学位論文要旨



No 216876
著者(漢字) 田中,浩
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヒロシ
標題(和) カエデ属3種の共存機構についての比較個体群統計学的解析
標題(洋)
報告番号 216876
報告番号 乙16876
学位授与日 2007.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16876号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 教授 梶,幹男
 東京大学 講師 益守,眞也
 東北大学 教授 中静,透
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、極端に生態的特性が異なる種間ではなく、森林樹木群集の主要な部分を構成する非パイオニア種間、それも同属で近縁の種間で共存メカニズムがどのように働いているかを明らかにすることを目的として、3種のカエデ属樹木、イタヤカエデAcer mono Maxim. var. marmoratum (Nichols.) Hara f. dissectum、オオモミジAcer amoenum、ウリハダカエデAcer rufinerveの生活史の違いを、生存、成長、繁殖という個体群統計学的パラメータの比較によって検討した。特に、ギャップと閉鎖林冠下での反応の間のトレードオフ関係が、これら3種の生活史全体の中でどのように働いているかに注目した。

調査は、茨城県北茨城市小川に位置する約100haの小川群落保護林に設定した長期生態調査地において行った。小川群落保護林は、阿武隈山地の南端に位置する成熟した落葉広葉樹林である。地形は緩やかな起伏の山地、母岩は変成岩を主体とし、一部に花崗岩の岩脈を交える。土壌は、大部分褐色森林土、一部に黒色土がみられる。年平均気温は9.0°C(月平均気温の最高は8月の20.5°C、最低は2月の-1.6°C)、吉良(1948)の温量指数で68、寒さの指数で-20、年降水量は1750mmである。

樹木の生活史を、種子、当年生実生、実生(高さ30 cm未満)、小稚樹(高さ30 cm以上2 m未満)、大稚樹(高さ2 m以上胸高直径5 cm未満)、成木(胸高直径5 cm以上)の六つに区分し、すべての生育段階を通じてのデモグラフィーが解析できるように、稚樹・実生・種子段階を調査するためのサブコドラート・種子トラップを持つ6haの固定試験地を1987年に設定し、継続観測を行った。それぞれの種の林冠ギャップ内と閉鎖林冠下での反応を比較検討するため、6ha内の閉鎖林冠下、ギャップ内の個体に加え、プロット内外の林冠高10m以下のギャップ内にコドラートを設定し、ギャップ内個体を観測した。さらに、開花・結実は、サンプル個体を選び、直接観察によって評価した。

毎木調査で得られた胸高直径5cm以上の成木段階のサイズ構造は、オオモミジ、イタヤカエデともにL字型で、耐陰性が高いことが示唆された。両者の間には、亜高木種(オオモミジ)と林冠構成種(イタヤカエデ)という違いが見られた。逆に、ウリハダカエデは、ベル型のサイズ構造を示し、ギャップ依存で耐陰性の低い樹種であることが示唆された。林冠には達するが、最大サイズは小さく、亜高木的な林冠種と位置づけられた。また、いずれの種も特定の分布の地形的な偏りを示さないジェネラリストであること、ウリハダカエデは過去に撹乱を受けた尾根部に集中班を形成することから、撹乱への依存性が高い可能性があることが示唆された。

しかし、dbh5cm以下の実生・稚樹段階を合わせた生育段階構造では、いずれの種もL字型を示し、実生・稚樹集団を豊富に待機させていることがわかった。これは、3種が共通して実生・稚樹段階に耐陰性が高いことを強く示唆している。現在の個体群構造を静的に解析しただけでは矛盾して見えるこの結果の意味を明らかにするためには、種子段階から成木段階までの全生活史段階を通じての生存・成長・繁殖という個体群統計学的パラメータを検討することが必要と考えられた。

種子段階の動態から、3種のカエデには共通して、長期の埋土種子戦略を待たない、また明確なギャップ検知機構を持たないという、閉鎖林冠下での発芽に適応した非パイオニア種としての生活史特性が明らかになった。ただし、その中でも、イタヤカエデはほぼ翌年に発芽する、オオモミジは1年遅れで翌々年発芽するという固定的な発芽スケジュールを示すのに対し、ウリハダカエデは部分的に埋土種子化し、機会主義的な発芽パターンを示すという、発芽パターンの違いが認められた。ウリハダカエデの発芽特性には、林冠ギャップに遭遇する可能性を高める時間的な散布の意義があると考えられた。

当年生実生の発生・生残パターンからは、これらカエデ属3種間に、更新最初期において、特定の物理的環境・地形に依存するような空間的ニッチの分割が生じているとは、考えにくいことが明らかになった。土壌水分、開空度、リターの被覆率、斜面位置、植被率のいずれも実生の発生・生残に強い影響を及ぼしておらず、また3種の間で異なる選好性は見いだされなかった。

