学位論文要旨



No 216880
著者(漢字) 小磯,雅彦
著者(英字)
著者(カナ) コイソ,マサヒコ
標題(和) シオミズツボワムシの質的差違の発生機構と改善に関する研究
標題(洋)
報告番号 216880
報告番号 乙16880
学位授与日 2008.01.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16880号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 黒倉,寿
 東京大学 准教授 岡本,研
 東京大学 准教授 良永,知義
 長崎大学大学院 生産科学研究科教授 萩原,篤志
内容要旨 要旨を表示する

沿岸環境の悪化や資源の乱獲を原因とする世界的な水産資源の縮小が続くなか、水産養殖による資源補完や、種苗放流と環境の保全・管理を組み合わせた「栽培漁業」による資源涵養の取り組みがなされている。これらに共通する要素としての種苗生産では、シオミズツボワムシ(以下ワムシ)はほとんど全ての海産魚に孵化後最初に与える生物餌料であるが、例えば100万尾のマダイあるいはヒラメ種苗を生産する場合には、1日当たり10~30億個体という大量のワムシを培養し準備する必要がある。そのため、ほぼ半世紀にわたるワムシ研究では、高密度化をはじめとする大量培養に重点が置かれ、生産されたワムシの質的な要素が顧みられることはほとんど無かった。本研究は、簡易な「活力」評価法を開発し、「活力差をもたらす要因」、「個体レベルの活力が大量培養の成否を決定する機構」などを明らかにするとともに、「活力」が仔魚飼育の成績を左右する「品質」に関わる機構を解明し、それを改善する新しい培養法の提案に至ったものである。

序章に続く「第I章」では、 ワムシ個体群の大量培養の成否と個体レベルの活力の関係を調べるため、活力の指標として「摂餌個体率」、摂餌量の指標としての「胃腸面積比」、若令個体の割合を示す「背甲長組成」、ストレスに対する耐性を示すと考えられる「高塩分耐性」を定量化した。摂餌個体率は培養の経過とともに低下し、増殖ピーク付近で最低となった。胃腸面積比および摂餌個体の背甲長組成は培養状態が極端に悪化した場合にのみ変化したが、無摂餌個体の背甲長組成は特定の範囲が培養の経過とともに増加した。高塩分耐性については、携卵個体で高塩分の障害が現れ易く、増殖ピーク付近で前日の値から急激に低下した。以上のことから、摂餌個体率、無摂餌個体の背甲長は個体群の増殖予測に有効であり、特に高塩分耐性はワムシの個体レベルでの活力をよく示し、また培養の経過と共に培養槽中に蓄積してくる様々な環境抵抗を反映していると思われることから、大量培養時に増殖の予測手法になり得ると考えられた。

第II章では、従来法の一つである「植え継ぎ式培養」における増殖停滞の発生機構を知るために、培養日数を3、6、9および12日とした4例の培養を用意し、各々におけるワムシの増殖状況や培養水の水質、また仔虫を1個体ずつ個別飼育したときの生活史パラメータを調べた。各培養事例での日間増殖率は、培養3日目に比べて培養6、9日目では大幅に低下し、培養12日目では負に転じた。また、初産卵までの時間と以後の産卵間隔も6、12日目では長くなり、12日目ではふ化率の低下と仔虫および親虫の死亡も起こっていた。これらの現象が個体群における増殖の停滞を招いていると考察されたが、0.45μmメンブレンフィルターを通過する溶存態と思われる何らかの阻害物質が、従来報告のある非解離アンモニアと同様に増殖阻害の原因物質になっていることも示唆された。なお、増殖阻害要因は、親虫世代のみならず次の仔虫世代の生活史パラメータにまで影響することが示された。植え継ぎ式培養では、ワムシ類は対数増殖期を過ぎて定常期に収獲されることが多く、その場合、生理的活性や餌料としての質の低下が避けられないものと考えられた。

第III章では、高品質なワムシを生産するために、培養環境として塩分濃度や溶存酸素濃度低下の影響を調べ、また管理手法として餌料や強化剤の連続添加の有効性を明らかにした。また短時間の飢餓の影響や、ふ化後の成長段階と品質との関わりについても検討した。

第1節では、ふ化ワムシ10個体ずつを5段階(7、14、20、27および34 psu)の塩分に調整した海水5mlに収容し、4日後の個体数を計数したところ、増殖率は塩分が低いほど高くなり、 7~20 psuでの日間増殖率は34 psu区の3倍以上となった。培養コストとしてのワムシ1億個体生産に要する餌料費は、塩分低下にともなって安くなり、 14 psuと20 psu区では34 psu区の約1/2となった。塩分が増殖に関与する機構については、個別飼育によって生活史パラメータと塩分の関係を調べた結果から、塩分低下にともない寿命は短くなるが、ふ化から再生産までの時間や産卵間隔は顕著に短くなったことがその原因と考えられた。つぎに魚類飼育槽にワムシを給餌することを想定し、低塩分で培養されたものを34 psu海水に直接移した場合の活性を摂餌個体率と17時間栄養強化後の栄養価で評価すると、7および14 psu から移した場合のみ低下が見られた。以上のことから、仔魚に給餌する際の塩分差に注意は必要であるが、培養時に低塩分海水を用いると増殖促進とコストの低減に効果が大きいことから、ワムシ培養の技術として今後確立されるべき課題と考えられた。

