学位論文要旨



No 216894
著者(漢字) 成松,美枝
著者(英字)
著者(カナ) ナリマツ,ミエ
標題(和) 米国都市学区における学校選択制の発展と限界 : ウィスコンシン州ミルウォーキー市学区を事例に
標題(洋)
報告番号 216894
報告番号 乙16894
学位授与日 2008.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第16984号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,正人
 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 教授 根本,彰
 東京大学 准教授 勝野,正章
 お茶の水女子大学 教授 小玉,重夫
内容要旨 要旨を表示する

1.本研究の目的・対象・方法

本研究の目的は、米国都市学区において導入された学校選択制の実態とその成果に関して、教育の質の保障のあり方と学力向上効果の有無に着目しつつ、実証的な分析を進めることにある。その目的のために、ウィスコンシン州ミルウォーキー市学区を対象として学校選択の展開過程を調査したが、ミルウォーキー市学区においては(1)いかなる政策目的のためにどの様な学校選択が導入されてきたのか、その導入目的と経緯を明らかにすること、(2)公教育としての教育の質を担保するために、教育行政局はいかなる「基準・スタンダード」 を設定して各校に対する 「事後評価」としてのアカウンタビリティーを追及しているのか、(3)選択制推進派が主張するように、学校選択制の導入は学区生徒全体の「学力向上」を促すことができるのか、という3点を調査分析の視点とした。

2.論文の構成と内容

上記のような研究的立場から調査を進めてきた本研究の成果を、5章に分けて収めた。

第1章では、ミルウォーキー市学区において学校選択の導入以前に継続されていた伝統的な「近隣学校制」の就学形態と学校経営の枠組みを確認し、その後の選択制導入との比較の対象とした。「近隣学校制」は、1919年から約60年間継続されてきたものであったが、当時の教育委員会は制度上の利点を、(1)学校と住居の近接性の点において子どもが学校教育を受けることを親が支援していく上で最も適していること、(2)学校と地域との連携を高め、近隣に居住する児童生徒の必要性に適った学校教育を実施していくのに都合がよいこと、(3)児童生徒の学校・家族・近隣地域での生活の分離を最小化することができること、の三点に見出していた。特にこれらの利点については、1960年代には「居住地域に基づく人種別学」が違法とされる中で、当市が近隣学校制を継続する理論的根拠となったことを、以下に続く章の導入として位置づけた。

第2章では、人種統合を目的として1976年に導入された初めての学校選択の取り組みである 「マグネットスクール」 と 「チャプター220」 の導入と発展経緯を示した。特にマグネットスクールに関しては、当市教育長であったマクマリンが連邦裁判所による人種統合命令が下される以前に計画していた。特色ある教育を提供する選択制の学校を開講する構想としての『オールタナティブスクールモデル』が実践の下敷きとなったことを明らかにした。また、マグネット校での「特色ある教育」の実践においては、「公教育の質」を担保するために教育課程に「公立校としての最低基準」としてのスタンダードが設定されており、基準を踏まえた上での各校の教育内容と方法に関する裁量権が寝とめられていた。さらに、独自の雇用体制で募集・採用されたカリキュラム・コヘディネーターという専門職員が、カリキュラムを開発・編成して教職員の教育実践を指導・援助していくという、他の一般の公立校には見られない組織体制が確認された。しかしながら、学区内の総ての学校と同様、「アカウンタビリティー・プラン」と称する「学力テスト結果」や卒業率などを含めた市民への公表を前提とする厳格な「事後評価」 が実施されており、こうした「教育の質」の保障のためのプロセスは「特色ある教育」の開発を促すために選択制導入を進めるわが国の自治体に対しても示唆に富む事例となることを示して結論とした。

