学位論文要旨



No 216846
著者(漢字) 堀川,貴司
著者(英字)
著者(カナ) ホリカワ,タカシ
標題(和) 中世日本漢文学研究
標題(洋)
報告番号 216846
報告番号 乙16846
学位授与日 2007.10.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16846号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 教授 末木,文美士
 成城大学 教授 小島,孝之
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、日本漢文学研究の分野において、中世を中心的な対象とする。主として漢詩の詠法や作品の基盤となる中国文学の受容の実態について、和歌など同時代他ジャンルの文学との関係を念頭に置きつつ、院政期から中世末までを、中古・近世との連続性あるいは不連続性を視野に入れて考察したものである。

「総説 中世漢文学概観―詩を中心に―」においては、漢詩作品を中心に、院政期から室町時代末期に至る漢文学の流れを、担い手の変化や、時の権力者との関わりなど、社会や政治のあり方に注意しつつ概観した。鎌倉時代中期までは平安時代からの延長と言えるが、そこには句題詩と無題詩という特徴的な方法の発展や、詩歌合という新たな形式の発明が見られることを指摘した。ついで鎌倉中期以降は新たに禅林の文学が始まり、次第に漢文学の中心的な位置を占めるに至る様相を叙述した。全体として、第一章以下の各論をふまえつつ、そこでは論述していない作品についても触れながら、中世漢文学全体を見渡そうとしたものである。

「第一部 院政期・鎌倉時代」は、全六章から成る。院政期以降の句題詩・無題詩、および新しい文学形式である詩歌合を扱い、さらにその延長線上にある鎌倉時代以降の漢文学を視野に入れて、平安時代以来の王朝漢詩の消長を跡付けていった。

「第一章 句題詩の詠法と場」では、平安中期に確立した日本漢詩独特の詠法である句題詩について、先行・平行する研究成果に学びつつ、漢詩作法書や実際の作品に基づいて詳細に分析・記述し、院政期における作文の場と詠法とが密接な関係にあったことを述べた。ついで「第二章 『本朝無題詩』試論―句題詩との対比から―」では、句題詩と対立する無題詩について『本朝無題詩』所収作品を分析し、詩人の感懐を表現する際の、句題詩的詠法の自由な利用、あるいは新しい風景の発見など、自己と外界を見つめる目の深化を指摘した。

「第三章 『元久詩歌合』について―「詩」の側から―」では、いわゆる新古今時代に始まる「詩歌合」という新しい文学形式について、第一・二章をふまえ、句題詩・無題詩双方の特徴を手がかりにしてその詩句の詠法を分析し、いわば両者の融合した形式とも見られることを指摘した上で、特にその完成形である『元久詩歌合』を分析、白居易作品の巧みな利用を明らかにした。「第四章 新古今時代の漢文学―真名序を中心に―」では、記録類に見る博士家の動向や『新古今和歌集』真名序の分析をもとに、漢文学が本来備えていた政教性が和歌に取って代わられていく時代の趨勢を描いた。

鎌倉時代、作文の会は盛んに行われていたが、漢詩作品は詩集というまとまった形で残されることがなくなった。わずかに現存する作品の集成と分析は今後の課題であるが、その試みとして作法書と詩懐紙について取り上げた。「第五章 『真俗擲金記』小論」では、作法書『真俗擲金記』の偽書性を、引用文献や内容の分析によって明らかにしつつも、王朝漢詩の分析に資する内容を持つことを述べた。ついで「第六章 詩懐紙通観」では、現存する詩懐紙を博捜し、懐紙作法の固定化と、七言律詩から七言絶句へという詩体の変化を跡づけ、その変化は王朝漢詩の衰退と軌を一にすることを明らかにした。

「第二部 南北朝・室町時代」は全一三章から成る。鎌倉中期以降、来日あるいは留学の禅僧によってもたらされた新たな漢文学である禅林の文学(五山文学)について、同時代の政治・社会あるいは他ジャンルの文学との関わりにも目を配りながら、漢詩中心に考察していった。

「第七章 瀟湘八景詩について」では、瀟湘八景という中国の風景を詠んだ詩を通覧することで、権力と深く結びついた禅林の文学のあり方や次第に固定化する表現の様相を把握した。

