学位論文要旨



No 216856
著者(漢字) 宮本,佳明
著者(英字)
著者(カナ) ミヤモト,カツヒロ
標題(和) 「環境ノイズエレメント」に見る風景の加工性についての研究
標題(洋)
報告番号 216856
報告番号 乙16856
学位授与日 2007.11.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16856号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 准教授 西出,和彦
 東京大学 准教授 千葉,学
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、誰でもがごく普通に多層で豊かな風景をつくりだせるような共有可能なプラットフォームを構築することにある。そのために、これまで筆者が提唱してきた「環境ノイズエレメント」という概念が、私たちが実際に建築や都市をデザインするにあたりいかなる有効性をもちうるか、それを検証したいと考えた。

本論文は資料編を含む全5章で構成されている。

「第I章 はじめに」では、研究の目的と位置づけを明らかにし、具体的な研究方法について解説した。

環境ノイズエレメントという概念の前提として、新しい風景は古い風景の加工によって生まれる、という風景の発生構造についての認識がある。それは、ただ空間にかかわるのみならず、時間軸をも内包したデザインを展開する可能性にかかわる問題である。一通りの読み方しか許容しない単層の風景は貧しい。いい換えれば、広く他者性を包含した豊かな環境デザインのあり方について探求することが、本研究の目的である。

研究方法の要点は、実在する「(直感的に)違和感のある風景」の成立経緯の徹底した調査・分析である。国内外でおよそ400あまりの事例を研究対象として選んでいる。具体的に「風景の構法」を解き明かすことにより、風景の再構築の可能性を探ることがその狙いである。

「第II章 環境ノイズエレメントの理論」では、まず環境ノイズエレメントという概念についてその定義を整理した。そして、環境ノイズエレメントという視点を獲得することによって得られる有効性について考察した。

都市計画という言葉が示すように、現代都市は通常「計画」にもとづいて建設されてきた。しかし結果的に見ると、現実の都市は様々な要因によってオールマイティな単一の計画によって達成されてはいない。たとえば地形といった自然物や土木構築物あるいは過去の都市計画といったものが、物理的あるいは社会的に「硬い」がゆえに破壊しにくいという理由から、現代の都市計画に異物感やより具体的に障害や影響を与える。あるいは市井のカスタマイズにより、まったく想定外の使われ方がなされることもある。その結果、本来「計画」が志向し誘導しようと試みた風景の秩序に「ほころび」が生ずることになる。そういった空間的に現象した「計画」の「ほころび」のことを「環境ノイズエレメント」と呼んでいる。そして多くの場合、そのようにして新たに生まれた現実の風景とは、ある種ざわざわとした異物感をともなったものであった。それがあえて「ノイズ」というネガティブな語感を帯びた名称で呼ぶ所以である。

環境ノイズエレメントという概念のもつ有効性のひとつは、風景にアイデンティティを付与し、場所のイメージアビリティを高めることに貢献しているということである。さらに、建築や風景とは、たとえ文化財的な価値をもたなくとも、個々人にとっては常に記憶の器としての側面をもつ。場所の記憶があってはじめて「このまちが私のまちである」という感覚がもたらされる。だとすれば、その記憶をもたらす源泉である風景が、もし「計画」の志向するがままに単層化・均質化へと向かうならば、それはすなわち「私」自身の存在感の希薄化を意味することにならないだろうか。あるいはまた平穏無事な「通常性」を守るために「非通常性」を隔離することが、むしろ結果的に社会の不透明性を上昇させるという社会学者の指摘があるが、その「非通常性」が物理的な空間として現象したものが、まさに本研究で扱う環境ノイズエレメントであるといえる。ここに「計画」批判としての環境ノイズエレメントの射程がある。

「ノイズ・シティに向けた予備的考察」という小論は、風景の奥に潜む意図の重層性を問い直したものである。古い環境を「素材」と見なし、それを物理的に「加工」ないしは意味機能を転換することによって、新しい環境が成立するということがこの小論の骨子である。

以上の考察を踏まえて、環境ノイズエレメントのカテゴライズを試みた。風景に2次的に生ずる異化作用をより効果的に説明するために、素材性と加工性という即物的な2つの分類軸を用いている。素材性は、大きくT.自然地形(topography) C.土木構築物(civil engineeringstructure) H.文化財(heritage)という3項目に分類される。加工性は、t.トレース(trace)c.切断(cut)に二分される。具体的な「素材」が、「トレース」「切断」といった具体的かつ人工的な「加工」を受けることによって異物感が発生していること、それこそが環境ノイズエレメントの最大の要件である。

第II章の最後に「既往研究との関連」を置いている。大きく(1)環境の観察と記述に関する既往研究、(2)歴史の合成に関する既往研究、(3)環境の編集可能性に関する既往研究という風に分け、本研究との関連について考察を加えた。

「第III章 事例研究」は、本論文の各論に相当する部分である。素材性×加工性にもとづいたカテゴリーにしたがって、以下のテーマについて事例を調査・分析したものである。(付記した記号は、対象事例の属するカテゴリーを現わす)

T-1. 障害のトレース …Tt, (Ct)

T-2. 地形の微分としての勾配 …Tt

T-3. 地形という加工素材 …Tc

C-1. 風景の補助線 …Ct(コピー)

C-2. 屈折道路 …(Tt), Ct, (Cc), Ht(補完)

C-3. 未成インフラのゴースト …Ct(ゴースト)

C-4. 消滅インフラのゴースト …Ct, (Tt)(ゴースト)

C-5. 土地のボディ・コンシャス …Ct, Ht(転用)

C-6. 戦争の忘れ物 …(Cx), Ct(転用)

C-7. 速度の遺構 …Ct(転用)

C-8. トレインハウス …Ct, Ht(転用)

C-9. 水との戦いの記憶1 …Ct(転用)

C-10. 水との戦いの記憶2 …Cc

C-11. 交通ヘタ地 …Cc

C-12. 交通ヘタ道 …Cc

C-13. 鋭角式都市計画1 …Cc

C-14. 鋭角式都市計画2 …Cc(調整)

H-1. 文化財との共生1 …Ht(平面的逆転写)

H-2. 文化財との共生2 …Ht(断面的逆転写), Hc

H-3. カスタマイズド・ヘリテージ1 …Ht(転用)

H-4. カスタマイズド・ヘリテージ2 …Hc

H-5. 参道を横切るもの …(Ht), Hc

H-6. ワープする宗教のカタチ …Hc

「第IV章 結語/ノイズ・シティを目指して」は本論文の結論として、ここまでの研究で得られた知見を、実際に都市や建築のデザインに応用する可能性について考察したものである。そこで提示した「クッキングアーバニズム」というデザイン手法は、環境ノイズエレメントという概念が(たとえば「モダニズム」のように)普遍性をもった設計ツールとして手軽に利用できるように、「手法」として整理し直したものである。そうして多くの事例分析から帰納的に導かれた結論は、環境ノイズエレメントを発生させる仕組みが、実は決して多くはない数の手法に収斂しうるということであった。いわば風景の背後に潜む一般原理を、さらに具体的な形態操作の可能性にもとづいて整理体系化したものが、ここでいうところのデザイン手法である。その過程で、環境ノイズエレメントのもつ[素材×加工]という発生構造が[食材×調理]という料理の過程に似ていたことから、デザイン手法を身近な調理方法に喩えてクッキングアーバニズムと呼ぶことにした。

そしてさらに実践編として、筆者が主宰する建築設計事務所で設計した具体的なプロジェクトを題材に、そこで展開されているクッキングアーバニズムのデザイン手法について解題した。クッキングアーバニズムによるデザインとは、「創造」というよりはむしろ「編集」に近いといえる。そこでのツールは、建築的、都市的、さらには地政的スケールにおよぶブリコラージュである。ありとあらゆる環境要素を素材として繰り込み、連鎖反応的にそれらの資材性を最大限に発揮させてやる。ここでは歴史でさえも加工対象である。その結果、アウトプットは複合歴史痕跡主義とでも呼ぶべき様相を呈するものとなる。それは人工的であるか自然発生的であるかを問わず、異なるフェイズの元で発生した意図が重層してひとつの環境が成立すること、つまり複数の意図の描き重ねとその積極的な編集によって、オールマイティな単一のシステムの元では得がたい風景の多層性がもたらされる可能性を示唆するものである。

環境ノイズエレメントという概念にもとづいてデザインされる都市を、ノイズ・シティと呼ぶならば、それは都市のテーマパーク化という危惧される退屈な未来を逃れる唯一の方法であるように思われる。そこでは、時代を超えた複数の意図の重層が招来され、時間が建築家や都市計画家の代わりを務めることになるであろう。

コーリン・ロウは都市を「衝突」という概念で説明しようとした。しかし都市には、不思議なことにその先にごく自然に、調停ないしは適用(appropriate)という力が働く。通常それは人為にもとづくものである。今それら様々な「意図」の意識的な調停ないしは止揚こそを、デザインと呼び換えてもよいのではないかと思っている。そしてその先に、筆者には確かに輝くノイズ・シティの輪郭が見えている。

「第V章 資料編」では、研究対象として扱った国内外の事例全400強のリストと、その中でも特に興味深い国内の事例200件について地図、データ、解説等を付したものを「環境ノイズエレメント200選マップ」というかたちにまとめて掲載している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、論者が提唱する「環境ノイズエレメント」という概念が、実際に建築や都市をデザインするにあたり、いかなる有効性を持ちうるかを検証した研究である。

