学位論文要旨



No 216935
著者(漢字) 池田,靖史
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,ヤスシ
標題(和) 自己組織性のある建築・都市のデザイン手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 216935
報告番号 乙16935
学位授与日 2008.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16935号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松村,秀一
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 准教授 千葉,学
 東京大学 准教授 清家,剛
内容要旨 要旨を表示する

はじめに 研究の背景と目的

本論は建築・都市の設計手法に、複雑系科学に代表される新しいシステム論の知見を応用することに着目し、その具体的な方法として複雑系アルゴリズムを使ったコンピューターシミュレーションと標準単位化されたモジュールデザインについて研究したものである。20世紀以降、数理的な情報理論と情報技術の発展に伴い、植物の繁殖、遺伝などの自然界のシステム性の解明と、それを人工物のデザインに応用する試みが展開して来た。これが複雑システム論であり、計算機による支援がその可能性を開いている。建築の分野においてもそれは構造解析等に寄与しつつあるものの、システム性を実践的な建築生産技術と結びつける試みは未だ不足しており、アルゴリズムをデザインへ利用する事の期待が高まっている。本論はコンピューターシミュレーションによるデザイン手法をその実現のための建築生産、建築構法と一体に考えることで、人間の都市的活動に柔軟に適合するシステムとしての環境をデザインする自己組織的な手法への展開を目指す。その研究の方法としてデザイン事例やコンピューターシミュレーションの試作を通じた、デザイン行為の検証を行う。最終的に自己組織性のある建築・都市のデザインが成立するための具体的な条件を見出すことを本論の研究の目的と定めた。

情報環境建築の実例からみた研究課題の設定

現代の建築において建築手法の自己組織性がもつ社会的な意義と課題を設定するために、最先端の情報環境のデザインとして小規模分散型の建築システムを提案した慶應義塾SFCデザインスタジオ棟の設計について考察した(図1)。この設計では情報技術の進化と環境融和への要請を両立させるような技術的方法が問われたことに対して、自律・分散・協調的な活動のダイナミズムを効率よく維持できるような仕組みを、高度なシステム化によって実現するべきものだと考えた。この事例から建築システムの技術的課題を次のように設定し、それぞれについて検討することにした。

・多様性と自律性をもつ標準単位化の技術 -ダイバーシティ

・建築的要素の効率的な再使用と、組織更新により資源消費を低減する技術

-サスティナビリティ

・人間の自己組織な社会活動とのダイナミックな連動を確保する技術

-アダプタビリティ

構成単位の非周期的配列による多様性とその効果

最初の技術課題である標準単位化と多様性の問題を検討するために、生物と人工物の特徴的な差異と考えられている配列の周期性に注目した。建築では音響的な理由等から適度にランダムなデザインが要請される場合がある。工業的な生産手法とこうした要請を調停する手段として、部分から展開するアルゴリズミックな方法が有効である。例えばL-システムという方法で2種類の形から展開生成されたサインのためのパターン(図2)は非周期的である。これは植物の形態のもつ数理性としても知られている。標準単位化は周期的配列のみに帰結するわけではない。標準単位が1種類でも、竹薮状の構造ユニットの例(図3)のように接合の仕方が数種類あれば展開的に準周期的なパターンが得られる。この場合構造体としてのパイプは密度の非偏在性を保ちながら、上下辺への接合角度についても多様性を獲得することで、単純な均等配列に比較して平行変形への脆弱性を回避している。この有機的なシステムに近い頑強性が非周期的配列の効果である。2種類の部品から非周期的なデザインが可能なことを示したペンローズ構造ユニットの例(図4、5)では、アルゴリズミックな配列方法は同じままで、あてはめるユニットの違いによる展開結果を瞬時に観察できることにコンピューターの優位性が発揮された。このような事例に共通していることは標準単位要素の規則的配列でありながらまとまりとばらつきを両立できる自己組織的方法という点である。

