学位論文要旨



No 216840
著者(漢字) 竹中,克行
著者(英字)
著者(カナ) タケナカ,カツユキ
標題(和) 転換期スペインにおける人の移動と定着(1960~1991年) : 多言語地域の社会動態に関する人口地理学的分析
標題(洋)
報告番号 216840
報告番号 乙16840
学位授与日 2007.09.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16840号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 准教授 梶田,真
 岐阜大学 教授 小林,浩二
内容要旨 要旨を表示する

1960年代から1990年代初めのスペインは,フランコ独裁の終焉と民主化という政治的変革を経験しただけでなく,人口事象に表れる社会動態においても重要な転換期を迎えた。その間にスペインは,日本を上回る急激な少子化によって,近現代史上,人口増加がもっとも活発な時期からもっとも低調な時期へと急転回を示した。また,1960年代の高度経済成長下で活発化した農村地域から都市産業地域への人口移動は,1970年代の不況を境にみるみる勢いを失った。

本研究の目的は,上述の時期のスペインで起きた人の移動と定着について人口地理学的アプローチによって分析し,スペイン人口が有する地域間および地域内の格差とその相互連関を明らかにすることである。そうした連関の内実に切り込むために,本研究では,地域人口が人口移動の影響を受けながら再生産され,地域人口に内在する生活条件の格差が変動する過程に光を当てた。格差の具体的な中身として重視したのは,個人の経済力や社会的威信にとって決定的な意味をもつ職業的地位,そしてもっとも基礎的な生存空間をなす居住環境という2つの側面である。

地域間の人口移動がもたらすものは,たんなる人口の再分布にとどまらない。人口動態や経済産業にかかわる地域間格差は,移動者を媒介として,流入地における人口集団編成にも織り込まれるからである。とくに,言語を異にする地域からなる複合国家ともいうべきスペインにあって,異なる言語地域の出身者が集まる流入地では,言語文化的な隔たりが人口集団編成に少なからぬ影響を及ぼすと考えられる。

こうした視点から,本研究の前半では,スペイン全国を対象として人口の移動および再生産の地域差とその変動を分析する一方,後半では,北東部カタルーニャ地方に焦点を当てて,人口流入が人口再生産ならびに人口集団編成に与える影響について仔細な検討を加えた。スペイン最大の工業地域を擁するカタルーニャは,高度経済成長期スペインのもっとも重要な人口流入の中心であると同時に,固有の言語カタルーニャ語を有する言語文化地域でもある。カタルーニャ語は,カタルーニャで生活するためのコミュニケーション手段として,またカタルーニャ人の共属意識を強化する標識として,重要な役割を担っている。本研究は,そうした言語の機能に注目しながら,職業集団および居住地の編成が多様な出身地集団の並存状態から受ける影響について,克明に分析している。

方法論からみた本研究の最大の特徴は,人口地理学の多面的な応用による社会動態分析について積極的な試みを行っている点にある。人口移動を軸としてその周りに人口の再生産,社会的編成,空間的編成という3つの領域を組み合わせる本研究の方法は,単一の側面からだけでは解明しえない人口事象の相互連関を明らかにするうえで,高い有効性をもつ。これは,人口地理学と他の分野との接点で行われてきた地理学における人口研究の蓄積を土台としつつ,人口移動を中心とするさまざまな研究領域を統一的な視野の下におくことを意味する。とくに,地理学が得意とする人口移動分析と人口学の専門領域とみなされてきた人口動態分析については,これら二大領域の接点を広げるべく,人口移動を通じた出産行動の移植が人口再生産に及ぼす影響に注目した。

また本研究は,多面的アプローチを基本方針としつつも,分析方法の面では,男女・年齢別分析と標準化分析を中心として,人口地理学の基礎的手法を応用することで一貫している。これらの分析手法は,多言語地域の社会動態における言語文化的要因の重要性について経験的データにもとづいて批判的検証を行うさいに,とりわけ高い効力を発揮する。母語を異にする出身地集団の存在がもつ意味を評価するには,同時に性別・年齢といった人口学の基本的な変数を十分考慮しなければならない。こうした立場にたつ本研究は,人口センサス,人口動態統計,社会調査結果などの統計データを最大限活用するとともに,データ上の制約を標準化分析の工夫で補うことによって,人口地理学の立場から言語文化的要因についての実証分析を行うという姿勢を貫いた。

