学位論文要旨



No 216845
著者(漢字) 大野,敬太郎
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,ケイタロウ
標題(和) 磁気ディスクの高精度ヘッド位置決めのための入力マルチレートディジタルロバスト制御
標題(洋) Input Multi-rate Digital Robust Control for Precise Head Positioning of Hard Disk Drives
報告番号 216845
報告番号 乙16845
学位授与日 2007.10.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 第16845号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原,辰次
 東京大学 教授 中村,仁彦
 東京大学 准教授 津村,幸治
 東京大学 講師 並木,明夫
 東京大学 講師 小野,順貴
内容要旨 要旨を表示する

磁気ディスク業界は、現在大きな転換期を迎えようとしている。1990年代は、記録密度が年率100%という驚異的な勢いで向上した時代であり、関連する技術の大革新をもたらした。ヘッド位置決め制御技術も例外ではなく、マルチレート制御技術を始め、ロバスト制御、2段アクチュエータ制御、摩擦補償のための学習制御、広帯域化のための機構との統合設計技術や静音シーク制御、耐振動衝撃制御技術など、多くの研究成果が位置決め精度の改善に大きく貢献してきた。今世紀に入り、現行磁気記録方式の限界が見え始め、記録密度の向上率が鈍化傾向にあるが、新しい磁気記録方式の実用化に目処が立ち、記録密度の大幅な向上が期待されている。従って、制御系にとって位置決め精度改善が焦眉の急を告ぐ課題となっている。一方で、制御性能の安定性が今まで以上に大きく問われるようになった。これは、景気回復の牽引力となっているコンシューマエレクトロニクス(CE)市場の活況化に理由を求めることができる。CE市場の活況化により、磁気ディスク自体に対する需要が急激に増える一方で、全出荷数に占めるCE市場向けユニットの比率も1年毎に驚くほどの違いを見せている。CE市場に向けた製品の動作環境は従来のものと異なり、より厳しい範囲で動作保証しなければならなくなっている。従って、ロバスト制御性能が大きな課題となっている。

これに対して本論文では、システマティックな設計ができることを念頭におき、CE市場を睨んだ今後の磁気ディスクのヘッド位置決め制御系をどのように構築するかについて、マルチレート制御技術を中心課題として捉えつつ、具体的・実践的な提案を行った。本論文は3部構成であり、それぞれ磁気ディスク制御の主要な課題であるシーク制御(トラック間移動)、フォロイング制御(同一トラック位置決め)、共振モード補償の各問題を扱った。第1章では、本研究の社会的背景と位置づけに触れ、研究に至った動機と課題を延べ、本論分の構成を示した。続く第2章では、磁気ディスク装置の機構と制御系を解説し、前章で触れた課題を詳述し、これに対する従来の手法を明らかにした。

第1部では、ある現実的なクラスの不確かさに対してロバスト制御性能を有するシーク制御方法を提案した。これにより、広い範囲の環境変動に対する動作保障が可能なことを明らかにした。

第3章では、状態推定器の推定精度を改善することを考えた。具体的にはマルチレート状態推定器と可変構造推定器の長所を組み合わせた方法を提案し、理論的な考察を行った。まず提案する可変構造のマルチレート状態推定器を導出し、安定性の議論を行い、性能(推定精度の誤差空間)を明らかにするとともに、同状態推定器の設計方法を示し、設計上の制限事項を明らかにした。次いで、同状態推定器に組み合わせる線形レギュレータを示し、閉ループに関する理論的考察を行った。なお、磁気ディスク以外の用途にも供するため、すべての理論導出は多入力多出力問題として扱った。

第4章では、同方法の具体的な設計例を示し、シミュレーション及び実験により効果を確認した。始めに3.5インチのデスクトップ用7,200回転のドライブを対象に設計例を示し、ある非線形性がアクチュエータに存在することを想定し、500Hzの正弦波目標信号を用いた追従制御実験を行い、非線形性に対して十分なロバスト制御性能を有することを確認した。次いでアクチュエータのゲインが不確かであることを想定した実験を行い、同様の結果が得られることを確認した。また、より高い周波数の目標値変動に対してチャタリング等の問題が発生しないこと、さらにショートスパンシーク実験を行い、アクチュエータゲイン不確かさに対してロバスト制御性能を有することを確認した。実験は更に2段アクチュエータ型ドライブ上でも行い、同様の結果を得た。最後に、実践的な問題を取り上げた。保証動作温度範囲の限界近傍ではシーク性能が残留振動により悪化する場合があるが、これはアクチュエータピボットの非線形性が原因と言われている。こうした非線形性のモデル化が困難な実践的問題に対して、提案した方法を適用した結果、シーク応答を改善できることを明らかにした。

第2部ではフォロイング制御における位置決め精度改善の新たなブレークスルーとして、新しいマルチレート制御設計方法を提案した。具体的には、周波数重み関数によるシステマティックな設計が可能なサンプル値H∞制御設計による一般化ホールド(GHF)の導入を検討し、その実装方法を提案した。GHFの導入は制御系の構造として新しい自由度を与えることになるため、それによる性能改善効果を狙ったものである。