当年生以降の実生・稚樹段階の成長・生存を検討した結果、いずれの種も閉鎖林冠下でも高い生存率を示すこと、生存率には種間の違いが認められないことが明らかになった。いずれも、他のブナ、ハクウンボクなど同じ群集内で耐陰性が高い(shade-tolerant)と考えられる種群に匹敵する高い耐陰性を示した。他方、成長速度は、閉鎖林冠下の小稚樹段階を除いて、いずれの生活史段階、光環境下でも,ウリハダカエデが最も高かった。オオモミジは、閉鎖林冠下の小稚樹段階では最も高い成長速度を示し、ギャップでの成長速度は、3種の中で最も低かった。イタヤカエデは、オオモミジとウリハダカエデの中間的な性質を示した。3種の閉鎖林冠下とギャップ内でのふるまいを比較すると、「庇陰下での成長」と「ギャップでの成長」の間、または、庇陰下での「生存」とギャップでの「成長」の間の明確なトレードオフ関係は、小稚樹段階を除いて認められなかった。

3種の性表現は、異型雌雄異熟型のイタヤカエデ、オオモミジと雌雄異株で性転換を行うウリハダカエデの2タイプに分けられた。開花・結実の最小サイズの3種間での順位は最大サイズに対応していたが、最大サイズに対する比率はウリハダカエデで特に小さく、大稚樹段階以降はすべての個体が開花した。また、イタヤカエデでは、林冠に達さず被圧状態の個体はほぼ開花・結実することはなかったのに対し、ウリハダカエデとオオモミジは、閉鎖林冠下の個体も開花結実した。イタヤカエデとオオモミジについては、種子生産の開始が主としてサイズで規定され、成長速度の影響が小さいことが示された。他方、ウリハダカエデの雌への性転換と種子生産は、サイズと齢には単純に依存していないことがわかった。雄個体の非常に高い成長速度と、性転換前後の成長速度の変化のパターンからは,成長速度の低下を契機として性転換している可能性が強く示唆された。

行列モデルによる解析の結果、3種のカエデは閉鎖林冠下でも、ほぼ個体群増加率λ=1を維持し、生活史全体を通じての耐陰性が高い樹種群であることが明らかになった。他方、異なるモデルでの個体群増加速度の変化及び弾力性分析の結果からは、3種にとってギャップ環境の相対的意義が異なること(ウリハダカエデでギャップの相対的意義が最も大きく、イタヤカエデ、オオモミジの順に小さくなる)、また3種の間で個体群増加にとって重要な生育段階が異なり、生活史全体を通じたニッチの分割とその時系列的変化が生じていることも示された。

繁殖を開始した成木段階の生存の重要性が高いこと、繁殖量の重要性が低いことは3種に共通していた。しかし、イタヤカエデ、オオモミジに共通して、若木以上成木段階までの生育段階が個体群維持にとって重要性が高いこと、対照的にウリハダカエデでは実生・稚樹段階の重要性が高いことが明らかになった。高木的なイタヤカエデと亜高木的なオオモミジ、ウリハダカエデという生育型の違いとともに、成木段階に高い生存率を維持して長い時間滞留する前2種の長寿命種としての生活史と、高い成長速度によってすばやくより大きなサイズまで成長し、性転換後に種子生産し数年後には一生を終えるというウリハダカエデの短命種としての生活史の違いを反映していると考えられた。

他方、ギャップ環境の個体群維持にとっての重要性が、ウリハダカエデ、イタヤカエデとオオモミジでは対照的に評価された。オオモミジでは、閉鎖林冠下の個体群の、若木以上成木段階までの生育段階出の生存の弾力性の値が大きかった。ウリハダカエデは、オオモミジとは反対に、ギャップ個体群の貢献度が高く、特にギャップ個体群の実生・稚樹段階の生存の弾力性が高いことが特徴的であった。また、イタヤカエデでも、オオモミジとは対照的に、ギャップ個体群の若木以上成木段階までの生育段階の生存の貢献度が、閉鎖林冠下個体群の同じ生育段階での生存と同等に大きかった。これらは、個体群構造から示唆されたそれぞれの種の光環境への適応のしかた、すなわち、オオモミジでは、長寿命の亜高木種として庇陰下に適応した性質、ウリハダカエデでは、短命の亜高木的ギャップ種として庇陰下と同時にギャップに適応した性質、イタヤカエデでは、耐陰性は高いが林冠環境に適応した性質、をよく反映していると考えられた。

