学位論文要旨



No 216854
著者(漢字) 大村,裕治
著者(英字)
著者(カナ) オオムラ,ユウジ
標題(和) イカ類乾製品の褐変に関する研究
標題(洋)
報告番号 216854
報告番号 乙16854
学位授与日 2007.11.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16854号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 准教授 落合,芳博
 東京大学 准教授 岡田,茂
内容要旨 要旨を表示する

イカ類は,わが国の平成17年度の国民1人当たりの魚介種別消費量でマグロ類に次いで2番目に多い最も馴染みの深い水産物のひとつである。また,イカ類乾製品製造業は同年度の年間生産額が1千億円以上と,マグロ漁業,ハマチ養殖業などと並んで水産関係の主要な産業となっている。「ソフトさきいか」は1960年代後半に開発された後,生産は急増して全国流通するようになり,イカ類乾製品製造業で最も主要な製品となった。近年は,中国や韓国等で生産された製品も多量に輸入されている。一方,これに伴って貯蔵中,流通中あるいは店頭陳列中に黄褐色ないし赤褐色に変色する劣化現象が夏季を中心に頻発し,品質保持上大きな問題となっている。この変色は糖-アミノ反応に起因する非酵素的褐変と推測され,製造工程中の脂質酸化,死後のグリコーゲン分解で生成するグルコース-6リン酸(G6P)やフルクトース-6リン酸(F6P)の蓄積,などが原因として推定された。しかしながら,原因物質は特定されておらず,加工工程における加熱温度の調整などが提唱されているものの,根本的な防止法は未だ確立していない。

このような背景の下,本研究ではイカ類乾製品の主原料スルメイカ(Todarodes pacificus)につき,一部ヤリイカ(Loligo bleekeri)を比較対照としつつ,死後の成分変化が乾製品の褐変に及ぼす影響を調べ,イカ類乾製品の褐変の主原因を明らかにした。その成果の概要は以下の通りである。

1.イカ類乾製品の褐変の特徴と水溶性成分および脂溶性成分の関与

市販の平均的鮮度の冷凍スルメイカを解凍して外套筋を80℃で20分間加熱後,調味料無添加で凍結乾燥して粉末化したものをイカ類乾製品のモデル(イカ乾製品褐変モデル)とした。これを含気および除酸素条件下,35℃で貯蔵したところ,含気貯蔵では市販製品でみられる褐変と同様に黄色を呈し、測色色差計で測定したb*値が増加したが,除酸素貯蔵では赤色を呈して同測定計で求めたa*値が増加した。従って,イカ類乾製品の褐変の主原因は加工中に添加される調味料等ではなくイカ類固有の成分によるものと考えられた。

次に,イカ乾製品モデルからクロロホルム-メタノール(1:1, v/v)混液で脂溶性成分を除いたところ,未処理の乾製品モデルと同様に褐変したが,水溶性成分を除いた場合にはほとんど褐変しなかった。乾製品モデルから抽出した水溶性成分のうち分子量14,000以上のタンパク質を透析により分画した高分子成分画分を乾製品モデルに添加しても褐変は促進されなかった。一方,過塩素酸で除タンパクした低分子成分画分(エキス成分)を添加したところ,市販の製品と同様な色調変化を示し,褐変の主原因物質が低分子水溶性画分に存在することが判明した。加工現場で鮮度低下したイカ類を原料とした場合に褐変が起こりやすいことが経験的に知られていることとあわせて,鮮度低下により変化する低分子水溶性成分と乾製品の褐変との関係を調べる必要があると考えられた。

2.イカ類の鮮度と乾製品の褐変との関係

イカ類の鮮度と乾製品貯蔵中の褐変との関係を明らかにするため,市販冷凍スルメイカおよび活スルメイカ即殺後のATP関連化合物組成を調べるとともに,各々から乾製品モデルを調製して35℃で15日間貯蔵試験を行った。冷凍スルメイカは鮮度低下しており,解凍直後のATP,ADPおよびAMPの合計量がATP関連化合物総量の58%であった。これに対して即殺スルメイカはATP,ADPおよびAMPの合計量がATP関連化合物の88%以上を占めた。冷凍スルメイカから調製した乾製品モデルを35℃で貯蔵したところ,15日目のb*値は16.5と測定され,即殺スルメイカから調製したモデルの同期間貯蔵後のb*値(10.7)の約1.5倍と,前者モデルの褐変が著しかった。また,冷凍スルメイカ乾製品モデルのリボース含量は貯蔵開始時に6.5 μmol/g (乾重量)であったが, 35℃貯蔵中に急速に減少し,b*値との間に高い直線的相関関係(R2 = 0.724)が認められた。一方,即殺スルメイカ乾製品モデルの貯蔵開始時のリボース含量は0.8 μmol/g (乾重量)と冷凍スルメイカ乾製品モデルと比べて著しく低かった。

