学位論文要旨



No 216863
著者(漢字) 小川,靖彦
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,ヤスヒコ
標題(和) 萬葉学史の研究
標題(洋)
報告番号 216863
報告番号 乙16863
学位授与日 2007.11.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16863号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 佐藤,信
 立教大学 教授 沖森,卓也
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、7世紀から8世紀にかけて成立したやまと歌集『萬葉集』についての、平安前期(9世紀)から中世(16世紀)までの研究を、政治史・文化史・思想史・文学史などの文脈の中で捉え直したものである。

従来、『萬葉集』の研究の歴史は、現在の研究水準に至るまでの発展の歴史として記述されてきた。その発展の歴史から外れるものは、未熟な研究段階における誤謬と捉えられた。しかし、誤謬と見えるものを、歴史的文脈の中に置いてみるならば、それには必然的理由があったことが明らかになる。一方、今日の研究の先蹤と言える研究史上の成果も、その研究をトータルに捉えるならば、現代の研究とは全く異なる理念と方法論に依拠して導き出されたものであることが判明するのである。

本論文は、『萬葉集』の研究の歴史を、発展の歴史として描くのではなく、それぞれの歴史的文脈の中でトータルに捉え、その背後にある各時代の文化と知の構造にまで迫ることをめざしたものである。従来の研究との立場の違いを明確にするために、「萬葉学史の研究」という標題を採択した。

「萬葉学史の研究」の範囲は、現代の研究とは異なる理念と方法論が行われた平安前期(9世紀)から江戸時代までである(厳密には、江戸時代の萬葉学が完全に終結する1910年代まで)。本論文はその第一段階として、平安前期から中世までの萬葉学史を考察した。

この時期には、平安前期の宮廷に始まる理念と方法論が強い影響力を持ち続けた。その特徴は、『萬葉集』を自らの時代と連続したものと意識しつつ、『古今和歌集』を規範とする平仮名の文化の中に大胆に移し変えてゆくところにある。これに対して、13世紀の東国の学僧仙覚(1203-73頃)は、『萬葉集』を「やまと言の葉の源」と定位し、それ自体として捉えることを主張するとともに、そこに極めて合理的な言葉の秩序の存在を見ようとした。しかし、新しい仙覚の萬葉学も、『萬葉集』を"勅撰和歌集"と捉える点で、平安前期以来の都の萬葉学の研究の枠組みから自由ではあり得ず、さらに南北朝期には、都の歌壇において仙覚の後継者としての正統性を確立しようとした由阿(1291-1375頃)によって、仙覚の萬葉学は都の伝統的歌学や萬葉学から逸脱しないものに変容するのである。こうした研究の理念と方法論が変革されるのは、あり得たはずの"古代"に、鑑賞・批評によって一挙に参入するという新たな理念と方法論を構築した江戸の和学者たちによってである。

本論文は、第一部「萬葉集写本史の新しい視点」、第二部「日本語史・日本文学史のなかの萬葉集訓読」、第三部「仙覚の萬葉学」、第四部「仙覚の萬葉学の行方」の四視点を設けつつ、上記の萬葉学史を精細に考察した。なお、本論文の立場と方法を提示した序章「萬葉学史の研究とは何か」、また中世から江戸時代への萬葉学に関する見通しを示した終章「萬葉学史の研究の課題」を添えた。以下、章を追って本論文の要旨を述べる。

第一部では平安前期から鎌倉時代にかけての写本の形態的側面に歴史的な検討を加えた。写本の形態は書物の正統性も担い、またその読み方に大きな変革をもたらすものである。

第一章「題詞と歌の高下」では、この時期の写本に見える、題詞を歌よりも高く書く体裁(A)と題詞を歌よりも低く書く体裁(B)を歴史的に検討し、天暦の訓読の際にA様式が採られ、その後稀少な『萬葉集』の写本を入手した藤原道長・頼通周辺でこれを踏襲したこと、ところが11世紀後半、後三条天皇・白河天皇の親政に集った廷臣たちが、聖武天皇の"勅撰和歌集"としてふさわしいように、『古今和歌集』に準ずるB様式に改めたこと、これ以後院権力の強大化とともにB様式が一般的となるが、二条朝に天皇と藤原清輔が親政にふさわしい写本の形式を求めて古態のA様式を採択したことを明らかにした。

第二章「巻子本から冊子本へ」では、11世紀後半の、『萬葉集』における巻子本から冊子本へという装丁の変化を、藍紙本(巻子)と元暦校本(冊子)との比較によって、冊子本が巻子本の紙面を模倣する一方で、見開きや頁をそれ自体としてまとまりのあるものとしつつ、短歌一首の視覚的な独立性を実現してゆくものであったと具体的に描き出した。

