学位論文要旨



No 216864
著者(漢字) 徐,氷
著者(英字)
著者(カナ) ジョ,ヒョウ
標題(和) 二十世紀前半の中国教科書に見る日本人像 : 交流と摩擦の軌跡
標題(洋)
報告番号 216864
報告番号 乙16864
学位授与日 2007.11.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16864号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 准教授 伊藤,徳也
 東京大学 教授 並木,頼寿
 東京大学 名誉教授 竹内,信夫
 愛知大学 教授 砂山,幸雄
内容要旨 要旨を表示する

20世紀の首年間、中国と日本は波乱万丈の歳.月を歩み、日中関係は晴れ、後曇り、と時々嵐さえ起こった。複雑な日中関係において、昔から今日まで、教科書問題は時には政治問題、国際問題にまで上昇し、日中関係を左右する重大問題になったといっても過言ではなかろう。

現在、日中両国は教科書問題、または靖国神社参拝、釣魚島(日本では尖閣列島)などの問題をめぐってまったく異なった立場を示している。戦後、教科書問題で、日中両国は1982年からすでに24年間激しく対立してきた。その対立は双方の国民感情にまで浸透しようとしている。目中間教科書問題の本質は、日中両国の歴史認識の差異によるものであると言われる。中国側は、日本の教科書が日本国民に歴史の真実を教えないばかりでなく、故意に歴史を歪曲し、侵略戦争を否定し、美化するものであると見ている。一方、日本側は中国が日本の教科書を批判するのは内政干渉であると主張し、さらに一部のマスメディアと政治家は、中国の歴史教育にも多くの問題があり、中国政府は反日教育を通じて、若者の日本に対する反感を育成しようとしているではないかと疑っている。

果たして日中間の教科書問題の本質はどうであろうか。この問題を解明するには、近代以来今日までの日中両国教科書に見る相互認識のプロセスを徹底的に検証し、事実に基づいて、客観的、科学的な分析を通して、初めて公正的な結論を出すことが可能であると思う。感情的な相互攻撃は誤解を深めていくことで、問題解決、日中関係の改善を阻害さえするものとなろう。しかし、日中両国のマスメディアにも、学界にも、この基礎的な考察と研究に取り組む人が極めて少ない。

現在、交通通信手段、マスメディアが発達しているにもかかわらず、実際上は、多くの中国人は今日の日本の社会と文化、日本人についてはあまりにも知らない。とくに日本入の勤勉さ、優しさ、誠実、同情心に富む、などの好ましい面は知られていない。彼らの日本認識の原風景と源流は1主に戦時中の日本と日本人によるものである。換言すれば、現代中国人の日本認識の大部分は旧日本軍人を主体とする戦前の日本人に対する認識であると言えよう。戦後、多くの中国人が日本に留学し、大勢の日本人も中国を訪れ、日本の情報が絶えず増えているが、しかし、その声が低く、伝播の範囲は限られ、従来の中国人の日本認識を変えるには十分ではない。

国家、国民の意識形成における教科書の役割と影響力は非常に大きいもので、いずれの国でも教科書は子供達に知識と教養、能力を身に付けるメディアであると同時に、一国の民族教育、国民の魂を養う道具でもあると考えられる。また教科書は自民族の歴史を教えるとともに他国老の関係を伝え、子供達の国際意識を養う。

中国教科書の日本記述は、世代から世代へと中国全土の青少年に日本を紹介し、理解させる窓口として重要な役割を果たしてきた。小中学校、高校で教育を受けた中国人は長年の学習の中で次第に印象を強めながら、日本に対する基本的な態度を固めていく。また教育で得た知識は、新聞雑誌などからの知識や、直接的あるいは間接的に接触した日本や、日本人に対する印象と重なり合って、目本イメージの全体像が形成される。少年時代の教育は人の一生に無視できない影響を与えるものである。それゆえに、学校教育と教科書という巨大な体系は、中国人の日本認識を育成する上で、極めて重要な作用を果たしてきたと言ってよい。20世紀前半、中国の教育普及度はまだ低く、教育を受けた中国人は社会のエリートとして、国家と社会の各分野で活躍する中堅となっていた。彼らの日本認識は、教育を含むさまざまな経路を通じて社会の中に不断に広がり、やがて目中関係にも決定的な影響を及ぼす大きな作用を発揮したのである。

中国教科書の日本記述はまた、その時代の中国人の日本認識を直接に反映している。教科書は各学科の知識を教授するなかで、随時、日本についても紹介しているが、そこには教科書編集者の意図すると否とにかかわらず、政治、文化、経済、軍事などの各分野での日中関係が反映されざるを得ない。我々は、各学科教科書の日本関係記述の変遷を跡付けることを通じて、近現代における中国人の日本認識の原風景とその形成過程、変遷過程を考察することができる。そればかりでなく、目中関係の変化の軌跡とその内在要因を見出すこともできよう。さらに教科書の記述の分析を通じて、近代以来の日中交流と摩擦の特質を抉り出すことも可能であろう。

