学位論文要旨



No 216948
著者(漢字) 岡村,俊和
著者(英字)
著者(カナ) オカムラ,トシカズ
標題(和) ブレーキディスクの作動安定性におよぼす材質および表面性状の影響
標題(洋)
報告番号 216948
報告番号 乙16948
学位授与日 2008.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16948号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,孝久
 東京大学 教授 酒井,信介
 東京大学 教授 金子,成彦
 東京大学 教授 鎌田,実
 東京大学 教授 小関,敏彦
内容要旨 要旨を表示する

自動車のブレーキシステムにおいては,制動力の安定化と振動・騒音の低減が重要課題である.ブレーキの摩擦特性の安定化に関する従来の研究は,いわゆる狭義の摩擦材(ディスクブレーキ用パッドやドラムブレーキ用ライニング)を主な対象としており,ディスクに関する研究はあまり見当たらなかった.しかながら,ディスクブレーキは,ディスクとパッドの両者の間に生ずる摩擦力によって機能しており,本来,ディスクも摩擦材と呼ぶべきである.本研究では,ブレーキディスクに着目して,製造工程とその結果生ずる特性,すなわち,材質および加工精度・粗さなどがブレーキの作動安定性におよぼす影響を明らかにし,車の生涯を通じてディスクの摩擦摩耗特性を安定させることによって,車の品質を向上することを目指した.具体的な研究課題として,第2 章では,「ブレーキジャダーにおよぼすディスク鋳鉄素材の黒鉛形態の影響」について,第3 章では,「ブレーキの摩擦特性におよぼすディスク表面性状の影響」について論ずる.

第 1 章は,本研究全体の序論である.

ブレーキディスクに関わる最近の技術的な関心事をレビューした後,本研究の位置付けと目的について述べる.あわせて,すべり軸受けおよび研削加工と比較することによって,ディスクブレーキのトライボロジー現象の特徴を明らかにする.

第 2 章では,「ブレーキジャダーにおよぼすディスク鋳鉄素材の黒鉛形態の影響」について研究した.

ブレーキジャダーは,自動車の振動・騒音における重要課題であり,その原因としてさまざまなメカニズムが研究されてきた.ジャダーの主な要因はディスクの板厚変動(Disc Thickness Variation, DTV)2である.ホイールハブに組み付けられたディスクの面振れが大きい場合には,非制動中にディスクがパッドで擦られて局所的に摩耗し,板厚変動が大きくなる.この種のジャダーはコールドジャダーとも呼ばれ,車両搭載時内側のしゅう動面と外側の面が,ホイール中心に対して点対称となる位置で摩耗することが特徴であり,ディスクの加工精度を向上することによって,改善することができる.一方,ホットドジャダーと呼ばれる種類のジャダーは,主に熱変形によって発生し,ディスクの形状を工夫することによって改善される.さらに,制動時の摩耗による経時劣化ジャダーに対して,ディスク材質の均一性が大きな影響をおよぼす.これが,第2 章の主題である.

第1ステップでは,ディスクの円周方向の不均一さに着目して,ディスクの摩耗におよぼす鋳鉄の材質の影響を把握するための基礎実験を行った.鋳造時の冷却速度の分布を意図的に変化させることによって,円周方向の不均一さを拡大した鋳鉄試験片を製作し,化学的成分と冷却速度によって変化する,黒鉛および基地組織ならびに硬さの違いが,摩耗量におよぼす影響について調査した.その結果,ディスク材質の円周方向の不均一さによって,偏摩耗が発生することが確認できた.また,局所的な摩耗の生じる位置と鋳造時の冷却速度の大小との関係は,一義的には決まらないことが明らかになった.

第2ステップでは,ブレーキジャダーという車の振動現象とディスク素材の円周方向の均一性の関係に着眼し,実車でジャダーの発生したディスクを改めて調査・分析した.ディスクの板厚変動⇒円周方向の摩耗量の差⇒鋳造方案に起因する黒鉛組織の均一性という順にさかのぼり,制動時の摩耗に起因するジャダーの発生を,ディスク鋳鉄素材の黒鉛形態と対応させた.分析にあたって,共同研究者らが提案したねずみ鋳鉄における黒鉛組織の定量評価指標(Flake Graphite Structure Index, K-FGI)を適用し,その使い方を工夫することによって,実車でジャダーが問題となる板厚変動に対応する黒鉛組織のしきい値を求めた.K-FGIを用いて,ディスク素材の均一性を評価することによって,動的な試験を実施せずに,実車における板厚変動の増加を予測することができる.

さらに,実車走行後のディスクの摩耗状況を,実験室でブレーキダイナモを用いて短期間に再現できる,繰り返し制動摩耗促進試験を提案した.ブレーキディスクの均一性としては従来実績並みであっても,パッドやキャリパの特性が変化すると,板厚変動が増加する場合もある.実車での評価を行う前に,摩耗促進試験によって,ブレーキシステムとしての板厚変動を予測することが可能である.

