学位論文要旨



No 216930
著者(漢字) 平川,容子
著者(英字)
著者(カナ) ヒラカワ,ヨウコ
標題(和) 胃癌反応性ヒトモノクローナル抗体の樹立とターゲティング療法への応用
標題(洋)
報告番号 216930
報告番号 乙16930
学位授与日 2008.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16930号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
内容要旨 要旨を表示する

癌の治療成績は、集学的治療の進歩により向上しつつあるが、特に進行癌では未だに満足できる成績とは言えず、癌化学療法においては依然として副作用回避、薬剤耐性の克服が課題である。そこで抗癌剤をより効率的に癌細胞に集中させることにより効果を高めることを目指して癌反応性ヒトモノクローナル抗体を樹立し、認識抗原の解析を行い、さらに抗体を表面に結合させた抗癌物質封入リボソームを作製して抗腫瘍効果を検討した。

癌ターゲティング療法に用いられる抗体に求められる特性として、(1)ヒトモノクローナル抗体であること、(2)生きた癌細胞の表面に反応すること、(3)癌特異性、陽性率が冥に高く従来の抗癌抗体とは異なる反応性を示すこと、(4)標的癌細胞の中に取り込まれること、が挙げられる。

ヒトモノクローナル抗体の作製方法としては、癌患者の血中に自己の癌に反応する抗体が存在していることに着目し、癌患者の所属リンパ節から得られたリンパ球とマウスミエローマ細胞P3U1と融合するハイブリドーマ法を用いた。クローンの選択は、初めに固定化した各種癌細胞株、次に臨床の癌、正常組織から調製した生細胞の表面に対する反応性を指標に行った。

さらに組織切片に対する反応性を確認し、最終的に大腸癌患者の所属リンパ節細胞からヒトモノクローナル抗体GAH(サブクラスIgG1)を樹立した。生癌細胞への反応性は、細胞にGAHのFITC標識体を抗体結合がほぼ飽和する濃度(50μg/ml)で添加してフローサイトメトリーで解析し、生細胞1個当たりの抗体結合数を算出し、その値を細胞表面のGAH結合サイト数と見なして各細胞間で比較した。その結果、癌細胞においては1x105/細胞以上で、胃癌、大腸癌で高く、中でもスキルス胃癌では106オーダーであった.一方で各種正常細胞では約3x104程度であり陰性コントロール抗体の場合とほぼ同程度であった。組織切片染色では、GAHは胃癌、大腸癌、乳癌に対して反応性を示し、特に胃癌では93%(14例中13例)という高い陽性率を示した。一方で肺癌、及び各種の正常組織に対しては反応性を示さなかった。また、抗体結合リボソームによるターゲティング療法においては、抗体が標的細胞内に取り込まれる性質であることが重要であるが、GAHについても胃癌細胞株MKN45、B37に結合後、37℃1時間で細胞内に取り込まれる様子が観察された。以上、ヒトモノクローナル抗体GAHは癌ターゲティング療法に用いる抗体として必要な特性を備えていることが示された。

GAH結合抗癌剤封入リボソーム、MCC-465(以下ILD)は、抗癌剤ドキソルビシン(DXR)をジパルミトイルフォスファチジルコリン(DPPC)を主とした混合脂質で作製したリボソーム内に封入し、リボソーム表面にGAHのF(ab')2断片、及びリボソームの血中滞留性を上げるために分子量5000の2本鎖のポリエチレングリコール(PEG)を順次結合させて作製した。抗体を結合していないPEGリボソーム(以下L、D)は、抗体結合ステップのみを除いて作製した°ILDの標的細胞への反応性、及び挙動を調べるために、脂質親和性の蛍光色素PKH2でリボソームを蛍光標識し、共焦点顕微鏡で観察した。ヒト胃癌細胞株B37に添加して4℃1時間反応させた後、37℃でさらにインキュベートして経時変化を観察した結果、37℃1時間でILDの細胞内への取り込みが認められたが、LDでは細胞への結合が殆ど認められなかった。また取り込まれたILDは数時間から18時間では核の周辺に集積している様子が認められ、24時間後では核内でDXRの赤色蛍光が検出された。

