学位論文要旨



No 216855
著者(漢字) 村松,裕子
著者(英字)
著者(カナ) ムラマツ,ユウコ
標題(和) ミトコンドリア機能調節に着目した神経細胞死抑制薬に関する研究
標題(洋)
報告番号 216855
報告番号 乙16855
学位授与日 2007.11.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16855号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 杉山,雌一
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 武田,弘資
内容要旨 要旨を表示する

高齢化が進む現代社会においては、虚血性脳疾患や神経変性疾患の罹患率の増加が予測されるが未だ根本治療薬はなく、発症を予防すること又は有効な治療薬を見出すことは、患者のQOLや家族の負担を改善させると共に医療経済上の急務である。

虚血性脳機能障害の揚合、脳梗塞巣における神経細胞の脱落が原因となり、運動機能及び精神活動などの異常あるいは低下をもたらす。さらにパーキンソン病、ハンチントン病、筋萎縮性側策硬化症(ALS)又はアルツハイマー病などの神経変性疾患は、脳・脊髄における特定のニューロン群が遺伝的・環境的因子の関与によって脱落し発症することが知られており、これらの疾患では共通して神経細胞死が中心的役割を果たしている。また、神経細胞死に先行してミトコンドリア膜電位低下とそれに引き続くミトコンドリア機能異常が観察されており、ミトコンドリア機能を維持する薬剤が有効な神経細胞保護薬と成り得ると考えられる。

本研究においては、ミトコンドリア膜電位低下及び細胞死を指標とし、ミトコンドリア機能調節に着目した神経保護薬創製の可能性について以下のような内容で検証した。

1. Thapsigarginによるミトコンドリア膜電位低下及び神経細胞死

小胞体のCa(2+)-ATPaseを強力に阻害するthapsigarginは、細胞内カルシウム濃度の上昇を介してミトコンドリア膜透過性遷移(mitochondria membrane permeability transition: MPT)を惹起し、その結果ミトコンドリア膜電位低下及び細胞死を誘導する。これらの現象は虚血時や神経変性疾患における神経細胞内環境をよく反映している。免疫抑制剤であるFK506やcyclosporin Aが、各種脳梗塞モデル及び神経変性疾患において優れた神経保護作用を持つことが知られているが、これらの薬物はthapsigargin誘導ミトコンドリア膜電位低下及び細胞死に対し、濃度依存的且つ有意な保護作用を示した。

このことからthapsigargin誘発細胞死に対し神経保護作用を有する薬物はFK506及びcyclosporin Aと同様に虚血性脳疾患及び神経変性疾患において有効性を示す可能性があり、thapsigargin誘発in vitro細胞死評価系及びミトコンドリア膜電位低下評価系は、神経保護薬の簡便且つ効率的なスクリーニング系として有用であると考えられる。II~IV章では、thapsigargin誘発細胞死をpivotalの評価系として虚血性脳疾患及び神経変性疾患治療薬の創製の可能性について検討した。

II. Thapsigafginによるミトコンドリア膜電位低下及び神経細胞死と免疫抑制剤FR901459の効果

カルシニューリン阻害剤であるFK506及びcyclosporin Aの各種脳疾患に対する神経保護薬としての臨床使用は、その免疫抑制活性に伴う副作用により制限を受けることが懸念されることから、カルシニューリンを介さない神経保護薬の創製について検討した。ミトコンドリア膜透過性遷移(MPT)が惹起される際、ミトコンドリア膜上には蛋白複合体MPT poreが形成され、ミトコンドリアからチトクロームCを放出し、アポトーシスが誘導される。Cyclosporin AはFK506と同じカルシニューリン阻害によるメカニズム以外に、ミトコンドリア膜上のcycbphilin Dを介したMPT pore形成抑制により、細胞死を抑制する。Cyclosporin誘導体であるFR901459はcyclosporin Aよりも免疫抑制活性が約6倍弱く、一方thapsigargin誘発のマウス胸腺細胞ミトコンドリア膜電位低下及びSH-SY5Y細胞死においては、強力な保護作用を示した。砂ネズミ一過性全脳虚血モデル及びラット中大脳動脈閉塞再灌流モデルにおいても、有意な抑制又は抑制傾向を示し(図.1,図2)、MPTを介したミトコンドリア保護作用は、in vivo脳梗塞モデルにおいて重要な役割を果たしていると考えられ、MPTを介したミトコンドリア機能の正常化は虚血性脳疾患に於ける創薬ターゲットと成り得る可能性が示された。

