学位論文要旨



No 216853
著者(漢字) 関,伸一
著者(英字)
著者(カナ) セキ,シンイチ
標題(和) アカヒゲErithacus komadoriの系統地理:琉球列島における起源と集団の分化
標題(洋) Phylogeography of the Ryukyu robin Erithacus komadori: its origin and population subdivision in the Ryukyu Islands in relation to shifting migratory habits
報告番号 216853
報告番号 乙16853
学位授与日 2007.11.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16853号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,広芳
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 准教授 石田,健
 東京大学 准教授 宮下,直
 国立科学博物館 研究員 西海,功
内容要旨 要旨を表示する

琉球列島は九州と台湾の間に連なる弧状列島で,この地域と本土との間では陸橋の形成と消失とが繰り返されてきた。このような陸域の変遷とそれにともなう環境の変化は,それぞれの島嶼群における生物の移入,集団分化,地域的絶滅をもたらし,陸鳥を含む陸棲生物の分布パターンに強く影響したと考えられる。しかし,鳥類の生息地としての琉球列島のもう一つの特徴は,この地域が主要な渡りの経路として利用されてきたことである。一般に鳥類の場合,高い移動能力をともなう渡りの習性と分散行動との間には強い関連性があることが示唆されている。そのため,琉球列島に属する島嶼間,あるいは本土との間の地理的な隔離は,渡り鳥にとってはとりわけ不完全だったと考えられる。それにもかかわらず,琉球列島で繁殖する渡り鳥では,島嶼集団間や本土の集団との間で,形態や行動に分化が認められる例が少なくない。琉球列島を含む南西日本の固有種であるアカヒゲErithacus komadoriでも,北部の集団は渡りを行い,高い移動・分散能力を持つにもかかわらず,集団間で形態と行動に分化が認められる。そこで,本研究では,アカヒゲを含む近縁種群の系統関係とアカヒゲの集団構造とをミトコンドリアDNA(mtDNA)の塩基配列データと形態形質とに基づいて分析することにより,琉球列島の地史に加えて渡り習性の変化が集団分化と種分化にどのような影響を及ぼしたかを考察した。

まず,ノビタキ族(Saxicolini)におけるコマドリ属(Erithacus)の分子系統学的位置について,mtDNAのチトクロームb領域の塩基配列に基づいて検討した。コマドリ属は,現在,ヨーロッパコマドリE. rubecula,コマドリE. akahige,アカヒゲ3種からなる分類群である。ヨーロッパコマドリが旧北区の西部に広く分布するのに対し,コマドリ,アカヒゲは東アジアの一部にのみ分布しており,隔離分布するこれら3種の類縁関係については十分な検討がなされて来なかった。チトクロームb領域の塩基配列に基づき最大節約法および最尤法で系統解析を行った結果,東アジアのコマドリ属2種は,ヨーロッパコマドリとではなく,東アジアのLuscinia属の代表として分析に含めたシマゴマL. sibilansと姉妹群に分類された。これまで,コマドリ属3種を同じ属に分類する根拠とされてきたヨーロッパコマドリとコマドリの間の形態の類似性は,共通の祖先種に由来するものではなく,収斂によって生じたものと考えられた。また,アカヒゲとコマドリとの間の分岐年代は87±24万年前と推定され,沖縄トラフの沈み込みにともなって琉球列島中部の高い古代山脈が沈降したと考えられる年代に一致した。コマドリと東アジアのLuscinia属とが,冷温帯あるいは山地帯の針葉樹林および落葉広葉樹林で主に繁殖する渡り鳥であるのに対して,アカヒゲのみが亜熱帯の常緑広葉樹林に生息し留鳥の集団が大きな割合を占める。アカヒゲとコマドリの分化には,古代山脈の沈降と山地林の消失にともなう生息環境の大きな変化が影響した可能性がある。この仮説にもとづけば,琉球列島周辺に限られた現在のアカヒゲの分布は,琉球列島中部の狭い範囲の山地帯にのみ生息していた祖先集団の分布に起因するものと考えられた。