第5章では、GHFを磁気ディスクに適用したときの特性を明らかにすることを目的に、GHF付サンプル値H∞制御によるレギュレーション問題を考えた。ここでは機械共振等の不確かさに対するロバスト安定化問題は無視し、外乱圧縮問題のみを扱った。まず、磁気ディスク用に設計したGHFコントローラのホールド関数を調べたところ、一般に指摘されているような極度に振動的な解とはならず、また逆に言えばH∞設計理論の枠組みで周波数重み関数の設定によってホールド関数の特性を十分に現実的なものにしうることを確認した。次いで同コントローラの制御性能を、他の数種類のH∞コントローラ(連続時間、離散時間、マルチレート離散時間)と比較した。その結果、GHF導入により制御自由度が最も高い同方法の位置決め精度が最も高いことを確認した。

第6章では、GHFの実装方法について更に検討を加え、不均質時分割ホールドを用いることを提案した。ここでの設計は実用性を重視し、GHF付サンプル値H∞制御によるサーボ問題を考えた。また前章で簡単のために無視した不確かさに対するロバスト安定化問題もここでは考慮した。設計の結果、前章と同様、実装が比較的容易なホールド関数が得られていることを確認した。次いで、この実装方法として、GHFを不均質時分割された区間一定関数で近似することを考え、近似誤差が最小となるような不均質時分割ホールドをSQP法を用いて設計する方法を提案した。実験の結果、従来のコントローラよりも位置決め精度を改善することが可能であることを明らかにした。一方、従来の方法で設計された4倍マルチレートと、今回の不均質時分割による2倍マルチレートを実験で比較した結果、ループ特性と位置決め精度の両方においてほぼ同様の結果が得られたことから、マルチレート倍率の低減による演算処理負担の軽減の1手法としても有用であることを指摘した。

第3部では、機械共振モードの存在が磁気ディスクのヘッド位置決め制御にとって非常に大きな障壁であることを踏まえ、この機械共振の周波数を適応推定できる適応ノッチフィルタについて検討した。共振周波数が推定できれば、ノッチフィルタの周波数帯を狭小化できるため位相改善が可能で、外乱圧縮特性の改善が可能となる。なお、ここで着目している機械共振モードは、制御帯域より高い周波数領域にあり、場合によってはサンプリングのナイキスト周波数より高い周波数領域に存在するものである。

第7章では、リアルタイム適応が可能、適応動作のためのテスト信号が不要、複雑な行列操作が不要で演算量が遥かに少ない(対DFT方式比)、などを特徴とする、全く新しい適応ノッチフィルタを提案した。ノッチフィルタの中心周波数が実際の共振周波数とずれると、機械共振により当該周波数帯の位置誤差成分が大きくなり、制御入力にも同様の周波数成分が現れる。従って、その成分がノッチフィルタの中心周波数よりも高いか低いかは、中心周波数をカットオフとするハイパスフィルタとローパスフィルタのそれぞれを通した制御入力信号の分散値を比較することによって推定することができる。従って、テスト信号を使用せずに演算量の少ないリアルタイムな共振周波数の推定ができる。同手法の妥当性をシミュレーションにより確認した上で、同アルゴリズムが正常に動作しない場合を明らかにし、安定性に関する議論を行った。最後に実験を行い提案している手法の妥当性を示した。なお、同手法は、次章に述べる周波数分割を用いることでH∞コントローラにも適用可能である。

第8章では、共振モードの特性周波数が強い温度依存性を有することから、温度による特性変動を温度センサを用いた温度依存フィルタで補償することを考え、また残る個体間バラツキについてはロバスト設計で補償することを提案した。また、ロバスト設計されたコントローラを速いモードと遅いモードに周波数分割し、それぞれに適したサンプリング周波数でマルチレート動作させることにより、従来の制御系より高精度な位置決めが可能で、演算処理の負担を軽減することができる方法を提案した。さらに、連続時間H∞コントローラの実用的な低次元化方法を提案し、また一般化KYP補題による低次元化についても触れた。提案した手法の妥当性を調べるために実験を行ったところ、温度依存フィルタの導入により、ロバスト設計の際に考慮すべき不確かさの上界を下げることができ、位置決め制御精度改善が可能となることをこの実験を通して明らかにした。

