学位論文要旨



No 216923
著者(漢字) 清水,千弘
著者(英字) Shimizu,Chihiro
著者(カナ) シミズ,チヒロ
標題(和) 不動産市場の情報不完全性と価格形成要因に関する研究
標題(洋)
報告番号 216923
報告番号 乙16923
学位授与日 2008.03.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 第16923号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 教授 岡部,篤行
 東京大学 教授 田渕,隆俊
 東京大学 教授 高橋,孝明
 東京大学 准教授 河端,瑞貴
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,ヘドニック・アプローチを用いて,わが国の不動産市場における情報不完全性と価格形成要因の解明を試みたものである.第1章において経済理論的な枠組みとわが国の不動産関連情報の整備状況を整理し,東京都区部を対象として実証分析を実施した.一連の分析を通じて,以下のことが明らかになった.

1.地価の形成要因と地価情報の歪み

先のバブル期に,実際の取引価格ベースでどの程度の価格変動があったのかといったことは自明ではなかった.第2章では,取引価格を用いたヘドニック型価格指数を推定することで,この問題を明らかにした.東京都区部都心区(千代田・中央・港)の商業地指数および東京都世田谷区の住宅地指数ともに,1986年から1987年にかけてピークを一旦迎え,その後,下落に転じ1990年に二度目のピークを迎えていた.その上昇率を観察すると,商業地価格では, 1975年第一四半期を1とすると,バブル経済期のもっとも高い水準になっていた1987年の第二四半期には,16.68倍までに達していた.さらに,バブル崩壊を経て,1999年の第二四半期においては, 1975年第一四半期を1とすると1.90の水準にあり,バブルに突入する直前の1982年末の水準(2.31)を下回ると共に,バブルのピーク時の約九分の一まで下落した.住宅地価格では, 1975年第一四半期を1とすると,バブル経済期のもっとも高い水準になっていた1987年の第四四半期には,商業地のピークから半年程度遅れ,その水準は,10.37倍までに至っていた.バブル崩壊を経て,1999年の第二四半期には,バブルのピーク時の約三分の一まで下落した.

地価形成構造の変化を観察すると,商業地モデルでは,バブル期からバブル後にかけての大規模開発の影響を受けて,開発規模に対して影響を与える地積や前面道路幅員が価格に対して正の影響として強く効いていた.住宅地モデルでは,地積に対する交差項(CrosTerm Effect)を加味すると, バブル前・バブル期・バブル後で(-)→(+)→(-)へと符号が変化していた.このことは,ヘドニック関数の推定上で,きわめて重要な問題となりうる.このことからも,価格構造の変化を考慮したヘドニック関数の推定の重要性が明確になる.

続いて,第3章では,第2章で推定された取引事例インデックスを出発点として,日本を代表する地価情報である公示地価の正確度を検証した.分析を通じて,以下の点が明らかにされた.

取引事例インデックスと公示地価インデックスを比較したところ,特に商業地系列では「バブル経済」発生期において公示地価インデックスが取引事例インデックスにラグをもって上昇していく過程が確認された(図1).さらに,推定された各関数を用いて評価率として鑑定誤差(Valuation Error)の程度(Magnitude)を検証したところ,都心3区商業地の評価率は,1975年当時8割程度(80.84%)であったものが,1981年にかけて5割弱(46.40%)まで低下し,その後,1982年および1983年にかけて急速に評価率を引き上げており7割弱の水準(69.55%)に引き戻した.バブル崩壊期には1993年に,一気に評価率が100%の水準を越え(104.24%),1999年時点では,公示地価が取引価格より20%程度高い水準にあったことが明らかにされた.

住宅地については,1975年当時,世田谷区住宅地では9割強の水準であったものの(92.85%),1980年にかけて6割程度の水準まで低下し,その後,商業地とほぼ同様に,1983年にかけて評価率が上昇した.バブル期には8割弱の水準にあったが(1986年で78.44%),バブル崩壊期には1992年に大きく評価率が高まり,1998年から1999年にかけて公示地価の評価率が高まっている(1999年で115.55%)ことが明らかにされた.

2.不動産市場の非効率性

第4章では,東京都区部の中古マンション市場を対象として,売り手・買い手双方に潜む社会的コストの推計を行った.第4章の分析を通じて,次の点が明らかになった.