本論文では四章に分けて、近代中国教科書の発足と日本、清朝末期中国人の日本認識の軌跡、20世紀前半の中国教科に書に見る日本人像、20世紀前半の日中間教科書摩擦、近代中国の日本認識と日中間の文化交流と摩擦の歴史を順次考察する。

第一章と第二章においては、既に刊行された諸資料・先行研究に基づいて、近代中国教科書の形成される経緯を跡付けることに主眼を置いた。次に第三章、第四章においては、先行研究に加えて筆者自身が集めた教科書資料に基づいて、そこに見られる日本人像の形成と変異を記述・分析することを試み、さらに対日感情の変異を基盤とする教科書摩擦問題を代表的な四つの時期を選んで個別に論じる。この部分が本論分の中心をなすものであり、今までに知られない知見が得られるであろうと思う。

まず第一章では、従来の「天朝大国」の夢より起こされた中国は、近代に直面したとき、洋務運動で西洋を学ぶ試練を経た。その後、日清戦争の大戦を交えたばかりの敵国にもかかわらず、そして、歴史上長い時期の下位国、「徒」たるものであったにもかかわらず、激動の時代を生き残るために、日本を近代化のモデル、「師」として拝した。このプロセスを、中国近代教育の変革と教科書の成立という視点で概要的に回顧した。中国の近代化の過程における日本の作用を評価しつつも、隠されていた内在の矛盾も少し触れ、後の章の教科書に現れる日本に関する記述を理解するための土台としたい。

第二章では、古代の中国人の日本認識とその背景をごく簡単に紹介した上で、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、中国人の日本羨望、日本警戒、日本征伐、目本師事など、その交差した日本認識の軌跡を探ってみる。そして、日清戦争後の「征倭論」から「日本師事」への転換過程を分析し、日本と中国の政治、文化関係の逆転が、その後の両国関係に暗影を投じ、それが次第に曇ってゆき、結果的には嵐となった初期段階を考察する。

第三章では、中国近代歴史の展開に即して、1902年ごろ、中国の教科書に日本と日本人像が初登場以来、文明書局、商務印書館、中華書局などの教科書出版の主要機関が編集、出版した教科書より日本と日本人のイメージを割り出し、日中関係の背景において分析した。時代ごどに変化していく中国人の日本認識の原風景と変化軌跡を教科書という一側面から捉え、その形成過程と時代特色を捻出するように試みる。

第四章では、中国と日本の両方の史料に基づいて、日中両国間の政治衝突と文化摩擦を平行線に、繰り広げられた戦前日中間教科書摩擦の実態を探った。今まであまり知られていなかった歴史的事実であるが、戦前において、日本と中国の間では、1914年、1918-1919年、30年代初期、1937年7.月7日、少なくとも四回の教科書摩擦があったことを解明した。そして、各回の事件の裏づけになる背景、事件の経緯、日中関係に与えた影響などを考察し、分析しようとする。戦前では中国人の反日感情は中国政府主導の反日宣伝と反日教育によるものである、という日本側の「政府主導説」が、現在になって、また現れ、それは戦前とは同一性があると筆者は考えている。

最後に本論文で得られた成果を踏まえて、本論文で扱った時代における、中国人の日本認識の特徴と思われるものを抽出し、教科書を舞台とする摩擦の背後に一定の様式(パターン)が潜んでいることを指摘しておきたい。さらに両者を参照しつつ、日中関係の政治的、文化的、社会的な諸側面に見られる関係構造、筆者が「二次転換構造」と呼ぶ両国間の関係を規制する基本構造に就いて筆者が考えるところを仮説的に述べて見たい。

審査要旨 要旨を表示する

徐氷氏の博士学位請求論文「20世紀前半の中国教科書に見る日本人像―交流と摩擦の軌跡」は、清末から日中戦争期まで(標題に謂う「20世紀前半」とはこれを指す)の近代中国において作成された教科書を基礎資料として、そこに見られる中国人の日本認識の歴史的変遷を跡付け、特にそこに描かれる日本人像を具体的に考察しながら、それらの日本認識と日本人像を巡って生起した日中間の教科書摩擦(その多くは日本側から提起されたもの)の実態を記述し、分析しようとするものである。

徐氷氏はその目的を達成するために、主として中国の図書館や資料館などに蔵されている資料を改めて広範に調査し、多くの新資料を発掘するとともに、それらを整理し、本論文においてはその主要なものを紹介しながら個別に記述し、分析を加えるという方法を用いている。その結果として、それらの教科書のなかに見られる日本記述をめぐって日中間に「4回の教科書摩擦」が存在したことを見出し、それが日中間の外交問題に微妙かつ深刻な影響を与えた可能性を指摘し、その経緯と影響を分析している。

