学位論文要旨



No 216862
著者(漢字) 兒玉,公一郎
著者(英字)
著者(カナ) コダマ,コウイチロウ
標題(和) タンパク質上で進行するパラジウム触媒反応 : タンパク質工学への展開
標題(洋) Organopalladium Reaction on Proteins: A New Protein Engineering Approach
報告番号 216862
報告番号 乙16862
学位授与日 2007.11.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16862号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 黒田,真也
内容要旨 要旨を表示する

【序】

タンパク質工学はタンパク質の機能解析や有用タンパク質の創製を行う研究分野である.その発展に大きく寄与したのは,特定のアミノ酸残基を任意のアミノ酸に置換する遺伝子工学的手法であり,近年蛍光アミノ酸・クロスリンカー・重原子アミノ酸など多くの非天然型アミノ酸が部位特異的に導入されるようになってきた.しかしながら,遺伝子工学的手法では,導入できるアミノ酸の形状・大きさに制限がある.一方,化学修飾的手法はタンパク質に蛍光基を導入したり,固相担体へ固定化したりする手段として用いられ、機能解析の基礎的な技術として広く普及している.しかしながら,化学修飾的手法では,同種のアミノ酸残基が複数ある場合に反応位置の制御が困難である.また化学修飾に利用される化学反応は縮合反応に限定される.もし,特定のアミノ酸残基を土台(出発物質) にして任意の分子構造を構築する手法があれば,生物学および化学がより大きく発展するであろう.その実現に向けた重要な課題は,タンパク質上で遷移金属触媒反応を進行させることであった.有機合成において炭素-炭素結合は重要な部分を占め,遷移金属触媒反応は穏和な条件で炭素-炭素結合を形成するための優れた手段であるからである.

本研究では,遺伝子工学的手法によりタンパク質上の反応点を精密に制御し,遷移金属化学反応により炭素-炭素結合を導入することを試みた.具体的には化学反応選択的タグとしてヨウ化アリール基を含む非天然型アミノ酸(4-ヨードフェニルアラニン) を部位特異的に導入し,続くパラジウム触媒反応(溝呂木-ヘック反応・薗頭反応) でビオチン誘導体とのクロスカップリング反応を行い、反応の前後でヒト由来H-Rasタンパク質の活性が保持されていることを確認した(Figure 1).

【材料調製,4-ヨードフェニルアラニンの位置選択的導入】

4-ヨードフェニルアラニンの導入には,in vitroサプレッション法を用いた.この方法は,4-ヨードフェニルアラニル化されたアンバーサプレッサーtRNA(Phe)(4-ヨードフェニルアラニルtRNA(Phe)CUA) を調製したのち,4-ヨードフェニルアラニルtRNA(Phe)CUA を無細胞タンパク質合成系に投入する2段階より構成される.予備実験として大腸菌由来tRNA(Phe)CUA転写物がアミノアシル化される条件を検討した.その結果,大腸菌由来フェニルアラニルtRNA合成酵素(PheRS) の改変体(G294-PheRS) が高マグネシウム濃度下(70 mM) でtRNA(Phe)CUA を効率よくアミノアシル化することを見いだした.この条件を用いて4-ヨードフェニルアラニンをアミノアシル化し,大腸菌の無細胞タンパク質合成系に投入することで,目的のRas改変体(iF-Ras) を得た.32,40,64,71,82,137,157,174番目におけるサプレッション効率(4-ヨードフェニルアラニンの導入効率) を調べたが,サプレッション効率はUAGコドン周辺の配列(codon context) に依存しなかった.また,オパールーサプレッサー(tRNA(Phe)UCA) を用いて,UGAコドンに4-ヨードフェニルアラニンを導入することを試みた結果,位置選択的に4-ヨードフェニルアラニン(>97%) を導入することができた.さらに,目的の部位に4-ヨードフェニルアラニンが導入されていることを,Ras改変体iF32-Ras, iF174-Ras のLC-MS分析によって確認した (Chapter 1).

【予備実験1,モデル基質を用いたパラジウム触媒反応の条件検討】

溝呂木-ヘック反応および薗頭反応はハロゲン化アリル(アリール) をパラジウム触媒と塩基存在下でアルケニル化あるいはアルキニル化する反応である.反応溶媒としては主に有機溶媒が用いられてきたが,タンパク質の活性を保持するという観点から,温和な条件(水系・低温)を用いたパラジウム触媒反応を検討した.iF-Ras のモデル基質としてトリペプチド(iF-peptide, E-iF-T) を用い,これとビニル化ビオチン(3) あるいはプロパギル化ビオチン(5) を反応させた結果,Pd(OAc)2 とトリス(3-スルホフェニル)ホスフィン(TPPTS) が最も良好な触媒と配位子の組み合わせであることを見いだした.またパラジウム触媒反応は低温(< 5oC)・タンパク質(BSA) 存在においても進行し,緩衝液存在下(pH 8前後) では塩基を加えなくとも反応生成物を得ることができた.さらにアスコルビン酸(10 mM) の添加は反応を促進し,タンパク質を安定化させる目的で添加したMgCl2(<80 mM), NaCl(<500 mM), decyl-β-D-glucopyranoside(DG, <1.8 mM),グリセロール(<4.3 M) などもパラジウム触媒反応を阻害しなかった(Chapter 2).