「売り手」のコストは機会費用モデルの枠組みで,売り手のコストについてはサーチ理論を応用して推計を行った.「売り手」サイドでは,完全情報となり市場滞留時間が0になった場合には,市場に売りに出されている物件の帰属純賃料に対して,約定平均金利換算で10.58%,粗賃料換算で31.28%,純賃料換算で22.59%に相当する利益が発生することが分かった.「買い手」サイドには,1物件の取引あたり探索費用として1,042,000円が発生していることがわかり,それは物件購入者の平均世帯主年収の13.2%に相当することが分かった.

現在,良質な中古住宅ストックの形成が政策目標に掲げられているが,そのためには不動産流通市場の活性化と効率化が望まれる.そのためには,「売り手」サイドの空室の機会費用削減とともに,「買い手」サイドでは物件を探索するための機会費用を削減することが求められるが,そのためには,情報開示にともなう価格の透明性の確保とともに,物件の品質調整済価格を適正に評価できる情報整備が必要とされていることがわかった.

3.住宅価格構造の非線形性と時間的変化

3.1.非線形性

住宅の価格構造を分析した多くの先行研究では,線形モデルとして推定されている.しかし,現実の住宅市場は,異なる選好(効用関数)を有する家計群が異なる需要関数を有する(値を付ける)こと,異なる技術を有するland developer群が異なる供給関数を有する(値をオファーする)ことによって,非線形になるものと考えられる.そこで,第5章では「住宅価格構造の非線形性」として,非線形モデルを設定し,計量モデルとして推定した.具体的には,ノンパラメトリックなモデルである連続量ダミーモデルと(DmM)と,AICを評価指標としたSwitching Regression Model(SWR),そして一般化加法モデル(GAM)の3つのモデルによって推定した.推定結果を見ると,線形モデルとDmM, SWR, GAMを比較したところ,DmM, SWR, GAMともに説明力が向上するだけでなく,ほぼ同様な非線形性を推計されることが分かった.つまり,線形モデルとして推計してしまうと,大きな推定誤差をもたらされる領域が存在していることが分かった.

3.2.時間的変化と価格指数

ヘドニック型の不動産価格指数の推計する方法としては,市場構造が時間的に変化しないという仮定に基づく構造制約型モデル(RHI)と構造変化を認める構造非制約型モデル(NRHI)がある.長期指数として推定する場合には,第2章の分析でも明らかになったように,市場構造の変化を前提とすべきである.しかし,NRHIを月次単位で推計した場合には,回帰係数が期ごとにあるいは数期ごとに乱高下することが分かった.そして,その動きは,短い期間では乱高下するものの,長期的には一定の傾向を持つことが観察された.また,乱高下の理由としては,住宅市場には季節変動特性があり,時期によって取引が活発化したり縮小したりしていることによるサンプルセレクションバイアスの影響が強く出ていることが予想された.そこで,市場構造の変化とあわせて,季節変動特性を中心とした期毎に取引されたサンプルに存在する偏りを解消するために, 重複期間型価格指数(Overlapping Period Hedonic Model:OPHM)を提案した.OPHMとは,あたかも移動平均を求めるのと同様に,一定の期間長 (重複期間:τ)を推定期間にとり,その期間を移動させながらモデルを推定する方法である.このように提案されたOPHM(τ=12ヶ月)とNHI・NRHIを比較すると,特に価格変動の大きい時期であった1986年から1990年にかけては,大きな構造変化が発生していたことが予想され,その構造変化に対してRHIでは対応できないために, NRHIおよびOPHM(τ=12ヶ月)と大きく乖離したことが予想された.また,NPHMでは,回帰係数同様に指数が大きく変動してしまい,その変動の大きさは,現実の価格の変化からは予想できない大きさであった.このような分析から,市場の構造変化と季節変動特性に配慮して指数を推定するためには,OPHM(τ=12ヶ月)で推計することの優位性が示された(図2).

4.残された課題

以上の一連の分析によって,多くのことが明らかにされたが,いくつかの重要な問題を残した.

残された課題のうち,もっとも大きな問題は,ヘドニック関数の推定における「識別と一致性に関する問題」と「観測できない変数の存在の問題」である.ヘドニック・モデルでは,市場価格関数として推定されているが,付け値関数を直接に推計することができれば,経済政策・公共政策・都市政策のさまざまな分野への応用が可能となる.所得や個人属性に関するデータがない場合には,付け値ではなく市場価格関数を推定している.さらに,観察できない地理的差異があり,ヘドニック・モデルの攪乱項とそのような観察できない地理的差異が相関している場合には,推定値にも悪影響を及ぼす.

第7章では,これらの問題への対応可能性を示すとともに,今後の課題を整理した.

図1.取引事例インデックスと公示地価インデックスの比較/東京都心区・商業地

図2.構造制約型(RHI)・構造非制約型(NRHI)・重複期間型(OPHM)指数の比較:1986/01~2006/10

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、ヘドニック・アプローチを用いて、わが国の不動産市場における情報不完全性と価格形成要因の解明を試みたものである。

第1章において経済理論的な枠組みとわが国の不動産関連情報の整備状況を整理した。

先のバブル期に、実際の取引価格ベースでどの程度の価格変動があったのかといったことは自明ではなかった。第2章では、取引価格を用いたヘドニック価格指数を推定することで、この問題を明らかにした。推計結果を見ると、東京都都心区(千代田区・中央区・港区)の商業地および世田谷区の住宅地ともに、1986年から1987年にかけてピークを一旦迎え、その後、下落に転じ1990年に二度目のピークを迎えた。その上昇率を観察すると、商業地価格では、1975年第一四半期を1とすると、もっとも高い水準になっていた1987年の第二四半期には、16.68倍までに達していた。地価形成構造の変化を観察すると、商業地モデルでは、バブル期には開発規模に対して影響を与える地積や前面道路幅員が価格に対して正の影響として強く効いていた。住宅地モデルでは、地積に対する交差項を加味すると、バブル前・バブル期・バブル後で符号が変化していた。これは、ヘドニック関数の推定上で、きわめて重要な問題となりうる重要な発見である。

続いて、第3章では、第2章で推定された取引事例インデックスを出発点として、公示地価の正確度を検証した。分析を通じて、以下の点が明らかになった。取引価格インデックスと公示地価インデックスを比較したところ、商業地系列では「バブル経済」発生期において公示地価が取引価格にラグをもって上昇していく過程が確認された。また、推定された各関数を用いて評価率として鑑定誤差の程度を検証したところ、都心3区商業地の評価率は、1975年当時8割程度(80.84%)であったものが、1981年にかけて5割弱まで低下し、その後、1982年および1983年にかけて急速に評価率を引き上げた(69.55%)。バブル崩壊期には1993年に、一気に評価率が100%の水準を越え、1999年時点では、公示地価が取引価格より20%程度高い水準にあったことが明らかになった。

第4章では、東京都区部の中古マンション市場を対象として、売り手・買い手双方に潜む社会的コストの推計を行った。「売り手」のコストは機会費用モデルの枠組みで、売り手のコストについてはサーチ理論を応用して推計した。「売り手」サイドでは、完全情報となり市場滞留時間が0になった場合には、市場に売りに出されている物件の帰属純賃料に対して22.59%に相当する利益が発生することが分かった。「買い手」サイドには、1物件の取引あたり探索費用として1,042,000円が発生していることがわかり、それは物件購入者の平均世帯主年収の13.2%に相当することが分かった。直接に非効率性による社会的費用を算出した初めての分析である。

住宅の価格構造を分析した多くの先行研究では、線形モデルとして推定されている。しかし、現実の住宅市場は、非線形になるものと考えられる。そこで、第5章では「住宅価格構造の非線形性」として、非線形モデルを設定し、計量モデルとして推定した。具体的には、ノンパラメトリックなモデルである連続量ダミーモデルと(DmM)と、AICを評価指標としたSwitching Regression Model(SWR)、そして一般化加法モデル(GAM)の3つのモデルによって推定した。推定結果を見ると、線形モデルとDmM、SWR、GAMを比較したところ、DmM、SWR、GAMともに説明力が向上するだけでなく、ほぼ同様な非線形性を推計されることが分かった。

住宅価格特性は、時間と共に変化していくことが考えられる。また、わが国の住宅取引は、季節性を持つことが予想される。そこで、第6章では住宅市場の時間的な変化と季節変動特性を考慮したヘドニック価格指数の推計方法を提案した。具体的には、重複期間型価格指数(OPHM)を提案した。OPHMとは、あたかも移動平均を求めるのと同様に、一定の期間長(重複期間)を推定期間にとり、その期間を移動させながらモデルを推定する方法である。このモデルは実務でも広範に活用できる貴重なモデルとなっている。

第7章では、論文で得られた知見をまとめ、今後の課題を整理した。

なお、本論文には、西村清彦、浅見泰司、唐渡広志、高辻秀興、小野宏哉との共同研究で含まれているが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上、本論文は、独創性の高く、学術的な価値の高い不動産市場分析となっている。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/38191