学位論文要旨



No 216954
著者(漢字) 若松,正樹
著者(英字)
著者(カナ) ワカマツ,マサキ
標題(和) ヒトα-synucleinを発現するトランスジェニックマウスの作出と解析
標題(洋)
報告番号 216954
報告番号 乙16954
学位授与日 2008.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16954号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
内容要旨 要旨を表示する

パーキンソン病は,安静時振戦,無動,筋固縮等の運動障害を主症状とする神経変性疾患である.パーキンソン病患者の脳では,黒質緻密部のドーパミン神経細胞が選択的に脱落するために,その投射先である線条体でドーパミンが欠乏し,これが種々の症状の原因となっている.パーキンソン病の発症原因は不明であったが,家族性パーキンソン病患者の遺伝学的解析の結果,α-synucleinが病因遺伝子の一つであることが明らかになった.一方,パーキンソン病の病理学的特徴の一つとして残存したドーパミン神経内にレビー小体と呼ばれる細胞質内封入体が出現するが,その主要構成成分が,不溶性線維を形成したα-synuclein蛋白質であることも明らかになった.従って,α-synucleinは,家族性パーキンソン病だけでなく,孤発性のパーキンソン病の発症にも深く関わっていると考えられる.

ところで,レビー小体に蓄積したα-synucleinの一部は,燐酸化やC末端領域の切断等の修飾を受けていることが知られている.これらの翻訳後修飾を受けたα-synucleinは,修飾を受けていないα-synucleinに比べて,凝集性が高いと報告されており,このことがレビー小体の形成に深く関与している可能性がある.また,Ser129位の燐酸化はα-synucleinの細胞毒性の発現に関わること,C末端領域が欠損したα-rsynucleinを高発現する培養神経細胞は酸化ストレスに対して脆弱であることが報告され,これらの翻訳後修飾がパーキンソン病の発症に関与しているのではないかと考えられている.しかし,これまでに,Ser129位の燐酸化やC末端領域の切断が,ドーパミン神経細胞に与える影響をin vivoで解析した報告は少ない.

本研究で著者らは,α-synucleinの翻訳後修飾とパーキンソン病発症の関係を明らかにするために,ドーパミン神経細胞で全鎖長,もしくはC末端領域10残基が欠損したヒトα-synucleinを高発現するトランスジェニック(Tg)マウスを作出し,生化学的,病理学的及び行動薬理学的に解析した.

1.全鎖長のヒトα-synucleinをドーパミン神経で発現するトランスジェニックマウス(Syn140m)の作出と解析

ラット・チロシンヒドロキシラーゼ(TH)プロモーターの制御下でAla53Thr変異を持つ全鎖長のヒトα-synuclein(ha-syn140m)を高発現するTgマウス,Syn140m-01-1を作出した.当該マウスの脳では,ha-syn140mが,中脳の黒質緻密部や腹側被蓋野,あるいは嗅球等におけるドーパミン神経の細胞体と軸索で発現しており,黒質緻密部と腹側被蓋野からそれぞれ入力を受ける線条体と側坐核にも輸送されていた.Syn140m-01-1の中脳におけるha-syn140mの量は,内在性α-synucleinの約42%と,比較的高い発現量であった.しかし,Syn140m-01-1の脳にレビー小体やドーパミン神経細胞の脱落は認められず,また当該マウスに運動障害も認められなかった.従って,ha-syn140mがドーパミン神経細胞で高発現するだけでは,パーキンソン病の症状は惹起されないと推測された.

Ser129位が燐酸化されたα-synucleinがSyn140m-01-1のドーパミン神経細胞でどのように蓄積しているか解析するために,当該修飾を特異的に検出する抗体を用いて免疫染色を行った.その結果,中脳では,ドーパミン神経細胞の約3分の1において,Ser129位が燐酸化されたha-syn140mが検出された.また,核に局在するha-syn140mが特に強く燐酸化されていた.燐酸化されたα-synucleinが検出された細胞の割合が加齢に伴って変化しなかったことから,in vivoのドーパミン神経細胞ではα-synucleinが恒常的な燐酸化/脱燐酸化を受けていると推測された.また,Ser129位の燐酸化に関わると報告されている酵素のうち,カゼインキナーゼ2(CK-2)も核に多く局在していた.従って,中脳では燐酸化されたha-syn140mとCK-2が核に共局在していると考えられた.このことから,in vivoにおけるSer129位の燐酸化には,CK-2が関与していると推測された.

