学位論文要旨



No 216947
著者(漢字) 鶴岡,百合子
著者(英字)
著者(カナ) ツルオカ,ユリコ
標題(和) ウエアラブルセンサデータを利用した歩行安定性の定量的解析手法
標題(洋) Quantitative Analysis Methods for Walking Stability Utilizing Data from a Wearable Sensor
報告番号 216947
報告番号 乙16947
学位授与日 2008.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16947号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 保坂,寛
 東京大学 東京大学 丸山,祐造
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

歩行は、毎日の生活に欠かせない動作である。安定した歩行は、健康で快適な生活を送るため、予防医学の見地から健康管理のために重要である。従来のリハビリテーション医学では、腰や膝などの関節間の協調性やフィードバック性に注目した生体医工学解析はなされていない。医師の経験歴や洞察眼に依存した診断とリハビリテーション治療、X線画像などによる静止状態による診断が主体で、身体運動器の疾患であっても、身体の動的状態の定量的で客観性のある診断や、治療はほとんど行われていない。そのため歩行動態のメカニズムは、明確な理解はされなかった。下肢に痛みや麻痺などの疾患を持ち、自立歩行に支障をきたした疾患者の診断が中心であり、予防医学の見地から、健康管理を目的とした健常者の歩行診断は、ほとんど行われていない。

バイオメカニクス研究分野では、モーションキャプチャによる身体計測研究がある。カメラを固定するため、計測距離が歩行解析にとって十分ではない。装置も大がかりで広い空間が必要となる。歩行中、関節上のマーカーがカメラの死角で見えなくなることもある。

以上の背景により本研究では歩行動態解析のための、次の新しい生体医工学的解析手法を提案し、検証することを目的とする。

関節間のフィードバック性や協調性,および周期性に注目した歩行の安定性の生体医工学解析手法の提案

歩行の安定性における重要な視点は、身体を支える体重心が一定のリズムを持つこと、関節間の協調性、フィードバック性などが挙げられる。腰痛症疾患者や下肢疾患者の場合、歩行制御機構の障害のため、体重心の周期的歩行リズムが悪くなり、また、腰と膝などの関節の動きの滑らかさが減少し、関節間の動きの協調性とフィードバック関係にも乱れが生じ、外乱による応答も弱まることが考えられる。健常者の場合においても、現在痛みなど自覚症状などがなくても、生活習慣などの原因により、周期的歩行リズムが乱れることが考えられる。

以上をふまえ本研究では、静止状態による解析ではなく、関節間の協調性やフィードバック性、体重心の動的プロセスを考慮した統計的数理モデリング手法を提案し、ウエアラブルセンサの加速度データを利用し、原データからでは解析が困難な、歩行中の身体動態の安定性を定量的に解析する。

関節間のフィードバック性や協調性,および周期性に注目した歩行の安定性の生体医工学解析手法の検証

1. 歩行中の腰と膝との相対パワー寄与率とステップ応答解析

軽度腰痛症被験者の歩行中の腰と膝との寄与関係の定量的解析を行った。歩行中の腰と膝の加速度を計測し、双方の協調性とフィードバック性に着目し、多変量自己回帰モデルを用いた相対パワー寄与率解析を行った。軽度腰痛症疾患者はダイナミックシュウインソール(歩行中の身体の動きのバランス改善を観察しながら、各患者ごとに作成した種々のパッドを貼った靴の中敷)を装着すると、歩行中の身体バランスが改善され、歩行の安定性が増し、腰痛も軽減されることが知られている。ダイナミックシュウインソール装着時は、非装着時と比較して、腰に対する両膝の寄与が明らかに大きくなり、歩行の安定性が増加したことを図示で可視化するとともに定量的に示した。

さらに、ステップ応答解析により、歩行中の腰に単位ステップシグナルを加え、外乱による膝の応答を解析すると、歩行改善時には応答波形がなめらかになり、分散値も小さくなり、改善を定量的に示した。

