学位論文要旨



No 216929
著者(漢字) 原田,勝也
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,カツヤ
標題(和) 不安・ストレス反応における脳内セロトニン5-HT2c受容体の機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 216929
報告番号 乙16929
学位授与日 2008.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16929号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 三浦,正幸
内容要旨 要旨を表示する

現代社会はストレス社会とも呼ばれ、不安障害やうつ病(多くの場合不安症状を伴う)などのストレス関連疾患は増加の一途を辿っている。また、高齢化社会の進展に伴って、老人性の不安・うつや認知症の随伴症状としての不安・うつも著明に増加することが予想され、抗不安薬へのニーズは高まっていくと思われるが、既存薬はいずれも問題点を有しており、新規抗不安薬に対するニーズは高い。

そこで本研究においては、5-HT2c受容体を選択的に遮断する薬物を創出して既存の不安モデルで評価することにより、全く新しいタイプの抗不安薬を創出しようと考えた。さらに、不安障害の一種で、戦争・天災・凶悪犯罪などの強烈なストレスを受けた後に発症するPTSD(外傷後ストレス障害)に対しては決定的な治療法がなく、社会問題ともなっていることから、本疾患の動物モデルを作製・解析し、新規治療薬のターゲット創出を試みた。

第1章新規選択的5-HT2c受容体拮抗薬FR260010の抗不安作用

1960年代にchlordiazepoxideが導入されて以降、ベンゾジアゼピン(BZD)系の薬物が不安障害の治療に用いられてきたが、明確な有効性を示す一方で、眠気・ふらつき・筋弛緩・依存性などの副作用が問題となっている。これらの問題点がなく、不安選択的な薬物として1980、年代以降にbusphoneを初めとする5-HTIA受容体アゴニストが登場したが、即効性がないなどの点からBZD系薬物に取って代わるまでには至らなかった。また、抗うつ薬として世に登場した選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が、1990年代後半から不安障害の治療にも用いられるようになってきたが、やはり作用発現に時間がかかる上に既存薬とは異なる副作用を有することから、即効性があって副作用の少ない抗不安薬に対するニーズは依然として高いと考えられる。

セロトニン受容体サブタイプの1つである5-HT2c受容体に対してアゴニスト作用をもつ1-(m-chlorophenyl)-piperazine(m-CPP)をヒトに投与すると不安を惹起することから、脳内5-HT2c受容体の過活動が不安に関与していることが示唆されている。ジアリルアミン誘導体のスクリーニングを行った結果、新規5-HT2c受容体拮抗薬FR260010(N-[3-(4-methyl-1H-imidazol-1-yl)phenyl]-5,6-dihydrobenzo[h]quinazolin-4-amine dimethanesulfbnate)を発見した。

FR260010はヒト5-HT2c受容体に対して高い親和性(Ki:1.10nM)を示し、ヒト5-HT2A受容体(Ki:386nM)および他の神経伝達物質受容体に対して高い選択性を示した。またFR260010は細胞内カルシウムアッセイにおいて、ヒト5-HT2c受容体に対してアゴニスト作用を示さず、セロトニンの作用に拮抗した。さらにFR260010は、脳内5-HT2c受容体の活性化によって生じると考えられているm-CPP誘発ラット運動量低下(ID50:1.89mg/kg,p.o.)およびm-CPP誘発ラット摂餌量低下(ID50:2.84mg/kg,p.o.)を用量依存的に抑制し、脳内で5-HT2c受容体拮抗薬として作用することが明らかとなった。

そこで、げっ歯類の不安モデルと副作用モデルを用いて、FR260010の薬理作用プロファイルを他クラスの抗不安薬であるdiazepam(BZD系)およびbuspirone(5-HT1A受容体アゴニスト)と比較した。FR260010(0.1-3.2mg/kg,p.o.)およびdiazepam(1-10mg/kg,p.o.)は、用いた全ての不安モデル(ラット高架式十字迷路試験、ラット社会的相互作用試験、マウス明暗箱試験、マウスホールボード試験)において抗不安作用を示したが、buspirone(0.32-10mg/kg,p.o.)はいずれのモデルにおいても有意な作用を示さなかった。一方、副作用モデルにおいては、FR260010とbuspironeは高用量までほとんど作用を示さなかったのに対し、diazepamは薬効用量付近で麻酔増強・協調運動障害といった副作用を惹起した。

以上の結果から、FR260010は良好な経口吸収性および脳内移行性を有する強力な新規5-HT2c受容体選択的拮抗薬であり、既存のBZD系抗不安薬や5-HT1A受容体アゴニストの有する問題点の解決された、新規抗不安薬候補となりうる可能性が示唆された。