次に,アカヒゲの島嶼集団間の遺伝的構造についてより詳細に検討するため,mtDNAのコントロール領域の塩基配列に基づく解析を行った。渡りをする男女群島やトカラ列島の6集団,および留鳥性の強い奄美諸島から沖縄諸島に分布する3集団から採集した合計152個体を対象に分析した。すべての個体について全コントロール領域1226塩基の配列を得て,30のハプロタイプを確認した。亜種アカヒゲE. komadori komadoriに相当する北部の8集団と,亜種ホントウアカヒゲE. komadori namiyeiに相当する南端の沖縄諸島の1集団("沖縄島"集団)の間では共通するハプロタイプは認められず,それぞれのハプロタイプは最尤系統樹においてもベイズ系統樹においても独立した系統群に分類された。さらに,複数の集団遺伝学的解析手法(遺伝的分化係数Φ(ST),移入個体数の最尤推定値,AMOVA法による遺伝的分散分析)により,北部の亜種アカヒゲ系統群は,3つの下位集団(渡り性の"トカラ列島"集団,留鳥性の強い"奄美大島"集団,"徳之島"集団)に分けられることが示された。隔離分布する男女群島集団で採集された2個体は,共に,この集団独自の1ハプロタイプに分類されたが,サンプル数が少ないため集団遺伝学的な解析を行えなかった。またNCPA法による解析では,"トカラ列島"集団内におけるハプロタイプ間の系統地理学的関係が,何度かの分布域拡大とその後の距離による遺伝子流動の制約から生じたと推測されるのに対し,"トカラ列島""奄美大島""徳之島"の3集団間の関係は,長距離の分散,過去の隔離,あるいは異所的隔離により生じたと推論された。これら3集団における長期的な過去の個体群動態について,ハプロタイプ多様度,塩基多様度,t値,θ1値とθ0値との関係,塩基置換頻度分布図のパターンはすべて同じ傾向を示した。3集団で個体数の放散が起きた時期は比較的最近で(最終氷期の終わり以降),"奄美大島""徳之島"に比べると"トカラ列島"集団の放散時期が最も古いと推測された。しかし,北部の亜種アカヒゲ系統群内で見られた遺伝的な構造はごく浅いもので,過去の集団分化のパターンと渡り行動の変化の影響について議論する根拠としては不十分だった。

そこで,渡り行動の歴史的な変化のパターンを検討するために,渡り行動と関連性が強い翼の形態(翼端の尖り方)を集団間で比較した。一般に,鋭角的な翼端の形態は機動性で劣るが,長距離飛行での耐久性を増す。このような翼端の形態は遺伝性が強く,ごく近縁の集団間でも渡り行動との密接な関連性が認められる。遺伝的な分化が認められた2亜種の計4集団間で,翼端の尖り方(次列風切に対する初列風切の突出と翼長の比率)を共分散分析により比較した結果,北部の系統群に含まれる3集団では,南部の系統群に含まれる1集団に比べて翼端が有意に尖っていることが示された。両系統群の翼端の形態は,互いに重複なく区分することができた。北部系統群内の3集団には渡りの集団と留鳥の集団が含まれるが,集団間の違いは系統群間の違いほど明確ではなかった。これらの結果は,現在の北部系統群が基本的に渡りの系統群として南部の留鳥性の系統群から分化したことを示唆する。南北系統群の間の分岐年代は5~43万年前と推定され,この時代の陸橋形成にともなう琉球列島北部への分布拡大や,その後の陸橋消失による隔離などが影響して,南北の系統群が遺伝的に分化するとともに北部系統群が渡りを行うようになり,さらに最近になって北部の渡り系統群内に留鳥集団("奄美大島""徳之島")が再び形成されたと考えられた。

つづいて,先に明らかにされた繁殖集団の遺伝的構造をもとに非繁殖域で採集された個体の繁殖地を推定し,それぞれの集団の渡り行動について詳細に検討した。主に南西諸島最南部の先島諸島で採集された渡り途中あるいは越冬中の計40個体では,"トカラ列島"集団のハプロタイプが優占していたが(35個体),3個体は"奄美大島"集団の,2個体は"徳之島"集団のハプロタイプを示した。これにより,留鳥と考えられてきた"奄美大島""徳之島"の集団が,少数ながら渡りをする個体を含む部分的渡り集団であることが明らかになった。渡り個体を部分的に含む集団は,完全な渡り集団から留鳥性の集団へ,あるいはその逆の過程にあると推測されている。2つの集団で見つかった渡り個体の存在は,これらの集団で留鳥への変化が最近になって生じたとの仮説を支持する結果と考えられた。また,南部系統群("沖縄島"集団)に属するハプロタイプは非繁殖期にも沖縄島(繁殖域)でしか確認されず,この集団が完全な留鳥集団であることを示す結果となった。

このように,渡り行動の変異はアカヒゲの繁殖集団間の遺伝的構造を形成・維持する上で明確な影響を及ぼし,一回は南北系統群間の分化を,もう一回は北部系統群内での渡り集団と留鳥集団との間の分化を促したと考えられる。渡り集団の生息する島嶼間では長期的に遺伝子流動が保たれる一方で,渡り集団に属する個体は留鳥集団の繁殖地を渡り経路として通過している(季節的な生息地の重複が起こっている)にもかかわらず,留鳥集団の遺伝子プールに寄与していない。渡り行動の急速な進化のメカニズムとして提唱されている仮説の一つは,集団間で繁殖のタイミングがずれることによる同類交配の促進である。アカヒゲにおいても,繁殖のタイミングは集団間で大きく異なり,それぞれの集団の系統よりも渡り行動との関連が強い傾向にある。留鳥性の強い集団における繁殖開始時期は渡り集団に比べて1ヶ月以上も早く,このような違いが,繁殖にかかわる資源競争などを通して渡り集団から留鳥集団への遺伝子流動を阻害してきた可能性がある。

また,本研究の結果からは,アカヒゲの保全においては遺伝的に分化した4集団をそれぞれ独立した保全単位として扱うのが適当であると考えられた。それにより,2亜種を保全単位とみなすこれまでの場合と比べて,各集団のサイズはより小さく,分布域もより狭く,したがって各集団の絶滅リスクはより高いものになると推測される。今後,アカヒゲの保全にあたっては,それぞれの集団の個体群動態をモニタリングし,各生息地における移入捕食者の抑制など保全策を緊急に進める必要があると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

