学位論文要旨



No 216919
著者(漢字) 中川,淳
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,ジュン
標題(和) グアテマラ共和国中央・北部におけるシャーガス病媒介虫の地理的分布
標題(洋) 「Geographical characterization of the triatomine infestation in north-central Guatemala」
報告番号 216919
報告番号 乙16919
学位授与日 2008.03.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第16919号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 准教授 黒岩,宙司
 東京大学 准教授 梅崎,昌裕
 東京大学 講師 グリーン,ジョセフ
内容要旨 要旨を表示する

はじめに・研究目的

シャーガス病は原虫Trypanosoma cruziによって引きおこされ、吸血性昆虫であるサシガメを介して感染する。シャーガス病の罹患地域は中南米で、慢性化すると心臓疾患等を惹き起こす社会経済コストが高い疾病である。T. cruziの伝播の中断はピレスロイド系殺虫剤の屋内残留噴霧を通したサシガメ対策により可能であり、南米のブラジル等ではWHOと連携した対策を通して感染中断が認定されている。 中米では輸入種であるRhodnius prolixusの消滅と在来種であるTriatoma dimidiataの屋内生息率の減少が基本対策である。R. prolixusはその高い原虫保有率と生息密度から、T. dimidiataよりも重要な媒介虫であるが、中米では外来種であり藁葺等の植物性の建材の家屋内にしか生息しない。一方主に土壁を有する家屋に生息するT. dimidiataは屋内外および野生に生息するため同種の消滅は不可能であるが生息率減少は可能である。

サシガメ対策ではサシガメの地理的分布の把握が重要である。R. prolixusとT. dimidiataは主に土壁や藁葺き屋根の家屋(リスク家屋)に生息することから、サシガメ分布調査ではコンクリートや木造家屋等の低リスク家屋を除外しリスク家屋を対象としたMan-hour surveyがもっとも効率的な手法としてしばし活用されている。

グアテマラで1999年に田原らは県単位のサシガメ生息家屋率を計る調査を実施し、サシガメは東・中部に多く生息し、T. dimidiataはR. prolixusよりも全国に広範囲で生息することが確認された。

サシガメの屋内生息率は標高や貧困度等の因子と関係があることが知られており、グアテマラでの調査ではサシガメの89%が800-1600mの間で捕獲された。またリスク家屋は貧困層の住居が多いことからサシガメ分布は貧困とも関係があるといわれている。本稿の目的はサシガメ対策のために高リスク地域を階層化するための基礎情報を提供することである。そのためにサシガメ駆除活動の開始前に4県におけるサシガメ生息家屋率を市単位で調査し、その生息率の地理的な傾向の把握を行った。

研究方法

調査対象の4県(Alta Verapaz, Baja Verapaz, El Progreso, El Quiche)の47市のうち43市の農村地域の村落で調査を行った。43市の農村地域の2871村落のうち土壁や藁葺き屋根を有する家屋の割合が50%以上ある2012村落をリスク村落と定義し、調査対象とした。家屋調査は、各村落の土壁および藁葺き屋根の家屋の60%以上で行うことを目指した。調査は研修を受けた各県の厚生省県事務所のサシガメ対策作業員40名が実施した。調査手法は、Man-hour method (調査手法の訓練を受けた者が平均30分かけて1家屋の屋内と屋外(鳥小屋やトイレ)を調査する)を用いた。 調査にはWHOの指標を用い、(ア) サシガメが生息する村落の割合(生息村落率)、(イ) サシガメが生息する家屋の割合(生息家屋率)、(ウ) サシガメが発見された家屋あたりの捕獲数(生息密度)、サシガメが発見された家屋における若虫が発見された家屋の割合を市レベルで計算し、サシガメの種毎に市と県の単位で集計した。 家屋内のサシガメ分布状況を把握するために、生息家屋率は屋内と屋外(屋外の鳥小屋等の建造物)毎に集計した。広域に分布が予測されるT. dimidiataにおいては地理的分布を把握するために、各指標を市単位の濃淡模様で地図に表した。次に、サシガメ(T. dimidiata)生息率に関連する可能性がある、標高、土壁の家屋率、人口密度、貧困度(貧困人口の割合)の4因子とサシガメ屋内生息率との関連性を、分布図および地図を使って調査した。最後に本調査とほぼ同時期のBaja Verapaz県でCordon-Rosalezが実施したサシガメ生息分布の標本調査結果と本調査の市毎のInfestation indexを比較し、その相関を計算した。

調査結果

調査は目標村落の89.2%にあたる1794村の62.7%にあたる58,107家屋で実施された。T. dimidiataは対象地域の全市に分布し、38.6%の村落、6.6%の家屋で捕獲された。T. dimidiataの大半は屋内で捕獲された。生息密度は平均3.3で、最高が15.8であった。 対象県毎の地理的なT. dimidiataの分布の特徴も明らかになった。Alta Verapaz県の生息家屋率と若虫生息率は比較的低かった。Baja Verapaz, El Quiche県は屋内外でT.dimidiataが捕獲された。 El Progresoでは屋内のみで分布が確認された。対象地域伝対では南部でT. dimidiataの生息家屋率は屋内外共に高く若虫の割合も高く、屋外生息家屋率は南西部において高かった。

