学位論文要旨



No 216963
著者(漢字) 小林,恭一
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,キョウイチ
標題(和) 建築物の防火安全性能における建築的要素、(消防)設備的要素及び人的要素の役割と相互補完に関する研究
標題(洋)
報告番号 216963
報告番号 乙16963
学位授与日 2008.05.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16963号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小出,治
 東京大学 客員教授 明石,達生
 東京大学 教授 西出,和彦
 東京大学 准教授 野口,貴文
 東京大学 准教授 小泉,秀樹
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景・目的

建築物の防火安全性能は、建築的要素、(消防)設備的要素(注)及び人的要素の三要素によって担保されるものであるが、現行では建築基準法と消防法の二法に跨って規定されているため、様々な歪みが出ている。

(注) 防火安全性能を担保する設備的要素の中には、排煙機など建築基準法に規定されている設備もあるため、本論文ではそれらも含めて「(消防)設備的要素」としている。

この研究は、両法に性能規定が導入されたことを踏まえ、これら三要素が複合する分野において、両法の技術基準を円滑に組み合わせて必要な防火安全性能をできるだけ合理的に確保できるようにするための方法論について考察し、その可能性と課題を明らかにすることを目的として行ったものである。

研究の方法

建築物の防火安全にかかる技術基準に三要素の協働と相互補完の関係を取り込むには、要求性能を担保できる三要素の組み合わせとその定量化についての知見が必要である。三要素はその特性や信頼性が異なり担保する性能もしばしば異なるため、工学的にこれらの知見を得ることは困難であるが、現実の火災に対応するため否応なく三要素の互換性を取り込んできた既往の対策を細かく検証していくことにより、一定の知見が得られる可能性がある。

本研究は、このような認識に立ち、多数の死者を出した火災に対応して建設・消防両省庁により積み重ねられてきた対策の技術基準とその進化の系譜を分析することにより、三要素の協働と相互補完の具体的な関係とその根拠を明らかにし、それにより得られた知見を踏まえて、建築基準法と消防法の枠組みを超えた合理的な性能基準の可能性と課題を明らかにすることとした。

研究の概要

本論文は、各論全6章と全体をまとめた最終章から成る。以下に6章の概要を示す。

第1章では、建築物の防火安全性能は、三要素の協働と相互補完によって担保すべきものであり、三要素の間に一定の互換性が成立すべきものであるという視点から、建築基準法と消防法の両規定について、その実態を分析し、以下のことを明らかにした。

(1) 建築基準法は、極力人的要素を排除する規定方式となっており、一部、人的要素の不確実性が許容され又は人的要素に頼らざるを得ない場合には、その介在を予定している場合もあること

(2) 消防法は、人的要素の介在を前提とした規定方式になっており、建築基準法関係設備も含めて、人的要素(従業員による自衛消防の組織)の水準を確保するための規定が存在すること

第2章では、消防法の運用指針として示されてきた共同住宅特例基準は建築的要素によって(消防)設備的要素を代替して来た先駆的な実践例であるとの視点から、その改正の系譜をまとめるとともに、当該基準が日本の共同住宅等に与えた影響とその効果について分析し、以下のことを明らかにした。

(1) 共同住宅の消防用設備等については、法律に基づき厳しい規制が課される一方、所轄の消防長等が消防庁の通知に基づき建築的要素により延焼防止、避難路の代替、煙からの安全等が確保されると判断できるものについては一定の規定の適用を免除する「共同住宅特例基準」の制度が、昭和36年以来実施されてきたこと

(2)共同住宅特例基準は、住戸規模の増大、高層化・大規模化・複合化等の進展、デザインの多様性志向の増大などに伴って3回の大改正が行われ、建築的要素によって(消防)設備的要素を代替するという当初の構成から、建築的要素と簡易な(消防)設備的要素の組み合わせにより必要な防火安全性を確保するという構成に変化するとともに、最近では消防法の性能規定化に伴い省令として定め直されていること

(3)この基準は、連続バルコニーや開放型の廊下や階段など、日本の共同住宅に特有のデザイン的特徴を与え、結果的に町並みや景観にも影響を与えていること

第3章から第5章では、既存建築物の防火安全対策を確保するための行政指導の分野では、多数の死者を伴う建築物火災の発生に現実的に即応せざるを得ないため、法律に基づく技術基準の分野に比べて三要素の協働と相互補完の関係がより柔軟かつ積極的に取り入れられて来たとの視点から、建設省と消防庁の行政施策を分析した。

第3章では、以下のことを明らかにした。

(1) 昭和40年代に建築基準法と消防法の防火規定が数次にわたって改正強化されたこと及び消防法令において旅館・ホテルや病院など特定の用途の建築物に自動火災報知設備にかかる遡及適用条項が段階的に導入され(昭和44年及び47年)、さらに大洋デパート火災(昭和48年)を契機として、火災による人命危険性が特に高いと考えられる「特定防火対象物」について全消防用設備等を対象に遡及適用条項が導入された(昭和49年)ことの効果は、火災統計上明瞭に裏付けることができること