本研究は,序章・終章を含む全8章から構成されている。研究対象の位置づけと人口地理学の先行研究に関する序章の検討につづいて,第1章と第2章では,スペイン全国を対象とする人口移動および人口再生産の時空間分析を行った。第1章では,人口移動の空間的スケールと移動方向を県単位で分析し,そこで得られた時期区分を利用して,移動流の空間的なまとまり,すなわち移動圏に生じた変化を明らかにした。さらに,人口移動流の空間的パターンに生じた変化を職業を中心とする移動者の属性と関連づけて検討し,とくに移動圏の変化については,産業活動の地域的展開との関係にも論及した。

つづいて,人口再生産について論じた第2章では,期間出生力およびコーホート出生力の地域差とその変化を明らかにした。そのさいには,出生力の低下要因としての都市化の影響について分析し,さらに主要都市に絞って,教育水準および職業構造の関与についても検討を加えた。また,流入地における移動者の出産行動に注目することによって,人口移動と人口再生産の間の結び付きに光を当てた。

カタルーニャへの人口流入に関する第3章では,本研究後半で出身地集団の存在に着目した立論を行うさいの基礎を用意することを目的として,カタルーニャ人と流入者の概念化をめぐって現地で提示された言説を詳細な検討に付した。そこでは,カタルーニャ語と密接に結び付いた民族概念を重要視するカタルーニャ・ナショナリズムの言説と,カタルーニャ人と流入者を階層的な秩序の視点から区別する左翼政治運動の主張という,大きく2つの議論の流れに注目した。

本研究後半の冒頭にあたる第4章では,カタルーニャの中心部をなすバルセロナ大都市圏を対象として,出身地集団間の出生力格差に関する分析を行った。そのさいには,出身地集団別に期間出生力を推計するとともに,同一集団内の内婚がもつ意味について検討を加えた。さらに,出生力の規定要因としての出身地の重要性を婚姻,教育,就業などの社会経済的要因と比較し,コーホートによる規定要因の変化を明らかにした。

第5章と第6章は,カタルーニャにおける人口集団の社会的編成と空間的編成の分析にそれぞれ充てられている。第5章では,職業集団編成における出身地集団の役割について,業績要因の代表格である教育ならびに属性要因としての職業的地位の世代間伝達に着目して検討した。そこでは,労働市場の断絶や組織の決定による移動といった移動者に固有の要因を考察に織り込む一方,移動時の年齢や世代交代に注目して,定着度の上昇にともなう職業的地位の変化を分析した。また,職業機会獲得にかかわる競争資源としてのカタルーニャ語能力の意味について論じた。

終章に先立つ第6章では,言語文化的基盤を異にする出身地集団の存在が居住地編成に及ぼす影響について,中心都市バルセロナに絞って詳細な検討を加えた。そのさいには,第5章の分析結果をふまつつ,居住地分化の介在要因として出身地と併せて職業およびライフサイクルを取り上げ,3要因相互の連関を明らかにすることに力点をおいた。さらに,各出身地集団の居住地を住宅の質や立地条件を中心とする居住環境と関連づけて捉え,世代交代と建造環境の刷新を通じて居住環境が刻々と変化する過程を描き出した。

本研究を通じて得られた知見は,大きく3つに分けられる。第一に,スペインにおける人口移動と人口再生産の時空間的展開が,両者相互の関係を含めて明らかとなった。人口移動の基本性格は,1970年代半ばを境に,農村地域から都市産業地域への垂直移動をともなう地方間移動から,都市間移動ないし都市圏内部の移動へと大きく転換した。また,並行して進んだ全国的な出生力低下の過程を通じて,出生力の地域差が大幅に縮小する一方,移動者による出産行動の移植によって,人口流入地をなす都市は相対的な出生力水準の上昇を経験した。

第二に,スペインの地域間に存在する社会経済的な格差が,人の移動と定着を通じて流入地内部の人口集団間の格差に織り込まれる過程が明らかになった。カタルーニャは,人口の再生産と社会的・空間的編成のいずれの面でも,スペイン全体の地域差の縮図をなしている。しかし,流入地に凝縮された出身地集団間の差異は,けっして安定的な構造をなしているわけではない。むしろ本研究を通じて見い出されたのは,出生力の低下,職業構造の変化,居住環境の刷新といった環境変化のなかで,移動時期の違い,居住歴の延長,世代交代などの移動者に固有の要因が作用することによって,出身地集団間の関係が刻々と変化するという,躍動性に満ちた過程である。