自己組織性に不可欠な構成要素の循環使用技術

次に構成単位要素の効率的な再使用の技術的課題について検討した。継続的な自己組織性を目指した建築システムは構成材の循環的使用というサスティナブルな技術でもある。何度も組み替えられて再使用される性能の確保は自己組織性の条件となる。仮設駅舎用の構造ユニット(図6)の設計を通じて、部品の標準化の設計に留まらず生産から流通、品質管理を行うためのシステムを設計する必要があることを見出した。またモジュールの組み替え可能性を高める要因を整理した(図7)。まず交換可能な同一性を有しており、部材の種類が少ないほど再使用できる確率が高くなり工業的な生産性も高まる(標準性)。次に組み替え作業にかかるエネルギーを小さく、仮設的準備を最小限にとどめ、短時間で分解と組み立てができるほど組み替えやすくなる(作業性)。モジュールの組み合わせによってできる配列は可能なかぎり多様で自由度を高くした方が再使用率を高める(多様性)。この性質が特に顕著に現れる例としての宇宙軌道上構造物(図8)のような極環境建築のケース・スタディは、自律的なモジュールが機能的に冗長であっても状況変化への適応性の高いことも示した。すなわち構成要素の標準化は生産時の経済性だけでなく構成要素の再使用や自律性の観点からも再考する必要がある。実際にモジュールを設計し、実験的に組み替えて使用したエアチューブによる超軽量仮設建築ISAK(Instant Street Architecture Kit)(図9)の観察等から、これらの3要素はお互いに相反しやすく、高度なバランスで達成するための配慮が求められることを見出した。

複雑系シミュレーションによる自己組織性の確認

社会的な利用への適合性を検討するため複雑系アルゴリズムを適用した建築提案とその設計に使うコンピューターシミュレーションの構築を行った。まずマルチエージェントモデルとして捉えた建築のシステム(図10)を考えて自己組織性のあるシステムについての基本的な要件を整理した。システムは鳥の群れや魚の群れのように、エージェントと呼ばれる単位要素が、単純なアルゴリズムをもとに継続的に更新を続けることで、システムの外側にある適応対象要因に対して自己組織的にその形式を変化させ創発的まとまりを示す。このモデルをもとに低層集合住宅の立体的なユニット配置について採光条件等をもとにアルゴリズムで求めるデザイン作業を行った。計算結果を継続的にモニターできるシミュレーター(図11)を構築し、エージェント間の相互作用のアルゴリズムやパラメーターの差による生成状況の違いを比較することによって、目的とするアルゴリズムを求めた。その後、階数や敷地条件のような初期条件を変えて計算させても、一定の範囲内においては同じように配列を最適化することから、自己組織的に適応する能力をもつシステムの実現可能性を確認した。このシミュレーターの構築に同時並行して、計算結果に基づいたユニットの立体的な配列が他の様々な建築的要請を満足するようにユニットのデザインを行った(図12)。実際には非常に高度な技術を必要とするこの作業から単位モジュールとアルゴリズムを総合するデザインの困難さも認識され、このケースは建設後の更新について構法的な解決が不十分だったため初期設計時の最適化を求める設計段階シミュレーションに留まった。そこでこのほかに展示空間を回遊する人間とその動きを感知してパネルを回転させるシミュレーションの作成(図13)も行った。自己組織性のある建築・都市のデザイン手法におけるシミュレーションの役割にはいくつかの応用段階が考えられる(図14)がその間でアルゴリズム自体は共通している。本論が目指す建築・都市のデザインは更新段階での自己組織性だが、分析段階から始まるアルゴリズムの発見と調整がシミュレーションの目的である。展示空間の回転パネルを鑑賞者の回遊行動を適応対象にした二重のシミュレーションを作ったことにそれが現れている。これは環境の方から人間の行為を誘発したり規定したりする効果を認識すれば当然のことであり、ここに至り人間の社会的活動が持っている自己組織的な性質との連携をシミュレーションによって引き出すという最終的なモデルが示されたのである。

自己組織性のある建築のデザインが成立する要件

建築が自己組織化するという議論に奇異な印象を持たれたかもしれない。だが自己組織化は人間の都市的社会形成にあり、歴史的な都市の景観と空間がその何よりの証左である。計算機の能力と複雑システム論をデザインに取り込むことでその働きを支援し促進することを本論は一貫して唱えている。ただ人間の活動に適合して創発的な目的を果たす適切なアルゴリズムを発見することは容易ではない。またアルゴリズムによる更新動作を前提にした単位モジュールの設計にも高度な技術が必要とされる。したがって自己組織性のある建築・都市のデザインは今すぐに実現可能であるとは言いがたいが、そのデザインは複雑系モデルのコンピューターシミュレーションによる試行錯誤が可能になる。コンピューターが生み出す形態がデザインなのではなく、シミュレーションを使ってアルゴリズムやモジュールを設計することが、自己組織性のある建築・都市のデザインである。自己組織性のあるデザインが成立するための要件について整理した (図15) 。これは設計行為の無人化ではなく、組み替え可能なモジュール単位の設計、その単位に働く相互作用的な情報交換と環境の更新方法としてのアルゴリズムの設計、そして環境を使う人間の行動を理解して働きかけるアクティビティのデザインの3つを同時に設計することで、はじめてシステムがその自己組織的能力を発揮する。シミュレーションでこの全てを総合的にデザインすることがより高度な新しいデザインの段階なのである。