第9章では、本論文のまとめとして、提案した各手法が有効であり、今後の高密度化とCE市場の需要に十分対応するものであると結論付けた。

なお、本文は英語により記述されていることを付記する。

審査要旨 要旨を表示する

近年のデジタル家電需要の増大に伴って、その主要要素である磁気ディスク(HDD)の需要は大幅に伸びており、市場が求める更なる高記録密度大容量化に対応するため、これまで記憶密度は毎年驚くほど向上してきた。今世紀に入り、新しい磁気記録方式の実用化に目処が立ち、記録密度は更なる向上が期待されている。しかし、高密度大容量化は磁気記録方式の改善だけで実現できるものではない。記録密度の向上は、トラック狭小化を意味するため、ヘッド位置決め制御が大きな鍵を握り、その精度の改善が焦眉の急を告ぐ課題となっている。一方で、家電需要の増大は、より厳しい環境での動作保証を意味するため、制御系のロバスト制御性能も重要な要素となっている。

本論文は、「Input Multi-rate Digital Robust Control for Precise Head Positioning of Hard Disk Drives(磁気ディスクの高精度ヘッド位置決めのための入力マルチレートディジタル制御)」と題し、家電市場を睨んだ将来の高密度大容量HDDの実現に必要不可欠なヘッド位置決め制御系の系統的な設計手法の具体的・実践的な提案を行っている。本論文は3部構成であり、それぞれHDD制御の主要な課題とされるシーク制御(第1部「Track-seeking Control」)、フォロイング制御(第2部「Track-following Control」)、共振モード補償(第3部「Resonant Mode Compensation」)の各問題を扱っている。

第1章「Introduction」では、本論文の背景と動機と目的を述べ、これに続く第2章「Digital Robust Control for Hard Disk Drives」では、HDDの機構と制御系を解説している。

次の第3章および第4章で構成される第1部では、高速ロバストシーク制御を実現する方法を提案しており、今後の非線形性の影響の増大にも十分対応できる手法を確立したと結論付けている。

第3章「Multi-rate Variable Structure Estimator(MRVSE)」では、マルチレート状態推定器と可変構造推定器の長所を組み合わせ、状態推定精度の改善を通じてシーク制御のロバスト性を確保する方法を提案し、理論的な考察を行っている。可変構造フィードバックを状態推定器内部に発生させ、マルチレート化することにより、可変構造制御の問題点が排除でき、不確かさが存在しても安定な状態推定を行えることが示されている。

第4章「Robust Seeking Control with MRVSE」では、前章で提案した方法の具体的な設計例を示し、解析及び実験により効果を実証している。種々の非線形性がアクチュエータに存在することを想定した応答評価や、保証動作温度範囲の限界近傍で実際に発生するアクチュエータピボット非線形性によるシーク後残留振動の応答評価を行い、モデル化が困難な非線形性に対しても、同方法によってシーク応答を改善できることを実証している。

次の第5章および第6章で構成される第2部では、フォロイング制御における位置決め精度改善の新たなブレークスルーとして、ホールド自体を設計する方法を提案し、今後の高密度大容量化にも十分対応できる手法を実現したと結論づけている。

第5章「H∞ Control with Generalized Hold Function」では、周波数重み関数によるシステマティックな設計が可能なサンプル値H∞制御設計による一般化ホールド(GHF)のHDDへの導入を検討している。GHFは極度に振動的な解になる可能性を指摘されていたが、H∞設計手法によって十分実用的なホールド関数が得られるため、HDDへのGHFの導入は十分有用であると結論づけられている。

第6章「Nonuniform Multi-rate Sample-data Hold」では、GHFの実装方法について検討を加えている。GHFは部分連続関数であり、通常そのまま実機に実装することは困難であるため、GHFを不均等時分割された区間一定関数で近似することを考え、近似誤差が最小となるような不均等時分割ホールドをSQP法を用いて得る手法を提案している。実験により位置決め精度の改善が可能なことのほか、マルチレート倍率の低減による演算処理負担の軽減の1手法としても有用であることが指摘されている。

次の第7章および第8章を構成する第3部では、機械共振モードの存在が制御系のネックになっていることを踏まえ、この機械共振の周波数を簡単に適応推定できる適応ノッチフィルタを提案し、位置決め精度改善に寄与することが結論付けられている。

第7章「An Adaptive Resonant Modes Compensation」では、制御入力の周波数重み付き分散値のみから共振周波数を容易に推定できる全く新しい適応ノッチフィルタを提案している。従来の手法は、リアルタイム適応性、適応動作のためのテスト信号が必要、演算コストが高いなどの実用上の問題点があったことが指摘されている。

第8章「Temperature-dependent Multi-rate Robust Controller」では、共振周波数が強い温度依存性を有することから、それらの相関をモデル化した上で、温度センサを用いた温度依存フィルタをH∞制御器から設計する方法を提案しており、従来の制御系より高精度な位置決めが可能で、演算処理の負担軽減が可能であることも示されている。

第9章「Conclusions」では、本論文のまとめとして、提案した各手法が有効であり、今後の家電市場の需要と高密度化に十分対応するものであると結論付けている。

以上を要するに、本論文は高密度大容量HDDの実現に必要不可欠なヘッド位置決め制御系の系統的な設計手法を具体的に提案し、実機を用いた実験によりその有用性を検証したもので、工学上貢献するところ大である。よって本論文は、博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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