の神学者バスケスは肯定的な回答を与え、それはイエズス会総長、さらにローマ教皇の承認を得て、日本に届けられたのである。この教義解釈に対しては、他の修道会士やイエズス会の中からも批判の声があったが、それが日本での教線拡張に資したのは間違いない。

ところで、離婚・再婚問題は、遅れて布教が始まった中国でもやはり問題となった。1600年、マカオのコレジオ院長ディアスは、イエズス会総長にあててこの問題を論じている。中国では日本同様に離婚・再婚が頻繁に行われ、下層階級では妻を売ったり、貸したりといったことも合法的な慣習であった。ディアスは、夫妻が離婚してともに再婚し、子供がいるという典型的なケースを取り上げ、この場合、もし受洗時に元の妻に戻ろうとしても、新しい妻の親族は許さないだろうし、元の妻の新しい夫も許さないだろうと指摘した。また、1571年に「インド」地域に対して布告されたピウス5世の特免の適用可能性も検討している。複数の妻がいても一人を選んで同時に受洗すれば許されるという特免であるが、再婚していない場合は適用ができないとか、妻を帰そうとしても受け取ってもらえない場合があるなどという障害があって、結局、異教徒時の婚姻を無効とするほか、この問題には対処できないと、ヴァリニャーノと同じ解決策を示唆したのである。

他方、ディアスの場合は、在日本宣教師と異なって、畜妾の慣習への対策も重視している。中国の富裕階級は、古来いわば一夫一婦多妾制という慣行を持っていた。正妻は生涯一人きりで、妾とはまったく身分が異なり、したがって妾が正妻に昇格することはあり得なかった。正妻を亡くした男性が受洗するには妾を妻とせざるを得ないが、ディアスはこれを可能にするため妾を正妻に直さぬまま夫妻とも受洗してはどうかと提案している。ただし、彼は中国の慣習に合わせようとしたためか、男性側の離婚・再婚問題のみを取り上げ、寡婦の抱える深刻な問題には触れていない。

このように、本論は、日中いずれの場合でも、ヨーロッパと著しく異なる婚姻慣習を持つ社会に対し、カトリック教会が様々の教義適用上の工夫を試みた事実を明らかにすることに成功している。

このような努力はやがて教理書・典礼書となってまとめられた。本論末尾の第五章は、中国で作製された『聖事礼典』(1675年)を分析し、これを日本で司教セルケイラが制定した『サカラメンタ提要』(1605年)と比較している。『聖事礼典』はイエズス会士ルイス・ブリオが北京で出版した漢文の教理書で、婚姻の秘蹟に関しては全17章を使って記している。婚姻は当事者の自由意思に基づくという基本教義がまず示され、したがって主人による従僕への強制や父母による子供への強制を排除している。ただし、父母の反対する婚姻は望ましくないとし、この面では現地の慣習に配慮を加えている。これは、薬物による避妊や堕胎の禁止とともに、『サカラメンタ提要』と規定を共にするものであって、ここには日本と中国の共通性を見ることができる。反面、日中の差異としては、司祭と証人の立ち会いを必須の要件とする規定がないこと、婚姻の効用として子孫の繁栄を強調すること、夫婦の通信が長期間途絶えた場合、元の妻の意思を確かめないで再婚できるという規定などを置いていることなどが注目される。

著者は、この二つの典礼書をさらに同時代のイベリア半島で用いられた典礼書と比較し、その性格を探っている。『サカラメンタ提要』には、イベリアの典礼書で規定された指輪の交換や婚資の規定がなく、その一方で薬物堕胎の禁止が追加されていること、『聖事礼典』は『サカラメンタ提要』の骨子を引き継いでいるが、量的にも内容的にもかなり簡略化されており、とくに具体的な婚姻儀式の記述が省略されていることなどである。『聖事礼典』は中国人司祭の指針として漢文で記された書物で、詳細は司教がラテン語で制定した『サカラメンタ提要』に委ねたのであろうと推測している。

以上が本論文の概要である。その意義は何よりも、東アジアにおける婚姻慣習とカトリックの教義の衝突という興味深い問題に注目し、その基本史料を提示したことにある。探索の範囲は公刊された史料集をはるかに超え、ローマのイエズス会文書館、リスボンのアジュダ図書館、フランスの国立図書館などの未公刊史料に及び、言語もスペイン語、ポルトガル語、ラテン語、中国語をカバーしている。著者の母語は韓国語であるが、これらのヨーロッパ語文書のテキストを確定し、さらに日本語に翻訳するのは並大抵の努力ではできない。同分野の研究者の協力があったとしても、これは至難のことであって、日本語話者としてはまことにありがたいことと言わねばならない。本論文は、今後の研究にとって貴重な不可欠の出発点となることであろう。

反面、本論文は分析面ではやや物足りない。日中の比較社会史という極めて重要な課題を可能にするはずの領域で、豊富で貴重なデータを提供しながら、それが解釈として十分に生かし切れていないのである。中世後期の日本人の婚姻実態がはたして宣教師たちの述べるようなものであったか、日本語の史料の分析が必要であるが、まったく検討されていない。また、日本での離婚問題についてはすでにほぼ知られていることであって、オリジナリティがあるとしたら、むしろ中国に関する史料を初めて紹介したことにあると思われる。さらに、構成にも問題があって、時間的・論理的には日本の部の最後に位置するはずのヴァリニャーノの事績が第1章で記述され、しかも第1章自体も時間を遡及する形で書かれているため、読者は一つの物語として理解することに著しい困難を覚えることとなる。第3章の司教セルケイラの特免という問題は離婚・再婚問題という主題とは無関係であるが、その点も自覚されていない。

しかしながら、これらは本論文の大きな達成と比べると、致命的な欠陥とは言えない。著者の関心と情熱は何よりも、原史料を探しだし、非母語史料を解読するという一点に注がれたようである。それは、日本の学界に貴重な知識をもたらした。今後の研究展開の礎として、我々は感謝とともに受け取るべきであろう。本委員会はこのように判断し、博士(学術)を授与するにふさわしいと認定する。

UTokyo Repositoryリンク