学位論文要旨



No 216911
著者(漢字) 相川,拓也
著者(英字)
著者(カナ) アイカワ,タクヤ
標題(和) マツノザイセンチュウの病原力と伝播に関する生態学的研究
標題(洋)
報告番号 216911
報告番号 乙16911
学位授与日 2008.02.29
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16911号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 富樫,一巳
 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 教授 山田,利博
 東京大学 准教授 久保田,耕平
 東京大学 講師 松下,範久
内容要旨 要旨を表示する

マツノザイセンチュウはアカマツやクロマツの材線虫病の病原体であり,マツノマダラカミキリ成虫によって感染木から健全木へと伝播される。マツノザイセンチュウの病原力(マツを枯死させる能力)には大きな変異があることが知られている。アイソレイトの病原力は林分間だけでなく同一林分内でも著しく異なることも知られており,この事実は病原力の弱い個体群と強い個体群が同一林分内で共存していることを示唆している。しかし,弱病原力の個体群が強病原力の個体群によって駆逐されることなく生存できる仕組みは明らかにされていない。本研究では,その機構を解明するためにマツノザイセンチュウの伝播生態を,病原力の異なるアイソレイト間で比較した。そして,その結果からマツノザイセンチュウの病原力の異なる個体群が同一林分内で共存できる機構について考察した。

マツノマダラカミキリ成虫気管内でのマツノザイセンチュウの動き

マツノマダラカミキリ成虫気管内でのマツノザイセンチュウの行動を明らかにするために,日齢0,15,30,45または60のマツノマダラカミキリ成虫を解剖し,気管内で気管末端側と気門側を向いているマツノザイセンチュウを数えた。日齢0のマツノマダラカミキリ成虫では,大多数のマツノザイセンチュウが気管末端側を向いていた。気門側を向くマツノザイセンチュウを含む気管の割合は,日齢0のマツノマダラカミキリ成虫よりも日齢15,30または45の成虫で有意に高くなった。気門側を向くマツノザイセンチュウの割合は,マツノマダラカミキリ成虫の日齢とともに増加する傾向があり,日齢0の成虫よりも日齢45の成虫で有意に高くなった。これらの結果から,マツノザイセンチュウは気門から頭部を前に前進して気管内へ侵入し,気管内で体を反転させた後,再び前進して気門から脱出することが示唆された。

マツノザイセンチュウを人為的にマツノマダラカミキリ成虫に保持させる方法の確立

Maehara and Futai (1996)の方法を応用し,より簡易に既存のマツノザイセンチュウのアイソレイトをマツノマダラカミキリ成虫に保持させる方法を考案した。すなわち,樹皮の付いたアカマツ小丸太を加圧蒸気滅菌後,その小丸太へ青変菌(Ophiostoma minus),無菌化していないマツノマダラカミキリ終齢幼虫および強病原力アイソレイトS-10を接種した。その結果,約30,000頭のマツノザイセンチュウを保持したマツノマダラカミキリ成虫が得られた。既知の方法を簡易化した方法でも,マツノザイセンチュウを多く保持したマツノマダラカミキリ成虫を得られることが明らかになった。

マツノザイセンチュウの病原力とマツノマダラカミキリに対する発育反応

病原力の異なる2つのマツノザイセンチュウのアイソレイトを用いて,それらの増殖力,分散型幼虫(分散型第3期幼虫および分散型第4期幼虫)への発育能力およびマツノマダラカミキリ成虫への侵入能力を比較した。前述の方法を用いて,各アイソレイトをマツノマダラカミキリ成虫に保持させた。マツノマダラカミキリ成虫が脱出した時点での小丸太内の線虫密度は,弱病原力のアイソレイトで有意に低かった。また,マツノマダラカミキリ成虫が脱出するまでの間に,分散型幼虫に発育したマツノザイセンチュウの数も,病原力の強いアイソレイトより弱いアイソレイトで非常に少なかった。分散型幼虫へ発育した割合((分散型第3期幼虫数+分散型第4期幼虫数)/総線虫数),および分散型第4期幼虫へ発育した割合(分散型第4期幼虫数/分散型第3期幼虫数)もまた病原力の弱いアイソレイトで低かった。マツノマダラカミキリ成虫へ侵入した割合(初期保持線虫数/分散型第4期幼虫数)は2つのアイソレイト間で違いがなかったが,マツノマダラカミキリ成虫の初期保持線虫数は,病原力の弱いアイソレイトで極端に低くなった。弱病原力アイソレイトの初期保持線虫数が少ない原因として,増殖力が低いこと,そして分散型第3期幼虫と分散型第4期幼虫への発育能力が低いことが考えられた。

