学位論文要旨



No 216909
著者(漢字) 長谷川,輝之
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,テルユキ
標題(和) ネットワーク内処理によるパケット通信の高速・高信頼化に関する研究
標題(洋)
報告番号 216909
報告番号 乙16909
学位授与日 2008.02.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 第16909号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅見,徹
 東京大学 教授 浅野,正一郎
 東京大学 教授 相田,仁
 東京大学 教授 江崎,浩
 東京大学 教授 森川,博之
内容要旨 要旨を表示する

第1章では、本研究の背景と概要を述べている。近年IPパケット通信は急速に利用範囲を拡大し、WWW等の従来のインターネットアクセスに加え、携帯電話でのデータ通信や家電製品間の相互接続、更には音声通話や放送配信への適用等、日常生活を支えるインフラ構成要素として必要不可欠な存在となっている。IPネットワークのインフラ化に伴いノードの置換や実装変更は益々困難となっているが、ユーザが通信に期待するスループット・信頼性への要求は高まる一方である。本論文は、現在のIPネットワークを構成する膨大な数のノードを一斉に変更することが困難であるとの認識に基づき、ネットワークを構築・運用するキャリアの視点で、ネットワーク内のボトルネック箇所に高度なパケット処理を行う付加装置を徐々に導入し、既設ノード実装を一切変更せず段階的にパケット通信の高速・高信頼化を実現する手法を述べその実用性を明らかにした。

第2章では、TCP/IPの概要説明と共にIPネットワークの現状を俯瞰し、キャリアの視点から高速・高信頼化に向けた提案と課題抽出を行った。IPネットワークはルータの機能を簡素化し個々の通信(フロー)に関与しないことでスケーラビリティを保持し規模を拡大してきたが、今や膨大な数となったホストの存在自身が新機能展開を阻害している点を指摘し、手法検討に当たり以下の要求条件を挙げた。

・既設ノードの実装を変更しない

・一部導入時も効果が得られる

・伝送媒体・ネットワーク構成に応じてフローを意識した制御が可能

これに対して、ネットワークへの設備設置やボトルネック把握が可能なキャリアの優位性を活かし、ネットワーク内に導入した付加装置により高位プロトコル処理を行う手法を提案し、実現に向けた制約条件と課題を以下のように整理した。

・ネットワーク内でフローを意識した処理を行うため、設置場所をフロー数が少ないネットワークエッジ近傍に限定する。

・上記制約の中で、適用対象を将来に亘って主要なアプリケーションであることが見込まれるTCP通信の高速化とIPマルチキャストの高信頼化に絞り具体的方式を確立する。

・少数の装置からの段階的導入実現のため、汎用プラットフォームによるギガビットレート対応の実装技術を確立する。

第3章では、近年のキャリアへのギガビットイーサネット普及を踏まえ、付加装置実現のコア技術であるパケットモニタの高性能化検討を通じて、PCとNICで構成された汎用プラットフォームで1Gbpsの処理が実現可能であることを示した。2001年に開発した手法は、DMA転送機能を持つNICを対象にソフトウェアのみでこれを実現している。主な特徴を以下に示す。

・NICデバイスドライバとして動作する。DMA転送先を工夫することでCPUの介在無しに複数のヘッダを連続カーネルメモリ上へ抽出し、既存実装でヘッダ抽出に必要となるメモリコピーを削減する。

・複数ヘッダ情報をUDPパケットにまとめ、自身又は他PCへ転送する機能を持つ。本機能によりヘッダ抽出と解析を複数PCで負荷分散できる。

性能評価の結果、1GHz×2 CPUのPCを抽出に用いた構成(他PCへ転送)で、インターネットを想定した384バイトフレームでフルレート(約300Kパケット/秒)収集を約30%のCPU負荷で達成した。これに対して既存方式は、30-40%の収集率でCPU負荷が70-80%に達しており、大幅な性能向上が見られた。メモリコピーの省略やカーネル内処理による高速化は広く検討されている技術であるが、更に本研究ではDMA転送を工夫しメモリコピーを削減する等、パケットモニタに適切に応用し実現性を高めた。

第4章では「高位プロトコル処理を行う付加装置」の応用例として国際LAN間接続の高速化を検討した。1990年代の国際網広帯域化に伴い、TCPのフロー・再送・輻輳制御がボトルネックとなりスループットが劣化する問題が顕在化した。本研究ではこれにいち早く着目し、国際網に接続するLANエッジルータとしてTCPまでの処理を行う付加装置(TCPゲートウェイ)を設置する手法を提案した。主な特徴を以下に示す。