本論文が提起する教科書摩擦という問題は必ずしも新しいものではない。本論文に指摘される事実の一部は、日中双方の刊行物において言及され、それらの刊行物の刊行意図に即して利用されてきた。しかし、それらはいずれも一面的、断片的な言及であり、その限りで学術的評価に堪えうるものではない。本論文の示すもっとも顕著な成果は、その一面性・断片性を広範な資料調査によって打破し、新たに組織された資料体に基づいて近代の日中交流史に新たな学問的知見を提示したことにある。これは審査委員全員が一致して高く評価する本論文の成果である。

本論文は4章から成り、その前後に序章、終章が置かれている。以下、本論文の構成に即して、その論旨を紹介しながら、併せて審査委員の評価の要点を記す。

序章では、先に述べた本論文の問題設定、論述の方法、関係する先行研究の検討、などが述べられている。なかでも方法論に関する部分では、教科書とそれが編纂された時代との関係に注目し、また教科書のメディア性、つまり「文化伝達と人間形成の両面における媒介作用」に注目しつつ、特に教科書作成者の視点と目的に焦点をあてるという論者の立場が表明されている。この点に関して審査委員から教科書作成者だけではなく、当時の中国世論を先導した知識人の役割にも論及すべきではなかったかという質問が出され、それに対して徐氷氏から、次の第一章で論じるように当時にあってはそのような知識人こそが教科書作成を先導していた、との応答があった。

第一章は「中国近代教科書の成立」と題され、アヘン戦争以降の西洋人宣教師による教科書編纂から始まる中国近代教科書の歴史が概観される。特にその第三節「中国近代教科書と日本」では、中国人自身による清末期の教科書編纂が康有為、張之洞や羅振玉らの「日本に学ぶ」という姿勢に基づいており、その教科書編纂体系も日本のそれに倣う点が多くあったことが実証される。次いで、清末のいくつかの先導的試行の後に、それらを糾合する形で本格的な中国近代教科書の編纂を担うことになったのは、商務印書館とそこから独立した中華書局であったことが述べられる。

第二章は「日清戦争前後の中国人の日本認識」と題され、日清戦争を境にしてそれまでの中国の親日的姿勢が動揺し、「征倭論」や「防倭論」が台頭することになるが、ここでも最終的には康有為、張之洞らの主導により、「日本を中国近代改革のモデルとする」「師日運動」が中華民国成立まで継続されることになり、この時期の中国教科書もこの基本的方向を当然ながら追随するという歴史的経緯が同時代資料を踏まえながら論述される。

以上二つの章は、次の第三章、第四章の論証を支えるための、いわば導入部的役割を与えられている。つまり、中国近代教科書が成立する歴史的背景を述べ、アヘン戦争から日清戦争までの清末激動期において中国における教科書編纂が清朝政府指導者たちの対日評価と密接な関連を持っていたことを確認しているのである。記述が簡略に過ぎ、歴史記述としては不十分であるとの批判も審査委員から出されたが、本論文の枠組みとしては必要十分なものであると判断された。

第三章「20世紀前半の中国教科書に見る日本人像」と第四章「20世紀前半の日中間教科書摩擦」は、本論文の最も重要な部分であり、標題の示すように清末期から日中戦争期までの期間における二つの異なった問題を扱っている。一つは中国教科書に描かれる日本人イメージ、もう一つは中国教科書の記述をめぐって起きた日中対立の様相、である。両者は密接に関連する問題であるが、第三章では教科書の記述を具体的に引用しながら、そこに描かれる日本人像を実証的に描出することに主眼が置かれるのに対して、第四章では中国教科書において日本政府関係者が「反日的」と看做す記述に関して生起した「教科書摩擦」を外交文書などに依拠しながら冷静に記述分析し、その歴史的評価を行なおうとするものである。

第三章、第四章はそれぞれ四つの時期(清朝末期、中華民国臨時政府から南京国民政府まで、南京国民政府から盧溝橋事件まで、盧溝橋事件以後)に分節され、対比的に論述が組み立てられている。そのことによって、教科書の記述とそれが惹起する外交問題とが相互対照的に配置されて、この時期の日中間の「交流と摩擦の軌跡」がみごとに描き出されている。

特に、第三章に引用される教科書記述はこれまでに知られていないものばかりで、得られた知見の新しさは勿論、新資料の提示という面からも極めて高い評価に値するものであることはすべての審査委員が等しく承認することであった。また、第四章の教科書摩擦に関する資料の発掘は徐冰氏が最初に手がけたものであり,戦前期中国教科書への日本人研究者の関心を呼び起こしたパイオニア的な業績として重要な意義を持つものである。また,これは日中交流史をはじめとする多くの研究分野に対する大きな問題提起であり、学問的貢献であると評価された。

本論文の明快な論述と具体的な分析、それによって示された学術的成果は、徐氷氏の研究者としての高い見識と研究能力を証明するものであることが審査委員全員の一致した結論であった。論文査読と口頭試問の評価に基づき、本審査委員会は慎重な審議の結果、全員一致で、本論文が徐氷氏に博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものであると認定した。

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