III. ミトコンドリア膜電位調節剤SCH-20148の神経保護薬としての可能性検討

前章までの検討結果より、虚血などのストレス時における神経細胞死において、ミトコンドリア膜透過性遷移(MPT)の重要性が示唆されたことから、カルシニューリン阻害活性を介さないミトコンドリア膜電位調節に着目し検討した。

Thapsigarginで誘発されるミトコンドリア膜電位低下及び細胞死を指標とし、これらの作用を抑制する化合物探索からSCH-20148を発見した。この化合物は、構造的にはcox阻害剤と類似性を有していた。

SCH-20148は、免疫抑制作用を介さず、thapsigargi血処理で誘発されるミトコンドリア膜電位低下及び細胞死に対して保護作用を示した。さらに、SCH-20148はA23187及びionomycinなどのthapsigargin以外の刺激においてもミトコンドリア膜電位低下に対して保護作用を示した。FK506及びcyclosporin Aは無効あるいは非常に弱い保護作用を示すのみであり、SCH-20148は免疫抑制剤と比較して、より幅広いミトコンドリア膜電位低下に対して保護作用を有する可能性が示された。ラット脳虚血再灌流モデルにおいては、皮質部において10mg/kgで約10%、32mg/kgでは30%の有意な梗塞巣の縮小作用を示した。線条体においても、32mg/kgで約12%の縮小が見られ、SCR-20148はin vivoに於いても、用量依存的且つ有意に梗塞巣を減少させ有効性を示した(図.3)。

以上の検討結果から、SCH-20148は免疫抑制活性を持たず、各種刺激によるミトコンドリア機能異常を抑制し、カルシニューリン阻害とは異なるメカニズムによる画期的な治療薬となり得る可能性が示された。

IV. PPAR-δアゴニストの脳梗塞並びにパーキンソン病治療薬としての可能性

PPARサブタイプの中で、PPAR-α及びPPAR-γは脳梗塞モデルやパーキンソン病モデルにおいて抗炎症作用を介して有効であることが報告されている。PPAR-δは神経細胞における発現が他のPPARサブタイプに比べて多く神経系への寄与が期待できる。そこでPPAR-δに選択的なアゴニストであるL-165041及びGW501516を用いて、PPAR-δアゴニストの神経保護作用を検討した。

PPAR-δアゴニストは、thapsigargin又はstaurosporine誘導SH-SY5Y細胞死に対し、濃度依存的な細胞死抑制効果を示し、その効果はcaspase-3の活性化抑制を介したものであった。ラット脳梗塞モデルにおいては、用量依存的に虚血再灌流による梗塞巣を顕著に縮小させることが明らかとなった(図.4)。

さらにPPAR-δアゴニストの神経変性疾患への治療効果についても検討した。MPTPは合成麻薬生成時の副産物で、その摂取によりパーキンソン病と区別のつかない症状を呈することが知られている。MPTPは脳内に取り込まれた後、アストロサイトの中でmonoamine oxidaseBによりMPP+に代謝され、MPP+はドーパミン作動ニューロンの細胞膜に存在するドーパミントランスポーターによって、ドーパミンニューロン内に取り込まれ、ミトコンドリアの電子伝達系のcomplex Iを強力に阻害して毒性を発揮する。PPAR-δアゴニストは、in vitro MPP+誘導神経細胞死に対し、濃度依存的且つ有意な細胞死抑制活性を示した。さらに、in vivoパーキンソン病モデルにおいては、MPTPによる線条体ドーパミン及びその代謝物の含量低下を有意に抑制し、MPTPによる黒質線条体ドーパミン神経細胞死を抑制した(図.5)。このときL-165041及びGW501516のドーパミン含量低下抑制の強度は、in vitro PPAR-δアゴニスト作用の強度とよく相関していた。

PPAR-δが、脳梗塞及びパーキンソン病など神経変性疾患の発症と直接関連することを示した報告は無く、今回初めてPPAR-δアゴニストの虚血性脳機能障害やパーキンソン病を始めとする神経変性疾患の治療薬としての可能性が示された。

結語

カルシニューリン阻害による多臓器への副作用の懸念があるものの強力な神経細胞保護作用を示す免疫抑制剤のミトコンドリア機能異常に対する作用の検討から展開した本研究により、虚血性脳機能障害や神経変性疾患を適応とする新たな創薬の方向性が示され、新規ミトコンドリア膜電位調節薬及びPPAR-δ作動薬が神経細胞死抑制作用を示すことを見出した。

本研究は、脳梗塞及び神経変性疾患治療薬の開発において新たな方向性を示す重要な知見を提供するものである。

図.1 砂ネズミ一過性全脳虚血モデルにおけるFR901459の効果(**P<0.01,##<0.01)

