学位論文要旨



No 216865
著者(漢字) 吉田,諭
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,サトシ
標題(和) 過敏性腸症候群(IBS)治療薬の創薬研究
標題(洋)
報告番号 216865
報告番号 乙16865
学位授与日 2007.12.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16865号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 井上,将行
内容要旨 要旨を表示する

過敏性腸症候群(Irritable Bowel Syndrome,IBS)は下部消化管の運動や分泌機能に異常をきたす疾患であり、ストレスや不安などが大きな要因であると考えられている。IBSはその症状から大きく下痢型・便秘型・下痢/便秘交互型の3つに分類され、欧米では人口の約20%がIBSに関連した何らかの症状を有ずると報告されている。近年目本でも心療内科を中心に本格的な診療が開始された。IBSの治療に十分な効果を示す薬剤は未だ無く、開発が強く望まれている。

2000年、米国において5-HT3受容体の選択的な拮抗薬である塩酸アロセトロン(GlaxoSmithKline)が世界初の下痢型IBS治療薬として認可を受けた。5-HT3受容体は5-Hydroxytryptamine(5-HT,serotonin)を内在性のリガンドとする受容体ファミリー(5-HT1~5-HT7)の一つであり、消化管運動を制御している自律神経の終末に多く存在していることが知られている。5-HT受容体ファミリーの中で唯一、イオンチャネル型受容体である5-HT3受容体は、作動薬の結合により受容体と共役した陽イオンチャネルを開口し、Na+の細胞内流入とK+の細胞外放出を引き起こす。5-HT3受容体拮抗薬は以前から、動物モデルにおいてストレスに伴う下痢を有意に改善することが報告されており、IBS治療への応用が検討されてきた。一方、これと同時に5-HT3受容体拮抗薬をIBS治療に用いる際の問題点も明らかになってきた。5-HT3受容体拮抗薬は消化管に存在する5-HT3受容体を介するシグナル伝達を完全に抑制してしまうため、副作用として便秘が頻発した。アロセトロンのケースでは、服用した患者の約30%が便秘の発現を訴え、このうち数例は虚血性大腸炎を併発し死亡するに至った。事態を重く見たFDAは本剤の販売を一時停止し、その後医師の十分な経過観察の下で服用する条件をつけ再度認可している。IBSの薬物療法は現在でも、抗うつ剤や抗不安薬が主流となっており、有効性が現れるまでに数週間以上を要するため治療満足度は必ずしも高いとはいえない状況にある。

明治製菓では、東大薬学部薬化学研究室より供与いただいた化合物を構造展開し、5-HT3受容体に対し強い親和性を有し、5-HT3受容体部分作動薬としての特徴を示すCP2289(図表1)を見出した。

5-HT3受容体に対し適当な固有活性(intrinsic activity,ia,固有活性は、部分作動薬が生体において引き起こす最大応答を、作動薬(ful1-agonist)のそれとの比により表した数値である)を有する5-HT3受容体部分作動薬ば、特に下痢型のIBSに伴う消化管の過活動を抑制しつつ、5-HT3受容体拮抗薬で問題となった正常な消化管の運動を抑制しない(即ち便秘の副作用を起こしにくい)と考えた。この薬剤コンセプトを満たす化合物は新しいIBS治療薬になりうると考え、CP2289を基に研究を開始した。

CP2289は5-HT3受容体に対し強い親和性を有するが、構造中に4級アンモニウム塩構造を有するため、経口剤が望まれるIBS治療薬として不適であり、さらに、その高い固有活性に由来する嘔吐などの副作用が懸念された。一方、CP2289のN上を脱アリル化した化合物1(図表1)は、5-HT3受容体に対する親和性においてCP2289に劣るが、イオン性の分子構造を有しておらず、かつCP2289と比較して10%程度低い固有活性を有する。我々はこの化合物をリードとして選択し、5-HT3受容体に対する親和性の向上と、固有活性の更なる低下を目標として、化合物1の誘導体合成に着手した。