琉球列島では,過去の陸橋の消長が生物の移入,集団分化,地域的絶滅に影響し,現在の生物種の分布パターンが形成されたと考えられている。本研究では,アカヒゲErithacus komadoriを含む近縁種群の系統関係とアカヒゲの集団構造をミトコンドリアDNAの塩基配列データと形態形質とに基づいて分析することにより,琉球列島の地史と形態や生活史の変化が,集団分化と種分化にどのような影響を及ぼしたかを考察した。

まず,ノビタキ族(Saxicolini)におけるコマドリ属(Erithacus)の分子系統学的位置について,チトクロームb領域の塩基配列に基づいて検討した。その結果,東アジアのコマドリ属2種は,同じ東アジアに分布するLuscinia属の種と姉妹群に分類された。また,アカヒゲとコマドリの問の分岐年代はおよそ87万年前と推定され,琉球列島中部の古代山脈が沈降したと考えられる年代に一致した。コマドリと東アジアのLuscinia属が主に冷温帯や山地帯に生息する渡り鳥であるのに対し,アカヒゲは亜熱帯に生息し留鳥の集団が優占する。アカヒゲとコマドリの分化には,古代山脈の沈降と山地帯の消失による生息環境の変化が影響した可能性がある。

次に,アカヒゲの9つの島嶼集団間の遺伝的構造を,コントロール領域の塩基配列により検討した。亜種アカヒゲE. komadori komadoriに相当する北部の8集団と,亜種ホントウアカヒゲE. komadori namiyeiに相当する沖縄諸島の1集団のハプロタイプは,それぞれ独立した系統群に分類された。さらに,集団遺伝学的解析により,亜種アカヒゲ系統群は3つの下位集団"奄美大島""徳之島""トカラ列島"に分けられることが示された。これら3集団で個体数の放散が起きた時期は比較的最近で,"トカラ列島"集団の放散時期が最も古いと推測された。しかし,亜種アカヒゲ系統群内の遺伝的な構造はごく浅いもので,集団分化の過程について議論する根拠としては不十分だった。

そこで,集団問での渡り行動変化の過程を検討するために,遺伝的な分化が認められた2亜種4集団間で,渡りとの関連性が強い翼端の形態を比較した。一般に,渡り鳥の翼端は鋭角的で機動性に劣るが,耐久性に優れる。留鳥集団と渡り鳥集団とが混在する亜種アカヒゲではいずれの集団でも,留鳥の亜種ホントウアカヒゲに比べて翼端が有意に尖っていた。これは,現在の亜種アカヒゲが基本的に渡りの系統群として留鳥性の亜種ホントウアカヒゲの系統群から分化したことを示唆する。亜種間の分岐年代は数十万年前と推定され,陸橋の消長にともなう分布拡大とその後の隔離により,2亜種が遺伝的に分化するとともに北の亜種が渡りを行うようになり,さらに最近になって北の渡りをする亜種内に留鳥集団が再び形成されたと考えられた。

つづいて,先に明らかにされた繁殖集団の遺伝的構造をもとに,琉球列島南部の先島諸島で採集された渡り個体の繁殖地を推定し,各集団の渡り行動について詳細に検討した。先島諸島で採集されたアカヒゲの多くは"トカラ列島"集団由来の個体であったが,留鳥と考えられてきた"奄美大島""徳之島"由来の個体も少数ながら含まれていた。"奄美大島""徳之島"集団における渡り個体の存在は,これらの集団で留鳥への変化が最近になって生じたとの仮説を支持する結果と考えられた。

一般に,鳥類では渡りと分散とは関連性が強く,渡り鳥では分散距離が大きい。アカヒゲの場合にも渡り集団間では長期的に遺伝子流動が保たれていた。一方で,渡り個体は留鳥集団の繁殖地を渡り途中に通過しているにもかかわらず、留鳥集団の遺伝子プールに寄与していない。渡り行動の変異はアカヒゲの繁殖集団間の遺伝的構造を形成・維持する上で明確な影響を及ぼしたと考えられる。留鳥性の強い集団では,繁殖開始時期は渡り集団に比べて1ヶ月以上も早く,このような違いが,繁殖にかかわる資源競争などを通して渡り集団から留鳥集団への遺伝子流動を阻害してきた可能性がある。

また,本研究の結果からは,アカヒゲの保全においては遺伝的に分化した4集団をそれぞれ独立した保全単位として扱うのが適当であると考えられた。それにより,2亜種を保全単位とみなすこれまでの場合と比べて,各集団のサイズはより小さく,分布域もより狭く,したがって各集団の絶滅リスクはより高いものになると推測される。

以上より、本研究は、希少種アカヒゲの系統地理をDNAの塩基配列データと形態形質に基づいて解析することにより,琉球列島の地史に加えて渡り習性の変化が集団分化と種分化に及ぼした影響を考察した重要な研究と考えられる。したがって、本研究は基礎、応用両面から学術上貢献するところが大きく、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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