2.C末端領域10残基が欠損したヒトα-synucleinをドーパミン神経で発現するトランスジェニックマウス(Syn130m)の作出と解析

α-synucleinのC末端領域の切断が,ドーパミン神経細胞に与える影響を解析するために,ラットTHプロモーターの制御下で,Ala53Thr変異を持ち,且つC末端領域10残基が欠損したヒトα-synuclein(ha-syn130m)を発現するTgマウス,Syn130mを作出した.C末端領域の欠損の長さは,in vitroの試験でC末端領域10残基の欠損がα-synucleinの凝集性を高めるのに十分であったことから,10残基とした.

興味深いことに,高発現ラインであるSyn130m-1702と2402の中脳では,黒質緻密部のTH陽性神経細胞数が,それぞれ野生型(WT)マウスの約55%と80%に減少していた.細胞減少の程度は,ha-syn130mの発現量に相関していた.また,1)ニッスル染色やヘマトキシリン・エオジン染色でも神経細胞体の減少が認められたこと,2)ha-syn130m発現細胞のほとんどがTH陽性であったこと,3)中脳でドーパミン神経細胞のマーカー遺伝子の発現が特異的に低下していたこと,から,この細胞減少は,単にTH蛋白質の発現が低下した結果ではなく,ドーパミン神経細胞そのものが消失した結果であると考えられた.一方,全鎖長のα-synucleinを同量程度発現するTgマウス(Syn140m工01-1ホモマウス)では,このような病理学的変化は認められなかった.従って,この細胞消失には,α-synucleinのC末端領域10残基の欠損が原因的に関わっていると考えられた.このことから,α-synucleinのC末端領域の切断は,in vivoではドーパミン神経細胞に対して障害的に作用することが示唆された.

黒質緻密部のドーパミン神経細胞とは対照的に,腹側被蓋野のドーパミン神経細胞に病理学的変化は認められなかった.このことから,黒質緻密部のドーパミン神経細胞は,腹側被蓋野のドーパミン神経細胞に比べて,ha-syn130mの「毒性」に対する感受性が高いと考えられた.また,黒質緻密部の病理学的変化と合致して,Syn130m-1702の線条体では,ドーパミン神経軸索とその終末が減少していた.そして結果的に,ドーパミンとその代謝物の量がWTマウスの50-60%にまで低下していた.一方で,Syn130mの脳にレビー小体様の構造物は認められなかった.従って,ha-syn130mは,凝集体形成を介することなくドーパミン神経細胞の消失に関わったと推測された.また,Syn130m-1702では,加齢に伴うドーパミン神経細胞の進行性の脱落は認められず,その細胞消失は胎児期に始まると考えられた.さらに,Syn130m-1702では,進行したパーキンソン病患者でみられるような,線条体のドーパミンD2受容体(DRD2)の発現増加は認められなかった.以上の結果から,Syn130m-1702は,パーキンソン病の病態の一部を反映するものの,進行したパーキンソン病の病態を反映するには至っていないと考えられた.

3.C末端領域10残基が欠損したヒトα-synucleinをドーパミン神経で発現するトランスジェニックマウス(Syn130m)の行動薬理学的解析

Syn130m-1702が新たなパーキンソン病のモデル動物となる可能性について検討するために,当該マウスにドーパミンの低下に起因する運動障害あるいは行動障害が認められるか解析した.また,当該マウスにMPP+を投与して,進行性の神経脱落や顕著な運動障害が認められないか解析した.

一連の運動機能試験の結果,Syn130m-1702では,運動機能に顕著な異常は認められなかった.これは線条体のドーパミン量が低下していたものの,なお運動機能障害を惹起する閾値より高いためであると考えられた.その一方で,自発運動量や探索行動に異常が認められた.これらの行動障害はL-DOPAや既存のドーパミン受容体作動薬(クインピロール,タリペキソール,及びペルゴリド)の投与により回復したことから,線条体のドーパミン量の低下に起因していると考えられた.従って,Syn130m-1702はパーキンソン病治療薬を開発する上でのモデルの一つになりうると考えられた.

WTマウスとSyn130m-1702にMPP+を投与したところ,いずれも線条体のTH蛋白質量が減少した.減少の程度はSyn130m-1702の方がやや高い傾向を示したが,統計的な有意差はなかった.このことから,ha-syn130mの発現が,ドーパミン神経細胞のMPP+に対する感受性を,必ずしも"大きく"変動させるわけではないと考えられた.それでも,MPPを投与したSyn130m-1702では,WTマウスに比べて,一部の運動機能に強い障+害が認められた.また,アポモルヒネ誘発常同行動が亢進していたことから,線条体でDRD2の発現増加が惹起される閾値以下にまで,ドーパミン量が低下していると推測された.これらの結果から,MPP+等の神経毒をSyn130m-1702に投与することにより,運動機能障害を安定的に発現するモデル動物の作出が可能であると考えられた.