審査要旨 要旨を表示する

提出された学位請求論文「自己組織性のある建築・都市のデザイン手法に関する研究」は、建築・都市の設計手法に、複雑系科学に代表される新しいシステム論の知見を応用することに着目し、その具体的な方法として複雑系アルゴリズムを使ったコンピューターシミュレーションと標準単位化されたモジュールデザインの方法を提案したものであり、全6章からなっている。

第1章では、研究の背景、目的、既往の関連研究の成果等を明らかにしている。具体的には、20世紀以降の発展した複雑システム論を建築生産技術と結びつける試みが不足していることを指摘した後、コンピューターシミュレーションによるデザイン手法をその実現のための建築生産、建築構法と一体に考えることで、人間の都市的活動に柔軟に適合するシステムとしての環境をデザインする自己組織的な手法を提示するとともに、自己組織性のある建築・都市のデザインが成立するための具体的な条件を明らかにすることを目的とするとしている。

第2章「情報環境における実態的な課題と建築のシステム性」では、現代の建築において建築手法の自己組織性がもつ社会的な意義と課題を明らかにしている。具体的には、最先端の情報環境デザインとしての小規模分散型建築システムの提案を通じて、建築システムの技術的課題が、多様性と自律性をもつ標準単位化の技術(ダイバーシティ)、建築的要素の効率的な再使用と、組織更新により資源消費を低減する技術(サスティナビリティ)、人間の自己組織な社会活動とのダイナミックな連動を確保する技術(アダプタビリティ)に整理できることを指摘している。

第3章「構成単位の非周期的配列による多様性とその効果」では、生物と人工物の特徴的な差異と考えられている配列の周期性に注目し、前章で整理した3課題の内の一つである標準単位化と多様性の問題に応える手法を提示している。具体的には、2種類の形から非周期的なパターンを展開生成する手法、1種類の単位部品に数種類の接合を用意することで展開的に準周期的なパターンを得る手法、アルゴリズミックな配列方法を同一としながら、2種類の単位をあてはめることにより得られる非周期的な展開結果を瞬時に観察するコンピューター手法を提示し、その効用を明らかにすることで、標準単位要素の規則的配列でありながらまとまりとばらつきを両立できる自己組織的方法が成立することを明らかにしている。

第4章「自己組織性に不可欠な構成要素の循環使用技術」では、2章で整理した3課題の内の一つである構成単位要素の効率的な再使用の技術的課題に応える手法を提示している。先ず、部品のリユースを実現する手法の検討を通じて、生産から流通、品質管理を行うためのシステムを設計することの必要性を指摘し、単位部品の組替え可能性を高める要因として、標準性、作業性、多様性という3つの性質が重要であることを詳細に明らかにしている。更に、この性質を応用した極環境建築のケース・スタディによって、自律的な単位が機能的に冗長であっても状況変化への適応性は高いことを、超軽量仮設建築による単位の組替え実験によって、3つの性質が相反しやすく、高度なバランスで達成するための配慮が求められることを、それぞれ指摘している。

第5章「自己組織性のある建築の複雑系シミュレーション」では、複雑系アルゴリズムを適用した建築提案とその設計に使うシミュレーションの構築を行い、社会的な利用への適合性を検証している。先ず、マルチエージェントモデルとして建築のシステムを捉えることの妥当性を吟味し、このモデルをもとに低層集合住宅の立体的なユニット配置を要求条件に関するアルゴリズムで求めるデザイン手法を構築し、自己組織的に適応する能力をもつシステムの実現可能性を確認している。次いで、展示空間を回遊する人間とその動きを感知してパネルを回転させるシミュレーションの構築を通じて、分析段階から始まるアルゴリズムの発見と調整を実現し、人間の社会的活動が持っている自己組織的な性質と環境デザインとの間の連携を可能にする方法を明らかにしている。

第6章「結論」では、前5章で新たに得られた知見に基づき明らかになった自己組織性のある建築・都市のデザイン手法の要件と展開可能性を整理し、本論文の結論としている。

以上、本論文は、豊富なデザイン手法の開発とその実装実験を通じて、自己組織性のある建築・都市のデザイン手法とその可能性を具体的かつ詳細に明らかにした論文であり、建築学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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