第2章新規PTSDモデルラットとしてのsingle-prolonged stress(SPS)負荷ラットの解析

PTSDは、生命を脅かすような出来事を自分自身が体験または目撃すること(外傷体験)により発症する不安障害の一種であり、外傷の再体験によるフラッシュバック、外界からの刺激に対する回避や鈍麻、慢性的な過覚醒や反応の亢進などを中核症状とするが、既存の抗うつ薬や抗不安薬による治療では十分な効果が認められない。PTSDに対する本質的治療薬を創出するためには、その病態を反映した動物モデルの構築ならびにその病態の解析が不可欠である。

SPS(拘束ストレス2時間、強制水泳20分、休憩15分、エーテル麻酔を連続して負荷する)は、PTSDの動物モデルとして提唱されているものの1つである。SPSを負荷されたラットは、PTSD患者に特異的な神経生物学的変化である視床下部一下垂体前葉一副腎皮質(HPA)系の過剰抑制を示し、少なくとも病態の一面を反映していることが報告されているので、本モデルを作製して、神経内分泌学的、行動学的および電気生理学的にさらに詳細な解析を行った。

SPS負荷の1週間後にdexamethasone testを実施したところ、確かにHPA系の過剰抑制が観察された。SPS負荷後の血漿中corticosterone濃度は一旦急上昇した後、1週間以内に負荷前のレベルに戻った。血漿中のcorticosterone濃度が高い状態が持続すると海馬の神経細胞死を生じることが知られているが、SPS負荷ラットにおいては、海馬において明確な神経細胞死は生じていなかった。SPS負荷1日および1週間後の時点で行動試験(音驚愕反応、モリス水迷路、文脈的恐怖条件付け)を行ったところ、1日後にはいずれの試験においても変化なく、1週間後のみにおいて、音驚愕反応の亢進、空間学習能低下および不安関連行動の増加が見られた。一方、電気生理学的には、SPS負荷1週間後の海馬CA1領域での長期増強(LTP)と長期抑制(urD)はいずれも減弱しており、シナプス可塑性が著しく障害を受けていた。また、SPS負荷の1週間後では扁桃体のUTPも減弱していた。

次にグルココルチコイド受容体(GR)の拮抗薬であるRU40555(17-beta-hydroxy-11-beta-/4-/[methyl]-[1-methylethyl]aminopheny1/-17-alpha-[prop-1-ynyl]estra-4-9-diene-3-one)をSPS負荷の5分前に投与すると、1週間後の恐怖条件付けの亢進と海馬CA1領域でのLTPの減弱が有意に柳制された。

以上の結果から、SPS負荷ラットは神経内分泌学的にも行動学的にもPTSD患者の臨床病態に近い症状を示し、PTSDモデルとして有用であること、並びにその発症の少なくとも一部にSPS負荷によるGRの活性化が関与していることが示唆された。

第3章SPS負荷ラットの遺伝子発現解析による新規PTSD治療薬の標的候補探索

PTSDは既存の向精神薬によって治療が行われているものの、患者に特異的な変化に基づいて合理的にデザインされた薬物は存在しない。第2章の研究で解析したSPS負荷ラットは、少なくともPTSDの病態の一部を反映していると考えられることから、SPS負荷後に起きるラット脳内の遺伝子発現変化をDNAマイクロアレイにより調べ、PTSD様症状発現の原因となり治療薬の標的となりうる分子の探索を行った。

SPS負荷の1日および1週間後のラットおよび対照ラットの脳(不安関連部位として海馬・扁桃体・前部帯状皮質の3部位を選択)―よりRNAを抽出し、同一マイクロアレイ上(二色法)で遺伝子発現レベルを比較した。SPS負荷ラットにおける不安関連行動の変化のパターンと同様、SPS負荷1日後には発現に変化がなく、1週間後においてのみ変化した遺伝子は3部位で31個見出された。その多くが機能不明である中で、不安との関連が多く報告されている5-HT2c受容体を候補遺伝子として選択し、まずリアルタイムPCR法を用いて、扁桃体で受容体mRNAの発現増加が起きていることを確認した。次に、選快的5-HT2c受容体拮抗薬FR260010(1-10mg/kg,s.c.)を恐怖条件付け試験の30分前に投与したところ、SPS負荷ラットの不安増強は有意に抑制された。一方、FR260010はSPS負荷ラットの電気刺激感受性に影響を与えなかった。

以上の結果から、SPS負荷ラットの不安関連行動の増加に脳内5-HT2c受容体の活性化が関与していることが明らかとなり、本受容体の新規PTSD治療薬の薬物標的としての可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