【予備実験2,野生型Rasを用いたパラジウム触媒反応の条件検討】

至適溝呂木-ヘック条件下で野生型Ras をインキュベーションしたところタンパク質の分解・沈殿に加え,非特異的にビニル基がアミノ酸残基と反応する副反応が認められた.そこでさらに条件検討を行ったところ,DMSO(>1.2 M) を加えることでタンパク質の分解が抑えられ,またMgCl2(80 mM) の添加により沈殿や副反応が抑制されることが分かった.

パラジウム触媒反応はパラジウムや銅などの遷移金属イオンを用いるが,これらの金属イオンがシステイン残基やメチオニン残基の硫黄原子に配位することで,タンパク質の変性を引き起こす危険性がある.そこで,反応終了後に遷移金属イオンを除去するための条件検討を行ったところ,脂肪酸塩を加えることで遷移金属イオンを沈殿・除去できることが分かった.さらに薗頭反応条件で処理した野生型Ras(840 nM) について,キレート剤(N,N'-dimethylthiourea) 存在下でバッファー交換を行った後,蛍光X線分析を行った.Ras に結合している銅の濃度は60 nM 以下であった.よって遷移金属イオンの残存によるタンパク質変性は回避できたと考えた(Chapter 3).

【パラジウム触媒反応を用いたタンパク質機能化】

最適化された反応条件を用いiF32-Ras(1) を基質にした溝呂木-ヘック反応を行ったが,反応進行を検出できなかった.そこで,DMSO(1.6 M) とMgCl2(80 mM) を加えた条件 (4 mM vinylated biotin (3), 0.5 mM Pd(OAc)2TPPTS (1:1), 50 mM tetrabutylammonium chloride, 1 M NaOAc, 10 mM tyramine塩酸塩, 100 mM TAPS-NaOH (pH 8.3), 80 mM MgCl2, 4 mM HEPESKOH (pH 8.0), 8 mM NaCl, 1.6 mM DG, 3.8 M glycerol) を用いて,溝呂木-ヘック反応(5oCで50時間) を行ったところ,ウエスタンブロッティングと質量分析(Figure 2) より反応生成物(2) を確認することができた.イオンクロマトグラフィーより見積もった反応収率は2%であり,28%は脱ハロゲン化物であった.

さらにiF32-Ras(1) を基質にした薗頭反応を行った.反応条件(15 mM propargylated biotin (5), 1.7 mM Pd(OAc)2, 8.3 mM TPPTS, 0.7 mM copper(I) trifluoromethanesulfonate (CuOTf), 2.3 M DMSO, 0.2 mM ascorbic acid, 90 mM N-tris(hydroxymethyl)methyl-3-aminopropanesulfonic acid (TAPS)Na-OH (pH 8.3), 2.5 mM Tris-HCl (pH 7.9), 15 mM NaCl, 0.5 mM Mg(OAc)2, 0.4% (v/v) Triton X-100, 13 mM imidazole塩酸塩 (pH 7))を用いて,6oCで80分間インキュベーションした.反応産物(4) をウエスタンブロッティングと質量分析により確認したところ反応収率は25%で,同時に13%の脱ハロゲン化物も検出された(Chapter 3).

【総合討論】

GST-Raf-1-RBD(Raf-1のRas結合ドメインを GST融合タンパク質として発現させたもの) を用いたGSTプルダウンアッセイにより,Ras改変体(iF-Ras) の結合活性を検出した.しかしながら,iF32-RasのGDP結合型にも弱いながらGST-Raf-1-RBD結合活性が検出された. さらにiF32-RasはRas野生型(Y32-Ras) と同じ条件で結晶化しなかった.エフェクター領域(32-40) の立体構造がiF32-RasとY32-Rasで異なっていると考察した.

モデル基質(iF-peptide) を基質とした溝呂木-ヘック反応とRas改変体(iF-Ras) を基質とした溝呂木-ヘック反応の条件は違っていた.例えば, DMSO(1.6 M)とMgCl2(80 mM)の添加はタンパク質を基質とした場合にのみ必要であった.DMSO(1.6 M) は立体障害を軽減し,MgCl2(80 mM) は負電荷を持つホスフィン配位子(TPPTS) と酸性残基との静電的反発を中和するのに必要であったと考えられる (Figure 3).また溝呂木-ヘック反応・薗頭反応後にiF-peptideを基質とした場合は脱ハロゲン化物が検出されなかったが,iF32-Ras(1) を基質とした場合は検出された(Figure 4).このような副反応の有無は,ペプチドとタンパク質での4-ヨードフェニルアラニン残基周辺の立体障害の違いを反映している.また溝呂木-ヘック反応(28%) 方が薗頭反応(13%) より脱ハロゲン化産物が多かったのは,ビニル基の方がプロパギル基よりも嵩高いことに由来していると考察した.