ILDのinvivoでの抗腫瘍効果は、胃癌細胞株B37のヌードマウス腎皮膜下移植モデルで検討した。投与量はDXRとして最大耐用量にほぼ匹敵する3mg/kgとし、フリーのDXR、LD、ILDを、移植翌日から1週間間隔で3回投与し、22日目に腫瘍サイズを測定した。その結果、フリーのDXR、及びLDでは効果が認められなかったが、ILDは顕著な抗腫瘍効果を示した。

GAHが認識する癌細胞表面抗原の解析については、GAHがフローサイトメトリー解析において、培養細胞よりもその皮下移植腫瘍から調製した細胞の表面に強く反応する特性を持っていたため、細胞表面抗原量が多いMKN45の皮下移植細胞(以下MKN45sc)を抗原精製の材料として用いた。細胞抽出液のSDS-PAGEウェスタンブロット解析では特異的な抗体結合が検出されなかったことから、抗原活性はSDS処理に感受性であると予想されたため、抗原の精製は出来る限り緩和な条件で行った。先ずMKN45scの粗膜画分を調製し、デオキシコール酸で可溶化した上清をQ-セファロースHPで分画後、GAHによるドットプロットアッセイ法で抗原活性を検出した。その結果、抗原活性は1MNaClで溶出した後の8M尿素による溶出画分に多く含まれていた。この画分は200kDaの蛋白質を主に含んでおり、アミノ酸配列を解析した結果、ヒト非筋肉型ミオシンIIA重鎖(推定分子量227kDa、以下nmMHCA)の部分配列と一致した。GAHのnmMHCAへの反応は尿素などの変性剤を含まない条件でも確認した。即ちnmMHCAの強制発現細胞を作製し、そのNP-40による可溶化上清を、GAH、および陰性コントロール抗体で免疫沈降して市販の抗nmMHCウサギポリクローナル抗体(BT・561)で検出した。その結果、GAHはnmMHCAを特異的に免疫沈降することが確認された。

nmMHCAは細胞骨格蛋白質の一種で通常細胞内に存在するが、GAHが細胞表面でnmMHCAを認識するならば、少なくともその一部は細胞表面に露出していると考えられる。

そこでMKにN45の培養細胞(以下MKN45cu1)とMKN45scの表面をビオチン標識し、GAHによる免疫沈降物をHRP標識アビジンで検出した。その結果、MKN45scを免疫沈降した場合のみ200kDaの主要な成分が検出され、MKN45culでは殆ど検出されなかった。アミノ酸配列解析の結果、この200kDa蛋白質についてもnmMHCAと一致した。また、この免疫沈降物をBT-561で染色すると、MKN45scのみならずMKN45culにおいても200kDa蛋白質が検出された。この結果から、nmMHCAは両方の細胞に存在するが、MKN45scでは細胞表面に露出していることが示唆され、フローサイトメトリー解析で認められた両細胞の反応性の違いが説明できる。しかしながらGAHがnmMHCAそのものではなく、nmMHCAを含む複合体を認識している可能性も考えられるため、ビオチン標識免疫沈降で認められた200kDa以外についてもアミノ酸配列を行った。その結果、2本はnmMHCA、1本はβ-アクチンの配列と一致した。β-アクチンに関しては市販の標準品に対する反応をドットプロットアッセイ法で調べたが、GAHは反応しなかった。

さらにnmMHCAの細胞表面への露出を検証するために、BT-561の細胞表面への反応性をフローサイトメトリーで解析した。しかしMKN45cul、MKN45scいずれに対しても反応が認められなかった。そこで、nmMHCAのペプチド抗体、すなわちアミノ酸番号631-640、852-861、及びC末端である1951-1960に対するウサギポリクローナル抗体を作成して反応性を調べた結果、いずれもMKN45culに対してよりもMKN45scに高い反応性を示し、特にC末端を認識する抗体においてその傾向が強かった。従って、BT-561の認識エピトープとは異なる部位、主にC末端がMKN45scの表面に露出している可能性が示唆された。