現代社会はストレス社会とも呼ばれ、不安障害やうつ病(多くの場合不安症状を伴う)などのストレス関連疾患は増加の一途を辿っている。また、高齢化社会の進展に伴って、老人性の不安・うつや認知症の随伴症状1としての不安・うつも著明に増加することが予想され、抗不安薬へのニーズは高まっていくと思われるが、既存薬はいずれも問題点を有しており、新規抗不安薬に対するニーズは高い。

本研究においては、5-HT2c受容体を選択的に遮断する薬物を創出して既存の不安モデルで評価することにより、全く新しいタイプの抗不安薬を創出しようと考えた。さらに、不安障害の一種で、戦争・天災・凶悪犯罪などの強烈なストレスを受けた後に発症するPTSD(外傷後ストレス障害)に対しては決定的な治療法がなく、社会問題ともなっていることから、本疾患の動物モデルを作製・解析し、新規治療薬のターゲット創出を試みた。

1.新規選択的5-HT2C受容体拮抗薬FR260010の抗不安作用

1960年代にchlordiazepoxideが導入されて以降、ベンゾジアゼピン(BZD)系の薬物が不安障害の治療に用いられてきたが、明確な有効性を示す一方で、眠気・ふらつき・筋弛緩・依存性などの副作用が問題となっている。これらの問題点がなく、不安選択的な薬物として1980年代以降にbuspironeを初めとする5-HT1A受容体アゴニストが登場したが、即効性がないなどの点からBZD系薬物に取って代わるまでには至らなかった。また、抗うつ薬として世に登場した選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が、1990年代後半から不安障害の治療にも用いられるようになってきたが、やはり作用発現に時間がかかる上に既存薬とは異なる副作用を有することから、即効性があって副作用の少ない抗不安薬に対するニーズは高い。

セロトニン受容体サブタイプの1つである5-HT2c受容体に対してアゴニスト作用をもつ1-(m-chlorophenyl)-piperazine(m-CPP)をヒトに投与すると不安を惹起することから、脳内5-HT2c受容体の過活動が不安に関与していることが示唆されている。ジアリルアミン誘導体のスクリーニングを行った結果、新規5-HT2c受容体拮抗薬FR260010(N-[3-(4-methyl-1Himidazol-1-yl)phenyl]-5,6-dihydrobenzo[h]quinazolin-4-amine dimethanesulfbnate)を見いだした。

FR260010はヒト5-HT2c受容体に対して高い親和性(Ki:1.10nM)を示し、ヒト5-HT2A受容体(Ki:386nM)および他の神経伝達物質受容体と比べて高い選択性を示した。またFR260010はヒト5-HT2c受容体に対してアゴニスト作用を示さず、セロトニンの作用に拮抗した。さらにFR260010は、脳内5-HT2c受容体の活性化によって生じると考えられているm-CPP誘発ラット運動量低下およびm-CPP誘発ラット摂餌量低下を用量依存的に抑制し、脳内で5-HT2c受容体拮抗薬として作用することが明らかとなった。

そこで、げっ歯類の不安モデルと副作用モデルを用いて、FR260010の薬理作用プロファイルを他の抗不安薬であるdiazepam(BZD系)およびbuspirone(5-HTIA受容体アゴニスト)と比較した。FR260010およびdiazepamは、用いた全ての不安モデル(ラット高架式十字迷路試験、ラット社会的相互作用試験、マウス明暗箱試験、マウスホールボード試験)において抗不安作用を示じたが、buspironeはいずれのモデルにおいても有意な作用を示さなかった。一方、副作用モデルにおいては、FR260010とbuspironeは高用量までほとんど作用を示さなかったのに対し、diazepamは薬効用量付近で麻酔増強・協調運動障害といった副作用を惹起した。

以上の結果から、FR260010は良好な経口吸収性および脳内移行性を有する強力な新規5-HT2c受容体選択的拮抗薬であり、既存のBZD系抗不安薬や5-HTIA受容体アゴニストの有する問題点の解決された、新規抗不安薬候補となりうる可能性が示唆された。

2.新規PTSDモデルラットとしてのsinle-roloned stress(SPS)負荷ラットの解析

PTSDは、生命を脅かすような出来事を自分自身が体験または目撃すること(外傷体験)により発症する不安障害の一種であり、外傷の再体験によるフラッシュバック、外界からの刺激に対する回避や鈍麻、慢性的な過覚醒や反応の亢進などを中核症状とするが、既存の抗うつ薬や抗不安薬による治療では十分な効果が認められない。PTSDに対する本質的治療薬を創出するためには、その病態を反映した動物モデルの構築ならびにその病態の解析が不可欠である。

SPS(拘束ストレス2時間、強制水泳20分、休憩15分、エーテル麻酔を連続して負荷する)は、PTSDの動物モデルとして提唱されているもめの1つである。SPSを負荷されたラットは、PTSD患者に特異的な神経生物学的変化である視床下部-下垂体前葉一副腎皮質(HPA)系の過剰抑制を示し、少なくとも病態の一面を反映していることが報告されているので、本モデルを作製して、神経内分泌学的、行動学的および電気生理学的にさらに詳細な解析を行った。

SPS負荷の1週間後にdexamμhasone testを実施したところ、確かにHPA系の過剰抑制が観察された。SPS負荷後の血漿中co茸icosterone濃度は一旦急上昇した後、1週間以内に負荷前の鳳レベルに戻った。血漿中のcorticosterone濃度が高い状態が持続すると海馬の神経細胞死を生じることが知られているが、SPS負荷ラットにおいては、海馬において明確な神経細胞死は生じていなかった。SPS負荷1目および1週間後の時点で行動試験(音驚愕反応、モリス水迷路、文脈的恐怖条件付け)を行ったところ、1旧後にはいずれの試験においても変化なく、1週間後のみにおいて、音驚愕反応の亢進、空間学習能低下および不安関連行動の増加が見られた。一方、電気生理学的には、SPS負荷1週間後の海馬CA1領域での長期増強(LTP)と長期抑制(LTD)はいずれも減弱しており、シナプス可塑性が著しく障害を受けていた。また、SPS8負荷の1週間後では扁桃体のLTPも減弱していた。

次にグルココルチコイド受容体(GR)の拮抗薬であるRU40555(17-beta-hydroxy-11-beta-/4-/[methyl]-[1-methylethyl]amiaopheny1/-17-alpha-[prop-1-ynyl]estra-4-9-diene-3-one)をSPS負荷の5分前に投与すると、1週間後の恐怖条件付けの亢進と海馬CA1領域で4)LTPの減弱が有意に抑制された。以上め結果から、SPS負荷ラットは神経内分泌学的にも行動学的にもPTSD患者の臨床病態に近い症状を示し、PTSDモデルとじて有用であること、並びにその発症の少なくとも一部にSPS負荷によるGRの活性化が関与していることが示唆された。

3.SPS負荷ラットの遺伝子発見解析による新規PTSD治療薬の標的候補探索

PTSDは既存の向精神薬によって治療が行われているものの、患者に特異的な変化に基づいて合理的にデザインされた薬物は存在しない。SPS負荷ラットは、少なくともPTSDの病態の一部を反映していると考えられることから、SPS負荷後に起きるラット脳内の遺伝子発現変化をDNAマイクロアレイにより調べ、PTSD様症状発現の原因となり治療薬の標的となりうる分子の探索を行った。

SPS負荷の1日および1週間後のラットおよび対照ラットの脳(不安関連部位として海馬・扁桃体・前部帯状皮質の3部位を選択)よりRNAを抽出し、同一マイクロアレイ上(二色法)で遺伝子発現レベルを比較した。SPS負荷ラットにおける不安関連行動の変化のパターンと同様、SPS負荷1日後には発現に変化がなく、1週間後においてのみ変化した遺伝子は3部位で31個見出された。その多くが機能不明である中で、不安との関連が多く報告されている5-HT2c受容体を候補遺伝子として選択し、まずリアルタイムPCR法を用いて、扁桃体で受容'体mRNAの発現増加が起きていることを確認した。次に、選択的5-HT2c受容体拮抗薬FR260010を恐怖条件付け試験の30分前に投与したところ、SPS負荷ラットの不安増強は有意に抑制された。一方、FR260010はSPS負荷ラットの電気刺激球受性に影響を与えなかった。

以上の結果から、SPS負荷ラットの不安関連行動の増加に脳内5-HT2c受容体の活性化が関与していることが明らかとなり、本受容体の新規PTSD治療薬の薬物標的としての可能性が示唆された。

本研究の結果、5-HT2c受容体は不安の発現に関与しており、その選択的な拮抗薬は、既存の抗不安薬の有する問題点の解決された新規抗不安薬候補となる可能性があるとともに、既存薬では十分な治療効果が認められないPTSDに対しても有効性を示す可能性があることが、示唆された。以上のように、本研究は不安やPTSDに対する理解を深め、新たな抗不安薬の開発に繋がる成果を示したので、博士(薬学)の学位授与に値すると判断した。

UTokyo Repositoryリンク