・ゲートウェイ間に、伝送遅延に対して十分なウインドウサイズを持ち広域網に適したトランスポートプロトコルを導入し、TCPと本プロトコル間の変換を行う。

・TCPコネクション確立・解放をホスト間でエンド・エンドに行う一方、送達確認やフロー制御を、ホスト・ゲートウェイ間、ゲートウェイ間、ゲートウェイ・ホスト間の3セグメントで独立、且つエンドホストからは透過的に提供する。

これにより既設ホストはゲートウェイの存在を意識せずにスループットが向上する。1995年の初期実装は、数100msecの往復遅延があるATM網を介したTCPスループットを数100Kbpsから最大7.3Mbpsに改善した。更に1997年の商用実装では、データリンク層実装による処理削減や選択再送機能導入による改善により、当時のワークステーション性能で45Mbps(DS3)回線に対応した実用的な処理性能を実現した。1998年頃から同様の商用製品も登場し現在は一般化した技術となったが、本研究はキャリアでの実用化に先鞭をつける取組みであると考える。

第5章では、衛星インターネットアクセスにおけるTCP通信の高速化について、加入者毎に付加装置(ゲートウェイ)を展開・運用することが困難であるとの認識に基づき、前出の3セグメント手法に代わる簡易な手法を検討した。具体的には、想定される通信の殆どがサーバからのダウンロード(下り)方向であることに着目し、衛星アクセス回線のキャリア側にのみ付加装置を設置し、複数加入者に対して下り方向のスループットを向上する手法を提案した。本手法はTCPコネクションを衛星区間とそれ以外に2分割し送達確認・フロー制御を行うため2セグメント手法と呼び、1998年に初期実装を完了し2001年に改良を行った。主な特徴を以下に示す。

・3セグメント手法と同様にデータパケット(DT)をTCP手順に従い予めサーバから引き出す。クライアントへ広告ウインドウを超え投機的にDTを先送りし連続受信させる。

・DT紛失時の先送りDT大量破棄や帯域非対称性による上り回線輻輳を防ぐため、TCP-Vegasの輻輳制御を先送りと適合させて用いる。

・クライアントが継続的なウインドウ閉塞状態であることを検知し、不要な先送りや付随する再送発生を防ぐ。

実装評価により、上記機能を実装した改良TCPゲートウェイがDT紛失前にプロアクティブに送信量を調整し、スループットを8倍程度まで改善可能であることを確認した。本方式は、KDDIでの実用化に加え地方自治体向け衛星ネットワークの標準仕様として全国各地に導入されている。また、ITU-Rでの標準化も完了している。対向側が既存TCPのため性能・機能面で制約があるが、加入者毎の装置設置が不要であり導入・運用コストの面で実用的な手法である。

第6章では、上り・下り回線帯域が非対称な環境でのスループット向上のため、2セグメント手法に基づく手法を提案した。非対称性は衛星回線以外にも1xEV-DOやADSL等近年広く見られる。TCPはACK返送によりDT送信とは逆方向に帯域を消費するため、十分なスループットを得るにはACK帯域の削減も必要となる。そこで、キャリア側に設置した付加装置(プロキシ)で加入者ホスト向けに最大パケットサイズを強制的に拡大したDT(オーバサイズDT)を利用することで、ホストを変更すること無くACK数を削減する手法を提案した。主な特徴を以下に示す。

・2セグメント方式と同様にサーバ・加入者ホスト間のTCPコネクションを2分割し、ホストに送信するDTを蓄積する。

・上記DTを、ホストが想定する最大パケットサイズを超えるオーバサイズDTに再構成して送信し、対応するACK数を削減する。

・上記オーバサイズDTは、下り方向のpath MTUサイズに合わせ付加装置のIP層で強制的に分割する。

実装評価の結果、検証した主要OS全ての正常動作を確認し、10MBのHTTPファイルダウンロードで最大3倍のスループット向上効果を確認した。IP分割による付加装置・ホストのオーバヘッド増加は殆ど無く、実用性のある手法であることも示した。

第7章では「高位プロトコル処理を行う付加装置」を用いた別の応用例として、今後急速な普及が見込まれるキャリアのIPマルチキャストネットワークを用いた放送配信の高信頼化手法を検討した。その主な特徴は以下の通りである。