図.2 ラット中大脳動脈閉塞虚血再還流モデルにおけるFてR901459の効果

図.3 ラット中大脳動脈閉塞虚血再還流モデルにおけるSCH-20148の効果(*P<0.05)

図.4 ラット中大脳動脈閉塞虚血再還流モデルにおけるPPAR-δの効果(*P<0.05)

図.5 マウスMPTPモデルにおけるPPAR-δの効果(*,P<0.05,**,P<0.01,##,P<0.01)

審査要旨 要旨を表示する

高齢化が進む現代社会においては、虚血性脳疾患や神経変性疾患の罹患率の増加が予測されるが未だ根本治療薬はなく、発症を予防すること又は有効な治療薬を見出すことは、患者や家族のQOLを向上させると共に医療経済上の急務である。

虚血性脳機能障害の場合、脳梗塞巣における神経細胞の脱落演原因となり、運動機能及び精神活動などの異常あるいは低下をもたらす。さらにパーキンソン病、ハンチントン病、節萎縮性側策硬化症(ALS)又はアルツハイマー病などの神経変性疾患は、脳・脊髄における特定のニューロン群が遺伝的・環境的因子の関与によって脱落し発症することが知られており、これらの疾患では共通して神経細胞死が中心的役割を果たしている。また、神経細胞死に先行してミトコンドリア膜電位低下とそれに引き続くミトコンドリア機能異常が観察されており、ミトコンドリア機能を維持する薬剤が有効な神経細胞保護薬と成り得ると考えられる。

本研究においては、ミトコンドリア膜電位低下及び細胞死を指標とし、ミトコンドリア機能調節に着目した神経保護薬創製の可能性について以下のような内容で検証した。

1. Thapsigarginによるミトコンドリア膜電位低下及び神経細胞死

小胞体のCa(2+)-ATPaseを強力に阻害するthapsigarginは、細胞内カルシウム濃度の上昇を介してミトコンドリア膜透過性遷移(mitochondrial pemmeability transition: MPT)を惹起し、その結果ミトコンドリア膜電位低下を誘導する。thapsigarginはマウス胸腺細胞においてミトコンドリア膜電位低下を誘発するとともに、ヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y細胞及びラット初代培養神経細胞において細胞死を誘導することを確認し、神経細胞障害時を反映した細胞内環境を再現するモデルになると考えられた。

免疫抑制剤であるFK506やcyolosporin Aが、各種脳梗塞モデルで著効を示し優れた神経保護作用を持つことが知られているが、これらの薬物はthapsigargin誘導ミトコンドリア膜電位低下及び細胞死に対し、濃度依存的且つ有意な保護作用を示した。

これらの結果からthapsigarginにより誘導される細胞内カルシウム濃度の上昇及びミトコンドリア膜電位低下などの細胞内環境を改善する薬物は、虚血性脳機能障害の有効な治療薬と成り得る可能性が示された。

2.Thapsigarginによるミトコンドリア膜電位低下及び神経細胞死と免疫抑制剤FR901459の効果

カルシニューリン阻害薬の各種脳疾患に対する神経保護薬としての臨床使用は、その免疫抑制活性に伴う副作用により制限を受けることが懸念されることから、カルシニューリンを介さない神経保護薬の創製について検討した。ミトコンドリア膜透過性遷移(MPT)が惹起される際、ミトコンドリア膜上には蛋白複合体MPT poreが形成され、ミトコンドリアからチトクロームCを放出し、アポトーシスが誘導される。Cyclosporin AはFK506と同じカルシニューリン阻害によるメカニズム以外に、ミトコンドリア膜上のcyclophilin Dを介したMPT pore形成抑制により、細胞死を抑制する。Cycbsporin A誘導体であるFR901459はcyclosporin Aよりも免疫抑制活性が約1/6しかなく、一方thapsigargin誘発のマウス胸腺細胞ミトコンドリア膜電位低下及びSH-SY5Y細胞死において強力な保護作用を示した。砂ネズミ一過性全脳虚血モデル及びラット中大脳動脈閉塞再灌流モデルにおいても、有意な抑制又は抑制傾向を示し、MPTを介したミトコンドリア保護作用は、in vivo脳梗塞モデルにおいて重要な役割を果たしていると考えられ、MPTを介したミトコンドリア機能の正常化は虚血性脳疾患た於ける創薬ターゲットと成り得る可能性が示された。

3. ミトコンドリア膜電位調節剤SCH-20148の神経保護薬としての可能性検討

以上の検討結果より、虚血などのストレス時における神経細胞死において、ミトコンドリア膜透過性遷移(MPT)の重要性が示唆されたことから、さらにカルシニューリン阻害活性を介さないミトコンドリア膜電位調節に着目した。