第二部では『古今和歌集』から宗祇『萬葉抄』に至る萬葉集訓読を検討し、今日では恣意的と見えるそれらに、それぞれの時代に応じた根拠が存在していたことを解明した。

第一章「〈訓み〉を踏まえた萬葉集歌の改変」では、『古今和歌集』の「萬葉歌」に、『萬葉集』の漢字本文を訓んだ痕跡を指摘し、これらが、平仮名に置き換えぬままその都度訓み下した萬葉集歌を、平安の和歌たるべく大胆に改変したものであると推定した。

第二章「天暦古点の詩法」では、現存最古の写本である桂本と、平安時代の写本(次点本)とに共通する訓を網羅的に検討し、それらが漢字と和語の対応の緩い平安時代の漢文訓読法に従いつつ萬葉集歌を組織的体系的に"平仮名の和歌"に変換しようとしたものであること、そしてこれらこそが10世紀の天暦の訓読の成果であることを明らかにした。

第三章「かなの文化の中の萬葉集訓読」では、早くも桂本において、漢字本文との照合をせずに訓の平仮名の解釈に基づく訓読が見え、類聚古集ではそれがより広範囲に行われ、さらにはその訓が『新古今和歌集』の「萬葉歌」にも影響を与えてゆくことを指摘した。

第四章「『よみ(訓み・読み)』の整定」では、『新古今和歌集』の「萬葉歌」が、『新古今和歌集』の詩学を基準に、平安後期に多様化した訓の中から選定されたものや、『赤人集』『人麿集』『家持集』の本文を極めて意識的に改変したものであることを確認した。

第五章「統合される『よみ(訓み・読み)』」では、宗祇『萬葉抄』が、『新古今和歌集』に採択された萬葉集歌の訓読については、『萬葉集』の漢字本文の許容範囲内で、できる限り『新古今和歌集』の本文を活かそうと試みていることを明らかにした。それは『赤人集』等の本文が、一首の訓読にまで影響を及ぼすに至ったことを示すものでもある。

第三部では萬葉学史に画期をもたらした仙覚の萬葉学を論じた。

第一章「仙覚書状(金沢文庫旧蔵蓬左文庫蔵『斉民要術』紙背文書)について」では、従来未検討の仙覚書状を、萬葉学者仙覚の自筆書状と推定した。そしてこれを手懸かりに仙覚の萬葉学を、書状の実質的宛所北条実時を中心とする、鎌倉への古典文化の移植とその独自な育成をめざす文化運動の一角を担うものであったと位置付けた。

第二章「国文学研究資料館蔵『萬葉集註釈』(第二冊・智仁親王筆)」では、善本である国文学研究資料館本とその系統の諸本を紹介し、後人によって書入注記が付加されてきたという特異な伝来の事情を有する『萬葉集註釈』の本文整定の方向を提示した。

第三章「道理と文證」では、従来科学的方法論の開始と見なされてきた、仙覚の「道理」と「文證」という論證方法を再検討した。まずこれが『萬葉集註釈』において、あくまでも『萬葉集』の撰定時代の推論に関わるものであることを確認し、次に平安後期以来複雑化した撰定時代論の流れを踏まえ、「道理」を勅撰和歌集に適用できる年代推定方法から導き出された誰もが認めるべき根拠、「文證」を"勅撰和歌集"としての『萬葉集』の撰定主体自身の直接的な編纂の痕跡と捉え直した。さらに仙覚の同時代の「道理」や仏教書の「道理」「文證」を手懸かりに、この論證方法があるべき『萬葉集』像を措定した上でその本質に一挙に至ることを目指す、優れて理念的かつ実践的な知の形式であったことを解明した。

第四章「『心』と『詞』」では、仙覚が、『萬葉集』を和歌の源とする藤原俊成らの和歌史観を引き継ぎつつ、『萬葉集』をそれ自体として論ずるべく、「心」(意味)と「詞」(言葉の外形)を明確に分けた上で調和をめざす訓読方法を駆使したことを明らかにした。

第五章「方法としての『ことわり』」では、仙覚が「ことわり」(その言葉本来の意味に照合した時の妥当性、語と語との連なりの自然さ、一首の文脈としての整合性)を注釈の基準として、『萬葉集』の言葉の世界から曖昧さを過剰なまでに排除しようとしたこと、さらにこれが、隠れた言葉の秩序を見出し評価する詩学にさえなっていたことを指摘した。