以上、GAHは何らかの機序により細胞表面に露出したnmMHCAを認識していることが示された。癌抗原とは無関係と思われる細胞骨格蛋白質が、それ自体、あるいは何らかの酵素による分解物の形で癌細胞表面抗原となっている例がこれまで幾つか報告されているが、nmMHCAが癌細胞表面抗原となる可能性が示されたのは今回が初めてである。

〈総括〉

大腸癌患者の所属リンパ節細胞を用いてヒトモノクローナル抗体GAHを樹立した。GAHは胃癌、大腸癌、乳癌に高い反応性を示し、特に胃癌に対してはほぼ全例に反応したが、検討を加えた限りでは正常組織には反応しなかった。GAHの認識抗原は、癌細胞表面に露出したヒト非筋肉型ミオシンIIA重鎖であることが強く示唆された。またGAHをDXR封入リボソーム表面に結合させたMCC-465は、GAH反応性の癌を移植したモデルにおいて、DXRの効果が認められない細胞に対しても高い抗腫瘍効果を示したことから、副作用軽減、薬剤耐性回避を可能にするターゲティング療法として有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

「胃癌反応性ヒトモノクローナル抗体の樹立とターゲティング療法への応用」と題する本研究では、抗癌剤をより効率的に癌細胞に集中させることにより効果を高めることを目指して癌反応性ヒトモノクローナル抗体を樹立し、抗体を表面に結合させた抗癌物質封入リボソームを作製して抗腫瘍効果を検討した結果、及びこのモノクローナル抗体が認識する抗原を同定した結果が述べられている。

第1章では抗体の開発と、これを利用した癌ターゲティング療法の試みが主に述べられている。ヒトモノクローナル抗体の作製方法としては、癌患者の血中に自己の癌に反応する抗体が存在していること忙基き、癌患者の所属リンパ節から得られたリンパ球とマウスミエローマ細胞P3U1と融合する方法が用いられた。クローンの選択は、固定化した癌細胞株への結合、癌組織から調製した細胞への結合、癌組織切片中の癌細胞に対する結合を指標とした。最終的に大腸癌患者め所属リンパ節細胞からヒトモノクローナル抗体(サブクラスIgG1)が樹立され、GAHと名付けられた。細胞への反応性は、胃癌、大腸癌で高く、得られる限りの多くの正常細胞では低く、陰性コントロール抗体の場合とほぼ同程度であった。組織染色でも、このモノクローナル抗体は胃癌、大腸癌、乳癌に対して高い反応性、高い陽性率を示した。―方、肺癌に対しては反応性を示した例が見られなかった。抗体結合リボソームによるターゲティング療法においては、抗体が標的細胞内に取り込まれる性質であることが重要と考え、この性質があるかを胃癌細胞株に結合後、37℃1時間保温すると、高率に細胞内に取り込まれる様子が観察された。従って、ヒトモノクローナル抗体GAHは癌ターゲティング療法に用いる抗体として必要な特性を備えていることが示された。

このモノクローナル抗体を結合した抗癌剤封入リボソームを作製して、その効果をinvitroで癌細胞を用いて、.またinvivoでヌードマウスを用いて検証した結果が次に述べられている。このリポソーム製剤(ILD)は、抗癌剤ドキソルビシンをジパルミトイルフォスファチジルコリンを主とした混合脂質で作製したリボソーム内に封入し、リボソーム表面にモノクローナル抗体GAHのF(ab')2断片及びリポソームの血中滞留性を上げるために分子量5000の2本鎖のポリエチレングリコールを結合させて作製した。ILDの標的細胞への反応性、及び挙動を調べるために、脂質親和性の蛍光色素PKH2でリボソームを蛍光標識し、ヒト胃癌細胞株B37に添加して4℃1時間反応させた後、37℃でさらに保温して経時変化を共焦点顕微鏡で観察した。37℃1時間でILDの細胞内への取り込みが認められたが、モノクローナル抗体GAHのF(ab')2断片を持たないコントロールリポソームでは細胞への結合や取り込みが殆ど見られなかつた。ILDのinvivoでの抗腫瘍効果は、胃癌細胞株B37のヌードマウス腎皮膜下移植モデルで検討した。投与量はドキソルビシンとして最大耐用量にほぼ匹敵する3mg/kgとし、リボソームに封入していないドキソルビシン、抗体を持たないコントロールリポソームに封入したドキソルビシン、ILDを、移植翌日から1週間間隔で3回投与し、22日目に腫瘍サイズを測定した。その結果、ILDのみが顕著な抗腫瘍効果を示した。