本研究で比較した非パイオニア的な3種のカエデにおいては、ギャップにおける早い成長速度と閉鎖林冠下における高い生存率との間でのトレードオフというメカニズムが、生活史全体を通じて一貫して働いているわけではないことが分かった。しかし、個体群への加入速度と最大サイズの間のトレードオフ(森林構造仮説、Kohyama 1993)、あるいは、寿命と成長速度の間のトレードオフ(Crawley 1997)といった他の共存メカニズムがこれらの種の間に成立している可能性も示唆された。現実の森林群集では、複数の共存メカニズムが働いていることが十分考えられる。また、生活史の異なる段階における、定着、成長、生存、繁殖のための光要求度の変動はこれまで考えられていたよりも頻繁に生じている可能性が示唆された。近縁のカエデ3種の間でも、そのような変動が稚樹期に観察された。こうした変動と結びついた形質のシンドロームを理解し、それに従って機能的な種のグルーピングを行っていくためには、できる限り多くの群集構成種について生活史全体に関する定量的な情報を集積する必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、森林生態系において多様な樹木種の個体群が共存している仕組みを知ることを目的として、成熟した森林の主要な構成種である非パイオニア種、しかも生態的特性の似た同属種であるオオモミジとイタヤカエデ、ウリハダカエデについて、生存、成長、繁殖という個体群統計学的パラメータの比較によってそれぞれの生活史を明らかにし、3種が共存できる仕組みについて考察したものである。特にギャップと閉鎖林冠下という異なる光環境に対する反応の差異が、これら3種の共存においてどのように働いているかに注目している。

解析に用いられたデータは、阿武隈山地南端に位置する成熟した落葉広葉樹林に設定された小川群落保護林長期生態調査地(6 ha)において、樹木の生育段階を、種子、当年生実生、実生、小稚樹、大稚樹、成木に区分し、それらの生残や成長、開花・結実をおよそ10年間継続観測し得られたものである。

実生から成木までの各生育段階の個体密度から、いずれの種も実生や稚樹が豊富なL字型の頻度分布を示し耐陰性が高いことを示した。 種子段階の動態から、3種のカエデには共通して、長期の埋土種子戦略を待たない、また明確なギャップ検知機構を持たないという、閉鎖林冠下に適応した非パイオニア種としての発芽特性を持つことを明らかにした。成長速度は、閉鎖林冠下の小稚樹段階を除いて、いずれの生育段階と光環境でも,ウリハダカエデが最も高かった。オオモミジは、閉鎖林冠下の小稚樹段階では最も高い成長速度を示し、ギャップでの成長速度は、3種の中で最も低かった。イタヤカエデは、オオモミジとウリハダカエデの中間的な性質を示した。3種の閉鎖林冠下とギャップ内でのふるまいを比較し、「庇陰下での成長」と「ギャップでの成長」の間、または、「庇陰下での生存」と「ギャップでの成長」の間の明確なトレードオフ関係が小稚樹段階においてのみ認められることを示した。

繁殖に関して、イタヤカエデは、林冠に達しておらず被圧状態の個体はほぼ開花・結実することはなかったのに対し、ウリハダカエデとオオモミジは、閉鎖林冠下の個体も開花・結実した。種子生産の開始が主としてサイズで規定されるオオモミジとイタヤカエデに対して、ウリハダカエデは、サイズと齢には単純に依存せず、成長速度の低下を契機として雌に性転換し種子生産していることを示唆した。

調査地で観測されたギャップ形成と林冠修復の確率を組み入れた行列モデルによる解析の結果、3種のカエデは閉鎖林冠下でもほぼ個体群増加率λ=1を維持し、生活史全体を通じての耐陰性が高いことを明らかにした。また別のモデルでの個体群増加速度の変化及び弾力性分析の結果からは、ギャップ環境の相対的意義と個体群増加にとって重要な生育段階が種によって異なることを示した。つまり、オオモミジでは閉鎖林冠下の個体群の若木から成木までの生育段階の生存が重要であり、ウリハダカエデはギャップ個体群の実生・稚樹段階の生存・成長が需要であり、イタヤカエデではギャップ個体群の若木から成木までの生育段階の生存が、閉鎖林冠下個体群の同じ生育段階での生存と同等に重要であった。これらは、生育段階構造から示唆されたそれぞれの種の光環境への適応の仕方、すなわち、オオモミジでは、亜高木種として庇陰下に適応した性質、ウリハダカエデでは、亜高木的ギャップ種として庇陰下と同時にギャップに適応した性質、イタヤカエデでは、耐陰性は高いが林冠環境に適応した高木種としての性質、をよく反映していると考察した。また、高木的なイタヤカエデと亜高木的なオオモミジ、ウリハダカエデという生育型の違いとともに、成木段階に高い生存率を維持して長い時間滞留する前2種の長寿命種としての生活史と、高い成長速度によってすばやくより大きなサイズまで成長し、性転換後に種子生産し数年後には一生を終えるというウリハダカエデの短命種としての生活史の違いを反映しているとした。以上の結果から、本研究で比較した非パイオニアの3種のカエデについて、ギャップにおける速い成長速度と閉鎖林冠下における高い生存率との間でのトレードオフというメカニズムが、生活史全体を通じて一貫して働いているわけではなく、生活史の異なる段階における、定着、成長、生存、繁殖のための光要求度の変動はこれまで考えられていたよりも頻繁に生じていることを示唆した。

以上のように本研究は、一生の内の多くの時間を閉鎖林冠下で過ごす非パイオニア種が共存する仕組みの一端を、生活史の各生育段階における個体群動態の解析によって明らかにしたものであり、森林生態系における種多様性の維持機構に関して、学術上及び森林生態系管理への応用上、貢献するところが多い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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