第2節では、DOの急激な低下がワムシの増殖や摂餌に及ぼす影響を明らかにするため、 DO 6.3 mg/lで培養したワムシを5段階(6.8、4.6、1.3、0.7および0.3 mg/l)のDO条件に移し入れ、それぞれの日間増殖率、摂餌量、総卵率、離卵率および背甲長組成を調べた。1.3と4.6mg/l区では、開始から3時間後までの摂餌量がそれぞれ対照区(6.8 mg/l)の24 %と56 %にまで減少したが、その後摂餌量が回復し、24時間後の日間増殖率や総卵率にはほとんど影響しなかった。一方、0.3と0.7 mg/l区では、24時間の摂餌量が対照区の20 %と38 %にまで減少し、日間増殖率や総卵率も大幅に低くなった。なかでも0.3 mg/l区では増殖率がマイナスに転じ、離卵率が顕著に高くなり、背甲長260 μm以上の大型個体の割合が対照区の約半分に減少した。以上のことから、(1) DOが急激に低下すると、変化量が多くなくても摂餌量が一時的に減少すること、(2) 1 mg/l前後の低いDO条件では、わずかなDOの差によって増殖率や摂餌量に及ぼす影響が大きく異なることが明らかになった。

第3節では、ワムシの品質を損なわない給餌方法を検証するため、[連続]、[2回/日」および[1回/日]の3通りの給餌方法でワムシを培養した。日間増殖率とワムシ1億個体生産に要するクロレラ量は、連続給餌区、[2回/日]給餌区および[1回/日]給餌区では、それぞれ61.1 %と1.47 l、45.7 %と2.28 Lおよび44.5 %と2.33 lとなった。連続給餌が優れた理由については、増殖阻害の原因となる至適密度を超えた高い餌料密度や飢餓および溶存酸素濃度の急激な低下を排除できると考えられた。

第4節では、第3節と同じ観点から、栄養強化時の強化剤連続添加がワムシの回収率と栄養価に及ぼす効果について、従来法である「開始時に一度に強化剤を添加する方法」と比較した。粗放連続培養で得たワムシを、生クロレラω3を用いて18時間強化した結果、回収率とn-3HUFA含量は、連続添加区が155 %と2.42 g、1回添加区が132 %と1.64 gであった。連続添加における回収率とn-3HUFA含量が優れた理由は、溶存酸素濃度の低下による死亡や衰弱、取り込み阻害を招く高い強化剤濃度を回避できたためと考えられる。

第5節では、短時間の飢餓がワムシの増殖や大きさに及ぼす影響を検討するために、ふ化ワムシを3、6、9および12時間の飢餓に曝したのち通常の培養に移し、生残率、生活史パラメータ、生物学的最小形および卵の大きさを調べた。すべての飢餓条件で生残率が低下したほか、初産卵までの時間は飢餓時間だけ遅延し、また生物学的最小形も飢餓の長さに従って小型化したが、卵の大きさは変わらなかった。この結果は、摂餌の開始によって生殖器官の発達が開始されること、ワムシの体と卵はそれぞれ独立して発達することを示しているが、ワムシ生産ではよく起こる3~12時間の短時間の飢餓でも、生残率の低下やワムシの小型化を招くことが明らかになった。

第6節では、本章第1節で推奨した低塩分での培養から、ワムシを仔魚槽へ給餌する場合を想定し、高塩分耐性をワムシの成長段階ごとに調べた。ふ化後24時間までは4時間間隔、2日目から10日目までは2日間隔に区切って各段階のワムシを準備し、塩分をそれまでの20 psuから50 psuへ変化させ3時間後の遊泳個体率を調べたところ、塩分変化への耐性は、他の成長段階に比べて[ふ化~12時間」と、[ふ化後8~10日目]が有意に低かった。これらの成長段階はそれぞれ若齢期と高齢期に相当するが、増殖率の高い培養では若齢個体が多くなることを考慮すると、少なくとも塩分については、大量培養が求める条件と仔魚飼育の立場で求められる条件がかならずしも一致しないことも考えられ、それぞれを満足する条件を探索する、あるいは培養法を改良するなどの研究が必要と思われる。

第5章にあたる総合考察では、上記各章の成果を踏まえ、本研究がワムシ大量培養や栄養強化および仔魚飼育,さらには種苗生産全体に貢献する意義について、マダイ、ヒラメの仔魚飼育に展開した他の研究成果も交えて考察した。すなわち、高塩分ストレス耐性で表すことができる「活力」は、様々な生活史パラメータを経て対数増殖期に高く、増殖不良の予測、つぎの培養の元ダネとしての適・不適に関わっているのみならず、厳しい環境条件下で行われる栄養強化時の耐性を通じて結果的に仔魚飼育の成績を左右するなど、種苗生産に求められる「ワムシの品質」を良く表していた。また、従来のワムシ培養法では品質の安定は望めないことを指摘し、それを改善する新しい培養法の提案に至った。