化合物1の誘導体は図表2に示す方法により合成した。

5-HT3受容体に対する親和性と作動活性の情報から、化合物1誘導体の構造活性相関が明らかとなった(図表3)。要約すると、2位(R2)の塩基性窒素原子を含む複素環は受容体への親和性発現に必須であり、5位(R5)ヘハロゲンやメチル基のような脂溶性の小さな置換基を導入すると受容体への親和性が向上する。また7位(R7)へ立体的・電子的性質の異なる置換基を導入することで固有活性が大きく変化することが分かった。この位置へ立体的に小さな、電子供与性の置換基を導入すると、フルアゴニストに類似した、高い固有活性を有する部分作動薬が得られた。一方、同位置にかさ高い置換基や電子吸引性基を導入すると、アンタゴニストに類似した、固有活性の低い化合物が得られることがわかった。以上述べた構造活性相関研究を基に、5位と7位の置換基を適切に組み合わせることで、研究開始当初の目標である、5-HT3受容体に対する強い親和性と、化合物1と比較して低い固有活性を有する、ME3412を創製することに成功した。

これらの誘導体が5-HT3受容体を制御する機構について、5-HT3受容体のホモロジーモデルを作成し、化合物と受容体との結合様式を推定した(図表4)。この結果から、5位置換基(R5)は、受容体のリガンド結合部位に存在する狭い脂溶性ポケットと相互作用することで親和性向上に寄与しており、7位置換基(R7)は、5-HT3受容体イオンチャネルの活性化-不活性化において特に重要な役割を果たすloop Cと相互作用することで、loopCの構造を変化させ、受容体の機能を制御していることが推測された。誘導体のSARデータより推測されるリギンド結合部位の構造と計算結果より得たそれは、総じて相補的であった。

ME3412は実験動物において良好な体内動態を示した。代謝物検索により推定された代謝物について、その標品を合成し、代謝物の構造と、その薬理活性について情報を得た。

ME3412は5-HT3受容体に対し高い親和性(ヒト5-HT3受容体Ki値=2.5nM)と、抗下痢作用の発揮に必要な低い固有活性(5-HTの14%)を有している。また他の受容体に対する選択性も高い。マウスのin vivoモデルにおいて、ME3412とアロセトロンは5-HT投与により誘発される下痢を同程度の投与量において抑制するが、ME3412は正常の消化管運動に対する影響がアロセトロンと比較して有意に低かった(図表5)。

ME3412はその他IBS病態モデルにおいても、明確な有効性をと安全性を示しており、研究を開始した際に提示した5-HT3受容体部分作動薬の薬剤コンセプトである、下痢型IBSに対する高い効果と便秘の副作用回避を実証する薬剤として期待できる。

図表 1CP2289と化合物1の構造

図表2化合物の合成法

図表3ベンゾキサゾール誘導体の構造活性相関

図表4 5-HT3受容体と化合物1の結合モデル

図表5 ME3412とアロセトロンの抗下痢作用と正常腸輸送能に対する影響

審査要旨 要旨を表示する

吉田諭は「過敏性腸症候群(IBS)治療薬の創薬研究」と題し、以下の研究をおこなった。

過敏性腸症候群(lrritable Bowel Syndrome,IBS)は、炎症や腫瘍等の器質的疾患が存在しないにもかかわらず、大腸を中心とした下部消化管の機能異常により腹痛、腹部膨満感などの慢性の腹部不快感便秘または下痢などの便通異常をきたす症候群である。IBSはその症状から大きく下痢型・便秘型・下痢1便秘交互型の3つに分類されるが、その発症機序は十分に解明されておらず、画一的な治療法も確立されていない。2000年、米国において世界初の下痢型IBS治療薬として認可を受けたalosetron(Lotronex,GlaxoSmithKiine)は、5-Hyroxytriptamine(5-HT,serotonin)を内在性のリガンドとする受容体ファミリーのひとつである5-HT3受容体の選択的な拮抗薬であり、IBSに伴う下痢の症状を顕著に改善する。一方、本剤を服用した患者の約30%に便秘の副作用が観察され、このうち数例は虚血性大腸炎を併発し死亡するに至った。

吉田諭は、適当なアゴニスト作用を付与した5-HT3受容体部分作動薬が、便秘の副作用を発現し難い新規なIBSの治療薬となりうる点に着目した。社内化合物バンクより見出したCP2289は5-HT3受容体に対し強い親和性を有する部分作動薬であったが、アゴニスト作用が高すぎるなどの問題があった(5-HT3Ki=11nM,pD2=5.57±0.19,ia=0.74±0.08)。そこで誘導体合成を展開し、5-HT3受容体に対する親和性の更なる改善とアゴニスト作用の低下を図った。

構造活性相関研究の結果、母核部分(ベンゾキサゾール環)に導入する置換基の種類と位置を制御することで、化合物の5-HT3受容体に対する親和性とアゴニスト作用の強さを併せて改善することに成功した。即ち、ベンゾキサゾール環5位ヘハロゲン等の立体的に小さく、脂溶性の置換基を導入することで受容体への親和性が大幅に向上し、7位へ立体的にある程度嵩高い、もしくは電子吸引性基を導入することでCP2289の高すぎるアゴニスト作用を大幅に低下させることが出来た。ここで見出したME3412は、5-HT3受容体に対し高い選択性と親和性を示す5-HT3受容体部分作動薬であり(5-HT3 Ki=2.5nM,pD2=7.48±0.11,ia=0.12±0.03)、種々のIBS病態モデルにおいて対照薬の5・HT3受容体拮抗薬と同等以上の有効性を示した。さらに5-HT3受容体拮抗薬と比較して便秘の副作用を起こしにくい傾向を示している。

次に母核部分に導入する置換基により、各化合物が5-HT3,受容体に対し異なる部分作動活性を示す理由について、計算化学的手法を用い考察した。即ち、アセチルコリン結合タンパク(AChBP)の結晶構造を基に5-HT3受容体のホモロジーモデルを作成し、リガンド分子との結合計算を実施した。計算により得た結合モデルによって、ベンゾキサゾール環べ導入する置換基の立体的・電子的性質が5-HT3受容体に対する親和性、および部分作動活性に及ぼす効果を評価でき、構造活性相関研究より得た結果と符号することを見いだした。本モデルによってベンゾキサゾール環上の置換基が、5-HT3受容体と共役するイオンチャネルの活性化/不活性化に最も深く関与するloopCドメインの構造に影響を及ぼしていることが強く示唆された。

一方,ME3412は各種IBSモデルにおける優れた有効性を示したことに加え、経口剤として相応しい体内動態を示した。代謝物検索において推測された複数の推定代謝物について、これらを合成し、ME3412の薬理作用への寄与について調査した。その結果、サル・ラットにME3412を投与した際の主要代謝物である化合物46と47は5-HT3受容体に対する親和性が非常に低く、ME3412と同等の親和性を有する活性代謝物45は、血中に微量存在するのみであり、薬効への寄与は小さいことが推測された。

本研究により得られた結果は、本研究開始当初の着眼点である、5-HT3、受容体部分作動薬が便秘等の副作用の発現を大幅に軽減した新規なIBSの治療薬となりうることを示唆するものであり、本研究で創製したME3412は副作用の少ないIBS治療薬として期待できるものである。

また、本研究で得られた構造活性相関の情報と、受容体とリガンド分子との結合に関する考察から、構造・機能の面で未知の部分が多い5-HT3受容体をターゲットにした化合物開発に今後寄与する相互作用モデルを提供したと考えられる。

以上の業績は、薬学分野における医薬品化学の進歩に有意に貢献するものであり、博士(薬学)の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク