学位論文要旨



No 216924
著者(漢字) 森,肇志
著者(英字)
著者(カナ) モリ,タダシ
標題(和) 自衛権の基層 : 19世紀中葉から国際連合憲章制定までの歴史的展開
標題(洋)
報告番号 216924
報告番号 乙16924
学位授与日 2008.03.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第16924号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 小寺,彰
 東京大学 教授 岩澤,雄司
 東京大学 教授 荒木,尚志
 東京大学 教授 石川,健治
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、現代国際法上の自衛権に関する議論の「混乱」を解きほぐし、その現在を論ずる基盤を得るために、19世紀中葉から国際連合憲章制定までの自衛権概念の歴史的展開を明らかにしようとするものである。

国際法上「個別的および集団的自衛権(国際連合憲章第51条)」が何を意味するか、という点は、国際法における武力行使の法的規制に関するもっとも重要な問題の一つとされるが、いまだ十分解明されているわけではない。この問題は、自衛権の発動要件が憲章第51条に規定される「武力攻撃の発生」の場合に限られるかという問題を中心とするが、それに留まるものではない。自衛権の起源をどの時期に求めるかに関する見解の相違に象徴されるように、そもそも自衛権とはなにか、について、「大きな混乱」が見られるのである。2001年9月11日の米国同時多発テロに対する米国を中心としたいわゆる「報復攻撃」が国際法上正当化されるか否かに関して見解が分かれている背景にも、こうした自衛権概念を巡る混乱が見出される。

こうした混乱は、国連憲章制定以前に存在した自衛権の内容と、その憲章との関係とをどのように理解するかが定まっていないことの反映である。この点は、「現代国際法における自衛権に関するもっとも重要な問題」とまで言われるが、これは、この点をどのように理解するかということが、現代国際法において自衛権によって正当化される国家の武力行使の範囲および性格に関する各々の学説の前提となっているからに他ならない。また、近年国連憲章の「死」あるいは「変化」を主張する見解は多いが、憲章制定以降の変化の有無を検討する上でも、憲章制定時の自衛権に関する理解が出発点となることは言うまでもない。憲章制定時の自衛権概念を論ずる意義はここにある。しかし、国内外を問わず、従来の研究においては、この問題を研究することの重要性はしばしば指摘されながら、それが十分になされてきたとは言いがたい。

こうした自衛権概念の歴史的展開に対する関心の欠如は、近年に固有の現象ではない。1960年代半ば以降、自衛権の歴史的展開、すなわち国連憲章制定過程ならびにそれ以前の展開に関する綿密な考察はなされていない。1960年代初頭にこの点に関して議論がなされた結果、それ以降、この点に関して検討すべきことは残されていないと考えられてきたかのようである。

しかし、とりわけ国連憲章制定過程に関して、1960年代半ば以降多くの関連する外交文書が公開されてきている。それらには、国連憲章が制定された1945年のサンフランシスコ会議における交渉に関する様々な記録なども含まれている。これらはこれまでのところ十分に検討されていないが、憲章の関連規定の形成過程について、新たな視角を与えるものである。さらには、伝統的議論枠組および自衛権概念の歴史的展開の再検討を通じて本稿が示す新たな視点は、これまで多くの論者によって参照されてきた素材にも、新たな光を与えるものとなろう。本稿は、こうした観点から自衛権概念の歴史的展開を再構成し、国連憲章制定以降の展開を考察するための基盤を示そうとするものである。

本稿は、序論と結論に加え、3部構成、6章からなる。

序論は問題意識を整理する。

第1部は視座を定めるものであり、従来の議論枠組の構造を明らかにした上で(第1章)、自衛権の古典的先例と呼ばれる-ことのある-Caroline事件の評価を巡る分裂を手がかりに、諸学説における自衛権概念の相違とその意味を指摘する。そこでは、第一次世界大戦以前に存在した自衛権概念と、戦間期に確立した自衛権概念との関係について、詳細に検討する必要が導かれる(第2章)。

第2部は、そうした観点から、第一次世界大戦以前の自衛権概念(第3章)と、戦間期に確立した自衛権概念(第4章)を、それぞれ、各国の公文書館に所蔵されている資料までも含めてリサーチし、明らかにする。

第3部は、そうした2つの概念の存在を踏まえて国連憲章制定時点における自衛権概念がどのようなものだったかを明らかにする。まず戦間期において2つの自衛権概念がどのような関係にあったのかを、実行と理論の両面から検討し(第5章)、その上で、国連憲章制定過程において、こうした2つの概念がどのように位置づけられたいたのかを考察する(第6章)。

結論においては、これまでの議論を整理し、従来の議論構造との関係を論ずるとともに、現在の議論に対する示唆を明らかにする。

本稿の考察の結果、国連憲章制定以前の自衛権およびその国連憲章への受容については、以下のように理解できることが明らかになった。

まず第一に、国連憲章制定以前の自衛権には、第一次世界大戦以前を起源とするものと、戦間期を起源とするものとがあり、前者は、私人による自国に対する侵害があり、領域国あるいは旗国による抑止が期待できない場合に、相手国領域に侵入しあるいは公海上で、自らに対する侵害を排除すること、すなわち領域侵害あるいは公海自由の侵害を正当化する根拠として理解され、後者は、国際連盟規約以降の戦争違法化の進展を背景として、侵略戦争あるいは侵略行為の禁止に対する例外として、それらに対する抵抗としての防衛戦争あるいは武力行使を正当化する根拠として理解される。前者を治安回復型自衛権、後者を防衛戦争型自衛権と名付けたが、両者は、単に、いつを起源とするかという、時期についてだけではなく、先行行為の主体、自衛としてとられる行為の対象、さらには保護法益の範囲という点で、相互に異なっていたのである。

治安回復型自衛権の場合には、自衛としてとられる軍事行動は、領域国あるいは旗国自身に対して向けられるのではなく、そこから行動する私人に対して行われるものであった。それが国家間関係においては、当該軍事活動が他国の領域あるいは旗国管轄権を侵害するという形で発現し、自衛権の機能も、こうした侵害を正当化するという形で、国際法上の表現を得るのであった。またその保護法益は一般には自国民の生命・財産であり、状況によっては国家の安全そのものとされることもあったが、私人による侵害であることから、相対的に小規模のものに留まる場合が多いと言えよう。

一方、防衛戦争型自衛権の場合には、軍事行動は、他国自体に対して向けられ、自衛権によって正当化されるのも、こうした軍事行動、すなわち防衛戦争や侵略への反撃自体であった。また保護法益は国家の安全そのものにほかならず、国境衝突のような比較的小規小規模のものから、侵略戦争に対する抵抗のような大規模なものまで含まれよう。さらには、侵略の抑止は集団安全保障体制の目的と合致するという形で、その保護法益は国際の平和と安全をも含むものだったのである。

この両者は戦間期において並存するものだったが、国連憲章制定過程において意識されていたのは、基本的に防衛戦争型自衛権であった。さらに、こうした両者の区別は、国連憲章の起草過程において、武力行使概念が他国領域における軍事力の展開を含む意味で理解されることとなったため、少なくとも領域侵害の正当化に関して、不明確となった。しかし、その一方で、米国国務省内の検討において治安回復型自衛権、少なくともその行使として認められていた活動が、憲章上の武力不行使原則の下でも許されると解されていたことは、注目されるべきである。

第二に、一般に国連憲章制定時にはじめて登場した概念とされる集団的自衛権について、その先駆と言うべきものが、戦間期においてすでに生み出されていたことが明らかとなった。これは、先に示した2つの自衛権概念のうち防衛戦争型自衛権に包摂されるものだが、そこで注目されるのは、個別的自衛権と集団的自衛権の先駆とでは発動条件が異なり、後者の場合の方がより限定されていたことである。これは、戦間期において個別的自衛権の発動条件と位置づけられた侵略概念が不明確であることに鑑み、その集団性によって戦争を拡大する危険性の高い集団的自衛権の行使について、一定の制限を課そうとするものであった。

集団的自衛権に対するこうした位置づけは、国連憲章の制定過程においても変化していない。もとより集団的自衛権と個別的自衛権との発動要件の区別は、国連憲章において明示的には規定されていない。しかし、その準備作業においてはその区別を見出すことができる。憲章の起草者たちがこの点について意図していたのは、集団的自衛権の発動要件を制限することであり、個別的自衛権の行使を武力攻撃の発生の場合のみに限定することではなかったと考えられるのである。

このように、国連憲章制定以前における自衛権概念は、起源を異にし、また機能、発動要件、保護法益を異にする、3つの概念の集合体として成り立っており、それはあたかも地層をなしているように理解できる。こうした概念は、国連憲章起草過程の中にも見出されるのであり、憲章規定の基層をなしているのである。

本研究は国連憲章制定時の自衛権概念を明らかにするものであって、現代国際法上の自衛権に関する諸問題の検討は今後の課題である。この点については、1945年以降の国家実行の検討を通して論じられなければならない。しかし、1945年以降の国家実行は、国連憲章の制定時点で自衛権がどのように理解されていたかについての詳細な考察を踏まえた上で検討されるべきである。近年しばしば主張される国連憲章の「死」も「変化」も、その当初の姿を知らずして論ずることは、本来できない。そうした歴史的な認識こそが、国連憲章制定以降の国家実行を分析するための基礎を与えるものであり、19世紀中葉から国連憲章制定までの自衛権の歴史的展開を検討することを通じて、本稿が提供しようとしたものにほかならない。

審査要旨 要旨を表示する

1.本論文は、国際法の最重要問題の一つである自衛権について、その変遷・発展過程を国連憲章起草時まで跡づけ、従来、自衛権については2種類の異なるものが並存してきたことを明らかにし、現代の自衛権を議論する際の前提条件を示したものである。「序論」において、自衛権の行使が、「現実に発生した武力攻撃に対してのみ許される」とする「制限的解釈説」と、武力攻撃以外の侵略や在外自国民保護のためにも許されるとする「許容的解釈説」とが現代まで長く対立するという、自衛権をめぐる「大きな混乱」について説明がなされた後、第1部(第1章~第2章)では、先の対立の源に位置するBowettとBrownlie の学説の紹介とCaroline号事件の評価、第2部(第3章~第4章)では、第1次世界大戦前と戦間期おける「自衛権」の変化、第3部(第5章~第6章)では、国連憲章制定時の自衛権概念を分析し、「結論」では第3部までの検討から導かれる結論と今後の課題を述べる。

2.以下は本論文の要旨である。

「第1章 伝統的議論枠組」では、現在の自衛権に関する学説状況を規定したBowett及びBrownlieの自衛権に関する研究が検討される。「許容的解釈説」の主唱者であるBowettは、自衛権を武力行使に対するものではなく、先行違法行為に対するものと理解した。他方、現代の通説の地位を占める「制限的解釈説」の主唱者であるBrownlieは、武力行使の発生を発動要件とした。しかし、彼らが前提とする、第1次世界大戦前及び戦間期の自衛権の評価は必ずしも明確ではない。

「第2章 自衛権をめぐる『混乱』の深み」では、自衛権の先駆的事例として広く引用されるCaroline号事件を検討し、それに対する従来の評価の問題点があげられる。Caroline号事件については、「緊急状態」の先例であって、自衛権の先例とはみないとする見方(緊急状態説)と、先行行為の違法性を前提とせずに自衛権の先例とみる見方(自衛権説)があり、さらにここでの自衛が自己保存権であったとする見方(自己保存権説)がある。自己保存権説は、Caroline号事件で言う自衛権と戦間期の自衛権との間の質的違いを意識するものである。結局、Caroline号事件の評価の対立は、自衛権によって何を正当化するかについての見解の対立に起因しており、第1次世界大戦前の自衛権と戦間期の自衛権の違いをきちんと捉える必要がある。

「第3章 第1次世界大戦以前の自衛権概念」では、第1次世界大戦前の自衛権に関する国家実行と当時の学説が取り上げられ、当時の自衛権が武力行使の文脈に関わるものではなかったことが示される。取り上げられる関係実行は、その文脈を踏まえて分析され、「領域侵害の正当化根拠としての自衛権」と「旗国管轄権侵害の正当化としての自衛権」とに分けられる。また当時の学説は、当時の関係実行について、自己保存権を限定して「自衛権」を位置づける形で発展した。総括すると、自衛権は、自国に対する私人による侵害があり、領域国・旗国による侵害排除が期待できない場合に、他国領域に侵入し又は公海上の他国船舶に対して、自らに対する侵害を排除することの正当化を図る概念として捉えられた。

「第4章 戦間期に確立した自衛権概念」では、関係実行の分析から、当時広く認められた自衛権が戦争ないし侵略禁止の文脈においてのものであり、自衛権の保護法益が国家の安全自体であったことが示され、第1次世界大戦前のものとは本質的に異なり、第1次大戦前のものが「治安回復型自衛権」(免責事由)、また戦間期のものが「防衛戦争型自衛権」(権利としての性格)と呼びうるものであるとされる。具体的に、国際連盟規約、国際紛争平和的解決議定書等の条約においては、侵略禁止の文脈の中で捉えられる自衛権が一貫して認められたが、その一方で侵略の定義については一貫して不明確であった。さらに満州事変、イタリア=エチオピア戦争等の国際連盟期の国家実行を検討し、それらの実行によって自衛権の範囲が明確化されたわけではないことが示される。他方、当時出現した集団的自衛権の先駆的形態である、被侵略国への援助措置については、侵略が重大明白な場合に限定された。

「第5章 2つの自衛権概念の関係」では、戦間期に上記2つの自衛権概念が並存していたことが示される。戦間期においては、「防衛戦争型自衛権」が注目されたが、当時議論された「在外自国民保護」は他国領域内の自国民への侵害を排除するという意味で「治安回復型自衛権」の性質をもつものであった。不戦条約上も在外自国民保護が認められる点では一致があったが、それを自衛権の一部と捉えるか否かについては日米英三国政府の間でも一致がなかった。また当時の国際連盟法典化会議でも自衛権が2つの側面をもつと理解されており、米墨混合請求委員会も「治安回復型自衛権」を正面から認めている。さらに、両者は法源上の違いのみならず、法益においても相違していた。

「第6章 国際連合憲章起草過程における自衛権」では、国連憲章起草過程を取り上げ、そこでは、「防衛戦争型自衛権」に大きな関心が集まったが、それとともに、憲章起草に当たった米国務省内では、「治安回復型自衛権」が承認され続けていたことが示される。モスクワ宣言以降の武力不行使原則の検討は、他国領域内における軍隊の展開を禁止するものであり、それを前提に米国務省内では「治安回復型自衛権」が確認された。その後のサンフランシスコ制憲会議の国連憲章2条4項の審議でも、米国代表は「治安回復型自衛権」の余地を認めるような発言を行った。また国連憲章51条に関する審議では、集団的自衛権の扱いが議論の中心であり、個別的自衛権ではなく集団的自衛権を念頭において、それを制限するために武力攻撃を発動要件とした。

最後に、「結論」では、次の諸点が結論される。(1)自衛権は「防衛戦争型自衛権」と「治安回復型自衛権」に分けられる。(2)戦間期には、この2つの自衛権概念が並存していた。(3)「治安回復型自衛権」は、戦争違法化過程でも武力行使禁止の違法性阻却事由ではなく、他国領域の侵害に対する違法性阻却事由と考えられていたが、国連憲章起草過程ではじめて武力不行使原則の例外と意識された。(4)防衛戦争型自衛権は、集団的自衛権と個別的自衛権に分かれ、戦間期当初から両者は、機能や発動要件において異なるものと理解された。最後に、BrownlieとBowettの論争に戻り、Brownlieは、19世紀の自衛権が戦間期に誕生する現代国際法上の自衛権とは関連しないとするが、19世紀の自衛権は自助又は自己保存権と同一視されるものではなく、その現代への連続性を認めることは、憲章51条が一般的に自助を許しているかという議論枠組みでは論じられないものである。他方、Bowettは、発動要件を先行違法行為に求めたが、それは本来2つの自衛権を一つと観念した結果である。

3.本論文の評価を次に述べる。

本論文の長所としては、次の諸点があげられる。

第1に、本論文は、国際法の根幹に関わり、同時に現代まで激しく議論されてきた「自衛権」の意義について、その根源にあるBowett/Brownlie論争を分析軸として、「自衛権」学説の骨格を形成する国家実行を、最初のものとされるCaroline号事件から国連憲章制定時までを、文脈等を明らかにしながら詳細に分析・検討し、それに基づいて新たな仮説を提示した。すでに研究し尽くされたと考えられた問題について、新たな光を当てたことは本研究の最大の貢献であり、自衛権研究の国際的な発展に寄与する業績と評価できるものである。

本論文は、筆者が東京大学社会科学研究所にいわゆる「助手論文」としてCaroline号事件についての論文を書いて以来、約10年にわたって、イギリスや米国の公文書館での文献資料(国連制定過程について最近公開された文書を含む)調査を継続的に行い、時代ごとに重要な関係実行を分析・検討していくつかの論文にまとめ上げた後に、博士論文として統合し再編成したものである。このような経緯を経て作成されたものであるために、関係実行に関する分析は非常に当を得たもので、国連憲章起草時までの「自衛権」の誕生・発展の流れがきわめて明晰に示されており、今後の自衛権研究の基礎になることは間違いない。

第2に、本論文は、Bowett/Brownlie論争を起点とした、現代の自衛権研究の前提を問うものである。両博士をはじめとして、自衛権研究を行ってきた、我が国研究者も含めてほぼすべての論者が前提にしていた、自衛権は1つであるという命題に疑問を抱き、「治安回復型」と「防衛戦争型」という2つの自衛権、とくに「治安回復型自衛権」が国連憲章制定時まで存続していたという説を提示した。この点も本論文の大きな貢献である。関係実行に照らして保護法益に即して分析すれば、2種類の自衛権が戦間期から国連憲章制定時まで存続していたということになると、国連発足後、現在に至る自衛権の検討方法は根本的に変わらざるをえない。国連発足後の自衛権については、本論文では扱われていないが、その分析を行う際の新たな視座を、関係実行によって裏付けられる形で説得的に示したことは、我が国のみならず国際的にも、自衛権研究の新たな可能性を開くものと考えることができる。

第3に、本論文は、自衛権の実行分析の中から、現代の集団的自衛権の先駆が、戦間期に「防衛戦争型自衛権」の一部として、このタイプの個別的自衛権の出現と同時に現れたことを、実行によって示したことも見逃せない点である。集団的自衛権については、国連憲章制定時に新たに創出されたとの理解が広く存在し、また個別的自衛権との関係についても、両者を一体的にみる見方と両者を別個のものとみる見方が並存する。本論文によると、関係実行は、集団的自衛権がその時期に「防衛戦争型自衛権」の一部として、ただしやや性質を異にする形で出現し、国連憲章51条起草時には51条の文言を決めるうえで大きな役割を果たしたことを示している。集団的自衛権を主たるテーマとした論文ではないが、この点も本論文の重要な貢献といえる。

本論文にも問題がないわけではない。

第1に、本論文は、自衛権について、武力行使禁止原則との関係を念頭に置いて、第1次世界大戦前と戦間期を区別して2つの自衛権概念を抽出した反面、国際連盟期に始まる集団的安全保障との関係について立ち入った検討は行われていない。本論文では副次的な位置を占める集団的自衛権について全体的な考察を加えるのであれば、集団的安全保障との関係が重要であることは多言を要しない。

第2に、本論文では、自衛権に関する学説にも随時ふれられているが、国家実行の分析が考察の中心に据えられているために、学説の考察は従の位置にとどまっている。国際法が古来、学説法としての性質を強くもつことに鑑みれば、自衛権学説の誕生・発展についても、もう少し一貫した考察が可能でなかったかという思いがある。

第3に、本論文の考察は国連憲章起草時で終わっている。現代における自衛権を論ずるためには、国連発足後60年にわたる実行分析が必要である。現代における自衛権の在り方にまで考察が及べば、本論文のインパクトはさらに一層大きくなることが予想される。

しかし以上のような問題点は、本論文の価値を損なうものではない。本論文の問題点として指摘したことは、いずれもそれ自体で独立の論文のテーマになりうるものであり、本論文の中でその本格的な分析を期待することは望蜀の感がある。本論文の長所として指摘したことは、それだけで学界に大きな貢献をなすものであり、とくに優秀な論文と認められる。

以上から、本委員会は、本論文が博士(法学)の学位を授与するに相応しいものであると評価するものである。

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