学位論文要旨



No 216881
著者(漢字) 西坂,靖
著者(英字)
著者(カナ) ニシザカ,ヤスシ
標題(和) 三井越後屋奉公人の研究
標題(洋)
報告番号 216881
報告番号 乙16881
学位授与日 2008.01.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16881号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 藤田,覚
 大阪市立大学 教授 塚田,孝
 東京大学経済学研究科 教授 粕谷,誠
 放送大学 准教授 杉森,哲也
内容要旨 要旨を表示する

17世紀以降の日本における都市と商業の発展が生み出した特異な存在のひとつに、一群の大商家が江戸・京都・大坂に構えた巨大店舗がある。そこには100人をこえる奉公人が住み込みで働いていたが、彼らは全て、独身の男子であった。本研究は、このような巨大店舗に住み込みで働く奉公人集団について、「組織化」と「規律化」という視角から、その実態を解明することを課題としたものである。

研究対象は、日本近世屈指の豪商である三井家が三都に構えていた三井越後屋の諸店舗(とりわけ京都冷泉町にあった京本店)であり、分析に用いたのは財団法人三井文庫が所蔵する史料である。従来の三井越後屋の奉公人研究は、時期的には概ね18世紀前半、史料的には規則類に依拠した制度分析という限界を有していた。18世紀前半に作られた規則・制度が、後年まで実際に遵守・実施されていたのかは自明ではなく、それ自体検討が必要な課題である。本研究の特色としては、18世紀前半から19世紀半ばにかけての長期の期間を対象としたこと、制度が実際にどのように運営されていたかを示す記録類を中心にして、個々の奉公人レベルにまで踏み込んで実態解明を進めたことがあげられる。以下、本研究の各章の概要を述べる。

○「第1章 近世都市と巨大店舗」では、三井越後屋の諸店舗のような多数の奉公人を抱える巨大店舗が、近世の都市社会において、どのように位置づけられる存在であったのかについて概観した。

「第1節 巨大店舗の特色と登場」では、江戸・京都・大坂において100人以上の住み込み奉公人を抱えた店舗を「巨大店舗」として探索し、11の店舗をピックアップした。それらは奉公人数のみならず間口・経営規模の面で巨大さを兼ね備えた存在であり、その登場は三都の巨大化と、そこにおける絹織物需要の増加に歩調を合わせるものと意義づけた。 「第2節 都市社会と巨大店舗」では、巨大店舗が小経営を本位とする近世都市社会においては"異物"ともいうべき特異な存在である一方で、多数の都市住民と関わりを持ち、巨大都市の社会構造の中核として民衆世界の上に聳え立つ存在であることを、従来の近世都市史の研究成果に依拠して述べた。

○「第2章 三井越後屋の店々と奉公人数」では、奉公人研究の前提として、三都に展開する三井越後屋の店々について、奉公人数がどのように変遷したのかについて検討を加えた。

「第1節 越後屋(本店一巻)の店々と経営動向」では、三井家の呉服業部門(越後屋=本店一巻)に属する江戸・京都・大坂の10店舗の沿革・相互関係と、呉服業部門全体の経営動向について述べた。

「第2節 店々奉公人数の変遷」では、越後屋の賄方系統の帳簿から、主要6店舗について、18世紀前半から19世紀後半にかけての奉公人数(惣人数)の動向を検討した結果、6店舗の合計でみると、1770年代に最大のピークを示し、奉公人数が1100人をこえることがわかった。本研究の主対象である京本店の奉公人数も、同様に1770年代に最大のピークを示し、奉公人数は150人台に達した。

○「第3章 越後屋京本店の奉公人とその組織―元治元年(1864)の事例」では、1864年という時点で、京本店に住み込みで働いていた奉公人を対象に、その組織化のありようを中心に、存在形態の諸相をスケッチ風に描いてみた。

「第1節 二種類の奉公人」では、住み込みの奉公人(124人)が、営業を担う店表の手代・子供(103人)と、それらを支援する台所下男(21人)の二つの種類から成り立つが、それらは職務のみならず、出身社会階層、奉公開始年齢を異にする集団であることを、京本店があった冷泉町の人別関係史料合わせ用いて明らかにした。 「第2節 奉公人の組織化」では、店表の手代・子供の組織化のありかたが、単一なものでなく、(1)支配役を頂点とする年齢階梯制的なヒエラルキーである「職階」、(2)営業内容に応じた「役所」、(3)生活統括組織としての「組」という3つの座標によって組織化されていたことを明らかにした。 「第3節 奉公人の退職」では、店表の奉公人の退職のタイプとして、規律違反によるものと実家相続(相続筋)によるものの二つがあることを明らかにし、奉公人制度が内包する不安定要因と評価した。