・付加装置をネットワーク両端のエッジルータ近傍に導入して放送配信を常時受信監視することで疎通断を高速に検出する。

・付加装置は断検出時のみ2種類の予備マルチキャストを受信し、ルータのマルチキャスト転送テーブルと整合を取りつつホストへ代理配信する。

・一方の予備マルチキャストには送信側で予め遅延を挿入する。これにより、付加装置で障害発生時点に遡って配信可能とする。

・キャリアネットワークの冗長構成を踏まえ、既存ルータの持つ機能のみで、障害点を回避した予備マルチキャスト木の構築が可能となる。

併せて、配信サーバのマルチキャスト送信タイミング平滑化のために、配信フォーマット非依存の送信制御手法を考案・実装した。実装システムによるHDTV品質の映像配信実験により、提案手法がトラヒックバーストを抑制しつつルータでのネットワーク障害検出・回復に伴う約27,500パケットの紛失を補償し、無瞬断でサービス提供できることを示した。関連研究動向としてはIETF MPLS WGで現在標準化が進められているP2MP MPLS TEやCisco社のdual stream技術等があるが、既設ノード実装変更の必要が無い点では提案手法が優れている。

第8章では、本研究の結論として以下を述べた。

・キャリアの視点から、ネットワーク内で高位プロトコル処理を行う付加装置を導入し、現状のIPネットワークで通信品質を段階的に改善する手法を提案した。

・応用例と高性能実装技術を確立することでその実用性を明らかにした。

提案手法は、既存インフラを変更することなくネットワークに機能を段階的に追加可能という特長により、常に品質向上・差別化を求められるキャリアにおいて重要性は益々高まると考える。また、今後の課題として以下を提示した。

・ユーザエッジ機器への適用を想定した実装技術と応用例の開発

・標準技術との効果的なインターワークや段階的な移行手法の確立

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「ネットワーク内処理によるパケット通信の高速・高信頼化に関する研究」と題し、現在のIPネットワークを構成する膨大な数のノードを一斉に変更することが困難であるとの認識に基づき、ネットワークを構築・運用する通信キャリアの視点で、ネットワーク内のボトルネック箇所に高度なパケット処理を行う付加装置を徐々に導入し、既設ノード実装を一切変更せず段階的にパケット通信の高速・高信頼化を実現する手法を述べその実用性を明らかにしている。本論文は、8章から構成されている.

第1章は「緒論」で、IPネットワークのインフラ化に伴いノードの置換や実装変更は益々困難となっている一方、ユーザが通信に期待するスループット・信頼性への要求は高まっている本研究の背景と概要を述べている。

第2章は「キャリアサービスにおけるパケット通信の高速化・高信頼化に向けた課題」と題し、IPネットワークの現状を俯瞰し、膨大な数となったホストの存在自身がIPネットワークの新機能展開を阻害している点を指摘し、 (1)既設ノードの実装を変更せず、(2)一部導入時も効果が得られ、(3)伝送媒体・ネットワーク構成に応じてフローを意識した制御が可能な手法の必要性を述べている。解決策としてネットワーク内に導入した付加装置により高位プロトコル処理を行う手法を提案し、その実現に向けた制約条件と課題を次のように整理した。(a)ネットワーク内でフローを意識した処理を行うため、設置場所をフロー数が少ないネットワークエッジ近傍に限定する。(b)上記制約の中で、適用対象を将来に亘って主要なアプリケーションであるTCP通信の高速化とIPマルチキャストの高信頼化に絞り具体的方式を確立する。(c)少数の装置からの段階的導入実現のため、汎用プラットフォームによるギガビットレート対応の実装技術を確立する。

第3章は「汎用プラットフォームによる付加装置高性能化の検討」と題し、ギガビットイーサネット普及を踏まえ、付加装置実現のコア技術であるパケットモニタの高性能化を検討し、PCとNICで構成された汎用プラットフォームで1Gbpsの処理が実現可能であることを示した。開発手法は、DMA転送機能を持つNICを対象にソフトウェアのみで実現し、(i)NICデバイスドライバとして動作し、DMA転送先を工夫することでCPUの介在無しに複数のヘッダを連続的にカーネルメモリ上へ抽出してメモリコピーを削減し、(ii) ヘッダ抽出と解析を複数PCで負荷分散するため、複数ヘッダ情報をUDPパケットにまとめて自身又は他PCへ転送する機能を持つ。1GHz×2 CPUのPCを抽出に用いた構成(他PCへ転送)で、インターネットを想定した384バイトフレームでのフルレート(約300Kパケット/秒)収集を約30%のCPU負荷で達成し大幅な性能向上が見られた。