黒鉛組織の定量評価指標を用いた均一性の評価と,繰り返し制動進試験による摩耗状況の評価を総合して,製品開発の早い段階で市場でのジャダー発生の可能性を評価することにより,ディスク均一性の改善要否を判断し,鋳造方案対策に結び付けるしくみを提案した.本研究で提案したプロセスを新部品の開発に適用して,ディスク素材の均一性を改善し,板厚変動を減少させること(図1)によって,ブレーキジャダーという車の振動現象を改善することができた.

第 3 章では,「ブレーキの摩擦特性におよぼすディスク表面性状の影響」について研究した.

ブレーキディスクは,車の生涯を通じて摩耗が少なく,安定した制動力を維持することが求められている.しかしながら,車の購入直後,あるいは,ディスクやパッドの交換直後に,ブレーキの効きが安定しない場合もある.ディスクに対する攻撃性の小さいノンアスベスト摩擦材が一般的になるにしたがって,このような現象が顕在化してきた.車の使用初期の過渡的な状態でも,安定した制動性能を得られるブレーキシステムを実現することが重要である.

ディスクのしゅう動面は,通常,研削や旋削などの仕上げ加工が施されており,各々の加工方法には,ブレーキの効きや原価などの得失がある.本章では,ディスクしゅう動面の仕上げ方法および表面性状ならびに摩擦材の違いが,車の使用初期における摩擦摩耗特性に対して,どのような影響をおよぼすかを解明し,安定した制動性能を実現できるしゅう動面性状の特徴を明らかにすることを目的とした.

第1ステップでは,研削加工および一種の塑性加工であるローラバニッシによって仕上げられたディスクと,特性の異なる5種類の摩擦材とを組み合わせて,繰り返し制動試験を行った.その結果,ディスクしゅう動面の仕上げ方法と摩擦材の両者が,使用初期段階の摩擦摩耗特性に影響することを検証できた.攻撃性の高い摩擦材は,摩擦特性が安定するまでに要する期間は短いが,ディスクの摩耗量が大きい.また,摩擦特性におよぼすディスクの表面性状と摩擦材の影響には相互作用が存在する.

第1ステップの実験において,ディスクのしゅう動面仕上げ方法の差が最も顕著に現れた摩擦材を用いて,ディスクの表面性状がブレーキの摩擦特性におよぼす影響について,さらに研究を進めた.第2ステップでは,加工精度と面粗度の影響を分離するために,さまざまな加工方法で仕上げられた多数のディスクを用いて繰り返し制動試験を行い,面粗度とあわせてしゅう動面の加工精度も使用初期段階の摩擦特性に影響することを確認した.さらに,第3ステップでは,摩擦特性の安定性におよぼすしゅう動面粗さの影響を評価するために,加工精度は同等で面粗度の異なるディスクを用いた実験を行い,摩擦特性の安定性に対して最適な面粗度の範囲があることを確認した(図2).

ブレーキディスクのしゅう動面性状が摩擦特性におよぼす影響を評価するに先立って,日米欧の主要自動車メーカーのディスクを調査し,しゅう動面の仕上げ方法および加工精度ならびに粗さの動向を把握した.さらに,粗さの測定方向と使用時の摩擦方向が異なっており,摩耗しながら使われるというディスクの特徴を考慮した粗さ指標を提案した.その指標を用いて,研削およびローラバニッシという仕上げ方法による表面性状の違いを分析し,繰り返し制動試験の結果について考察することによって,ディスクの接線方向の粗さが,使用初期段階の摩擦特性に対して重要な役割を果たすことを検証した.また,ブレーキディスクとパッドの間の摩擦摩耗現象と,研削加工との類似性に着目して,ディスクしゅう動面の粗さが車の使用初期段階の摩擦特性に影響を与えるメカニズムの仮説をたて,実験結果と照合することによってその妥当性を裏付けた.あわせて,研削およびローラバニッシによって仕上げられた表面性状の違いを簡易的にモデル化して,繰り返し制動試験中の粗さの変化をシミュレートし,仕上げ方法による摩擦特性の違いのメカニズムを推定した.

第 3 章の研究によって,しゅう動面の面性状が,使用初期段階の摩擦特性の安定性に影響することを確認し,摩擦特性を安定させる面性状を明らかにした.その結果に基づいて,摩擦材の特性に応じた表面仕上げ方法と粗さの推奨値を提案し,車の制動性能の安定性を向上させることができた.

第 4 章は,本研究全体の結論である.

本研究では,ブレーキディスクに着目して,製造工程とその結果生ずる特性,すなわち,材質および表面性状が,ブレーキの作動安定性におよぼす影響を明らかにした.本研究で得られた知見に基づいて,ディスクの材質を均一化し,あるいは,しゅう動面の面性状を改善することによって,自動車のブレーキシステムにおける摩擦摩耗特性の安定化を図り,車の生涯を通じた品質の向上,すなわち,制動性能の安定化と振動・騒音性能の改善に貢献することができる.