審査要旨 要旨を表示する

沿岸環境の悪化や資源の乱獲を原因とする世界的な水産資源の縮小が続くなか、種苗放流と環境の保全・管理を組み合わせた「栽培漁業」による資源涵養がなされている。ほとんど全ての海産魚種苗生産では、体長0.2mmほどのシオミズツボワムシ(以下ワムシ)を孵化後最初に与える餌料とするが、種苗生産現場では1日当たり10~30億個体という大量のワムシを培養し準備する必要がある。そのため、50年に及ぶワムシ研究では培養の大規模化に重点が置かれ、ワムシの質的な要素が顧みられることはほとんど無かった。本研究は、ワムシの「活力」評価法を開発し、「活力差をもたらす要因」を明らかにするとともに、「活力」が仔魚飼育の成績を左右する機構を解明、改善する新しい培養法の提案に至ったものである。

論文の「第I章」では、活力の指標として「摂餌個体率」、摂餌量の指標としての「胃腸面積比」、若令個体の割合を示す「背甲長組成」、ストレスに対する耐性を示す「高塩分耐性」を数値化した。その結果、摂餌個体率、無摂餌個体の背甲長は個体群の増殖予測に有効であり、特に高塩分耐性はワムシの個体レベルでの活力をよく示し、増殖の予測手法になり得ると考えられた。

第II章では、ワムシの増殖、水質、生活史パラメータの関係を調べた。日間増殖率の低下は、初産卵までの時間、産卵間隔の延長、卵のふ化率の低下、仔虫および親虫の死亡によるが、非解離アンモニアと同様に増殖阻害を起こす溶存態物質の存在も確認された。この要因は、次の仔虫世代の生活史パラメータにまで影響し、従来法である「植え継ぎ式培養」では、生理的活性や餌料としての質の低下が避けられないことが明らかになった。

第III章では、高品質なワムシを生産するための塩分濃度や溶存酸素濃度低下の影響を調べ、また管理手法として餌料や強化剤の連続添加の有効性を明らかにした。また短時間の飢餓の影響や、ふ化後の成長段階と品質との関わりについても検討した。

第1節では、塩分20 psu以下では、ふ化から再生産までの時間や産卵間隔は顕著に短く日間増殖率は34 psu区の3倍以上となり、培養から栄養強化までを総合すると、培養時に低塩分海水を用いることが効果が大きいことを証明した。

第2節では、DO条件と日間増殖率、摂餌量、総卵率、離卵率および背甲長組成を調べた。(1) DOが急激に低下すると、変化量にかかわらず摂餌が一時的に減少すること、(2) 1 mg/l前後の低DOでは増殖率や摂餌量に及ぼす影響が大きく異なることが明らかになった。

第3節では、ワムシの品質と給餌方法の関係を、[一度に1日分]、[2回/日]、[少量ずつ連続]の3通りの給餌方法で検証した。日間増殖率とワムシ1億個体生産に要するクロレラ量の点で連続給餌が優れており、増殖阻害の原因となる高餌料密度や食べ尽くしによる飢餓、餌料による酸素消費を排除できるためと考えられた。

第4節では、栄養強化時の強化剤の添加方法について連続添加と一度に強化剤を添加する方法とを比較した。ワムシ回収率とn-3HUFA含量は、連続添加区が明らかに優れていたが、溶存酸素濃度の低下や、取り込み阻害を招く高い強化剤濃度を回避できたためと考えられた。

第5節では、ふ化ワムシを3、6、9および12時間の飢餓に曝したのち通常の培養に移し、生残率、生活史パラメータ、生物学的最小形および卵の大きさを調べた。すべての飢餓条件で生残率の低下、初産卵の遅延、生物学的最小形の小型化が見られ、ワムシ生産ではよく起こる3~12時間の短時間の飢餓がワムシの品質低下を招くことが明らかになった。

第6節では、塩分変化への耐性が、他の成長段階に比べて若齢期と、高齢期が有意に低いことを明らかにした。増殖率の高い培養では若齢個体が多くなることを考慮すると、大量培養が求める条件と仔魚槽に投入後の好適条件がかならずしも一致しないことが明らかになった。

第4章にあたる総合考察では、上記各章の成果を踏まえ、本研究がワムシ大量培養や栄養強化および仔魚飼育,さらには種苗生産全体に貢献する意義について、実際の仔魚飼育に展開した研究成果も交えて考察し、従来のワムシ培養法では、理想的な種苗生産が求める品質の実現は望めないことを指摘し、それを改善する新しい培養法の提案に至った。

以上本研究は、従来顧みられることがほとんど無かったワムシの品質について、生活史各段階での詳細な生物学的研究をもとに、培養環境との関わりにおいて論じたものであり、さらには品質を改善する新しい培養法の提案に至ったものであるなど、基礎科学上また応用科学上の貢献は少なくない。よって審査委員一同は、本研究を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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