第3章では、まず第1節において、全米で初めて私立学校を対象としたヴァウチャー制である「ミルウォーキー・ペアレンタルチョイスプログラム」の導入と発展経緯を記述した。90年代におけるヴァウチャー制導入の背景には、人種統合の為に遠地へのバス通学を強いられるよりも近隣で学校教育を望む黒人層と、公立・私学間に生徒の獲得競争を講じることで学校教育の改善と学力向上を期待した経済界の利害の一致が存在した事実を明らかにした。そこでは、当市の私学選択制が低所得者層への教育機会均等を促す施策であることを明示するかのように利用者に対する「所得制限」がもうけられていたが、利用者総数についても15,000人という「制限枠(cap制)」が存在し、学区内の公立校の経営を守るような特徴が確認された。つまり、当市の私学選択は「公立と私学の間で生徒の獲得競争を通して教育現場に自由な市場を形成する」というフリードマン型の選択制とは様相を異にするものであることが指摘された。

続く第2節では、ヴァウチャー制に続き90年代後半に開設が進み、学区教育行政機関の管理・統制を離れて独立した学校経営を認められた公立学校としての「チャータースクール」に関して、当市における導入とその実態を明らかにした。特に、授与機関であるミルウォーキー市学区との「契約」条件として存在する「成果基準の到達」を目標としたチャーター校の教育実践を一般の公立校と比較の上で論じた。その結果、学力テスト成績を契約更新の「成果基準」に掲げながらも、総てのチャーター校が一般公立校の成績を大きく凌ぐほどの成果を上げているわけではないことが確認された。さらに、チャーター校の教育内容と方法は学区内の一般の公立校と比較しても傑出した「革新性」を見出せるものとは言い難いが、チャーター校への訪問調査や教職員へのインタビューを通して、学区教育行政局の統制を離れ、校長の卓越したリーダーシップの下で迅速かつ柔軟な学校運営が可能となるという「チャーター化」の利点が明らかにされた。

第3節においては、ウィスコンシン州内全ての学区への自由な(公立内の)学校選択を認める試みとしての「オープン・エンロールメント制」に関して検討した。この「学区外選択制」は70年代に導入された「チャプター220」のように人種統合を目的とするものではなく、「自由な学校選択の機会」を総ての生徒に対して保障する施策であった。しかしながら、利用者が最多のミルウォーキー市学区を除くと州内の生徒全体としての利用は増えておらず、学区間の境界地域に住む白人層を除けば大方の市民は遠方の学校よりも居住する学区で子どもを教育したい、と考えている結果が明らかにされた。さらに、導入時に生徒の他学区進学を認める際の認可条件の一つとされた「人種統合の実現をめざした人種構成への配慮」が1999-2000年度から当制度規定から外されたことが、ミルウォーキー市学区での白人生徒の他学区(当市郊外の白人郊外学区)への進学に拍車をかけている危惧すべき事実を指摘した。

第4章では、当市において約四半世紀の間に導入・展開されてきた各種の「学校選択制」の成果を「学区全体の学力向上」という視点から分析し、その政策としての意義と限界を検討した。結論として、多種に及ぶ選択制の導入と利用者数の大幅な増加にも関わらず「学区全体としての学力向上」には効果が見られないことが確認された。その原因としては、ヴァウチャーの利用が低所得者層に限定されている上に利用者数の上限枠が存在していることが公立側に潰れるほどの危機感を抱かせるほどの競争意識を促すことを難しくしていること、ヴァウチャーの支給額が低額に抑えられており零細な私学経営を支援するほどのインセンティブを持つものとしては機能していないことを指摘した。また、全米で最も黒人雇用が停滞する当市では青年期の黒人生徒が明るい経済的見通しをもてない現在の社会経済状況が生徒の学習意欲を減退させている事実を示唆した。さらに、教育困難な学校現場を支援していくには低額といえる当市学区の予算も学力向上を阻む一因となっていること、教育特化校としてのマグネット校や白人も利用可能になったオープン・エンロールメント制が学力と教育への関心の高い層を「すくい取って」おり、近隣地域に取り残された生徒層の向上を困難にしている事実をもう一つの「限界」の要因として指摘した。他方、こうした限界が指摘されながらも、選択制の利用は増加する一方であり、それまで公立の教育に満足していなかった低所得者層に新たな教育機会を保障する取り組みとして市民に大きな支持を集めているとう意義を論じた。さらに、学校選択の拡大に伴い、多数の私学が隣接する都心部の公立校教員は「親・市民への対応」を強く意識するようになり、教育現場に教育効果を高めるための「革新」がもたらされた事実を確認した。