図 1 ディスク材質の均一性(K-FGI の範囲)の改善による板厚変動の低減

図 2 摩擦特性におよぼすしゅう動面仕上げ粗さの影響

審査要旨 要旨を表示する

自動車のブレーキシステムにおいては,制動力の安定化と振動・騒音の低減が重要課題である.ブレーキの摩擦特性の安定化に関する従来の研究は,いわゆる狭義の摩擦材(ディスクブレーキ用パッドやドラムブレーキ用ライニング)を主な対象としており,ディスクに関する研究はあまり見当たらなかった.しかながら,ディスクブレーキは,ディスクとパッドの両者の間に生ずる摩擦力によって機能しており,本来,ディスクも摩擦材と呼ぶべきである.本研究では,ブレーキディスクに着目して,製造工程とその結果生ずる特性,すなわち,材質および加工精度・粗さなどがブレーキの作動安定性におよぼす影響を明らかにし,車の生涯を通じてディスクの摩擦摩耗特性を安定させることによって,車の品質を向上することを目指した.

第1章序論では,ブレーキディスクに関わる最近の技術をレビューした後,本研究の位置付けと目的を示した.

第2章では,「ブレーキジャダーにおよぼすディスク鋳鉄素材の黒鉛形態の影響」について研究した内容を報告している.

まず,ディスクの円周方向の不均一さに着目して,ディスクの摩耗におよぼす鋳鉄の材質の影響を把握するために行った実験を示している.鋳造時の冷却速度の分布を意図的に変化させることによって,円周方向の不均一さを拡大した鋳鉄試験片を製作し,化学的成分と冷却速度によって変化する,黒鉛および基地組織ならびに硬さの違いが,摩耗量におよぼす影響について調査した.その結果,ディスク材質の円周方向の不均一さによって,偏摩耗が発生することが確認でき,また,局所的な摩耗の生じる位置と鋳造時の冷却速度の大小との関係は,一義的には決まらないことを明らかにした.

続いて,実車でジャダーの発生したディスクを改めて調査・分析した.ディスクの板厚変動⇒円周方向の摩耗量の差⇒鋳造方案に起因する黒鉛組織の均一性という順にさかのぼり,制動時の摩耗に起因するジャダーの発生を,ディスク鋳鉄素材の黒鉛形態と対応させた.分析にあたって,ねずみ鋳鉄における黒鉛組織の定量評価指標(Flake Graphite Structure Index, K-FGI)を適用し,その使い方を工夫することによって,実車でジャダーが問題となる板厚変動に対応する黒鉛組織のしきい値を求めた.K-FGIを用いて,ディスク素材の均一性を評価することによって,動的な試験を実施せずに,実車における板厚変動の増加を予測することができることを示した.

そして,黒鉛組織の定量評価指標を用いた均一性の評価と,繰り返し制動進試験による摩耗状況の評価を総合して,製品開発の早い段階で市場でのジャダー発生の可能性を評価することにより,ディスク均一性の改善要否を判断し,鋳造方案対策に結び付けるしくみを提案した.本研究で提案したプロセスを新部品の開発に適用して,ディスク素材の均一性を改善し,板厚変動を減少させることによって,車の振動現象を改善することができたことを示した.

第3章では,「ブレーキの摩擦特性におよぼすディスク表面性状の影響」について研究した結果を報告している.

まず,研削加工および一種の塑性加工であるローラバニッシによって仕上げられたディスクと,特性の異なる5種類の摩擦材とを組み合わせて,繰り返し制動試験を行い,その結果,ディスクしゅう動面の仕上げ方法と摩擦材の両者が,使用初期段階の摩擦摩耗特性に影響することを検証した.そして,攻撃性の高い摩擦材は,摩擦特性が安定するまでに要する期間は短いが,ディスクの摩耗量が大きいこと,および,摩擦特性におよぼすディスクの表面性状と摩擦材の影響には相互作用が存在することを示した.

続いて,加工精度と面粗度の影響を分離するために,さまざまな加工方法で仕上げられた多数のディスクを用いて繰り返し制動試験を行い,面粗度とあわせてしゅう動面の加工精度も使用初期段階の摩擦特性に影響することを確認した.さらに,摩擦特性の安定性におよぼすしゅう動面粗さの影響を評価するために,加工精度は同等で面粗度の異なるディスクを用いた実験を行い,摩擦特性の安定性に対して最適な面粗度の範囲があることを示した.

本章の研究によって,しゅう動面の面性状が,使用初期段階の摩擦特性の安定性に影響することを確認し,摩擦特性を安定させる面性状を明らかにしたと言える.そして,その結果に基づいて,摩擦材の特性に応じた表面仕上げ方法と粗さの推奨値を提案し,車の制動性能の安定性を向上させることができたことを言及している.

第4章は,本研究全体の結論である.本研究を通して得られた結論および将来展望を総括している.

以上のように,本研究では材質および表面性状がブレーキディスクの作動安定性について与える影響を詳細に検討したものであり,また,その結果を実機に適用してブレーキディスクの品質向上,すなわち作動性能の安定化および振動・騒音性能の改善に多大な貢献したものである.よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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