マツノマダラカミキリ成虫からのマツノザイセンチュウの離脱に及ぼすアカマツ揮発性成分の影響 ―病原力の異なる2つのアイソレイトを用いた実験―

病原力の異なる2アイソレイトを用いて,マツノザイセンチュウの離脱に与えるアカマツ揮発性成分の影響を調べた。前述の方法を用いて,人為的に両アイソレイトをマツノマダラカミキリ成虫に保持させた。マツノマダラカミキリ成虫には,揮発性成分を出す枝(無処理のアカマツ1年枝)または出さない枝(高圧蒸気滅菌処理したアカマツ1年枝)を餌として与え,日齢51に達するまで3日間隔でマツノマダラカミキリ成虫から離脱したマツノザイセンチュウ数を調査した。その結果,強病原力のアイソレイトでは,アカマツの揮発性成分によってマツノザイセンチュウの離脱がわずかに抑制される傾向が見られた。すなわち,初期保持線虫の半数が離脱するまでに要する日数は,無処理のアカマツ枝を与えたマツノマダラカミキリ成虫で長くなり,また,日齢51のマツノマダラカミキリ成虫の体内に残っているマツノザイセンチュウの割合も,無処理のアカマツ枝を与えた成虫で高くなった。一方,弱病原力のアイソレイトでは,初期保持線虫の半数が離脱するまでの日数と日齢51のマツノマダラカミキリ成虫体内に残っているマツノザイセンチュウの割合には,餌による違いは見られなかった。したがって,新鮮なアカマツ枝の揮発性成分は,強病原力のマツノザイセンチュウに対してのみ離脱を抑制する効果があることが示唆された。

マツノザイセンチュウの病原力と媒介昆虫からの離脱率の関係

病原力の異なるマツノザイセンチュウの7アイソレイトを用いて,マツノマダラカミキリ成虫からの離脱率(離脱線虫数/初期保持線虫数)を調査した。各アイソレイトを人為的にマツノマダラカミキリ成虫に保持させ,日齢60に達するまで3日間隔でマツノマダラカミキリ成虫から離脱したマツノザイセンチュウを計数した。マツノマダラカミキリ成虫の初期保持線虫数は,病原力の弱いアイソレイトほど少ない傾向があったが,マツノマダラカミキリ成虫の寿命は逆に長い傾向があった。この結果から,弱病原力のマツノザイセンチュウは媒介昆虫の寿命に影響を与えない程度の数が成虫体内に侵入することによって,成虫を長期間媒介者として利用できる可能性が示唆された。また,マツノザイセンチュウの離脱のピークの時期は,弱病原力のアイソレイトの場合に遅くなることが示された。このピークの遅れは,マツノマダラカミキリ成虫の産卵痕を経由して衰弱木あるいは枯死木へ伝播される場合に有利であると考えられる。そのため,このことは弱病原力のマツノザイセンチュウの特性であると推測された。マツノザイセンチュウの離脱率は病原力が弱くなるにつれて高くなる傾向が見られたことから,弱病原力のマツノザイセンチュウは媒介昆虫に侵入した個体が高い割合で昆虫体から離脱することによって,新たな宿主へ侵入する割合を高めていることが示唆された。

マツノザイセンチュウの最適病原力の推定

病原体の病原力と伝播力との間にtrade-offが成立している場合,病原体の病原力は中程度の病原力(病原体の基本繁殖率が最大になる病原力)で安定することが数理モデルを使った理論的研究により示されている。マツノザイセンチュウの場合,伝播率は初期保持線虫数×離脱率×樹体侵入率に比例すると考えられる。ここでは,先の実験で得られた初期保持線虫数×離脱率の値を相対値で表し,それを伝播率とみなした。マツノザイセンチュウの病原力と伝播率の間の関係式を,マツノザイセンチュウに感染した枯死木数(マツノザイセンチュウにおける基本繁殖率と考える)の動態を表す数理モデル(富樫,1996)に当てはめ,マツノザイセンチュウの基本繁殖率が最大となる病原力,すなわちマツノザイセンチュウの最適病原力を推測した。その結果,マツノザイセンチュウの病原力が強くなるほど枯死木数,すなわちマツノザイセンチュウの基本繁殖率が高くなることが示された。したがって,マツノザイセンチュウの病原力は高くなる方向へ進化することが示唆された。しかしながら,マツノザイセンチュウの真の最適病原力を推定するには,マツノザイセンチュウが離脱した後のマツ樹体内への侵入率と病原力との関係を明らかにする必要があると考えられた。

総合考察

本研究では,病原力の異なるマツノザイセンチュウのアイソレイト間の伝播生態を比較した。病原力の弱いマツノザイセンチュウのアイソレイトの主な特性として,1)マツ樹体内での増殖力が低い,2)分散型幼虫への発育能力が低い,3)媒介昆虫へ侵入する個体数が少ない,4)媒介昆虫の寿命に影響を与えない,5)離脱のピークが遅い,6)媒介昆虫からの離脱率が高いなどが示された。これらの結果は,病原力の弱いマツノザイセンチュウ個体群は病原力の強い個体群よりも,媒介昆虫から離脱できる割合が高く,かつ産卵痕経由で衰弱木あるいは新しい枯死木に伝播される機会を多く得ていることを示唆している。弱病原力のマツノザイセンチュウはこのような伝播の特性を活かして,強病原力のマツノザイセンチュウと同一林分内で共存しているものと推測された。

