学位論文要旨



No 216858
著者(漢字) 飯塚,紀夫
著者(英字)
著者(カナ) イイヅカ,ノリオ
標題(和) 窒化物半導体サブバンド間遷移とその光スイッチへの応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 216858
報告番号 乙16858
学位授与日 2007.11.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16858号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 准教授 霜垣,幸浩
 東京大学 准教授 杉山,正和
内容要旨 要旨を表示する

1980年代から本格的な実用化が進められた光ファイバー通信システムはWDM(波長分割多重)技術により95年ごろから、急速に通信量の大容量化が進められた。2001年には40Gbps/chの伝送容量で合計10Tbpsもの伝送が研究レベルで実現され、実用システムにおいては10Gbp/chで160チャンネルクラスのものが供されている。このように、これまでは1チャンネルあたりの高速化およびチャンネルの多重化によって伝送容量の増大が図られてきた。今後、更なる伝送容量の増大を図るために波長多重度を向上させることは技術的には期待できる。しかしこの場合、各ノードにおいては、波長制御・モニター等の部品点数が飛躍的に増大することになり、コスト的に行き詰まる可能性が否定できない。

これに対してOTDM(光時分割多重)、すなわち、光学的に信号を時分割多重することで一波長あたりの伝送容量を100 Gbps以上とし、これに波長多重技術を加えて、総伝送容量の増大を図るというアプローチがある。一波長あたりの伝送容量を増大するために信号パルスの時間幅が短くなり、波長スペクトルは広がる。したがって、これを波長多重するのに必要なファイバーの帯域は、DWDMの場合とかわらない。しかしながら波長数が少ないので、波長制御等に関する部品の数は少なくて済む。課題は、100 Gbps以上もの伝送量を処理する素子を如何に実現するかである。現状の光システムで行われているような、光信号を一旦電気信号に置き換えて処理を行い、これをふたたび光信号に変換して送信する、いわゆるOEO変換では処理速度に制限があり、光信号をそのまま処理する、全光スイッチング素子が必要となってくる。

本研究は、パターン効果なしに高繰り返しパルス列に対応可能で、かつコンパクトで集積化可能な超高速全光スイッチの実現を目指し、その動作原理としてGaNなどの窒化物半導体量子井戸中のサブバンド間遷移(ISBT)を選択した。GaNをISBTスイッチに適用することは1997年に提案された。しかし、当時は窒化物半導体材料の作製技術自体がそれほど成熟しておらず、ましてや、GaNとAlNあるいは高Al組成のAlGaNとの量子井戸構造に関する研究は皆無であった。もちろん、波長や応用を問わず、GaN系材料でのISBTの実験的報告もなかった。このような状況で、本研究においてはじめてGaN/AlGaN量子井戸構造の結晶品質や光学特性の評価への取り組みがなされた。

本研究の最大の目的はGaN量子井戸中のISBTを応用した超高速光スイッチを実現することであるが、この過程で、GaN/AlGaN量子井戸の結晶成長技術の開発、量子井戸の結晶性や光学特性の評価、ISBTを通じた物性評価などを行うことをも目的としている。

まず、GaNと高Al組成AlGaNとの量子井戸構造について、エックス線回折やフォトルミネッセンス(PL)測定、断面透過型電子顕微鏡(TEM)観察によって、検討をおこなった。その結果、結晶性やPL特性は井戸層や障壁層の厚さに依存することを明らかにした。また、多層の量子井戸構造を作製する場合に、連続的に多層化するよりも、GaN中間層を適当な間隔で挿入する方が良い結晶性が得られることを見出した。

量子井戸構造とISBTスペクトルの関係を調べる実験も行った。この結果が、井戸内に分極に起因する数MV/cmという強い電界が生じているとする理論計算につながった。また、上記GaN中間層構造によりISBTスペクトル幅が狭くなり吸収強度が増強されることを見出した。また、MOCVD成長のMQWについて光通信波長帯ISBTが実現できない原因の一つがヘテロ界目での原子の相互拡散にあるのではないかとの考察を行った。

ISBTの非線形性に関する実験も行った。まず、波長4.5 μmにISBT吸収ピークを有する試料についてこの材料としては始めてポンプ・プローブ法で吸収回復時間の測定を行い、150 fsと理論予測の通りに、GaN系ISBTが高速応答特性を有することを実証した。さらに、この結果とスペクトル解析から吸収飽和強度の見積もりも行った。光通信波長帯のISBT吸収についても、そのスペクトル形状から吸収飽和強度を計算し、これと吸収係数や緩和時間から三次の非線形性χ(3)、および性能指数(figure of merit)を見積もった。