ついで「第八章 足利直義―政治・信仰・文学―」では、前章で見たような禅林と権力の関係を規定したと考えられる初期室町幕府の中心的人物、足利直義の生涯をたどり、文学活動や禅宗信仰と政治との葛藤を、その作品や『夢中問答集』などによって明らかにした。「第九章 「等持院屏風賛」について」では、そのような状況から生み出された作品として、瀟湘八景詩を含む「等持院屏風賛」を取り上げ、その成立年時を特定した上で、内容を詳細に分析し、作品に込められた多重的な為政者賛美の構造を指摘した。

「第一〇章 「大慈八景詩歌」について」では、瀟湘八景詩の変形であるところの「大慈八景詩歌」に関しても、南北朝末期の中央と地方の政治、禅宗内部での派閥争いなどが成立に深く関わっていることを明らかにした上で、その題や内容が瀟湘八景を巧みに現地化(日本化)している様相を分析した。また、これまで内容不明とされてきた古筆切「畠山切」が本作品の原本断簡であると指摘、その集成翻刻を付した。

「第一一章 絶海中津小論」では、「大慈八景詩歌」の作者の一人でもある絶海中津と明の太祖との贈答詩を取り上げ、そこに込められた政治性を論じた。

室町時代前・中期の注目すべき禅僧である一休宗純は、その特異な個性によってさまざまな伝説を生み、また多方面からの研究がなされているが、ここではその作品の分析を中心にして二章を割いた。「第一二章 『狂雲集』小論」においては、表現の背景にある中国詩の受容や詩そのものへの態度を、「第一三章 『自戒集』試論―詩と説話のあいだ―」においては、同時代の社会現象を巧みに取り入れた狂詩がしだいに説話的散文へ変化し、最終的には自己を見つめる方向へと収斂していく様相を明らかにした。なお、『自戒集』に関しては「総説」においてその文学的側面について触れている。

中国詩の受容という点で、最も重要なのは、初学者向けの教科書として使われた書物、『三体詩』『錦繍段』である。「第一四章 『三体詩』注釈の世界」では、最も広く読まれた増註本というテクストの初学書的性格や、天隠注における詩人の隠された意図を読みとろうとする注釈態度が、日本における同書の受容を規定していると指摘、現存する抄物を整理し、「楓橋夜泊」詩を例にして、その注釈の内容や傾向を分析し、天隠注を出発点とした一見荒唐無稽と思える解釈にもそれなりの理由があること、しかしそのような解釈は近世に入ると次第に消滅していくことを述べた。「第一五章 『新選集』『新編集』『錦繍段』」は、中世日本の禅林において編集された中国詩の総集として著名な『錦繍段』に関する基礎的考察である。まず、その原拠本として名のみ知られて実態が明らかでなかった『新選集』『新編集』の両書について、その伝本を紹介し、所収作品の出入りや構成の相違など、実用を目的にして自由に改編されていく様相を具体的に述べ、わずかながらではあるが、中世・近世における享受についても指摘した。加えて『錦繍段』の成立と享受についても述べた。

さらに、「第一六章 中世禅林における白居易の受容」では、杜甫や蘇軾に比べて禅林においてはあまり重要視されていない白居易について、抄物や漢詩作品に見られるイメージを追い、特に前章で扱った『新選集』『新編集』所収作品の本文異同、『続錦繍段抄』の注釈などを手がかりにして、朝鮮版『白氏文集』の受容の可能性を示し、近世初頭の那波本刊行への連続性を提示した。

創作と研究が一体となった禅林の文学は、その両面で豊かな稔りを日本文学にもたらし、その成果は近世文学の一母胎となっている。このことは前二章で扱った『三体詩』『錦繍段』の享受に関しても指摘できるが、さらに三章にわたって多角的に論じた。

「第一七章 『倒痾集』試論」では、狂歌作者雄長老として名高い英甫永雄の生涯をたどりつつその詩集『倒痾集』を読み解き、和歌題による詩や艶詩と呼ばれる男色の詩を分析して、その俳諧的性格を指摘した。