3.イカ類の死後変化と乾製品の褐変との関係

前節までの結果より鮮度低下に伴うエキス成分の変化が乾製品モデルの褐変に深く関与することが示された。そこで,活スルメイカおよび対照の活ヤリイカを対象に即殺後5℃で0~24時間貯蔵中におけるATP関連化合物,糖類および遊離アミノ酸の変化を調べ,これらの試料から調製した乾製品モデルを35℃で含気貯蔵したときの褐変との関係を調べた。即殺後5℃で0~12時間貯蔵したスルメイカと0~24時間貯蔵したヤリイカのリボース含量は0.02~0.12 μmol/g (湿重量)と低く,これらから調製したイカ乾製品モデルの35℃貯蔵中の褐変は緩慢で15日間貯蔵後でもb*値は8.8~10.1であった。スルメイカはヤリイカと比較して死後のATP関連化合物の分解が速く,即殺後5℃で24時間貯蔵したときのスルメイカのリボース含量は2.8 μmol/g (湿重量)と、ヤリイカの0.12 μmol/g (湿重量)に比べて著しく高かった。この5℃で24時間貯蔵したスルメイカから調製した乾製品モデルは,35℃貯蔵中に著しく褐変して15日目のb*値は13.5に達し,同条件下のヤリイカ乾製品モデルの10.1に対して有意に高かった。なお,この場合もスルメイカ乾製品モデルのリボース含量とb*値との間に高い直線的相関関係 (R2 = 0.767) が認められた。

乾製品モデル35℃貯蔵中のグルコース含量はスルメイカ,ヤリイカともリボース含量と同程度であったが,グルコース含量とb*値との間に相関関係は認められなかった。G6PおよびF6P含量はスルメイカ,ヤリイカともリボース含量よりも著しく高かったが,これらについてもb*値との間に相関関係は認められなかった。

即殺直後および5℃貯蔵中の試料の遊離アミノ酸ではスルメイカ,ヤリイカともTau,Gly,Ala,His,ArgおよびProの合計量が遊離アミノ酸総量の90%以上を占めた。乾製品モデルで35℃貯蔵中に最も大きく変化した実験例では,5℃で24時間貯蔵したヤリイカから調製したモデルのアミノ酸総量が35℃貯蔵0日目の1071 μmol/g (乾重量)から15日目の399.7 μmol/g(乾重量)へと著しく減少したが,アミノ酸総量および各アミノ酸含量とb*値との間に相関関係は認められなかった。これらの結果から,イカ類乾製品の褐変は死後のATP関連化合物の分解過程で蓄積するリボースが主原因物質であること,グルコース,G6P,F6Pおよびアミノ酸類は褐変の主原因物質ではないこと,が示唆された。

4.エキス成分の添加がイカ乾製品の褐変におよぼす影響

前節までの結果を確認する目的でエキス成分の添加試験を行った。すなわち,リボース,グルコース,G6P,F6Pおよびアミノ酸類(Gly,Ala,Pro,His,Arg,Lys,Tau)につき、分析値とほぼ同濃度、スルメイカから調製した乾製品褐変モデルにそれぞれ添加して35℃で貯蔵したところ,リボースとG6Pを添加した場合にのみ顕著に褐変がみられた。G6Pの添加により生じた褐変は,市販イカ類乾製品で観察されるものとは異なり,含気,除酸素いずれの条件下でも黒褐色を呈した。一方,リボースを添加した場合,G6Pほど色調変化は顕著でなかったが,含気貯蔵で黄味を,除酸素貯蔵で赤味を帯びる色調変化が促進され,市販のイカ類乾製品にみられる色調変化の傾向と一致した。本来,褐変しにくいヤリイカから調製した乾製品褐変モデルにリボースを添加して35℃で貯蔵したところ、これも著しく褐変し,その色調変化はスルメイカを原料とした市販乾製品にみられる傾向とよく一致した。以上の結果から,イカ類の主要なエキス成分のなかでG6Pとリボースはともに褐変を著しく促進するが,市販乾製品の主原因物質はリボースであることが示された。

以上,本研究により,ソフトさきいか等のイカ類乾製品で開発当初から問題であった褐変の主原因物質は死後変化でATP関連化合物の分解により蓄積するリボースであることが初めて実証された。一方,本研究の結果からイカ類乾製品の褐変を防止するには,原料を高鮮度のうちに加熱し,ATP関連化合物の分解酵素系を失活させてリボースの蓄積を防ぐことが最も有効と結論づけられた。本研究はイカ類乾製品の褐変防止法開発への契機となることが期待されるととともに,イカ類乾製品に類似した褐変が起こるウマヅラハギやカレイ類など少脂魚乾製品にも応用されることが期待され,食品学および水産物の高度利用に資するところが大きいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

イカ類乾製品製造業で「ソフトさきいか」は最も主要な製品となっているが、貯蔵・流通中に黄褐色ないし赤褐色に変色する劣化現象が夏季を中心に頻発し,品質保持上大きな問題となっている。この変色は糖アミノ反忘に起因するものと推測され,製造工程中の脂質酸化,死後のグリコーゲン分解で生成するグルコースー6リン酸(G6P)やフルクトースー6リン酸(F6P)の蓄積,などが原因として推定されたが特定されておらず,根本的な防止法は確立していない。

