学位論文要旨



No 216897
著者(漢字) 中釜,洋子
著者(英字)
著者(カナ) ナカガマ,ヒロコ
標題(和) 個人心理療法と家族療法の統合の探求 : 関係系志向アプローチの理論と実践
標題(洋)
報告番号 216897
報告番号 乙16897
学位授与日 2008.02.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第16897号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 亀口,憲治
 東京大学 教授 下山,晴彦
 東京大学 教授 田中,千穂子
 東京大学 教授 川本,隆史
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、1980年代以降、主として欧米圏で提唱されるようになった心理療法の統合についての探索的研究である。なかでも、心理療法の基本モデルと捉えられ、個人内心理力動への接近法を複数開発した個人心理療法と、約50年後にアンチ・テーゼとして登場し、錯綜する対人的相互交流に働きかける介入法を集積した家族療法という異種のパラダイムを繋ぎ、両者の効果を減ずるのでなく高めることが出来るような統合的心理援助モデルの開発を課題としている。ここ最近の心の問題の変化として、精神医学的症状が軽症化した一方で、人間関係の問題が複雑化・深刻化してきたという指摘、クリニック型の臨床活動に加えて、クライエントと彼や彼女を取り巻く周囲の人々との協働として行うコミュニティ型臨床実践の需要が高まったという状況がある。今日的ニーズに応える心理援助モデルの開発が求められているという立場から、本論文が追求するモデルを「関係系志向の統合的アプローチ」と名づけて、これまで以上に多様なクライエント層と問題群に対応出来るモデルの提唱と、そのモデルに基づいて行った臨床心理学的援助実践の検討を研究の目的としている。

上述の目的を果たすため、本論文は、第I部「個人心理療法と家族療法の統合の基盤の解明」、第II部「関係系志向アプローチを構成する関係援助のための鍵概念の検討」、第III部「関係系志向の統合的アプローチの適用とさらなる発展」という3部構成とした。

まず第I部では、本論文が提示しようとする心理援助モデルの基盤について、統合とは何か、組み入れる家族療法パラダイムの特徴、個人心理療法と家族療法の両方を視野にいれる手立て、という3つの角度から検討した。

第1章では、心理療法の統合が、効果や科学性をめぐる問いに答えるため、比較的最近生まれた学問領域であることを明らかにしたうえで、個人心理療法と家族療法の統合は、いっそう新しいテーマであることを見出した。わが国の統合研究の概観からは、先行研究は極めて少なく、少数の先例がいずれも人間関係の齟齬に注目しているという特徴を捉えた。

第2章では家族療法パラダイムに焦点を当てて、個人心理療法との比較検討を行った。依拠する人間観や援助観にも違いが認められ、日常的人間関係を心理援助に大がかりに組み込むか、むしろその影響を減ずる援助構造を用意するかが最大の違いと理解された。円環的理解、ナラティブな理解、文脈的理解など、異なる切り口を備えたこの領域の知見に則って関係援助を試みる妥当性が示された。

第3章で、より狭義の先行研究を概観した。統合へのコミットが高い家族療法家として、2群のグループを抽出した。個人心理療法に長く携わった背景を持つ創設者たちと、第二次家族療法以降、システム論をいっそう柔軟に理解・咀嚼するグループの二群であり、1.二種のパラダイムを橋わたす主要概念を特定する、2.個人面接と家族合同面接という二種類の面接の組み合わせ方・使い分け法の問題と読み替えて統合を実践する、3.新たなパラダイム構築に取り組むという3つのテーマを見出すことができた。(1)自己を関心の焦点とするあり方が推奨される面接空間(=個人心理療法の場)から、他者がすぐ横にいて他者の視点が等価のものとして尊重される面接空間(=家族療法の場)に移るところにクライエントにとっての不連続(またはギャップ)が存在する。不連続の扱いはたいへん難しいが、それが生じることにこそ、個人心理療法と家族療法を統合する意味が認められること。(2)家族療法の初期の実践家であるBoszormenyi-Nagyが提唱する臨床概念に「多方向への肩入れ」と「関係倫理」があるが、個人心理療法と家族療法の統合研究の多くに、これらの概念からの影響が認められる。新しいモデルによる関係援助は、自分の言い分も他者の言い分もしっかり聴き取られる対等性が保障される場づくりという問題が関わっていることが見出された。