T. dimidiata屋内生息率と他の因子との比較では、土壁の割合および標高と関連性が見られた。標高が1001-1200mの市で生息家屋率が最も高く、1201m以上の市では標高が上がるにつれ生息家屋率が減少した。標高400m以下の市では屋内生息率が平均以上ある市が見られた。土壁の割合が20%以下の市では標高に関わらず屋内生息率が5%以下であったが、土壁の割合が20%を越えると屋内生息率が20%近い市が見られた。人口密度および貧困度と屋内生息率の間には相関は見られなかった。

R. prolixus, T. nitida, T. ryckmaniの生息家屋率はT. dimidiataと比較すると低く、地理的な分布も限られていた。本調査とCodron-Rosalesの標本調査の市別生息家屋数の間の相関係数は0.82であった。

考察・まとめ

本研究の複数の因子を考慮した分析および屋内・外を区別した生息率測定によってT. dimidiataの地理的分布状況が明らかになった。T. dimidiataの分布は土壁家屋の割合と関連があることが確認された。標高が1200mを越えると屋内生息率は減少した理由は恐らくサシガメが亜熱帯に生息する昆虫であるからであろう。土壁の割合が20%以下の村落での屋内生息率は5%未満であったがこれらの村落では土壁家屋が分散しているためサシガメの移動や侵入が起こりにくかったのではないか。複数の因子分析から土壁家屋の割合が20%以上かつ標高1400m以下に存在する市はサシガメ生息のリスクが高い可能性があるといえよう。

屋内生息率が高かった南東部と南西部を比較すると南東部では屋外生息率がほとんど見られなかった理由はサシガメの野生群の分布の違いではないか。南東部は乾燥地域でサシガメの吸血源であるオポッサム等の動物の生息場所が限られ、サシガメの野生群の生息数も低い可能性がある。 今後は異なる地域から捕獲されたT. dmidiataのDNA分析や外形計測分析による地理的分布の比較研究が有効であろう。

貧困度および人口密度とT. dimidiata屋内生息率の間に相関が見られなかった理由は、土壁家屋率と標高がより強い要因であったからと思われる。人口密度は都市人口を反映するため、農村地域に多くみられるサシガメとの相関を見るには不適切な因子であった

対象地域においてR. prolixusとT. dimidiataの生息家屋率を減少することは可能であろう。対象地域では南部のJutiapa県のような高い生息家屋率 (県平均18.3%)は記録されなかった。 Alta Verapaz,およびEl Quiche県の生息家屋率は田原らが1999年に実施した調査と比較すると大幅に低かった。 1999年から2002年にかけて駆除活動は実施されていないことから、この差は、田原らの調査家屋数が少ないこと(田原らは356家屋を調査)からきていると思われる。Jutiapa県で実施された駆除ではR. prolixusとT. dimidiataの生息率は大幅に減少しており同様の効果が本研究対象地域でも期待できる。

T. dimidiataの分布は均一でないことから、感染のリスクが高い地域を階層化して、費用対効果が高い駆除方法をすることが有意義であろう。Baja Verapaz県やEl Quiche県のように屋内外にサシガメが生息する場合は殺虫剤散布活動とサシガメに対するサーベイランス活動を組み合わせることが重要であり、El Progreso県においてはT. dimidiataの生息家屋率減少を目的とすべきである。 殺虫剤散布後のサシガメの屋内への再侵入を予防するためにも効果的なサーベイランス活動は重要である。T. dimidiataの屋内生息率が本研究対象地域のように低い場合、サーベイランス活動への住民参加が重要である。

他因子とT. dimidiata屋内生息率との関係性の詳細については村落レベルでの分析、植生等の因子等との更なる研究が有効であろう。本調査では都市は対象となっていなかったがホンジュラスのテグシガルパ市等の都市ではT. dimidiataの生息が確認されているため、都市地域でも同種生息の監視は重要である。屋内で捕獲されたT. ryckmaniがシャーガス病を媒介するリスクに関しても更なる研究が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、グアテマラ中央・東部でのサシガメ対策のために高リスク地域を階層化するための基礎情報を提供することであった。そのためにサシガメ駆除活動の開始前に4県におけるサシガメ生息家屋率を市単位で調査し、その生息率の地理的な傾向の把握を行っている。その結果、下記の結果を得ている。

1.撲滅対象のRhodnius prolixus種の分布は限られ、在来種のTriatoma dimidiataは広く分布していることが確認された。

2.WHOの屋内と屋外の定義をシャーガス病対策の観点から定義しなおしたことで屋外と屋内のサシガメ分布の違いを明確に解析することができた。これは駆除対策との効率とも関連する可能性がある重要な結果である。

3.土壁という家屋構造がサシガメ生息のリスク因子となることは認識されていたがこれを根拠あるデータで示すことができた。特に土壁率が20%を超えるとinfestation rateが高い村落がでてくる点は重要である。

4.高度と家屋構造を同時にT. dimidiataの屋内生息率と関連づけて分析をすることで、複数の要因が同時に屋内生息家屋率にどう寄与しているのか評価ができた。

以上、本論文はグアテマラ中部、北部におけるシャーガス病媒介虫の地理的分布を明らかにし、今後のシャーガス病媒介虫対策の戦略策定等に寄与すると考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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