第5章では、人種統合政策としての学校選択を見直す施策として導入した「近隣学校計画」の実態を検討し、当政策の可能性と限界を指摘した。特に、私学選択制やマグネット校を中心とする学校選択が実際には一部の生徒層を「すくい取る」ものとなっているとする懸念が強まるなか、「近隣学校計画」は「取り残された生徒層」に対する学力向上の目的も含めて、各校で学童保育や保健医療プログラム等のパストラルケア的な事業の「福祉的施策」を展開して近隣地域の子育て事業の拠点となるという位置づけが明確にされた。さらに、本計画の下では各校が教育行政局の統制を離脱し、(1)学校を基礎とした教員雇用人事、(2)学校を基礎とした財務、(3)チャータースクール化によってこれまで以上に自律的な学校運営が可能となっていることを指摘して、この点が雇用人事や財務の管理を教育行政局が制御してきた「近隣学校」とは様相を異にするものであることを確認した。

終章では、ミルウォーキー市学区を対象する本研究全体のまとめを論述し、学校選択制導入が進む近年のわが国の教育改革に対して示唆しうる点を示し、本論文の締め括りとした。

審査要旨 要旨を表示する

学校選択制は、現代における教育改革の方策の一つとして国内外で強い関心を持たれているが、その分、親・子どもの教育の「自由」と教育の「公共性」を巡る多くの争点を孕み研究や政策の上で激しい議論を生起させている。本論文は、米国都市学区(ウィスコンシン州ミルゥオキー市)における学校選択制の展開過程と実際を調査研究し、その特徴や問題、課題を明らかにすることを通して米国都市学区の学校選択制への評価を試みている。

序章では、学校選択制を巡る改革動向や論議、先行研究の総括を通じて課題、方法が設定されている。1章では、学校選択制が導入される前の当市の公立学校制度と問題状況が整理されている。2章では、人種統合を目的に1976年に導入された最初の学校選択の取り組みである。「マグネットスクール」と「チャプター220」の導入と展開過程が整理されると共に、「マグネットスクール」である2つの小学校の運営事例の調査を通じて「基準」に基づく事後評価としてのアカウンタビリテイのしくみが明らかにされている。3章では、人種統合を目的とした1970年代後半から1980年代の学校選択制が、マイノリティの生徒達の遠距離バス通学等の多大な負担を強いてきただけでなく、彼らの学力向上も実現できなかったとの批判等から、学校選択制の新たな取り組みとして進められたヴァウチャー、チャータースクール、オープンエンロールメントの導入と展開過程、その問題が明らかにされている。この章でも、ヴァウチャー参加校の一つの宗教系私立高校とチャータースクールの3つの学校の運営事例調査から、この制度下における学校経営の実際とアカウンタビリティのしくみが析出されている。4章では、当市において約四半世紀の期間にわたって展開されてきた学校選択制を学区全体の「学力向上」や「学校経営改善」という観点から総括している。そして、5章及び終章において、学校選択制の「見直し」の中から2000年度に始まった「近隣学校計画」が検討され、最後に評価と課題が整理されている。「近隣学校計画」は、「取り残された生徒層」の学力向上の目的も含め、地域の学校が学童保育や保健医療プログラム等の「福祉的施策」に取り組み近隣地域の子育て事業の拠点となるとともに、地域のニーズに応える学校経営を可能にするためにチャータースクールが保有するような学校の自律性を拡充するものであり、都市学区における公立学校の新しい姿、役割をこの「近隣学校計画」が明示していると結論づけている。

従来、米国の学校選択制については、日本でも理論的・思想的な紹介や検討が多くなされてきたが、本論文のように都市学区全体を対象にし、しかも、多くの学校における事例調査を踏まえた詳細な実証的研究は少ない。本論文は、以上のように、ミルゥオーキー市という一米国都市学区における学校選択制の四半世紀にわたる展開過程を明らかにし、その問題と今日的課題を整理した点で意義があり、今後の教育研究に大きな貢献をなすものと評価できる。このような観点から、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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