○「第4章 手代の昇進―享保4年(1719)~慶応2年(1866)入店者を対象に」では、18世紀前半から19世紀半ばまでの期間における、京本店手代の昇進過程の実態(昇進比率・昇進年齢)について、一人ひとりの昇進データを積み上げることによって検討した。

「第1節 入店」では、検討の前提作業として、1719年から1866年まで(148年間)の京本店の入店者数を算出し(1792名)、その平均入店年齢について13.4歳という数値を得た。 「第2節 昇進」では、上記の人数をさらに絞り込んで、1720年から1839年まで(120年間)の入店者を対象に検討した結果、元服して手代になれるのは58%(平均16.8歳)、役付になれるのは24%(平均27.2歳)、住み込みの最高位である支配役になれる者は10%(平均35.5歳)、さらに別宅手代になれるのが4%(平均39.4歳)という、昇進競争の実態をあらわす数値が得られた。これらの数値は120年にわたり概ね同水準で推移していることから、昇進システムが安定していたことが推測できる。一方、手代の中で、昇進のスピードが速い、有能と見られる者が、必ずしも店に残らず、早めに自発的に退職するという、店にとって好ましくない事例も見られることが明らかになった。

○「第5章 手代の報酬―元手銀と小遣・年褒美・割銀」では、京本店の手代が店から取得した報酬について検討した。これらは、独立した小経営の原資になるものであり、奉公人の組織化・規律化を進める動機・誘因のうち主要なものとして位置付けられるものである。

「第1節 元手銀」では退職時に給付される退職金について、「第2節 小遣い・年褒美・割銀」では毎年の給与および3年ごとの賞与について、職階・勤務年数ごとの額を検討した。その結果、いずれも年齢でいうと30歳をこえた頃から急カーブで上昇することが明らかになった。これについては有能な手代に長期にわたって奉公を継続させること意図した制度設計であると評価した。 「第3節 退職時に取得する銀額」では、手代が退職の時点で実際に取得する銀額を証文類から検討し、多くの場合、その額は支給された元手銀・小遣・年褒美・割銀の累計額には及ばないこと、それは奉公期間中に店から借銀を重ね、それが差し引きされた結果であることがわかった。

第6章および第7章においては、巨大店舗における奉公人集団に対する規律化の制度と、その実態について検討した。

○「第6章 手代の欠勤時間管理と勤務状況―「改勤帳」の分析」では、規律化を進める方途の一つとしての時間管理をとりあげ、京本店の手代を対象にした欠勤時間管理のありかたと、実際の勤務状況(欠勤状況)について検討した。

「第1節 欠勤時間の掌握・評価の仕組みについて」では、京本店では、個々の手代について、欠勤の種類・時間を半年ごとにまとめて「皆勤帳」という帳簿に記録し、5段階に評価し、褒賞する制度が実施されていたことを示した。 「第2節 皆勤帳にみる手代の勤務状況」では、1771~1786年と1822~1839年の2つの時期について、欠勤の実態を比較検討し、後者の時期において手代の精勤の度合いが高まっていること(=規律化が進展していること)を明らかにした。一方で、欠勤の少なさ=精勤が、必ずしも昇進と連動していないという事態も明らかになった。

○「第7章 手代の規律違反と処罰―「批言帳」の分析」では、18世紀末の京本店において、手代が引き起こした規律違反と、それに対する処罰について検討し、店内の規律化の進展状況について検討した。

「第1節 批言帳の概要」では、「批言帳」という京本店の手代の規律違反・処罰を記した帳簿を紹介し、1786年~1805年の期間に在籍した手代の4割がなんらかの規律違反をおこしていたという規律違反の頻発状況を示した。「第2節 手代の規律違反の内容」では、引負いが最も多いが、帰宅延引、無断外出など外出に関わる規律違反の多さを指摘し、「第3節 規律違反者に対する処罰」では処罰を、店から排除する、労役を科す、生活に制限を加える、の3つに分けて検討し、「第4節 規律違反者に対する吟味のありかた」では吟味は、基本的には組頭によってなされるが、平筆頭、平手代仲間による摘発もあることを示した。さらに「第5節 繰り返される規律違反と処罰」では、一度の規律違反で暇を出されるのはまれであり、手代の中には、繰り返し規律違反をおこしながらも昇進を遂げていく者もいたことを明らかにした。