第4章は「国際LAN巻接続によるTCP通信高速化の検討」と題し、応用例として国際LAN間接続の高速化を検討した。国際網広帯域化に伴い、TCPのフロー・再送・輻輳制御がボトルネックとなりスループットが劣化する問題が顕在化した。本研究ではこれにいち早く着目し、国際網に接続するLANエッジルータとしてTCPまでの処理を行う付加装置(TCPゲートウェイ)を設置する手法を提案した。主な特徴は、(i)ゲートウェイ間に伝送遅延に対して十分なウインドウサイズを持ち広域網に適したトランスポートプロトコルを導入し、TCPと本プロトコル間の変換を行ったこと、(ii)TCPコネクション確立・解放をホスト間でエンド・エンドに行う一方、送達確認やフロー制御を、ホスト・ゲートウェイ間、ゲートウェイ間、ゲートウェイ・ホスト間の3セグメントで独立、且つエンドホストからは透過的に提供したことにある。これにより既設ホストはゲートウェイの存在を意識せずにスループットが向上する。

第5章は「衛星インターネットアクセスを対象としたTCP通信高速化の検討」と題し、加入者毎に付加装置(ゲートウェイ)を展開・運用することが困難である場合、通信の殆どがサーバからのダウンロード(下り)方向であることに着目し、衛星アクセス回線のキャリア側にのみ付加装置を設置し、複数加入者に対して下り方向のスループットを向上する手法を提案した。本2セグメント手法の主な特徴は、(i)3セグメント手法と同様にデータパケット(DT)をTCP手順に従い予めサーバから引き出し、クライアントへ広告ウインドウを超え投機的にDTを先送りすること、(ii)DT紛失時の先送りDT大量破棄や帯域非対称性による上り回線輻輳を防ぐため、TCP-Vegasの輻輳制御を先送りと適合させたこと、(iii)クライアントが継続的なウインドウ閉塞状態であることを検知し、不要な先送りや付随する再送発生を防いでいることにある。本方式は、KDDIでの実用化に加え地方自治体向け衛星ネットワークの標準仕様として全国各地に導入され、ITU-Rでの標準化も完了している。対向側が既存TCPのため性能・機能面で制約があるが、スループットを8倍程度まで改善可能であり、加入者毎の装置設置が不要であるため導入・運用コストの面で実用的な手法である。

第6章は「非対称通信環境におけるTCP通信高速化の検討」と題し、衛星回線以外の1xEV-DOやADSL等上り・下り回線帯域が非対称な環境でのスループット向上のため、2セグメント手法に基づく手法を提案した。TCPはACK返送によりDT送信とは逆方向に帯域を消費するため、十分なスループットを得るにはACK帯域の削減も必要となる。そこで、キャリア側に設置した付加装置(プロキシ)で加入者ホスト向けに最大パケットサイズを強制的に拡大したDT(オーバサイズDT)を利用することで、ホストを変更すること無くACK数を削減する手法を提案した。実装評価の結果、検証した主要OS全ての正常動作を確認し、10MBのHTTPファイルダウンロードで最大3倍のスループット向上効果を確認した。

第7章は「IPマルチキャストによる放送配信の高信頼化の検討」と題し、別の応用例として、今後急速な普及が見込まれるキャリアのIPマルチキャストネットワークを用いた放送配信の高信頼化手法を検討した。その主な特徴は、(i)付加装置をネットワーク両端のエッジルータ近傍に導入して放送配信を常時受信監視させて疎通断を迅速に検出できるようにし、(ii)付加装置が断検出時のみ2種類の予備マルチキャストを受信し、ルータのマルチキャスト転送テーブルと整合を取りつつホストへ代理配信するようにしたこと、(iii)その中の一つの予備マルチキャストには送信側で予め遅延を挿入し、付加装置での障害発生時点に遡って配信可能としたこと、(iv)キャリアネットワークの冗長構成を踏まえ、既存ルータの持つ機能のみで、障害点を回避した予備マルチキャスト木の構築ができる配信フォーマット非依存の送信制御手法であることにある。競合研究のP2MP MPLS TE(IETF MPLS WG)やdual stream技術(Cisco社)と比べて、既設ノード実装変更の必要が無い点で優れ、HDTV品質の映像配信実験により、トラヒックバーストを抑制しつつルータでのネットワーク障害検出・回復に伴う約27,500パケットの紛失を補償し、無瞬断でサービス提供できることを示した。

最後の第8章は「総合結論」で、上記をまとめ、今後の課題として、(1)ユーザエッジ機器への適用を想定した実装技術と応用例の開発、および(2)標準技術との効果的なインターワークや段階的な移行手法の確立を挙げている。

以上のように、本論文は、ネットワーク内で高位プロトコル処理を行う付加装置を導入し、現状のIPネットワークで通信品質を段階的に改善する手法を提案し、応用例と高性能実装技術を確立することでその実用性を明らかにしている。提案手法は、既存インフラを変更することなくネットワークに機能を段階的に追加可能という特長があり、通信事業者において重要なだけでなく、電子情報学上貢献するところが少なくない。

よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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