本研究ではまず、イカ類乾製品の主原料であるスルメイカ(TodarodespaCi;ficus)につき、市販の車均的鮮度の冷凍品を解凍して外套筋を80℃で20分間加熱後,調味料無添加で凍結乾燥して粉末化しイカ類乾製品のモデル(イカ乾製品褐変モデル)とした。これを含気および除酸素条件下,35℃で貯蔵したところ,含気貯蔵では市販製品でみられる褐変と同様に黄色を呈し、測色色差計で測定したb*値が増加したが,除酸素貯蔵では赤色を呈して同痴定計で求めたa*値が増加した。

次に,イカ乾製品モデルからクロロホルムーメタノール(1:1,v/v)混液で脂溶性成分を除いたととろ,未処理の乾製品モデルと同様に褐変したが,水溶性成分を除いた場合にはほとんど褐変しなかった。水溶性成分のうち分子量14,000以上のタンパク質を分画した高分子成分画分を乾製品モデルに添加しても褐変は促進されなかったが,低分子成分画分(エキス成分)を添加したところ,市販の製品と同様な色調変化を示した。

次に、市販冷凍スルメイカおよび活スルメイカから乾製品モデルを調製して35℃でt15日間貯蔵試験を行った。解凍直後のスルメイカのArP,ADPおよびAMPの合計量はArP関連化合物総量の58%であった。即殺スルメイカはArP,ADPおよびAMPの合計量がArp関連化合物の88%以上を占めた。冷凍スルメイカから調製した乾製品モデルを35℃で貯蔵したところ,15目目のb*値は16.5と測定され,即殺スルメイカから調製したモデルの同期間貯蔵後のb*値(10.7)の約1.5倍であった。また,冷凍スルメイー.)力乾製品モデルのリボース含量は貯蔵開始時に6.5ymol/g(乾重量)であったが35℃貯蔵中に急速に減少し,b*値との間に高い直線的相関関係(R2=0.724)がみられた。即殺スルメイカ乾製品モデルの貯蔵開始時のリボース含量は0.81mioVg(乾重量)と冷凍スルメイカ乾製品モデルと比べて著しく低かった。

そこで,活スルメイカおよび対照の活ヤリイカヤリイカ(LoligobleekeTi)を対象に即殺後5℃でo-24時間貯蔵中におけるArp関連化合物,糖類および遊離アミノ酸の変化を調べた。即殺後5℃で0~12時間貯蔵したスルメイカと0~24時間貯蔵しだヤリイカのリボース含量は0.02~0.12脚ol/g(湿重量)と低く,これらから調製したイカ乾製品モデルの35℃貯蔵中の褐変は緩慢で15日間貯蔵後でもb*値は8.8~10.1であった。スルメイカはArp関連化合物の分解が速く,即殺後5℃で24時間貯蔵したときのリボース含量は2.8μmol/g(湿重量)と著しく高かった。5℃で24時間貯蔵したスルメイカから調製した乾製品モデルは,35℃貯蔵中に著しく褐変して15日目のb*値は13.5に達し,同条件下のヤリイカ乾製品モデルの10.1より有意に高かった。スルメイカ乾製品モデルのリボース含量とb*値と・の間に高い直線的相関関係(R2=0.767)が認められた。乾製品モデル35℃貯蔵中のグルコース含量とb*値との間に相関関係は認められなかった。G6PおよびF6P含量もb*値との間に相関関係は認められなかった。

即殺直後および5℃貯蔵中の試料の遊離アミノ酸ではスルメイカ,ヤリイカともTau,Gly,Ala,His,ArgおよびProの合計量が遊離アミノ酸総量の90%以上を占めた。5℃で24時間貯蔵したヤリイカから調製したモデルのアミノ酸総量は35℃貯蔵0日目の1071μmol/g(乾重量)から15日目の399.7μmol/g(乾重量)へと著しく減少したがb*値との間に相関関係は認められなかった。

次に,リボース,グルコース,G6P,F6Pおよびアミノ酸類(Gly,Ala,Pro,His,Arg,Lys,Tau)にっき、分析値とほぼ同濃度、スルメイカから調製した乾製品褐変モデルにそれぞれ添加して35℃で貯蔵したところ,リボースとG6Pを添加した場合にのみ顕著に褐変がみられた。G6Pの添加により生じた褐変は,含気,除酸素いずれの条件下でも黒褐色を呈した。一方,リボースを添加した場合,G6Pほど色調変化は顕著でなかったが,市販のイカ類乾製品にみられる傾向と一致した。ヤリイカから調製した乾製品褐変モデルにリボースを添加して35℃で貯蔵したところ著しく褐変し,その色調変化はスルメイカを原料とした市販乾製品にみられる傾向と一致した。

以上,本研究により,ソフトさきいか等のイカ類乾製品の褐変の主原因物質は死後変化でArp関連化合物の分解により蓄積するリボースであることが実証された。また、イカ類乾製品の褐変を防止するには原料を高鮮度のうちに加熱し,Arp関連化合物の分解酵素系を失活させてリボースの蓄積を防ぐことが最も有効と結論された。本研究はイカ類乾製品の褐変防止法開発への契機となることも期待され,学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク