学位論文要旨



No 216875
著者(漢字) 能登,貴久
著者(英字)
著者(カナ) ノト,タカヒサ
標題(和) ラット局所大脳虚血モデルにおけるタクロリムスFK506の神経保護作用
標題(洋) Neuroprotective effects of tacrolimus (FK506) on ischemic brain damage following focal cerebral ischemia in the rat
報告番号 216875
報告番号 乙16875
学位授与日 2007.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16875号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 熊谷,進
内容要旨 要旨を表示する

脳血管障害は癌、心臓病と並ぶ日本人の三大死亡原因の1つである。中でも脳の血管が閉塞することで発症する脳梗塞の発症率が高まっている。脳梗塞は致死的であるのみならず、死に至らない場合も言語行動障害などの重篤な後遺症が残り、発症後の生活に大きな影響を与える疾患である。しかしながら、現在有効性が確認されている治療法は、血栓溶解を目的とした発症後3時間以内のtissue plasminogen activator (tPA)投与のみで、その有効性も十分なものではなく、脳出血の危険を伴う。

タクロリムス(FK506)は1984年に筑波山の放線菌から分離されたマクロライド系化合物で、強力な免疫抑制作用を有するため臓器移植の際に免疫抑制剤として広く利用されている。タクロリムスは細胞内のFK506 binding protein (FKBP)と特異的に結合して複合体を形成し、カルシニューリンによるnuclear factor of activated T cell (NFAT)の脱リン酸化反応を阻害することを介してinterleukin-2などのサイトカインの産生を抑制することにより免疫抑制作用を発揮する。その一方で、タクロリムスは免疫反応を伴わない虚血/再灌流傷害にも有効であり、各種の脳梗塞モデルにおいても神経細胞を保護する作用を示すことが見出されてきているが、その作用機序には不明な点が多い。

本研究は、タクロリムスの神経保護作用とその作用機序を明らかにする目的で、ラット大脳局所虚血モデルにおける神経細胞の細胞死(アポトーシス)シグナルカスケードに対する作用と、脳内微小循環に対する作用について精査したものである。

第1章では、ラット中大脳動脈永久閉塞モデルを用いて、神経細胞に対するタクロリムスのアポトーシス抑制作用を検討した。本モデルは、中大脳動脈を電気凝固により永久閉塞するもので、虚血に伴う細胞死の研究に適したモデルである。ラット中大脳動脈の閉塞直後、タクロリムス(1 mg/kg)を静脈内投与し、1、3、6、15および24時間後の神経変性領域の拡がりを病理組織学的に解析した。溶媒対照群では1時間後から神経変性が認められ、大脳皮質においては虚血中心部から虚血周辺部への経時的な拡大が観察された。タクロリムス投与群では大脳皮質の神経変性が抑制され、閉塞24時間後においても虚血周辺部の神経変性が認められなかった。一方、線条体では皮質に比べて神経変性の進行が早く、6時間後にはほぼ全領域が梗塞に陥り、タクロリムス投与による梗塞抑制作用は認められなかった。タクロリムス投与24時間後の標本にTUNEL染色を施してアポトーシスが誘導された細胞の局在を調べたところ、タクロリムス投与によって線条体、皮質虚血中心部ならびに皮質虚血周辺部のいずれの領域においても死細胞が減少し、とくに皮質周辺部で明瞭であった。以上から、タクロリムスが虚血に伴う大脳皮質の神経細胞におけるアポトーシスを抑制する作用を有することが明らかになった。

第2章では、ラット中大脳動脈永久閉塞モデルで認められたタクロリムスの神経細胞におけるアポトーシス抑制作用の機序解明の一環として、ミトコンドリアからのチトクロームC遊離を抑制する作用の有無を調べた。ミトコンドリアにおける電子伝達蛋白であるチトクロームCは虚血ストレスによって細胞質内へ遊離し、deoxy-ATP存在下で結合部サブユニットであるapoptotic protease-activating factor (Apaf)-1と結合して蛋白分解酵素であるカスパーゼ9を活性化する。これが下流のカスパーゼカスケードを活性化させてアポトーシスが実行される。はじめにラット中大脳動脈閉塞モデルにおいて細胞質内へのチトクロームC遊離の有無を確認するためにチトクロームCの局在の推移を免疫組織学的に調べた。溶媒対照群では動脈閉塞1時間後の時点ですでに大脳神経細胞の細胞質内に陽性反応が認められ、24時間後まで継続的に認められた。タクロリムス投与によって皮質、線条体ともに陽性細胞数が減少し、とくに皮質において顕著であった。ついで閉塞1および3時間後の皮質虚血周辺部から細胞質内可溶画分を調製してWestern blotおよびELISA法にてチトクロームCを定量した結果、タクロリムス投与によってチトクロームCの細胞質内への遊離が低下していた。これらから、タクロリムスは虚血によるミトコンドリアからのチトクロームC遊離を抑制する作用を有することが分かった。

第3章では、タクロリムスの微小循環保護作用の精査をすすめるにあたり、虚血再灌流後の微小循環障害のモデルとしてラット一過性中大脳動脈閉塞モデルを用いることの妥当性を検討した。タクロリムスはリンパ球のみならず、顆粒球や単球などの種々の血球系細胞の浸潤を抑制することが知られている。炎症に起因して組織に集簇したこれらの細胞が、活性酸素の産生などによる直接的な組織傷害だけでなく、血管内皮へ接着することによって微小循環を障害し、組織の低酸素状態を惹起することで間接的に組織傷害を増悪させる。虚血再灌流後の神経傷害には、この低酸素状態が関連すると考えられる。そこで、ラットの中大脳動脈に栓子を挿入して閉塞させ、その1時間後に栓子を抜いて血流を再開させた。血流閉塞1、3、9および24時間後(血流再開0,2,8および23時間後)に大脳を摘出し、神経細胞の傷害の進展、微小循環障害に関与すると考えられる顆粒球と血小板の浸潤および低酸素領域の変化を調べた。神経細胞マーカーであるmicrotubule associated protein-2 (MAP2)の陽性領域の減少が線条体では1時間後から、大脳皮質では表層で9時間後から認められ24時間後には深部にまで及んだ。微小循環障害の引き金となる顆粒球と血小板の血管への接着に関しては、顆粒球は3時間後から、血小板は1時間後から始まり、24時間後に至るまで認められた。2-nitroimidazole hypoxia marker (hypoxyprobe-1法)を用いて組織の低酸素領域を検出した結果、再灌流直後では中大脳動脈支配領域全体が低酸素に陥っていたが、3時間後の時点では皮質の表層に限局して低酸素領域が認められ、9時間後には深層でも認められた。24時間後では神経傷害が進行している皮質周辺部に一致して低酸素領域が認められた。3,9および24時間後の低酸素領域は顆粒球および血小板の血管への接着が認められる領域と一致していた。以上から、皮質においては顆粒球および血小板の血管内膜への接着による微小循環障害が組織中の低酸素状態を惹起し、このことが神経細胞の傷害に結びつくと考えられた。これらから本モデルが血管閉塞に基づく微小循環障害を検討するために有用であると考えられた。

第4章では、ラット一過性中大脳動脈閉塞モデルを用いて虚血再灌流後の微小循環障害に及ぼすタクロリムスの影響を調べた。中大脳動脈に栓子を挿入した直後にタクロリムス(1 mg/kg)を静脈内投与し、1時間後に栓子を抜いて血流を再開させ、閉塞9および24時間後に病理組織学的に解析した。タクロリムスは虚血再灌流による大脳皮質におけるMAP2の陽性領域の減少を抑制したことから、神経細胞の傷害を抑制することがわかった。さらにタクロリムスは閉塞9および24時間後の皮質において顆粒球と血小板の浸潤を抑制し、hypoxyprobe-1法によって可視化される低酸素領域の面積を縮小させることがわかった。顆粒球と血小板の浸潤を抑制する作用機序を調べるために血管内皮に発現する接着因子intercellular adhesion moelcule-1、E-selectinおよびP-selectinの局在を免疫組織学的に調べたところ、いずれの接着因子においてもタクロリムス投与によって陽性血管数が減少した。これらの知見から、タクロリムスは再灌流後の顆粒球と血小板の局所的遊走に起因する微小循環障害を抑制して一過性脳虚血による神経変性を軽減すると考えられた。

本研究によって、タクロリムスは(1)大脳の神経細胞内においては、虚血ストレスに起因するミトコンドリアからのチトクロームCの遊離を抑制することによって抗アポトーシス作用を発現すること、(2)細胞外においては、再灌流後の顆粒球、血小板などの血球系細胞の血管への接着を抑制することによって血流を維持して神経細胞を保護することがわかった。すなわち、タクロリムスは虚血に起因する神経細胞死に対して細胞内および細胞外の両面から細胞傷害を抑制する作用を有することが示された。

審査要旨 要旨を表示する

脳血管障害は癌、心臓病と並ぶ日本人の三大死亡原因の1つであり、中でも脳の血管が閉塞することで発症する脳梗塞の発症率が著しく増加している。脳梗塞は致死的であるのみならず、死に至らない場合も言語・行動障害、失語症など重篤な後遺症が残り、quality of lifeに大きな悪影響を与えるが、有効な薬物療法がほとんどない。

タクロリムス(FK506)は1984年に我が国で発見された強力な免疫抑制剤で、細胞内のFK506 binding protein (FKBP)と複合体を形成してカルシニューリンのnuclear factor of activated T cell (NFAT)脱リン酸化反応を阻害することを介してinterleukin-2などのサイトカイン産生を抑制することで免疫抑制作用を発揮している。このタクロリムスが虚血・再還流傷害にも有効であることが見出されたが、脳梗塞への有効性については不明であるので、申請者はラット脳梗塞モデルを用いてタクロリムスの神経保護作用とその作用機序を精査した。

はじめに、ラットの中大脳動脈を電気凝固により永久閉塞して作製する中大脳動脈永久閉塞モデルを用いてタクロリムスの神経細胞死抑制作用を検討し、タクロリムスが虚血に伴う大脳皮質(線条体、皮質虚血中心部ならびに皮質虚血周辺部)の神経細胞死を抑制する作用を有することを明らかにした。

ついで、ラット中大脳動脈永久閉塞モデルで認められた神経細胞死抑制作用の機序を明らかにするため、虚血性細胞死において重要な役割をははたすミトコンドリアについて解析した。ラット中大脳動脈閉塞モデルの大脳皮質虚血部においてはミトコンドリアから細胞質内へチトクロームCが遊離してカスパーゼ系を活性化してアポトーシスが誘起されていることが分かった。タクロリムスは大脳皮質と線条体でともにチトクロームCの遊離を抑制し、これによって神経細胞死が抑制されていると考えられた。

タクロリムスはリンパ球のみならず、顆粒球や単球などの様々な炎症細胞の浸潤を抑制する作用を有することが知られている。これらの組織に浸潤した炎症細胞は血管内皮へ接着して微小循環を障害し、組織を低酸素状態に陥れることで組織傷害を増悪化させていると考えられている。この低酸素状態と上述のミトコンドリア傷害が関連するか否か検討した。動脈を永久閉塞する中大脳動脈永久閉塞モデルと異なり、中大脳動脈を一過性に閉塞した後ふたたび血液を再還流させるモデルを作製し、大脳皮質における梗塞の進展、低酸素領域の変化、炎症細胞の接着、血流障害などについて調べた。その結果、低酸素領域で微小循環障害の原因となる好中球や血小板などの炎症細胞が血管へ接着していることが明らかになった。そこで、このラット一過性中大脳動脈閉塞モデルを用いてタクロリムスの効果を調べたところ、再還流後の好中球と血小板の局所的遊走による微小循環障害を抑制して一過性脳虚血による神経変性を軽減することが明らかとなった。

このように本研究によってタクロリムスは(1)大脳において虚血ストレスによるミトコンドリアからのチトクロームCの遊離を抑制することによって抗アポトーシス作用を発現すること、(2)再還流後の血球系細胞の遊走を抑制することによって微小循環を維持して神経細胞を保護することがわかった。すなわち、タクロリムスは虚血に起因する神経細胞死に対して細胞内と細胞外の両方の細胞傷害カスケードに対して抑制作用を有しているという新規知見を含む申請者の研究業績をとりまとめた論文の内容および関連事項について試験を行った結果、審査委員一同が博士(農学)の学位を受けるに必要な学識を有する者と認め、合格と判定した。

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