ISBT光スイッチを作製するためにはGaN導波路の光伝播特性についての知見が必要である。MOCVD成長のGaN導波路についてはカンザス大学による先行研究があったが、光通信波長帯ISBTを実現できるMBE成長のGaNについての報告例はなかった。本研究において、MBE成長導波路の場合には、刃状転位に起因するTMモードに対する強い吸収が存在することを見出した。さらに、MOCVDで層の一部を成長しその後をMBEで成長すればこの偏波依存損失は充分低減できることを実証した。

以上の知見を元に光スイッチ構造を試作し、波長1.7 μmの制御光パルスで波長1.55 μmの信号光パルスの変調に成功した。さらに、パルス間隔が1 ps間隔の4連信号光パルス列を作り、これに対するDEMUX動作を実質的に実証した。さらに、過剰な偏波依存損失を低減したスイッチを作製し、スイッチング消光比10 dB以上を達成した。

本論文は、GaN/Al(Ga)N多重量子井戸(MQW)中のISBTとその光スイッチへの応用に関するものであり、7章からなる。

まず第二章では、MQW構造の作製について述べる。光通信波長帯でのISBTを実現するには、井戸層と障壁層の伝導帯オフセットが充分な大きさを持つ必要がある。しかし、これを実現するために障壁層のAl組成を上げると井戸と障壁の結晶の格子定数差が大きくなり、高品質のエピタキシャル成長が困難になる。そこで、この章では層構造や結晶成長方法(MOCVD法およびMBE法)と結晶性の関係について考察する。

また、窒化物半導体には強い自発分極や歪みに起因するピエゾ分極が存在することが知られているが、これらがISBTスペクトルに与える影響について第三章で考察する。そして井戸層の厚さとISBT吸収波長の関係から、井戸内部には数MV/cmもの大きな電界が存在することを示す。さらに、結晶性とISBTスペクトルの関係についても議論する。

第四章において、ISBTの緩和時間および吸収飽和強度の測定結果について報告し、考察を行う。測定はas grownの試料について行い、GaN量子井戸中のISBTの吸収回復時間が100 fsのオーダーであることを実証する。また、三次非線形性の大きさや性能指数(figure of merit)を実験値から見積もる。

第五章では、ISBTを利用した光スイッチ作製の前段階として、量子井戸を含まないGaNリッジ型導波路の光導波特性について報告する。結晶中の刃状転位がTMモードの伝播光に対する偏波依存損失の原因になることを明らかにする。また、刃状転位密度が109 cm-3程度のときノンドープGaN導波路の偏波依存損失は1 dB/mm程度であることを導く。

ここまでの知見を元に、ISBT吸収層を有する光スイッチ構造を作製し、その評価結果を第六章で報告する。まず吸収飽和特性を調べ、波長1.55 μm、パルス幅130 fsの光パルスに対して100 pJのパルスエネルギーで11.5 dBの飽和が得られたことを報告する。次に、2波長のポンプ・プローブ法で、ゲートスイッチ動作を実証する。また、ピコ~サブピコ秒間隔の4連信号光、あるいは2連制御光を用いて高繰り返し動作についての検証を行う。さらに、吸収回復過程と量子井戸構造の関係について考察を行い、量子井戸の外部にトンネルで漏れたキャリアが再度井戸層に戻るというピコ秒オーダーの遅い緩和過程が存在する可能性を示す。

第七章において、本研究によって明らかにされたGaN量子井戸中サブバンド間遷移を応用した光スイッチの可能性と課題をまとめ、今後を展望する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,"窒化物半導体サブバンド間遷移とその光スイッチへの応用に関する研究"と題し,GaN/Al(Ga)N多重量子井戸(MQW)中のサブバンド間遷移(ISBT)について,結晶成長,光吸収特性および超高速緩和特性の観測・評価,およびそれを利用した導波路型全光スイッチの作製に関して論じたものであり,7章より構成されている.

第1章は序論であって,研究の背景,動機,目的と,論文の構成が述べられている.

第2章は"GaN/Al(Ga)N多重量子井戸の構造と結晶性"と題し,本論文で対象とする窒化物MQW構造の作製と結晶性評価結果について述べている.光通信波長帯でのISBTを実現するには,井戸層と障壁層の伝導帯オフセットが充分な大きさを持つ必要があるが,これを実現するために障壁層のAl組成を上げると井戸と障壁の結晶の格子定数差が大きくなり,高品質のエピタキシャル成長が困難になる.そこで,この章では層構造や結晶成長方法と結晶性の関係について考察している.まず,GaNと高Al組成AlGaNとの量子井戸構造について,X線回折やフォトルミネッセンス(PL)測定,断面透過型電子顕微鏡(TEM)観察によって,評価を行った.その結果,結晶性やPL特性は井戸層や障壁層の厚さに依存することを明らかにしている.また,多層の量子井戸構造を作製する場合に,連続的に多層化するよりも,GaN中間層を適当な間隔で挿入する方が良い結晶性が得られることを見出している.

第3章は"GaN量子井戸中のサブバンド間遷移による光吸収の観測"と題し,窒化物半導体に存在する強い自発分極や歪みに起因するピエゾ分極が,ISBTスペクトルに与える影響について考察している.井戸層の厚さとISBT吸収波長の関係から,井戸内部には数MV/cmもの大きな電界が存在することを示した.また,上記GaN中間層構造によりISBTスペクトル幅が狭くなり吸収強度が増強されることを見出した.さらに,有機金属気相エピタキシー(MOVPE)により成長されたMQWについて光通信波長帯ISBTが実現できない原因の一つが,ヘテロ界面での原子の相互拡散にあるのではないかと推論している.

第4章は"サブバンド間緩和時間および吸収飽和強度の評価"と題し,ISBTの緩和時間および吸収飽和強度の測定結果について述べている.まず,波長4.5 μmにISBT吸収ピークを有する試料について,この材料系としては初めてポンプ・プローブ法で吸収回復時間の測定を行い,150 fsと理論予測の通りに,GaN系ISBTが高速応答特性を有することを実証している.さらに,この結果とスペクトル解析から吸収飽和強度の見積もりを行っている.光通信波長帯のISBT吸収についても,そのスペクトル形状から吸収飽和強度を計算し,これと吸収係数や緩和時間から三次の非線形性χ(3),および性能指数を見積もっている.

第5章は"GaNリッジ導波路の光導波特性"と題し,ISBTを利用した光スイッチ作製の前段階として,量子井戸を含まないGaNリッジ型導波路の光導波特性について論じている.ここでは,結晶中の刃状転位がTMモードの伝播光に対する偏波依存損失の原因になっていることを明らかにし,刃状転位密度が109 cm-3程度のとき,ノンドープGaN導波路の偏波依存損失は1 dB/mm程度になることを示している.さらに,MOVPEで層の一部を成長し,その後の多重量子井戸層を含む層構造を分子線エピタキシー(MBE)で成長すればこの偏波依存損失は充分低減できることを実証した.

第6章は"光スイッチの作製と特性評価"と題し,ここまでの知見を元に,ISBT吸収層を有する全光スイッチ構造を実際に作製し,その特性評価を行った結果について述べている.まず吸収飽和特性を調べ,波長1.55 μm,パルス幅130 fsの光パルスに対して100 pJのパルスエネルギーで11.5 dBの飽和が得られたことが述べられている.次に,波長1.7 μmの制御光パルスで波長1.55 μmの信号光パルスを変調し, 全光ゲートスイッチ動作を実証した. 続いて,パルス間隔が1 psの4連光パルス列を作り,これによる全光デマルチプレクシング動作を示した.また,過剰な偏波依存損失を低減した光スイッチを作製し,スイッチング消光比10 dB以上を達成した. 吸収回復過程と量子井戸構造の関係についても考察を行い,量子井戸の外部にトンネルで漏れたキャリアが再度井戸層に戻るというピコ秒オーダの遅い緩和過程が存在する可能性を示唆した.

第7章は "まとめと今後の展望" と題し,本研究で得られた成果を総括するとともに,GaN量子井戸中サブバンド間遷移を応用した光スイッチの可能性と課題をまとめ,今後を展望している.

以上のように本論文は,III族窒化物多重量子井戸に基づいた光ファイバ通信波長帯におけるサブバンド間遷移(ISBT)に関し,結晶成長技術,およびISBTによる光吸収特性,超高速緩和特性,吸収飽和特性について研究するとともに,GaN導波路の作製と損失要因評価を行って,これらの知見を総合し実際に全光スイッチを作製してそのゲートスイッチ動作,全光デマルチプレクシング動作を実証したもので,電子工学分野に貢献するところが少なくない.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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