2. 歩行中の左右の腰の相対パワー寄与率解析

健常者における歩行中の両腰の寄与関係の定量的解析を行った。

重い荷物を持った歩行と、荷物を持たない場合の歩行において、歩行中の両腰の加速度を計測した。両腰の協調性とフィードバック性に着目し、多変量自己回帰モデルを利用した相対パワー寄与率解析を行った。その結果、重い荷物を持った場合の歩行は荷物を持たない場合の歩行と比べて、右腰に対する左腰の寄与が減少し、左腰に対する右腰の寄与も減少した。左右の腰の協調関係が弱まり、両腰に負担がかかることを定量的に示した。

3. 季節調整モデルを利用した歩行の安定性の時系列解析

健康な学生の日常における歩行の安定性の定量的解析を行った。

最初に、学生が通常履いている靴歩行と、踵が固定してなく歩きにくいスリッパ歩行において、歩行中における体重心の加速度を計測し、それぞれの安定性を解析した。体重心の周期性に着目し、周期変動を考慮した予測ができる季節調整モデルを利用し、安定性要因の周期変動の成分とそれ以外の不安定性要因の成分とに分解した。そしてそれらの分散値の比から歩行の安定性を定量的に解析した。体重心の周期的リズムが悪いスリッパ歩行時は、通常履いている靴歩行時と比較し、明らかに歩行の不安定性が大きいことが示された。

次に別の健康な学生が通常履いている靴において、歩行中の体重心の加速度を計測した。季節調整モデルにより、各被験者特有の周期的リズムを抽出することができ、その安定性要因の周期変動の成分とそれ以外の不安定性要因の成分との分散値の比から歩行の安定性を定量的に解析した。各被験者特有の周期的リズムに対する周期的リズムの乱れの割合が小さいほど、安定性が高くなることを示した。季節調整モデルは状態空間モデルで表現することができ、カルマンフィルタにより、状態ベクトルを推定できる。

以上の検証例より提案する歩行の安定性の定量的解析手法が確認できた。

結論

協調性、feedback性、周期性に注目した新しい歩行の生体医工学解析結果は健康管理のための予防医学及び、リハビリテーション医学においても有効な情報を示唆すると思われる。

またこれらの解析手法は腰と膝の関節のみならず、腰と肩、腰と足首などの関節間の寄与関係においても利用できると思われる。

今後の課題として、健常者及び疾患者の症例数を増加、蓄積し、解析手法の実用化をめざしたい。靴の相違、疲労時とリラックス時、転倒防止のための床面の相違などの歩行の安定性解析、さらにスポーツ選手の動態解析、下肢疾患者のリハビリテーション改善の解析などへの有効利用を考えている。

審査要旨 要旨を表示する

高齢化社会が確実に進み、また社会保険問題などが影響して人々の健康に対する関心は非常に高い。健康に関連する人々の活動の中で、特に歩行は日常的な活動であるが故に、非常に重要である。安定した歩行は、健康で快適な生活を送るため、予防医学の見地からも着目されている。しかしながら、自身の歩行に関して得られる情報は一般に万歩計などによる「歩数」情報に限られることが多く、歩行量はわかるものの、安定的で健康な歩行を行っているのかどうかといった質に関する情報は得られなかった。またリハビリテーション医学でも専門家が目視により歩行の不安定性などの問題を抽出・評価するにとどまっており、症状の改善度合いが患者にわかりにくい、定量化しにくいなどの課題が指摘されている。特に、腰や膝などの関節間の協調性やフィードバック性に注目した生体医工学解析はこれまでなされていない。また一方、バイオメカニクス研究分野では、モーションキャプチャによる身体計測研究がある。しかし、多数の計測用カメラを固定して撮影する必要があり、計測空間がどうしても狭隘になるなど、移動を伴う歩行解析にとって十分ではなかった。また装置も大がかりで広い空間が必要となるなどの、適用上の課題もあった。その一方でMEMS技術の進歩などにより高性能センサの小型化が急速に進みつつあり、これらのセンサを直接身体に装着することで、歩行に関するデータを比較的容易に取得する環境が整いつつある。