第三に,人口の社会的・空間的編成において各出身地集団が明瞭に異なる位置を占めるとはいえ,出身地集団への帰属を人口集団の編成原理として重視することは必ずしも妥当でないとの結論が得られた。こうした見解は,カタルーニャ人と流入者の相違を強調する現地の言説とは明らかに異なる方向性をもつ。本研究で試みたように,研究対象の外で生活する観察者として,現地で流布している言説とは一定の距離を保ちつつ明確な操作概念にもとづく分析を行うことは,しばしば新たな現実の発見へと結び付く。これは,外国をフィールドとする地域研究の存在意義にとっても,重要な局面をなすものと考えられる。

(以上)

審査要旨 要旨を表示する

1960年代から1990年代初めのスペインは,フランコ独裁から民主政へという政治的変革のみならず,人口の変動に表れる社会動態においても重要な転換期を迎えた.本研究は,1960年代の高度経済成長下のスペインで活発化した人の移動とその後の移動先での定着過程を人口地理学的アプローチによって分析し,スペイン人口が有する地域間および地域内の社会経済的格差の変動過程を両者の関係に注目しながら解明することを目的としている,特に地域人口が人口移動の影響を受けながら再生産され,職業的地位や居住環境といった地域人口に内在する重要な格差が変動する過程を,膨大な人口統計資料の綿密な分析に基づき実証的に提示している点に,本研究の特徴がある.

本研究は,序章と終章を含む8章からなる.第1章と第2章は,スペインの全国スケールでの分析である.第1章では,対象期間を通じて人口移動に生じた変化を検討し,1970年代半ばを境に,農村地域から都市産業地域への移動を伴う地方間移動から,都市間ないし都市圏内部の移動へと大きく転換したことを明らかにした.続く第2章では,平行して進んだ全国的な出生力低下の過程を通じて,出生力の地域差が大幅に縮小する一方,移動者に特徴的な出産行動により,人口流入を受け入れた都市は相対的な出生力水準の上昇を経験したことを明らかにした.第3章~第6章は,国内最大の産業地域を擁し,固有の言語を有するカタルーニャに焦点を当てた地域スケールでの分析である.まず第3章で,カタルーニャ人と流入者の概念化に関する論点整理を行い,第4章では,人口流入が地域人口の再生産に与えた影響を検討した.首都バルセロナの広域都市圏を対象とした分析の結果,当初明確に見られた出生力に対する出身地の影響は次第に低下していることが明らかになった。続く第5章では,人口流入が地域人口の職業構造に与えた影響を検討した.流入者とカタルーニャ生まれの職業的地位の差は明確に見られたが,その差はかなりの程度まで教育の格差に起因し,世代交代とともに縮小していることが判明した.第6章では,人口流入が地域人口の居住地構造に及ぼす影響について検討し,出身地の影響は居住の空間的パターンや居住環境の格差においても明確に認められるが,職業要因・ライフサイクル要因が影響を強めていることが明らかになった.

スペインの地域間に存在する人口学的な差異や社会経済的な格差は,人の移動と定着を通じて流入地域の人口の特徴の中に織り込まれている.しかし,こうした出身地集団間の差異や格差の構造は安定的なものではない.本研究で得られた最も重要な知見は,出身地集団間にみられる言語文化的な差異は,流入地域での出身地集団間の人口学的,社会経済的差異を固定化するものではなく,流入地域の中での出身地集団問の接触,人口流入そのものの減少と世代交代,社会経済構造の変動などにより,人口流入による地域人口のゆがみは急速に是正されていくことを明らかにした点である.こうした知見は,スペインに限らず,現代世界の多言語地域の社会動態に関して,言語文化的な差異の意義を強調する従来の見方に再考を迫るものであり,そのインパクトは大きい.本研究はそのアプローチにおいても,人口移動を軸に人口の再生産,社会的編成,空間的編成という,従来別個に扱われることの多かった領域を効果的に組み合わせ,人口地理学における社会動態分析の可能性を大きぐ広げた.本研究の成果は,多言語地域の社会動態の比較研究や,近年活発化している国家間の人口移動と人口の地域構造の変動との関係といった重要な課題に対しても,大きく寄与することが期待できる.したがって,本審査委員会は本研究が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する.

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