以上,本研究では,全鎖長もしくはC末端領域10残基が欠損したヒトα-synucleinをドーパミン神経細胞で発現するTgマウスを作出した.そして,α-synucleinの翻訳後修飾がパーキンソン病の発症にどのように関与するのか,その一端を明らかにすべく,これらのTgマウスを生化学的及び病理学的に解析した.また,これらのTgマウスを行動薬理学的に解析し,パーキンソン病の治療薬の開発に利用しうることを明らかにした.今後は,これらのTgマウスを用いて,α-synucleinの凝集体形成とドーパミン神経細胞の消失の関係についてさらに深く解析を行うとともに,当該マウスを新たなパーキンソン病治療薬の創出に活用したい.

審査要旨 要旨を表示する

パーキンソン病は,安静時振戦,無動,筋固縮等の運動障害を主症状とする神経変性疾患である.パーキンソン病患者の脳では,黒質緻密部のドーパミン神経細胞が選択的に脱落するために,その投射先である線条体でドーパミンが欠乏し,これが種々の症状の原因となっている.パーキンソン病の発症原因は不明であったが,家族性パーキンソン病患者の遺伝学的解析の結果,α-synucleinが病因遺伝子の一つであることが明らかになった.一方,パーキンソン病の病理学的特徴の一つとして残存したドーパミン神経内にレビー小体と呼ばれる細胞質内封入体が出現するが,その主要構成成分が,木溶性線維を形成したα-synuclein蛋白質であることも明らかになった.従って,α-synucleinは,パーキンソン病の発症に深く関わる分子と考えられている.

最近になり,レビー小体に蓄積したα-synucleinの一部は,燐酸化やC末端領域の切断等の修飾を受けていることが明らかにされた.これらの翻訳後修飾を受けたα-synucleinは,修飾を受けていないα-synucleinに比べて,凝集性が高いと報告されている.また,Ser129位の燐酸化はα-synucleinの細胞毒性の発現に関わること,C末端領域が欠損したα-synucleinを高発現する培養神経細胞は酸化ストレスに対して脆弱であることが報告され,これらの翻訳後修飾がパーキンソン病の発症に関与しているのではないかと考えられている.

本研究で若松は,α-synucleinの翻訳後修飾とパーキンソン病発症の関係を明らかにするために,ドーパミン神経細胞で全鎖長,もしくはC末端領域10残基が欠損したヒト碇synucleinを高発現するトランスジェニック(Tg)マウスを作出し,生化学的,病理学的及び行動薬理学的に解析した.

まず,ラット・チロシンヒドロキシラーゼ(TH)プロモーターの制御下でAla53Thr変異を持つ全鎖長のヒトα-synuclein(hα-syn140m)を高発現するTgマウス,Syn140m-01-1を作出した.当該マウスの脳では,hα-syn140皿が,中脳の黒質緻密部や腹側被蓋野,あるいは嗅球等におけるドーパミン神経の細胞体と軸索で発現しており,黒質緻密部と腹側被蓋野からそれぞれ入力を受ける線条体と側坐核にも輸送されていた,Ser129位が燐酸化されたα-synucleinを特異的に検出する抗体を用いて免疫染色を行ったところ,中脳では,ドーパミン神経細胞の約3分の1が当該抗体に陽性であった.燐酸化されたα-synucleinが検出された細胞の割合が加齢に伴って変化しなかったことから,in vivoのドーパミン神経細胞ではα-synucleinが恒常的な燐酸化/脱燐酸化を受けていると推測された.また,Ser129位の燐酸化に関わると報告されている酵素のうち,カゼインキナーゼ2(CK-2)が燐酸化ha-syn140mと共局在していると考えられた.このことから,in vivoにおけるSer129位の燐酸化には,CK-2が関与していると推測された.

