学位論文要旨



No 216886
著者(漢字) 鈴木,幸人
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ユキヒト
標題(和) 粒子法の高精度化とマルチフィジ クスシミュレータに関する研究
標題(洋)
報告番号 216886
報告番号 乙16886
学位授与日 2008.01.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16886号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 越塚,誠一
 東京大学 教授 大橋,弘忠
 東京大学 教授 岡本,孝司
 東京大学 教授 奥田,洋司
 東京大学 教授 藤井,輝夫
内容要旨 要旨を表示する

近年の計算機能力の向上に伴い、複数の物理現象を同時にシミュレートするマルチフィジクスシミュレーションの研究が盛んになってきている。自然界で起こる現象は、実際には様々な物理現象の相互作用の結果である場合が多く、気体・液体・固体の運動、物質の拡散と化学反応、電磁気現象などを統合的に解析する手法は、例えば近年注目されているマイクロ生化学システムの各種デバイスの設計において有用であると考えられる。

一方、粒子法は流体と固体の運動を共に離散粒子群の運動に近似して計算を行うため、両者を統一的に扱うことができ、複雑な界面変化を伴う気体・液体・固体の連成解析において格子を用いる有限体積法、有限要素法よりも本質的に優位な点をもっている。したがって、粒子法はマルチフィジクスシミュレーションに最適な手法であると期待することができる。さらに、粒子法の運動方程式をHamilton系として表すことができるならば、そのsymplectic構造を時間離散化後も保存することが保証されているsymplecticスキームを適用することが可能であり、それによって線型運動量、角運動量および力学的エネルギー等の保存量を複雑な連成現象全体で精度良く保存するマルチフィジクスシミュレーション手法を構築することができると考えられる。

ただし、現時点で粒子法を例えば表面現象を含む多相流れと弾性構造体の運動との連成問題に適用した例はなく、マイクロ生化学システムの複雑な挙動を示すデバイスに適用した例もない。少なくとも表面現象を含む多相流体・構造連成計算が粒子法により可能になるならば、マイクロ生化学システムにおける幾つかのデバイスの解析に有用であると考えられる。またHamiltonianに基づく定式化については、例えば(自由表面を含む)非圧縮流れおよび非線型弾性運動に対する研究例は現在のところ存在しない。

そこで、本研究では粒子法によるマルチフィジクスシミュレータへの第一歩として、MPS法による3次元多相流体・構造連成解析機能を整備し、そのマイクロ生化学システムに対する適用性を検討した。検討例題としては、細胞の流路壁への付着によって時々刻々流路の変形が起こるような複雑な現象であるマイクロ流路内細胞付着流れと、弾性チューブの変形と流れとの相互作用、液滴の射出における気液界面のトポロジー変化など非常に複雑な挙動を示すマイクロデバイスであるマイクロディスペンサーを選択した。さらに、将来のHamiltonianに基づく粒子法によるマルチフィジクスシミュレータに向けて、未だHamiltonianによる粒子法の定式化が行われていない非圧縮流れと非線型弾性運動に対してその定式化と計算アルゴリズムの開発を試みた。

MPS法によるマイクロ流路内細胞付着流れのシミュレーションは、東京大学生産技術研究所の藤井輝夫研究室で行われた実験に基づいたもので、同研究室との共同研究である。本研究では、現象論的な細胞移動・付着・離脱モデルを幾つか考案し、それをMPS法に組み込んで細胞付着流れの計算を行った。格子を用いる手法では、格子上で定義される流れ場と細胞運動との相互作用に複雑な操作が必要である上、例えば細胞が付着して格子を完全に塞いでしまう場合には特殊な処理が必要になることが考えられる。これに対し、粒子法では比較的簡単に流れと相互作用する細胞移動・付着・離脱モデルを組み込むことができる。得られた計算結果と実験観測とを比較することによって、それらの細胞移動・付着・離脱モデルの妥当性を検討した。その結果、実験で観察される付着パターンを定性的に再現する結果が得られ、このMPS法によるシミュレーションによって、バイオリアクターの最適設計のための有用な情報を得ることが可能であることが示された。ただし、より正確に実験をシミュレートするためには3次元の計算を行う必要があり、計算の更なる高速化が望まれる。また、複雑な細胞付着メカニズムを解明してモデルを精密化することも今後の課題である。