Thapsigarginで誘発されるミトコンドリア膜電位低下及び細胞死を指標とし、これらの作用を抑制する化合物探索からSCH-20148を発見した。この化合物は、シェーリング社とのケミカルライブラリー交換サンプルの中から探索した、下痢を適用とする古い公知物質で、構造的にはcox阻害剤と類似性を有していた。

SCH-20148は、免疫抑制作用を示さず、thapsigargin処理で誘発されるミトコンドリア膜電位低下及び細胞死に対して保護作用を有することが明らかとなった。さらに、SCH-20148はA23187及びionomycinなどのthapsigargin以外の刺激においてもミトコンドリア膜電位低下に対して保護作用を示した。FK506及びcyclosporin Aは、thapsigargin以外の刺激においては無効あるいは非常に弱い保護作用を示すのみであり、SCH-20148は免疫抑制剤と比較して、より幅広いミトコンドリア膜電位低下に対して保護作用を有する可能性が示された。ラット脳虚血-再灌流モデルにおいては、皮質部において10mg/kgで約10%、32mg/kgでは30%の有意な梗塞巣の縮小作用を示した。線条体においても、32mg/kgで約12%の縮小が見られ、SCH-20148はin vivoに於いても、用量依存的且つ有意に梗塞巣を減少させ有効性を示した。

これらのことから、SCH-20148は免疫抑制活性を持たず、各種刺激によるミトコンドリア機能異常を抑制し、カルシニューリン阻害とは異なるメカニズムによる画期的な治療薬となり得る可能性が示された。

4, PPAR-δアゴニストの脳梗塞並びにパーキンソン病治療薬としての可能性

カルシニューリンは、アポトーシス調節蛋白であるBcl-2やBadの脱リン酸化による細胞死調節因子として重要であることから、カルシニューリンを介さないBad調節因子に着目した。核内受容体の1つであるPPARは種々の遺伝子発現制御に関与しており、サブタイプの一つであるPPAR-δの活性化は14-3-3タンパクの発現を上昇させ、リン酸化Badへの結合を介して細胞死を抑制する可能性がある。そこでPPAR-δに選択的なアゴニストであるL-165041及びGW501516を用いて、PPAR-δアゴニストの神経保護作用を検討した。PPAR-δアゴニストは、thapsigargin誘導SH-SY5Y細胞死に対し、濃度依存的な細胞死抑制効果を示し、その効果はcaspase-3の活性化抑制を介したものであった。ラット脳梗塞モデルにおいては、用量依存的に虚血再灌流による梗塞巣を顕著に縮小させることが明らかとなった。

さらにPPAR-δアゴニストの神経変性疾患への治療効果についても検討した。MPTPは合成麻薬生成時の副産物で、その摂取によりパーキンソン病と区別のつかない症状を呈することが知られている。MPTPはアストロサイトの中でmonoamine oxidase BによりMPP+に代謝され、MPP+はドーパミン作動ニューロンの細胞膜に存在するドーパミントランスポーターによって、ドーパミンニューロン内に取り込まれ、ミトコンドリアの電子伝達系のcomplex Iを強力に阻害して毒性を発揮する。PPAR-δアゴニストは、in vitro MPP+誘導神経細胞死に対し、濃度依存的な細胞死抑制活性を示した。さらに、in vivoパーキンソン病モデルにおいては、MPTPによる線条体ドパミン及びその代謝物の含量低下を有意に抑制し、黒質線条体ドパミン神経細胞保護作用を示した。このときL-165041及びGW501516のドーパミン含量低下抑制の強度は、in viro PPAR-δアゴニスト作用の強度とよく相関していた。

PPAR-δが、脳梗塞及びパーキンソン病など神経変性疾患の発症と直接関連することを示した報告は無く、今回初めてPPAR-δアゴニストの虚血性脳機能障害やパーキンソン病を始めとする神経変性疾患の治療薬としての可能性が示された。

本研究では、カルシニューリン阻害による多臓器への副作用の懸念があるものの強力な神経細胞保護作用を示す免疫抑制剤のミトコンドリア機能異常に対する作用の検討から展開し、虚血性脳機能障害や神経変性疾患を適応とする幾つかの新たな創薬の方向性を示した。新規ミトコンドリア膜電位調節薬及びPPAR-δ作動薬が神経細胞死抑制作用を示すことを見出した。

本研究は、脳梗塞及び神経変性疾患の疾病解明と治療薬開発において新たな方向性を示す重要な知見を提供するものであり、博士(薬学)の学位に値すると判断した。

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