こうした背景から、本研究では身体に装着された小型センサ(ウェアラブルセンサ)から歩行データを得、歩行の動態解析を行う手法の開発を目標としている。特に静止状態による解析ではなく、関節間の協調性やフィードバック性、体重心の動的プロセスを考慮した統計的数理モデリング手法を提案することに焦点をあてている。

本論文は5章からなっている。第1章はイントロダクションであり、研究の背景、目的と既存研究のレビュー結果を述べている。

第2章は、歩行中の腰と膝との相対パワー寄与率とステップ応答解析であり、軽度腰痛症被験者の歩行中の腰と膝との寄与関係の定量的解析を行っている。歩行中の腰と膝の加速度を計測し、双方の協調性とフィードバック性に着目し、多変量自己回帰モデルを用いた相対パワー寄与率解析を行った。軽度腰痛症疾患者はダイナミックシュウインソール(歩行中の身体の動きのバランス改善を観察しながら、患者ごとに作成した種々のパッドを貼った靴の中敷)を装着すると、歩行中の身体バランスが改善され、歩行の安定性が増し、腰痛も軽減されることが知られている。ダイナミックシュウインソール装着時は、非装着時と比較して、腰に対する両膝の寄与が明らかに大きくなり、歩行の安定性が増加したことを図示で可視化するとともに定量的に示している。さらに、ステップ応答解析により、歩行中の腰に単位ステップシグナルを加え、外乱による膝の応答を解析すると、歩行改善時には応答波形がなめらかになり、分散値も小さくなり、改善を定量的に示している。

第3章は、歩行中の左右の腰の相対パワー寄与率解析であり、健常者における歩行中の両腰の寄与関係の定量的解析を行った。重い荷物を持った歩行と、荷物を持たない場合の歩行において、歩行中の両腰の加速度を計測した。両腰の協調性とフィードバック性に着目し、多変量自己回帰モデルを利用した相対パワー寄与率解析を行った。その結果、重い荷物を持った場合の歩行は荷物を持たない場合の歩行と比べて、右腰に対する左腰の寄与が減少し、左腰に対する右腰の寄与も減少することが明らかになった。左右の腰の協調関係が弱まり、両腰に負担がかかることを定量的に示した。

第4章は季節調整モデルを利用した歩行の安定性の時系列解析であり、健康な学生の日常における歩行の安定性の定量的解析を行っている。最初に、学生が通常履いている靴歩行と、踵が固定してなく歩きにくいスリッパ歩行において、歩行中における体重心の加速度を計測し、それぞれの安定性を解析した。体重心の周期性に着目し、周期変動を考慮した予測ができる季節調整モデルを利用し、安定性要因の周期変動の成分とそれ以外の不安定性要因の成分とに分解した。そしてそれらの分散値の比から歩行の安定性を定量的に解析した。体重心の周期的リズムが悪いスリッパ歩行時は、通常履いている靴歩行時と比較し、明らかに歩行の不安定性が大きいことが示された。次に別の健康な学生が通常履いている靴において、歩行中の体重心の加速度を計測した。季節調整モデルにより、各被験者特有の周期的リズムを抽出することができ、その安定性要因の周期変動の成分とそれ以外の不安定性要因の成分との分散値の比から歩行の安定性を定量的に解析した。各被験者特有の周期的リズムに対する周期的リズムの乱れの割合が小さいほど、安定性が高くなることを示した。

第5章は結論であり、上記の成果と今後の課題をまとめている

以上をまとめると、実際のデータによる検証を通して、歩行の安定性という視点から、関節間の協調性やフィードバック性、体重心の動的プロセスを考慮したユニークな統計的数理手法を開発している。本成果は、空間情報学・工学に大きな貢献をしている。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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