機能化(ビオチン化) されたRas(2) のGST-Raf-1-RBD との結合活性をGSTプルダウンアッセイにより調べたところ,ビオチン化Ras(2)は結合活性を示した (Figure 5).この結果は以前の報告と矛盾しない.Rap1AのRas型変異体(E30D, K31E) とRaf-1-RBDの複合体の構造において,Y32 の水酸基はGppNHpのу-phosphate と水を介して水素結合しているが,Y32 の周りには空隙が存在する.よって,チロシンがビオチン化フェニルアラニンに置換されてもRaf-1-RBD 結合活性が保持された理由が説明された(Figure 6).

本研究は,遷移金属触媒反応を用いてタンパク質を位置選択的に機能化することに成功した世界最初の例である.タンパク質を基質とした遷移金属触媒反応の特徴は,(1) 基質が変性しやすい,(2)反応点以外のアミノ酸残基が副反応を起こしやすい,(3) 立体障害が大きい等である.そのため,穏和な条件(水系・低温) を検討し,変性・酸化防止剤を加え,二価の陽イオン(80 mM MgCl2) を加えることで静電的な反発を緩和し,DMSO(1.6 M) で可逆的にタンパク質の三次構造を緩めた.これらの方法は今後他のタンパク質を基質とした遷移金属触媒反応を行う際にもにも適用できるであろう.

タンパク質内に位置選択的に炭素-炭素結合が導入できることは,非天然型アミノ酸残基を反応点とした有機合成が可能であることを意味している.さらに反応条件を改良し実用性を高めることで,このタンパク質工学の新しい手法は,タンパク質を構成要素とした機能性分子・材料・システムの創製に貢献するであろう.

審査要旨 要旨を表示する

本論文はイントロダクション・4つの章・総合討論からなる.イントロダクションは,タンパク質工学と炭素一炭素形成反応の研究発展の歴史を概略した後,遷移金属化学反応をタンパク質工学に応用することの重要性とその必要性を説明している.また最後に,フリーラジカルバイオロジー(金属を介した酸素ラジカルの生成とタンパク質の酸化)の発展についても,本研究で必要となる事項について紹介している.

第1章は,ヨウ化アリールを含む非天然型アミノ酸である4一ヨードフェニルアラニン(パラジウム触媒の基質となる)の位置選択的な導入について述べている.論文提出者は大腸菌の無細胞タンパク質合成系を用い,ヒトras遺伝子の標的部位(ナンセンスコドンを導入した部位)に高い選択性(97%)で4一ヨードフェニルアラニンを導入することに成功した.既存の方法では50%程度(残り半分は天然型アミノ酸)の選択性しかなかったが,これはサプレッサーtRNAが無細胞タンパク質合成によって再利用された為であった.論文提出者は,アミノ酸受容活1生の低いサプレッサーtRNAPheが特定の条件でのみ効率よくアミノアシル化されることを見いだし,サプレッサーtRNAが再利用されない新しい無細胞タンパク質合成系を構築した.

第2章は,タンパク質機能化のための予備実験である.4一ヨードフェニルアラニン残基を含んだモデルペプチドを用いて,パラジウム触媒反応(溝呂木一ヘック反応・薗頭反応)の条件検討を行った.従来,パラジウム触媒反応は室温以上・高い有機溶媒濃度で行われることが多かったが,論文提出者はタンパク質を変性させない条件(穏和かつタンパク質安定剤存在下)でパラジウム触媒反応が進行することを見いだした.

第3章も予備実験であり,野生型Rasタンパク質のパラジウム触媒条件下における安定性を調べている.Rasの分解・沈殿・酸化に加え,パラジウム触媒反応の副反応が検出されたが,論文提出者は様々な条件検討を行うことでこれらの問題点を解決した.

第4章は,タンパク質(上のアミノ酸残基)を基質としたパラジウム触媒反応について述べている.4一ヨードフェニルアラニン残基を導入したRasタンパク質がパラジウム触媒反応によって機能化されたことを,論文提出者はウエスタンブロッティング・質量分析によって確認し,また機能化Rasタンパク質が活性を保持していることをGSTプルダウンアッセイによって確認した.

総合討論において,論文提出者は自らの実験成果を総括しタンパク質上でパラジウム触媒反応が進行したという最終的な結論を得たが,無理のない導出であると思われる.また反応が進行した理由についても妥当な考察が述べられている.さらに過去の報告との比較検討を行い,本研究が特殊な成功例ではなく一般性を持つことを説明している.最後に,本手法を利用したタンパク質工学の今後の展開について鳥瞰している.現在のところタンパク質は有機合成の基質にならないという観念が広く定着しており,論文提出者の主張は新しい科学的知見である.従って,本論文の内容は充分新規性のあるものと認められる.

なお、本論文に用いられた無細胞タンパク質合成系及びRasタンパク質の活性測定については理研Gscタンパク質グループ(横山茂之,木川隆則,坂本健作,白水美香子,矢吹孝,松田夏子),パラジウム触媒反応については理学系研究科化学専攻天然物化学研究室(橘和夫,福沢世傑),質量分析については理研和光研究所生体分子解析室(瀧尾擴士,中山洋)との共同研究であるが、論文提出者が主体となり実験を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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