学位論文要旨



No 216896
著者(漢字) 平原,徹
著者(英字)
著者(カナ) ヒラハラ,トオル
標題(和) ビスマス量子薄膜におけるスピン軌道相互作用と表面状態
標題(洋) Role of Spin-Orbit Interaction and Surface States in Quantum Bismuth films
報告番号 216896
報告番号 乙16896
学位授与日 2008.02.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16896号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柿崎,明人
 東京大学 教授 小森,文夫
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 教授 常行,真司
 東京大学 准教授 杉野,修
内容要旨 要旨を表示する

近年、キャリアの電荷の自由度だけでなくスピンの自由度を駆使して、新たな機能を持つデバイスを開発しようというスピントロニクスが大きな注目を集めている[1]。スピンを制御することがスピントロニクスにおいて重要であるが、従来は新たな強磁性状態を作り出し、磁場や電流でスピンを制御することが試みられていた[2]。一方最近、非磁性体においても電場により非対称な閉じ込めポテンシャルを用いることで半導体界面においてスピン分裂した二次元自由電子ガス状態を作り出せることが明らかになった[3]。これはRashba効果と言われ、相対論的効果であるスピン軌道相互作用と空間反転対称性の破れによって生じる[4]。通常の物質においては時間反転対称性(E(k,↑) = E(-k,↓))と空間反転対称性(E(k,↑) = E(-k,↑))の二つによってバンドが縮退する(E(k,↑) = E(k,↓))が、空間反転対称性が破れていると縮退が解けるのである。

同様の効果は結晶表面上においても表面垂直方向の空間反転対称性が破れているので現れ、例えばAu(111)表面に関しては結晶表面最上位層近傍に局在したスピン軌道分裂した表面状態バンドが明確に観測された[5]。本研究で対象として扱ったビスマス(Bi)は原子番号が大きく、重い元素なので相対論的効果も非常に強く、Shubnikov de-Haas振動などの輸送現象から予想されるバルクの電子状態やフェルミ面を再現するのにスピン軌道相互作用を考慮する必要性が指摘されている[6]。またビスマスはフェルミ波長が非常に長く(20~30nm)量子効果を見るのが容易なので、すでに1960年代から次元を下げてナノワイヤーや薄膜において量子サイズ効果の発現検証実験に多く用いられてきた[7]。従来のBi薄膜の研究においてはバルクバンドの量子化状態にばかり注目がおかれていたが、本論文では従来よりも薄く高品質のナノメートルスケール厚さの超薄膜を用いてビスマスの表面状態のスピン構造に特に重点を置いて詳細な研究を行った。エピタキシャル超薄膜においては表面におけるRashba効果、そして量子サイズ効果の両方の発現が期待できるが、本研究ではその両者や二つの効果の相互作用について表面状態バンドのスピン特性の変化という観点から考察を行った。さらに膜全体の物性に表面状態がどのように現れるかということにも注目した。内容としては大きく二つに分けられる。

最初にシリコン(Si)(111)-7×7表面上に形成したBi(001)超薄膜の電子状態・スピン構造に関して詳細な測定を行った。膜厚は6BL~40BL ( 1 BL = 3.9Å、2.7~16nm)である。手法としては角度分解光電子分光法でバンド分散・フェルミ面測定、そしてスピンの性質を調べるために第一原理計算とスピン角度分解光電子分光法を用いた。まずバルクBiは半金属であり、フェルミ面が非常に小さいがこれらのBi超薄膜のフェルミ面は非常に大きく大変よい金属的な状態が実現していることが分かった(図1)。また膜厚依存性が見られないことからこれらのフェルミ面がバルクバンドのギャップ中に形成される表面状態によって構成されることが明らかになった(図2)。一方フェルミ準位の下ではバンド分散は非常に大きな膜厚依存性を示し、Bi超薄膜に対して量子井戸状態を初めて明確に観測した(図2)。スピンの性質を調べるためにこれらの結果を半無限系のBiスラブの第一原計算のバンド構造と比較したところ、Γ点近傍の表面状態バンドに関してはよい一致を示し、Rashba効果によりスピン軌道分裂した性質を持つことが示された(図3(a))。このRashba分裂の大きさは先に述べた半導体界面におけるスピン分裂した量子井戸中の二次元自由電子ガスに比べて約10倍、Au(111)に比べても2倍以上と非常に大きいものである[5,8]。一方M点での量子井戸状態はこの計算では特徴が再現できず、むしろ対称Biスラブの計算結果とよい一致を示し(図4(b))、スピン分裂していないことが示唆された。さらに表面状態バンドの方もバルクバンド射影と交わるM点近傍では膜厚依存を示し量子井戸状態になるのでスピン分裂の性質が徐々に失われるのではないかという知見が得られた。実際にスピン角度分解光電子分光測定を行ったところ、バルクバンドギャップ中に完全にある表面状態に関しては明確なスピン偏極が観測され、スピン構造がΓ点及びM点に関して反対称的であることから確かにRashba分裂であると結論づけた(図3(b)、図4(a))。またバルクバンド射影内で表面状態バンドのスピン偏極度が減少し、M点でスピン偏極が完全に消失する様子も観測され、第一原理計算と定性的な一致が得られた(図4)。このようにしてRashba効果と量子サイズ効果、及び両者の競合・移り変わりを明確に観測することができた。