第四部では、上記の仙覚の萬葉学が南北朝に変容してゆくさまを歴史的に明らかにした。

第一章「筑後入道寂意(源孝行)」では、由阿の萬葉集注釈書『拾遺采葉抄』所引の寂意説と、その俗名が「孝行」で「仙覚嫡男也。光行子」と記す傍注に注目し、まず関連資料から寂意が源孝行であることを裏付けた。次に寂意説とともに引かれることの多い「仙覚」説を仙覚の秘説として擬装されたものと捉え、これに加えて仙覚の最終案を記すものではない寛元本が、由阿の学統では嫡弟相伝本とされていることから、由阿の学統が自らを仙覚の正統な血脈とすべく、仙覚の講筵に連なりまた兄親行の縁で自家にも寛元本を所有していた寂意を「嫡男」に押し上げたと推定した。寛元本は以後大きな影響力を持つに至る。

第二章「『萬葉集目安』(正式名称『萬葉集註釈』)」では、学習院大学文学部日本語日本文学科研究室本の今川範政書入からその成立を南北朝室町初期に絞り、その正式書名と大量の異訓からこの書が由阿周辺で成立し、後に仙覚の「新注釈」と見なされたと推定した。

なお、終章では荷田春満『萬葉集僻案抄』が契沖『萬葉代匠記』(初稿本)の鑑賞・批評に学びつつ、これを「体」「情」という語によって方法化したことを見た。

審査要旨 要旨を表示する

『萬葉集』の本文は、漢字の音訓を用いたいわゆる萬葉仮名によって記されており、それをいかに訓み解いていくかが、平安時代以降の歌人・学者の大きな課題となった。本論文は、そうした課題が追尋されていく過程を、学問史の観点から明らかにした論である。

全体の構成は、「第一部 萬葉集写本史の新しい視点」「第二部 日本語史・日本文学史のなかの萬葉集訓読」「第三部 仙覚の萬葉学」「第四部 仙覚の萬葉学の行方」の全四部十四章からなる。また、首尾に序章、終章を配する。

第一部では、天暦古点時の『萬葉集』が、題詞が高く歌の低い形態であったこと、さらにその付訓が平仮名別提形式であったことを、厳密な考証によって明らかにしている。また平安後期の後三条天皇・白河天皇の新政に積極的に関わった廷臣が、政教主義・礼楽振興のうねりの中で、『萬葉集』を聖武天皇勅撰の歌集と捉え、一種の規範として尊重していた事実を指摘したことも、新見といえる。一方で、題詞の低い体裁が一般化する中、平安後期の二条天皇周辺において、再び題詞の高い体裁を意識的に復活させ、さらには片仮名傍訓形式が創始されたことを指摘し、それが『萬葉集』の漢字を尊重する姿勢に基づくことを論証して、次代の仙覚の『萬葉集』校訂の営為に結びつけたことは、卓抜な見方であるといえる。

第二部では、平安時代から中世に至る『萬葉集』訓読の方法を丁寧にたどる。とりわけ重要なのは、従来、口頭伝誦を通じた流入とされてきた『古今集』の「萬葉歌」が、『萬葉集』の漢字テキストの訓読を経たものであることを、具体的な事例によって明らかにした点であり、画期的な発見といえる。さらに、天暦古点の実態を、桂本と次点系諸本の訓法を丹念に比較することで、そこに「詩法」とも呼びうる一定の方法が存在することを論証し、その訓読が天暦時代にふさわしい、天皇制の権威を示す一大文化事業であったことを明らかにしている。緻密かつ間然するところのない見事な考察である。

第三部は、仙覚の『萬葉集』研究の具体的な考察で、本論文の核心をなす。『萬葉集註釈』の周到な諸本調査の成果を冒頭に置き、その注釈を支える「道理」と「文證」とが、単に論理的根拠と文献的証拠ではなく、もの本来の姿を求めてやまぬ強い理念性と実践性を備えた、十三世紀の時代の思考を象徴する「知」の形式の提示であることを明らかにしている。さらに「ことわり」を重視する姿勢が、その注釈の理法と詩学の根本にあることを具体的に論証しており、仙覚の『萬葉集』研究の本質を鮮やかに照らし出している。これまでの仙覚研究を大きく凌駕する、瞠目に値する考察といえる。

第四部は、仙覚以後の萬葉学のありかたを探ったもので、『拾遺采葉抄』『萬葉集目安』を取り上げ、仙覚の学統がどのように継承されたのかを具体的に考察している。

以上のように、本論文は、萬葉学の展開の過程を学問史としてたどることで、多くの新見を含む画期的な成果をもたらしている。論証の態度はまことに厳格であり、国語学・歴史学・仏教学などの隣接諸学の成果をも充分に取り込んだ、重厚かつ犀利な論になっている。仙覚の寛元本、文永本の校訂方法についての言及がやや不足する点が惜しまれるものの、その成果はきわめて高く評価しうる。よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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