本論文は、資料編を含む全5章で構成されている。

第I章では、研究の目的と位置づけを明らかにし、具体的な研究方法について解説している。ここでは「環境ノイズエレメント」という概念の前提として、新しい風景は古い風景の加工によって生まれる、という風景の発生構造についての認識が主張される。研究方法の要点は、「(直感的に)違和感のある風景」の成立経緯の徹底した調査・分析である。国内外でおよそ400あまりの事例を研究対象として選んでいる。

第II章では、環境ノイズエレメントの概念の定義を整理し、環境ノイズエレメントという視点の都市計画的な有効性について考察している。

現代都市は「計画」にもとづいて建設されてきたが、現実の都市は、様々な要因によって単一の計画によって達成されてはいない。そこではさまざまなノイズによって計画が志向し誘導しようと試みた風景の秩序に「ほころび」が生じている。多くの場合、そのようにして生まれた風景は、ある種の異物感をともなって存在している。そのような計画のほころびを環境ノイズエレメントと呼ぶ。環境ノイズエレメント概念の有効性は、風景にアイデンティティを付与し、場所のイメージアビリティを高めることに貢献している点にある。

「ノイズ・シティに向けた予備的考察」なる小論は、風景の奥に潜む意図の重層性を問い直したものである。古い環境を「素材」と見なし、物理的に「加工」ないしは意味機能を転換することによって、新しい環境が成立するということがこの小論の骨子である。

以上の考察を踏まえ、環境ノイズエレメントのカテゴライズが試みられている。風景に2次的に生ずる異化作用をより効果的に説明するために、素材性と加工性という即物的な2つの分類軸を用いている。素材性は、大きくT.自然地形(topography) C.土木構築物(civil engineering structure) H.文化財(heritage)という3項目に分類される。加工性は、t.トレース(trace) c.切断(cut)に二分される。具体的な「素材」が、「トレース」「切断」といった具体的かつ人工的な「加工」を受けることによって異物感が発生していることが環境ノイズエレメントの最大の要件である。

第II章の最後では「既往研究との関連」がまとめられている。ここでは、大きく(1)環境の観察と記述に関する既往研究、(2)歴史の合成に関する既往研究、(3)環境の編集可能性に関する既往研究という風に分け、本研究との関連について考察を加えている。

第III章は、本論文の各論に相当する部分である。第II章で示された素材性×加工性にもとづくカテゴリーにしたがい、環境ノイズエレメントの事例を、詳細に調査・分析している。

第IV章では、本論文の結論として、ここまでの研究でえられた知見を、実際に都市や建築のデザインに応用する可能性について考察している。

ここで提示される「クッキングアーバニズム」というデザイン手法は、環境ノイズエレメントの概念が普遍性をもった設計ツールとして手軽に利用できるように、「手法」としての整理し直したものである。環境ノイズエレメントの[素材×加工]という発生構造が、[食材×調理]という料理の過程に似ていることから、身近な調理方法に喩えてクッキングアーバニズムと呼んでいる。

クッキングアーバニズムによるデザインは「創造」というよりむしろ「編集」に近い。そのツールは、建築的、都市的、さらには地政的スケールにおよぶブリコラージュである。ありとあらゆる環境要素を素材として繰り込み、連鎖反応的にそれらの資材性を最大限に発揮させる。そこでは歴史さえも加工対象である。その結果、アウトプットは複合歴史痕跡主義とでも呼ぶべき様相を呈するものとなる。それは人工的であるか自然発生的であるかを問わず、異なるフェイズのもとで発生した意図が重層してひとつの環境が成立すること、複数の意図の描き重ねとその積極的な編集によって、オールマイティな単一のシステムのもとではえがたい風景の多層性がもたらされる可能性を示唆するものである。環境ノイズエレメントという概念にもとづいてデザインされる都市を、ノイズ・シティと呼ぶならば、それは都市のテーマパーク化という危惧される退屈な未来を逃れる唯一の方法であるように思われる。そこでは、時代を超えた複数の意図の重層が招来され、時間が建築家や都市計画家の代わりを務めることになるというのが本章の結論である。

第V章では、研究対象として扱った国内外の事例全400強のリストと、その中でも特に興味深い国内の事例200件について、地図、データ、解説等を付したものを「環境ノイズエレメント200選マップ」というかたちにまとめて掲載している。

以上、本論文は、環境ノイズエレメントという概念によって、これまでの単一で均質的な都市空間をうみ出してきた近代的「計画」概念を批判するとともに、既存の都市に潜む重層的でアイデンティティのある空間を発見・創造する方法を提案している点で、社会的意義の高い研究である。この研究によって、これまでネガティブに捉えられてきた都市空間の意味を再発見する道が拓かれ、都市計画・都市デザインの新しい方法へと展開する可能性が示されたといえるだろう。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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