(2) 既存建築物の防火安全性能の急速な向上に自動火災報知設備が遡及的に設置されたことが極めて大きな役割を果たしたことは、その発報を受けて消火や避難誘導を行う人的要素に一定の信頼性を置くことができることを示していると考えられること

(3) 建築基準法については遡及適用条項の導入が困難であったため、火災による人命危険性が高い大規模な特殊建築物をリストアップし、「建築物防災対策要綱」(昭和54年)に基づき、期限を限って必要最低限の防火安全対策を講じさせる行政指導が行われたが、この要綱では、昭和40年代に急速に進んだ火災理論の集大成というべき「建築防災計画指針」(昭和50年)の考え方をもとに、三要素を総合して最低限必要な人命安全を確保する対策が構築されたこと

(4) この要綱で用いられた、火煙が拡大して危険な状況になる前の安全限界時間内に全ての在館者が安全ゾーンに避難できれば必要十分であり、限界時間は内装不燃化の程度やスプリンクラー設備の設置の有無によって設定するなどの考え方は、第4章と第5章で述べるその後の消防庁の施策に大きな影響を与えたこと

第4章では、以下のことを明らかにした。

(1) 昭和50年代後半になると、多数の死者を伴う旅館・ホテル等の火災が再度頻発するようになったが、その理由は、旅館・ホテル等で急速に省人化が進み、防火安全上脆弱な既存建築物については基準に適合する消防用設備等を設置しただけでは不十分であるためだと考えられたことから、三要素を総合的に組み合わせた「旅館・ホテル等における夜間の防火管理体制指導マニュアル(旅館避難マニュアル)」が作成されたこと

(2)旅館避難マニュアルでは、限界時間内避難の考え方や限界時間の設定方法などについては建築物防災対策要綱の考え方が採用されたが、避難時間については、従業員が行う一定の対応行動に要する時間を測定して、宿泊客の避難可能性を検証する方法論をとったこと

(3)旅館避難マニュアルへの適否が適マークの判定基準とされたため、このマニュアルは法規制並の強制力を持ち、全国に残されていた古い既存不適格の旅館・ホテルの防火安全性を、三要素を組み合わせ、当面一定水準以上に引き上げるのに大きな効果を上げたこと

(4)旅館避難マニュアルでは、自力避難困難者の存在は捨象されていたこと

第5章では、以下のことを明らかにした。

(1) 特別養護老人ホーム松寿園の火災(昭和62年)を契機に、就寝中の多数の自力避難困難者を少数の職員で避難させることの困難性が顕在化したことから、旅館避難マニュアルを改良した「社会福祉施設及び病院における夜間の防火管理体制指導マニュアル(福祉施設避難マニュアル)」が作成されたこと

(2)福祉施設避難マニュアルでは、「出火区画」と「隣接区画」の概念を明確化し、自力避難困難者は出火区画から隣接区画に限界時間内に全員避難させた後、さらに安全な区域に避難させること、各室の戸を閉鎖して区画を形成することにより限界時間を引き延ばすこと、バルコニーがある場合は各室の区画を形成してより効率的に避難させることなど、三要素を総合して防火安全性能を確保する方法論が、旅館避難マニュアルよりさらに進んだ形で提示されたこと

(3)福祉施設避難マニュアルでは想定していなかったグループホーム火災に対する消防庁の行政施策(231号通知)の中で、このマニュアルの考え方を延長する形で、スプリンクラー設備と人的要素の介在を前提とした(消防)設備的要素と建築的要素の組み合わせとの互換性が認められ、既に運用段階に入っていること

(4)今後予想される新たな形態の病院や福祉施設の防火安全対策を考える場合には、231号通知の考え方が参考になると考えられること

第6章では、建築基準法と消防法がそれぞれ性能規定化されたため、三要素の間の互換性の関係をより積極的に基準に取り入れていくことが可能になったとの認識に立ち、福祉施設マニュアルの考え方を応用して両法が円滑に連携する新たな避難安全検証法が作成可能ではないかとの視点から、法律の枠組みを超えて三要素の互換性を採用する場合の方法論について考察し、その可能性と課題について以下のことを明らかにした。

(1) 両法令において防火安全性能の視点から共通の客観的な指標、方法論及び基準が整備されれば、建築的要素と(消防)設備的要素を必要な防火安全性能を確保するための対等の要素として体系的に互換性を認めていくことが可能になったこと

現在未整備の自力避難困難者の存在を考慮した避難安全検証法については、福祉施設避難マニュアルの考え方を導入することにより作成可能になると考えられること

(3)建築基準法と消防法に共通の避難安全検証法を作成し、これに適合した場合に適用されなくなる条文を両法令で適切に調整することにより、人的要素の介在を前提に、スプリンクラー設備等の(消防)設備的要素とバルコニーや防火区画、内装不燃化などの建築的要素との間で互換性を認めていくことが可能になると考えられること