審査要旨 要旨を表示する

マツノザイセンチュウはマツノマダラカミキリ成虫の気管の中に入り,アカマツやクロマツに運ばれ,それらに急性萎凋病を引き起こす。この線虫は1900年代初めに北米から日本に侵入し,現在では北海道と青森県を除く日本全国で松枯れを引き起こしている。マツノザイセンチュウの病原力(マツを枯死させる能力)には大きな変異があり,林分間だけでなく同一林分内でも著しく異なる。この事実は病原力の弱い個体群と強い個体群が同一林分内で共存していることを示唆している。しかし,弱病原力の個体群が強病原力の個体群によって駆逐されることなく生存できる仕組みは明らかにされていない。本論文では,その機構を解明するために病原線虫の伝播生態を,病原力の異なるアイソレイト間で比較し,その結果から病原力の異なる病原線虫個体群が同一林分内で共存できる機構について考察している。

本論文は8章から構成されている。第1章は序論であり,日本におけるマツノザイセンチュウの侵入とその被害の歴史をまとめ,病原線虫,媒介昆虫,宿主のマツの相互関係を概説している。

第2章では,媒介昆虫の気管内での病原線虫の行動を明らかにするために,日齢の異なる媒介昆虫を解剖して,気管内で気管末端側と気門側を向いている線虫を数え,病原線虫は気門から頭部を前に前進して気管内へ侵入し,気管内で体を反転させた後,再び前進して気門から脱出することを示唆している。

第3章では,任意の病原力を持つ病原線虫をマツノマダラカミキリ成虫に保持させるために,アカマツ小丸太,青変菌(Ophiostoma minus),マツノマダラカミキリ終齢幼虫および病原線虫を用いて,実験室で線虫を保持させる方法を確立した。本論文では,この方法を用いて病原力の異なる病原線虫の生理生態的性質の比較と解析をおこなっている。

第4章では,病原力の異なる2つの病原線虫アイソレイトを用いて,木の中での増殖力,伝播に関わる分散型幼虫(分散型第3期と第4期幼虫)への発育能力および媒介昆虫体内への侵入能力を比較している。その結果,媒介昆虫の成虫が脱出した時,弱病原力の材内線虫密度は有意に低いこと,媒介昆虫へ侵入した割合(媒介昆虫の初期保持線虫数/分散型第4期幼虫数)はアイソレイト間で違いがないが,媒介昆虫の初期保持線虫数は弱病原力のアイソレイトでは極めて少ないことを示した。初期保持線虫数の少ない原因として,材内での低い増殖力と分散型第3期と第4期幼虫への発育能力の低いことを明らかにした。

第5章では,病原力の異なる2アイソレイト,無処理と高圧蒸気滅菌処理したアカマツ1年枝を用いて,病原線虫の離脱に与えるアカマツ揮発性成分の影響を調べた。その結果,新鮮なアカマツ枝の揮発性成分は,強病原力の病原線虫に対してのみ媒介昆虫からの離脱抑制効果のあることが示されている。

第6章では,病原力の異なる7病原線虫アイソレイトを用いて,病原力と伝播の構成要素の間の関係を実験的に調べている。その結果,病原線虫の病原力が弱くなるほど,媒介昆虫の寿命は長く,媒介昆虫の初期保持線虫数は少なく,病原線虫の離脱のピーク時期は遅く,病原線虫の離脱率(離脱線虫数/初期保持線虫数)は高くなることが初めて明らかにされた。これらのことから,弱病原力の病原線虫は,媒介昆虫の性成熟後に媒介昆虫の産卵痕を経由して新しい宿主に伝播されやすく,そのため媒介昆虫に侵入した個体が高い割合で新たな宿主へ侵入する確率を高めていることが示されている。

第7章では,第6章で得られた病原線虫の病原力と伝播率(初期保持線虫数×離脱率の値の相対値)の関係と数学モデルを用いて,最適病原力を推定している。その結果,病原力が強くなるほど病原線虫の基本繁殖率が高くなることが示され,病原力は高くなる方向へ進化することが示唆されている。

第8章は総合考察であり,増殖力,分散型幼虫への発育,初期保持線虫数,媒介昆虫の寿命に及ぼす影響,離脱のピーク時期,および媒介昆虫からの離脱率を強病原力と弱病原力の病原線虫の間で比較した後,弱病原力の病原線虫は媒介昆虫から高い割合で離脱し,産卵痕経由で宿主に伝播される機会が多いことを指摘している。そして,このような特性によって弱病原力と強病原力の病原線虫が同一林分内で共存していると推測している。

本論文は,材線虫病における病原線虫の病原力と伝播力の関係を初めて明らかにしたものである。さらに,その結果を利用して,弱病原力と強病原力の病原線虫の共存機構を推論している。本論文の成果は,病原線虫の弱病原化による材線虫病防除戦略を形成する上で大きな寄与を果たすと考えられる。このように,本論文は学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位に授与するにふさわしいと判断した。

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