MPS法によるマイクロディスペンサーのシミュレーションは、Lindemann et al.により開発されたマイクロディスペンサー(PipeJetTM)に対して、文献から得られるデータに基づいて行った。本研究では、MPS法の表面現象を含む多相流体解析手法を3次元に拡張し、それにMPS法による3次元弾性体解析手法を弱連成で連成させることにより、多相流体構造連成解析手法を整備した。これを用いてマイクロディスペンサーの解析を行い、本解析手法のマイクロ流体デバイスへの適用性を検討した。その結果、実験で観測される液滴射出挙動を良く再現する結果が得られた。したがって、このMPS法によるシミュレーションによって、例えばノズル出口の形状、弾性チューブの物性の影響など設計上重要な情報を得ることができるものと考えられる。本例題は複雑な表面変化を伴う流れと弾性構造体の運動との連成問題であり、MPS法がこのような解析に有効であることが示された。ただし、本解析ではディスペンサー出口に残留する流体が見られること、液滴先端位置が各時刻で実験よりも手前にあることおよび射出量に1割程度の差が見られることなどが問題点として残されている。これらをさらに検討するためには、粒子数を大幅に増加した詳細な計算が必要であり、マイクロ流路内細胞付着流れのシミュレーションの場合と同様に計算の更なる高速化が望まれる。

非圧縮流れと非線型弾性運動に対するHamiltonianに基づく粒子法の開発は、それ自体は粒子法の高精度化に向けた一つの試みと見ることができる。その定式化は、連続体の運動を支配するLagrangianを直接離散化することにより粒子群の運動方程式を導出するもので、結果として得られる粒子法は有限次元のHamilton系として記述した。したがって、その時間積分法にsymplecticスキームを適用することが可能であり、それによって各種保存量を精度よく保存する計算手法を構築した。自由表面を含む非圧縮流れ、あるいは非圧縮材料を含む非線型弾性運動に一般的に適用することができて、かつエネルギー保存性に優れた粒子法は現在まで提案されておらず、本研究で提案する手法がその唯一のものである。

この非圧縮流れに対するHamiltonianに基づく粒子法を用いて、正方領域内の流れ、およびより現実的な例題である水面上の進行波と矩形容器内の定在波について計算を行い、線型運動量、角運動量および力学的エネルギーが精度良く保存することを確認した。また、矩形容器内の定在波の計算において、非線型波動が(少なくとも最初の2~3サイクルの間は)妥当に計算されることが示され、非線型波動がある程度精度良く計算できることが確認された。その一方で、進行波および定在波の計算において流れが徐々にランダム化していく傾向が見られ、力学的エネルギーは精度良く保存しているのにもかかわらず波の振幅が徐々に減衰していく結果が得られた。この運動が徐々にランダム化する現象は粒子法による流体解析において共通した難点であり、真に高精度の粒子法を実現するためには是非とも解決しなければならない問題点である。さらに、本手法が実用的なものになるためには、計算負荷の低減に向けた検討を行うことも重要な課題である。

また、非線型弾性運動に対するHamiltonianに基づく粒子法を用いて、弾性角柱の曲げ・ねじり運動および弾性円柱の回転運動について計算を行い、線型運動量、角運動量および力学的エネルギーが良い精度で保存することを確認した。さらに、弾性円柱の定常回転運動の計算において、計算で得られる変形に対する定量的な評価を行い妥当な結果を得た。ただし、このHamiltonianに基づく粒子法では固定境界と自由境界(および周期境界)のみしか定式化が行われていない。応力固定境界など他の境界条件を整備し、より幅広い例題に対して定量評価を行うことは、本計算手法の収束性の解析を行うこととともに将来の課題である。なお、本手法が実用的なものになるためには、非圧縮流れの場合と同様に、計算負荷の低減に向けた検討を行うことも重要な課題である。

本研究により、粒子法によるマルチフィジクスシミュレータを用いると、マイクロ生化学システムに見られる複雑な流体・構造連成挙動を比較的容易にモデル化することができ、その計算結果から設計に有用な情報を得ることができることが示された。ただし、粒子数をさらに増加することによって現象をより忠実に模擬できる可能性が残されており、例えば高効率の並列化アルゴリズムの開発などによる計算速度の向上が今後期待されるところである。また、より高精度な粒子法によるマルチフィジクスシミュレータに向けて、自由表面を含む非圧縮流れと非圧縮性材料を含む非線型弾性運動に対してHamiltonianに基づく粒子法が開発され、それらの有効性が示された。今後、上に挙げた課題を解決するとともに、表面張力を伴う2流体流れ、あるいは電磁場等に対してもHamiltonianに基づく粒子法を開発し、それらを統合することによって、Hamiltonianに基づく粒子法によるマルチフィジクスシミュレータが開発されることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、粒子法を用いて3次元多相流体-構造連成解析機能を有するマルチフィジックスシミュレータを開発し、そのマイクロ生化学システムに対する適用性を検討するとともに、Hamiltonianに基づく粒子法の定式化と計算アルゴリズムの開発について論じたものである。本論文は6章で構成されている。