次にBi超薄膜に対して輸送特性を調べるために電気伝導測定を行った。光電子分光によるフェルミ面測定の結果から表面状態は~1013個/cm2のキャリアが存在し、ナノメートルスケールの厚さの薄膜内部には~1011個/cm2しかキャリアが存在しないことが明らかになり(図1)、表面状態が電気伝導特性に大きく寄与していることが予想される。まずマイクロ4端子プローブ法で薄膜の電気伝導度の膜厚依存性を調べた。表面状態は膜厚依存性がなく(σSS)、膜内部の成分(σfilm)のみが膜厚依存性を持つというモデルのもとで考察を行った(σ(d) =σSS + σfilm(d))。エピタキシャルな薄膜が形成され始める6BLから25BLにおいて、測定値は放物線でフィッティングでき、それ以上の膜厚になると放物線の下にくることが分かった。これは膜内部の散乱メカニズムが界面散乱からフォノン散乱に変わることによるものと結論付け、放物線を膜厚0に外挿してまず表面状態の寄与σSSを見積もった(図5(a))。次に表面を酸化させて表面状態を破壊し、その前後での電気伝導度の減少からも表面状態電気伝導度を見積もった(図5(b))。上記二つの測定結果は同じ値 σSS ~ 1.5σ 10-3 Ω /σ (室温)を示した。この値をボルツマン方程式を用いてバンド構造から得られるフェルミ速度から計算した電気伝導度と比較したところ概ね良い一致を示すことが明らかになった。また一番薄い6BLの超薄膜においては表面状態の寄与が支配的で膜内部の電気伝導度が無視できるほど低いことが分かった(図5(b))。このような超薄膜の電気伝導度の温度依存性を測定したところ室温から15K程度まで金属的な振る舞いを示した。データを直線でフィッティングして傾きから電子格子相互作用定数を導出したところ、0.85±0.46であった。光電子分光のピーク幅の温度依存性から見積もられる電子格子相互作用定数の値は0.1~0.5程度であり、誤差の範囲内で一致していると言える。この結果から高分解能光電子分光で得られるバンド分散から表面状態電気伝導を精度良く記述でき、また温度依存測定をすれば散乱メカニズムも同定できるということが明らかになった。

物質の微細化がますます進むにつれて表面状態の寄与が重要になり、その性質を詳細に調べることの意義が謳われてきたが、本研究におけるBi超薄膜上の表面状態に関しては膜全体の特性を決めてしまうほど大きな役割を果たしていることが明らかになった。さらに表面状態バンドのスピン軌道分裂した特性を生かしてこれらのBi超薄膜をスピン電界トランジスタ[9]を始めとしたスピントロニクスデバイスに応用できる可能性もあると思われる。また量子スピンホール状態のエッジ状態としての観点からも今後の研究の発展が興味深い系である[10]。