第2章ではモノクローナル抗体GAHが認識する癌細胞表面抗原を、解析し同定した結果が述べられている。培養細胞よりもヌードマウスにおける皮下移植腫瘍から調製した細胞にこのモンクローナル抗体が強く結合する特性を持っていたため、胃癌細胞株を皮下移植して増殖させた腫瘍塊を材料として抗原の精製が試みられた。また、抗原エピトープはSDSに感受性であると予想されたため、緩和な条件で古典的なクロマトグラフィーによる精製が試みられた。抗原を含む画分は200kDaの蛋白質を主に含んでおり、そのアミノ酸配列を解析した結果、ヒト非筋肉型ミオシンIIA重鎖の部分配列と一致した。この分子の遺伝子は既にクローニングされていたので、強制発現細胞を作製し、その可溶化上清を、モノクローナル抗体GAH又は陰性コントロール抗体で免疫沈降して市販の抗ヒト非筋肉型ミオシンIIA重鎖ウサギポリクローナル抗体で検出した。その結果、GAHがこのタンパク質を特異的に免疫沈降することが確認された。このタンパク質は細胞骨格蛋白質であり通常細胞内に存在するが、癌細胞ではその一部が表面に露出していると考えられたので、MKN45胃癌細胞の表面をビオチン標識し、モノクローナル抗体GAHによる免疫沈降物をペルオキシダーゼ標識アビジンで検出した。その結果、in vivoで増殖した胃癌細胞ではこの分子が表面に露出していることが確かめられた。さらにヒト非筋肉型ミオシンIIA重鎖が癌細胞表面に露出していることを検証するために、抗ヒト非筋肉型ミオシンIIA重鎖ウサギポリクローナル抗体の胃癌細胞表面への反応性をフローサイトメトリーで解析したが反応が認められなかった。そこで、非筋肉型ミオシンIIA重鎖の部分ペプチド配列に対する抗体、すなわちアミノ酸番号631-640、852-861、及び1951-1960(C末端)に対するウサギポリクローナル抗体を作成して反応性を調べた。その結果、いずれもin vivoで増殖したMKN45細胞に対して高い結合性を示し、特にC末端を認識する抗体においてその傾向が強かったので、C末端がこの胃癌細胞の表面に露出していると考えられた。癌抗原とは無関係と思われる細胞骨格蛋白質が癌細胞表面抗原となっている例は報告があるが、非筋肉型ミオシンIIA重鎖が癌細胞表面抗原となる可能性が示された初めての例である。

以上のように学位申請者は大腸癌患者の所属リンパ節細胞を用いてヒトモノクローナル抗体を樹立し、ドキソルビシン封入リボソームを用いたターゲッティングに有効であることを示した。このモノクローナル抗体は癌細胞表面に露出したヒト非筋肉型ミオシンIIA重鎖を認識することが強く示唆された。

本研究で用いられたヒトモノクローナル抗体取得の方法はユニークであり、またそのエピトープは従来知られていなかった癌抗原と考えられる。さらに、本研究成果は癌の化学療法における副作用軽減、薬剤耐性回避を可能にするターゲティング療法として有用であると考えられる。よって本研究を遂行した平川容子は博士(薬学)の学位を取得するに値すると判断した。

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