次に,α-synucleinのC末端領域の切断が,ドーパミン神経細胞に与える影響を解析するために,ラットTBプロモーターの制御下で,Ala53Thr変異を持ち,且つC末端領域10残基が欠損したヒトα-synuclein(hα-syn130m)を発現するTgマウス,Syn130mを作出した.興味深いことに,高発現ラインであるSyn130m-1702と2402の中脳では,黒質緻密部のTH陽性神経細胞数が,それぞれ野生型(WT)マウスの約55%と80%に減少していた.細胞減少の程度は,hα-syn130mの発現量に相関していた.また,1)ニッスル染色やヘマトキシリン・エオジン染色でも神経細胞体の減少が認あられたこと,2)ha-syn130m発現細胞のほとんどがTH陽性であったこと,3)中脳でドーパミン神経細胞のマーカー遺伝子の発現が特異的に低下していたこと,から,この細胞減少は,単にTH蛋白質の発現が低下した結果ではなく,ドーパミン神経細胞そのものが消失した結果であると考えられた.一方,全鎖長のα-synuclei2を同量程度発現するTgマウスでは,このような病理学的変化は認められなかった。従って,この細胞消失には,α-synicleinのC末端領域10残基の欠損が原因的に関わっていると考えられた。このことから,α-synucleinのC末端領域の切断は,in vivoではドーパミン神経細胞に対して障害的に作用することが示唆された.

黒質緻密部のドーパミン神経細胞とは対照的に,腹側被蓋野のドーパミン神経細胞に病理学的変化は認められなかった.また,黒質緻密部の病理学的変化と合致して,Syn130m-1702の線条体では,ドーパミン神経軸索とその終末が減少していた.そして結果的に,ドーパミンとその代謝物の量がWTマウスの50-60%にまで低下していた.― 方で,Syn130mの脳にレビー小体様の構造物は認められなかった,また,加齢に伴うドーパミン神経細胞の進行性の脱落は認められず,その細胞消失は胎児期に始まると考えられた.さらに,Syn130m-1702では,進行したパーキンソン病患者でみられるような,線条体のドーパミンD2受容体(DRD2)の発現増加は認められなかった.以上の結果から,yn130m-1702は,パーキンソン病の病態の一部を反映するものの,進行したパーキンソン病の病態を反映するには至っていないと考えられた.

若松は,Syn130m-1702が新たなパーキンソン病のモデル動物となる可能性について検討するために,当該マウスにドーパミンの低下に起因する運動障害あるいは行動障害が認められるか解析した.また,当該マウスにMPP+を投与して,進行性の神経脱落や顕著な運動障害が認められないか解析した,― 連の運動機能試験の結果,Syn130m-1702では,運動機能に顕著な異常は認められないものの,自発運動量や探索行動に異常が認められた.これらの行動障害はL-DOPAや既存のドーパミン受容体作動薬(クインピロール,タリペキソール,及びペルゴリド)の投与により回復したことから,線条体のドーパミン量の低下に起因していると考えられた.従って,Syn130m-1702はパーキンソン病治療薬を開発する上でのモデルの一つになりうると考えられた.また,WTマウスとSyn130m-1702にMPP+を投与したところ,いずれも線条体のTH蛋白質量が減少した.減少の程度はyn130m-1702の方がやや高い傾向を示したが,統計的な有意差はなかった.このことから,ha-syn130mの発現が,ドーパミン神経細胞のMPP+に対する感受性を,顕著に変動させるわけではないと考えられた.しかしながら,MPP+を投与したSyn130m-1702では,WTマウスに比べて,一部の運動機能に強い障害が認められた.また,アポモルヒネ誘発常同行動が亢進していたことから,線条体でDRD2の発現増加が惹起される閾値以下にまで,ドーパミン量が低下していると推測された.これらの結果から,MPP+等の神経毒をSyn130m-1702に投与することにより,運動機能障害を安定的に発現するモデル動物の作出が可能であると考えられた.

以上のように,若松は,全鎖長もしくはC末端領域10残基が欠損したヒトα-synucleinをドーパミン神経細胞で発現するTgマウスを作出し,in vivoのドーパミン神経細胞でα-syllucleinのSer129位が恒常的に燐酸化/脱燐酸化されていること,α-synucleinのC末端領域の欠損がin vivoのドーパミン神経細胞に対して障害的に作用することを示した.これらは,α-synucleinの翻訳後修飾とパーキンソン病発症の関係の一端を明らかにするものであり,今後の治療を考える上で有益な情報を与えるものである.また,作出したTgマウスは,黒質線条体系に明らかな機能障害を認める,初めてのα-synuclein Tgマウスであり,パーキンソン病治療薬の開発などに貢献しうると考えられる.よって,本研究を行った若松正樹は,博士(薬学)の学位に相応しいと判断した.

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