[1] S. A. Wolf et al., Science 294, 1488(2001).[2] H. Ohno, Science 281, 951(1998).[3] T. Koga et al., Phys. Rev. Lett. 89, 046801(2002).[4] E. I. Rashba, Sov. Phys. Solid State 2, 1109(1960).[5] M. Hoesch et al., Phys. Rev. B 69, 241401(R)(2004).[6] X. Gonze et al., Phys. Rev. B 41, 11827(1990).[7] Y. F. Ogrin et al., JETP Lett. 3, 71(1996); V. B. Sandomirskii, Sov. Phys. JETP 25, 101(1967); T. E. Huber et al., Appl. Phys. Lett. 84, 1326(2004).[8] J. Nitta et al., Phys. Rev. Lett. 78, 1335(1997).[9] S. Datta and B. Das, Appl. Phys. Lett. 56, 665(1990).[10] S. Murakami, Phys. Rev. Lett. 97, 236805(2006).
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、角度分解光電子分光実験による電子構造解析、マイクロプローブによる電子伝導測定などの表面敏感な実験によって、ビスマスBi超薄膜の構造と表面電子状態にあらわれる量子サイズ効果、スピン軌道相互作用の特徴、両者の相関を明らかにした研究であり、全6章からなる。第1章はイントロダクションで、本論文の目的が述べられている。第2章では、研究の背景について述べている。ナノスケール物質の電子状態でみられる量子サイズ効果とスピン軌道相互作用の概要について解説し、最近開発された質の良いBi超薄膜の作製法ついて述べている。第3章は、この研究でおこなった実験の詳細を述べている。光電子分光実験による価電子帯構造解析、マイクロ4端子プローブ法による表面電気伝導測定法の確立など、これまで平原氏が中心となって構築してきた実験装置群について簡潔に要領よくまとめられている。

続く第4章では、実験によって明らかになったBi超薄膜の表面電子状態について詳しく記述されている。近年、キャリアの電荷だけでなくスピンの自由度を駆使して新しい機能を持つ電子デバイスを開発しようとするスピントロニクスが注目されている。強磁性体の印加磁場、電場を制御することが行われているが、非磁性体でも非対称な閉じ込めポテンシャルを用いることでスピン分裂した2次元自由電子状態を作り出せることが明らかになり、金Au(111)表面などで最表面層付近に局在したスピン軌道分裂した表面電子状態が観測されている。本研究では、表面電子状態に大きなスピン軌道相互作用が期待されるBi に着目し、シリコンSi(111)7x7表面上に2.7nm - 16nmのBi(001)超薄膜を作成してその表面電子状態を光電子分光によって調べた。その結果、Bi超薄膜の表面電子状態がバルクに比べて格段に大きいフェルミ面を持つことを確認し、バンド分散が大きな膜厚依存性を持つことを見いだした。また、表面で並進対称性が破れることによって生じる表面電子状態のスピン分裂(Rashba効果)をスピン分解光電子分光によって確認した。Γ点における分裂幅は、半導体界面における2次元電子ガスの場合の約10倍、Au(111)に比べても2倍以上ある。また、量子サイズ効果とRashba効果の競合も観測した。さらに、第一原理計算によるバンド計算も行ってこれらの表面電子状態の特徴の詳細を明らかにした。

第5章では、Bi超薄膜の表面電気伝導の膜厚依存性、温度依存性の測定結果が記述されており、第4章で得られた表面電子状態と電気伝導度との関係を議論している。マイクロ4端子プローブ法によってBi超薄膜の表面電気伝導度を測定した結果、表面電気伝導が室温から15 Kの低温まで金属的で、第4章で得た表面電子状態の寄与が支配的であることを明らかにした。第6章では、本研究で得た結論が述べられている。

物質の微細化が進むとともに物性への表面状態の寄与が重要になっている。本論文では、これまで良質な薄膜作成ができないために研究が遅れていたBi超薄膜について、表面敏感なさまざまな実験手法を用いてその構造と電子状態の特徴を初めて明らかにし、表面電子状態が膜全体の特性を決めてしまうほど大きな役割を果たしていることを見いだす研究成果を得ている。この研究成果は、表面電子状態のRashba効果の特性を生かして、Bi超薄膜がスピン電解トランジスタをはじめとするスピントロニクスデバイスに応用することができる可能性を示したという点でも評価に値する。

なお、本論文の第4、5章は、長谷川修司氏らとの共同研究の結果であるが、論文提出者が主体となって実験方法を確立して実験をし、結果を解析して研究を遂行したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。本論文は、審査員全員が十分納得する研究成果であり、論文提出者の表面物理学に対する学識も博士(理学)の学位を受けるに十分である。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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