○「むすびにかえて」では、18世紀前半(享保期)に作られた越後屋の奉公人制度が、基本的に幕末まで引き続き機能しており、全体としてみれば、店組織は安定し、前近代の民間社会レベルとしては異例なほどに組織化・規律化が進展していたとの評価を示した。しかし一方で、規律違反の頻発や自己都合による早期退職など、奉公人には、店の規律・論理に容易に統合されない、不服従と自立の側面も存在する。このような規律化の不徹底とみられる事態は、越後屋のような大商家の奉公人制度と実際の運用も、近世都市社会に存在する限り、そこに共通する価値観・論理に規定された形でしか存立しえなかったことを示すものであり、すなわち近世社会に通底する小経営本位の価値体系の強固さのあらわれであると評価した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本近世が産み出した「巨大店舗」三井越後屋の京都呉服店(京本店)を主な事例に、多人数の奉公人(男性のみ)が集団で起居し労働に従事する特異な社会集団の歴史的特質について、多面的・総合的な解明を試みたものである。

まず「はじめに」において研究史が手際よく整理され、本書の課題・方法が示された後、本論部分は7つの章と5つの補論から構成され、最後に結論がおかれる。

第1章では、近世都市社会において、厖大な奉公人層を抱える巨大店舗の特異性が述べられ、併せて本論文で対象とする三井越後屋各店舗の位相を概観する。第2章では前提として、江戸・京都・大坂の三井各店舗について、18世紀前半から幕末までの奉公人数の動向を追い、その規模の異常な大きさが明らかにされる。

第3章では、1864年(元治元)における京本店の手代・子供・下男からなる奉公人層の全体構造を描き、手代層の位置を確認する。続く4~7章は、京本店の手代層について、その存立構造を精細に分析する。第4章は、手代の事例を網羅的に摘出し、個別事例の検討を含めて、昇進過程(昇進する者の比率や年齢)の実態を解明する。また補論1・2において、暖簾分けの具体相や、「中年者」(ほぼ17才以上の元服後に入店する者)の性格が明らかにされる。第5章では、元手銀をはじめとし、小遣い・褒美・割銀などからなる手代の報酬の全体像を検討し、退職時にどの程度の資金を獲得したかを明らかにする。

第6章・7章では、手代を中心とする奉公人の規律化とその矛盾について取り上げる。6章では「改勤帳」を素材に、欠勤時間の状況と管理を軸に、規律化の様相を明らかにし、ついで7章では18世紀末「批言帳」を分析し、規律違反の様相と経営側の対応について検討を加える。そして「むすびにかえて」で奉公人集団の組織化・規律化という視点から、三井越後屋の奉公人が近世社会において占めた位置について総括を試みる。

本書の主要な成果は、以下の4点である。

1.三井越後屋京本店の厖大な分量に達する奉公人関係史料を博捜・分析し、詳細なデータとともに、特に手代層の全体像を初めて具体的に明らかにした。

2.このような多人数の奉公人集団を抱える店舗の特異性を、近世都市の「巨大店舗」論として提起した。

3.規律への服従と勤勉を強要する経営主体=三井家同族団と、これに対する手代層における不服従、自立的行動という、両者の矛盾関係を鋭く解明した。

4.こうした手代層の自立性の根源が、退職時に元手銀を得て小経営の主体となるという欲求・通念にあることを説得的に論じた。

本論文は、分析作業量の厖大さとその緻密さ、論点摘出の的確さ、論理と叙述の明晰さ、などの諸点においてきわめて高い水準に有り、近世史研究のみならず、隣接分野にも大きな貢献となる重要な成果である。子供や下男などを含めた奉公人の全体像解明は未着手であり、また京都などの都市社会と巨大店舗との関係構造の分析があまり見られない憾みはあるが、本審査委員会は、上記のような顕著な成果に鑑みて、本論文が博士(文学)に十分値するとの結論を得た。

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