第II部は、新しいモデルの主要構成要素である関係援助の鍵概念を取り上げて、臨床事例の文脈の中での解明を試みた。4章からなる、関係系志向アプローチの各論にあたる。

第4章は、Bowenが考案したジェノグラムについて、ジェノグラム・インタビューを導入した2事例の援助過程を検討した。個人を家族・親族と共に一枚の紙の中に書き込む作業が、関係系という器の中で共振する存在としての自己理解を促すことを、自らの強い希望で海外留学しながら不適応に陥った短大生の心理援助過程の中で明らかにした。生まれ育った環境を客観的に捉え、サポート資源を認める効果が見出された。

第5章と第6章は、多方向への肩入れの解明に焦点をあてた。第5章では、筆者が担当した2事例を引きながら、心理援助者の多方向への肩入れが、家族の対話を引き起こしてゆく過程を記述した。家族のケア機能がすぐに動き出し対話が始まった事例と、大人が自分中心の視点を容易に手放せず、IPの心理状態に思いを馳せる状態になかなか移行できなかった事例を取り上げ、違いについて検討した。

第6章では、文献とBoszormenyi-Nagyが実施したコンサルテーション・ビデオを素材にして、多方向への肩入れの援助指針なるものを考案した。特定の誰かに偏らないひいきを実践する過程で、1.公平に接する、公平でない人間関係が展開する場合は、公平さが踏みにじられた人間的事情が存在したという仮説に立脚し、2.各人の人間的事情を探求する、3.人間的事情が聴き取られた後でなら、共感性が働かないという破壊的権利付与の影響から抜け出せるだろうと当事者に挑戦する、という3つの指針を導き出した。

第7章では、ジェンダーの問題をいかに取り扱うかについて検討した。ジェンダーが、多くの家族にとってもっとも身近なパワーの問題であり、関係の公平性・対等性を損なう契機になりがちと論じたうえで、家族外部から性役割が規定され、ケア行為が強制される場合は差別的関係の拡大再生産が起こりやすいこと、参加者の声が公平に聴き取られる状況で、より満足できる抱え環境づくりが進むと指摘した。バラバラで勝手なニーズを持ち込みがちな男女が、多方向への肩入れが実現される環境下で、ジェンダー意識の変容を進め、一層柔軟で対等な男女の関係を発展させてゆく経過を2事例によって示した。

第III部は、第I部で明らかになった基盤に拠って立ち、第II部で詳述した鍵概念を備えた新しい心理援助モデルを、実際の臨床事例や臨床現場に適用して、その成果をめぐる議論を展開した。関係系志向の統合的アプローチの適用とさらなる展開の部にあたる。

まず8章では、関係系の援助が最も頻繁に求められる子どもの心理援助について取り上げた。既発表の事例研究論文の分析から、子どもの心理援助に親たちが高い割合で巻き込まれること、ただし巻き込まれるのは専ら母親であり、父親は心理援助を遠巻きにして、問題解決への貢献でなく原因として言及されてきたことを確認した。上述の状況に適した援助枠組みとして母子並行面接があるが、有効性を認めたうえで、母子の纏綿状態を強化し、父親の遊離を一層促す危険性があると指摘した。新しいモデルでは、出来るだけ父母双方を巻き込み、親カウンセリングを、子どもの養育に携わる人々が協働して行う子どものための環境づくりと捉え直すこと、大人が得意なスキルを使って子どもに関わる地点から、苦手な課題にも次第にチャレンジしていってもらうと再定義することを提案し、一例として、息子の家庭内暴力に悩む両親面接の抜粋を示した。

第9章には、新しいモデルに則って行った、青年と家族の心理援助過程を詳述した。2年にわたる心理援助過程について、とりわけ彼らに導入した家族合同面接、親と子の並行面接、個人心理面接が、それぞれどんな役割を担ったか、導入のタイミングやポイント、各面接があまり役立たない時期、役立つ時期を分かつものは何かといった観点から考察した。当初、家族合同面接を行おうとして上手く行かず、青年が来談を拒んだ期間、両親との親面接を続けた。青年本人が再び来談を開始したのは、親面接を通して、両親の相互信頼関係がある程度回復した後のことだった。この時点でも、母と息子にある程度の距離を保障することが欠かせず、各々が同一の面接者相手に自己探求する数ヶ月を経た後に、親子が向かい合うプロセスがゆっくり進んだ。家族とIPに降りかかったストレスと彼らが抱えた問題を再記述したうえで、各種面接が備える機能について考察した。