第1章は序論である。マイクロ生化学システムの開発が盛んに行われているが、そこでの現象は流体と構造が連成するようなマルチフィジックスの問題が多く、有限要素法や有限体積法など従来の格子を用いる方法ではシミュレーションが困難であり、粒子法が有効であることが述べられている。また、粒子法の研究においては、Hamiltonianに基づく定式化を行えば流体と構造の両者に対して統一的な解析が可能になると考えられ、粒子法におけるマルチフィジックスシミュレーションを高精度に行うことができるとの展望が示されている。

第2章ではMPS(Moving Particle Semi-implicit)法を用いたマルチフィジックスシミュレータによるマイクロ流路内細胞付着流れのシミュレーションが述べられている。現象論的な細胞移動・付着・離脱モデルを考案し、東京大学生産技術研究所の藤井輝夫研究室において実施された模擬細胞としてビーズを用いた実験と比較をおこない、モデルの妥当性を議論している。実験結果の付着パターンを再現するモデルを抽出することができ、後に行われた実験とも整合している。

第3章ではMPS法によるマイクロディスペンサーのシミュレーションについて述べられている。MPS法の表面現象を含む多相流体解析手法を3次元に拡張し、それにMPS法による3次元弾性体解析手法を弱連成で連成させることにより、多相流体構造連成解析手法を整備した。これを用いてマイクロディスペンサーの解析を行い、Lindemannらの実験で観測された液滴射出挙動を良く再現する結果が得られた。特に、弾性チューブの変形の効果によって液滴の射出時間は大幅に遅れることが実験で示されており、これを定量的によく再現できている。ただし、本解析ではディスペンサー出口に残留する流体が見られること、液滴先端位置が各時刻で実験よりも手前にあることおよび射出量に1割程度の差が見られることなどが問題点として残されている。

第4章ではHamiltonianに基づく非圧縮性流れに対する高精度粒子法の開発について述べられている。その定式化は、連続体の運動を支配するLagrangianを直接離散化することにより粒子群の運動方程式を導出するもので、結果として得られる粒子法は有限次元のHamilton系として記述される。その時間積分法にsymplecticスキームを適用することが可能であり、これによって各種保存量を精度よく保存する計算手法を構築することができる。ここでは自由表面を含む非圧縮流れに対してHamiltonianに基づく粒子法を開発した。非圧縮条件が拘束条件になり、拘束条件付のHamiltonianに対するsymplecticスキームであるRATTLE法を適用する。本手法を用いて、正方領域内の流れ、水面上の進行波、および矩形容器内の定在波について計算を行い、線型運動量、角運動量および力学的エネルギーが精度良く保存することを確認している。その一方で、進行波および定在波の計算において力学的エネルギーは精度良く保存しているのにもかかわらず、波の振幅が徐々に減衰していく結果が得られた。この運動が徐々にランダム化する現象は粒子法による流体解析において共通した問題点であり、今後、解決しなければならないとされている。

第5章では非線型弾性運動に対するHamiltonianに基づく高精度粒子法の開発について述べられている。非圧縮性流体と同じ手順で手法が構築されている。開発された手法を用いて弾性角柱の曲げ・ねじり運動および弾性円柱の回転運動について計算を行い、線型運動量、角運動量および力学的エネルギーが良い精度で保存することを確認している。さらに、弾性円柱の定常回転運動の計算において、計算で得られる変形に対する定量的な評価を行い妥当な結果が得られている。

第6章は結論であり、本研究のまとめが述べられている。

以上を要するに、本論文では、粒子法を用いて流体-構造連成解析を行なうことができるマルチフィジックスシミュレータを開発し、これをマイクロ生化学システムの連成問題に適用して有用性を実証するとともに、さらにHamiltonianに基づく粒子法を非圧縮性流体および非圧縮性弾性体に対して開発しており、今後の計算科学技術の進展に寄与するところが少なくない。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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