「第一八章 こぼれ咲きの花々―禅林ゆかりの小作品群―」は禅林において愛読された小作品をいくつか取り上げ、その享受が禅林以外の世界へ広がり、さらに近世に及んでいることを示した。

「第一九章 中世から近世へ」においては、第一四・一五章とも関わって、漢籍受容の様相を概観し、初学書テクストの継続性と実用書テクストの更新性、すなわち、『三体詩』『錦繍段』は近世に入ってもそのまま使い続けられるのに対し、辞書・類書・詩文集の類は新たに流入した明版・朝鮮版と交替する場合が多いことを指摘、また漢詩の詠法について中世末期の禅林と近世前期とに共通している面があることを述べて、漢文学における中世から近世への連続・非連続について考察した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、院政期から室町時代末期までの漢文学について、漢詩を中心として、その特質を解明しようとするものである。まず冒頭の「総説」において、句題詩の詠法を明らかにしたうえで当該の時代の漢文学を歴史的に展望し、合わせて本論文の全体の方法と趣旨を明確にしたのち、本論を二部十九の章から構成する。

第一部「院政期・鎌倉時代」は、六つの章から成り、主として「句題詩」の方法を基軸としてこの時期の漢文学の作品を分析する。最初に漢詩文作法書や実作をもとに、句題詩の詠法の形成を具体的にたどり、これを無題詩の詠法と対照させて明確化する(第一章)。一方無題詩の意義を、句題詩と対比しつつ『本朝無題詩』の作品分析によって究明する(第二章)。下って鎌倉時代では、漢詩句と和歌を番わせる詩歌合に着目し、新古今時代の『元久詩歌合』を句題詩の詠法を基準に分析し、和歌に近づくことが王朝漢詩の衰退につながったと見(第三章)、また『新古今集』真名序に、「漢」への対抗意識を読み込む(第四章)。さらに、漢詩文作法書『真俗擲金記』が偽作であること、またその成立の背景を推定し(第五章)、現存詩懐紙を博捜することで、懐紙作法の固定化と、主要な詩体が七言律詩から七言絶句へと変化することを跡付ける(第六章)。

第二部「南北朝・室町時代」は、十三章から成る。鎌倉中期以降の新たな漢文学の潮流である禅林の文学、すなわち広い意味での五山文学について、政治・社会の状況や他ジャンルの文学との相関に留意しつつ、漢詩を中心に論じる。まず瀟湘八景詩を通観し、禅林の文学の表現の様相の詩的展開を把握する(第七章)。禅林と権力の結合を象徴する存在である足利直義の生涯を、その政治と信仰の葛藤に力点をおいて論述し(第八章)、彼の生み出した重要な作品である等持院屏風賛について、成立や為政者賛美の構造を指摘し(第九章)、大慈八景詩歌の政治的背景や内容を分析し、かつ原本断簡資料を紹介し(第十章)、五山文学の代表詩人絶海中津の作品の政治性を分析する(第十一章)。また、禅林文学において最も著名な一休については二章を割き、その作品『狂雲集』・『自戒集』の表現性に新視点をもたらす(第十二、十三章)。ついで中世以降の中国文学の受容史上重要な『三体詩』『錦繍段』について三つの章をあてて、それらの成立や文献学的側面、また受容の様相について考察する(第十四、十五、十九章)。その他、禅林における白居易受容に照明をあて(第十六章)、英甫永雄ほか禅林ゆかりの作品群を、近世文学と関わらせつつ読み込む(第十七、十八章)。

本論文は、中世の漢文学について、歴史的背景に周到に目配りし、行き届いた書誌学的・文献学的手続きを経た上で、高い説得性をもって漢詩作品を読み解き、多くの新事実を明らかにする。中でも、漢詩の創作および享受に関わるさまざまな場に注目して、その方法を解明したことは、既往の研究では文学的価値を発見しがたかった多くの作品に新たな照明を当てることになった。しかもそうした成果を積み上げつつ、中世漢文学史の見取り図をスケール大きく描き出している。優れた展望を生かすためにさらに考察を深めるべき箇所など、今後の課題もまた存するが、本審査委員会は上記のような研究史的意義を認め、本論文が博士(文学)に十分値するとの結論に至った。

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