第10章は、新たな心理援助モデルを学校臨床心理学に適用することを試みた。職業ガイダンスや学習指導から出発・発展した諸外国のスクールカウンセリングに比較して、わが国のそれは、子どものこころの問題や病理に働きかける手立てとして導入されたという特殊性を持つ。だからこそ面接室に閉ざされず、教師をはじめとする他の専門家、大人たちとの協働として行う心理援助を展開する必要があると論じた。生徒や教師の言葉がカウンセラーの耳に入ってくるセッティング、その逆に、カウンセラーの発言が教師の生徒像の修正に役立つ可能性、生徒同士の対話を教師と心理士が協力してファシリテートする経過について、3事例から紹介した。スクールカウンセリングが契機となり、臨床心理学に興味深い変化が引き起こされつつあると考察した。

終章において、3部10章を通して明らかとなった個人心理療法と家族療法の手がかりを12項目にまとめて結論として示した。関係系志向の統合的アプローチは、個人面接から家族面接に向かうベクトル(そしてその逆のベクトル)、言動レベルの働きかけから時間を遡る内省に向かうベクトル(逆向きのベクトル)を念頭に置きつつ、適切な面接形態

を家族と共にその都度選び取ってゆく心理援助であり、そのための手がかりの集積と捉えることができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「関係系志向アプローチ」によって対立的な理論背景を有する個人心理療法と家族療法の概念や技法を実践的に統合する理論モデルを探究することを主題としている。第1部では文献研究によって、先行研究の統合理論を系譜別に再検討して個人心理療法と家族療法の二元論を超える契機と基盤を解明し、第2部では文献研究と事例研究によって「関係系志向アプローチ」を構成する鍵概念を抽出し、第3部では「関係系志向アプローチ」の適用と展開の可能性を事例研究によって検証している。

第1部では心理療法における統合的アプローチを「技法的折衷」「理論的統合」「共通因子アプローチ」等の諸系譜において理論的に再検討し、「同化的統合」と「システミックな統合」を継承しつつ「関係系志向アプローチ」の方法論を提示している。そして家族療法のパラダイムにおける「ジェノグラム」に代表される共存共生の関係志向や心理臨床場面で生起する「不連続」に対する積極的な扱い等に、個人療法と家族療法を統合する理論的基盤を見出している。

第2部では関係援助を構成する鍵概念として「ジェノグラム」の機能、家族間における「忠誠心」と「破壊的権利付与」の機能、「多方面への肩入れ」による対話の成立と公正と公平の概念、「ジェンダー・センシティブ」な関係における対等性と公平性の重要性が、事例によって考察され、個人療法と家族療法を併用する心理療法の過程が記述されている。

第3部では「関係系志向アプローチ」の事例研究によって「母子並行から親子並行」の面接へ移行する必要性、「個人面接と合同面接」を併用した個人と家族に対する心理援助の有効性、および学校臨床心理において教師との協働が実現した事例が考察されている。

本論文は上記の探究による結論として、多数乱立する心理臨床理論を文脈に応じて取捨選択し統合するための原理を以下の諸項目で提示している。「関係系志向アプローチ」は個人内心理力動への介入と対人的相互作用への介入を兼ね備えていること、個人面接と合同面接を併用すること、包括的アセスメントによって関係系の多層性を認識すること、表層と深層の二つの次元で援助を同定すること、レディ・メードとオーダーメードの面接形態を組み合わせること、面接形態において協働のスタンスを保持すること、不連続性を統合の契機とすること、ジェノグラム面接に精通すること、多方面への肩入れを活用すること、家族合同面接が困難なときは並行面接を組み入れること、家族面接と個人面接の二つのベクトルを柔軟に組み合わせることなどの諸原理である。

本論文は、個人療法と家族療法を統合する理論の詳細を精緻に考察した点、「関係系志向アプローチ」を提唱し理論的に基礎付けた点、心理臨床家による折衷と統合の方法論を具体的に開示した点、および臨床経験で培われた繊細な知見と見識が論文の随所に記述されている点において卓越しており、心理臨床の研究と実践に多大な貢献を行っている。よって本論文は博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達していると評価された。

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