(4)特別養護老人ホーム等については、現行法令の体系の中で既にスプリンクラー設備の設置を前提として防火安全対策が確立されているため、一定の不確実性を有する建築的要素によって代替することは適当でないと考えられるが、高齢化が進展する中で今後予想される新たな形態の福祉施設や医療施設の防火安全対策としては、(3)の方法論は検討に値すると考えられること

(5)極めて信頼性の高いスプリンクラー設備と、区画の形成や避難行動に一定の不確実性のある建築的要素との互換性については、防火安全にかかる技術基準が両法に跨って規定されていたこと自体がフェイルセーフ的に機能していたことを十分考慮し、フェイルセーフの視点からの慎重な検討が必要であること

(6)(3)のような考え方については、消防庁のグループホーム火災対策(231号通知)に一部先駆的に取り入れられており、その方法論や運用の結果は、今後この種の施設の避難安全検証法を検討する場合に、(5)の視点からも極めて参考になると考えられること

第2章~第5章で見たように、性能規定化以前は、建設・消防両省庁において、建築物に必要な防火安全性の視点からエキスパートジャッジメントによって三要素の互換性を柔軟に行政判断や技術基準に取り込むことが普通に行われ、大きな成果を挙げてきた。

異なる性能間の互換性の評価などは、性能規定化に伴い建築基準法第38条が廃止されたことによりかえって難しくなった面があるが、必要な性能を有するものについては法令にとらわれずに認めていけるようにするという性能規定化の本来の趣旨に沿うためには、工学的な検証法の開発が当面困難であるなら、エキスパートジャッジメントによる判断を恐れない方法論がもっと検討されてよいものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

「建築物の防火安全性能における建築的要素、(消防)設備的要素及び人的要素の役割と相互補完に関する研究 」と題する論文である。

研究の概要

本論文は、各論全6章と全体をまとめた最終章から成る。以下に6章の概要を示す。

第1章では、建築物の防火安全性能は、三要素の協働と相互補完によって担保すべきものであり、三要素の間に一定の互換性が成立すべきものであるという視点から、建築基準法と消防法の両規定について、その実態を分析し、以下のことを明らかにした。

(1) 建築基準法は、極力人的要素を排除する規定方式となっており、一部、人的要素の不確実性が許容され又は人的要素に頼らざるを得ない場合には、その介在を予定している場合もあること

(2) 消防法は、人的要素の介在を前提とした規定方式になっており、建築基準法関係設備も含めて、人的要素(従業員による自衛消防の組織)の水準を確保するための規定が存在すること

第2章では、消防法の運用指針として示されてきた共同住宅特例基準は建築的要素によって(消防)設備的要素を代替して来た先駆的な実践例であるとの視点から、その改正の系譜をまとめるとともに、当該基準が日本の共同住宅等に与えた影響とその効果について分析し、以下のことを明らかにした。

(1) 共同住宅の消防用設備等については、法律に基づき厳しい規制が課される一方、所轄の消防長等が消防庁の通知に基づき建築的要素により延焼防止、避難路の代替、煙からの安全等が確保されると判断できるものについては一定の規定の適用を免除する「共同住宅特例基準」の制度が、昭和36年以来実施されてきたこと

(2)共同住宅特例基準は、住戸規模の増大、高層化・大規模化・複合化等の進展、デザインの多様性志向の増大などに伴って3回の大改正が行われ、建築的要素によって(消防)設備的要素を代替するという当初の構成から、建築的要素と簡易な(消防)設備的要素の組み合わせにより必要な防火安全性を確保するという構成に変化するとともに、最近では消防法の性能規定化に伴い省令として定め直されていること

第3章では、以下のことを明らかにした。

(1) 昭和40年代に建築基準法と消防法の防火規定が数次にわたって改正強化されたこと及び消防法令において旅館・ホテルや病院など特定の用途の建築物に自動火災報知設備にかかる遡及適用条項が段階的に導入され(昭和44年及び47年)、さらに大洋デパート火災(昭和48年)を契機として、火災による人命危険性が特に高いと考えられる「特定防火対象物」について全消防用設備等を対象に遡及適用条項が導入された(昭和49年)ことの効果は、火災統計上明瞭に裏付けることができること

(2) 既存建築物の防火安全性能の急速な向上に自動火災報知設備が遡及的に設置されたことが極めて大きな役割を果たしたことは、その発報を受けて消火や避難誘導を行う人的要素に一定の信頼性を置くことができることを示していると考えられること

第4章では、以下のことを明らかにした。

(1) 昭和50年代後半になると、多数の死者を伴う旅館・ホテル等の火災が再度頻発するようになったが、その理由は、旅館・ホテル等で急速に省人化が進み、防火安全上脆弱な既存建築物については基準に適合する消防用設備等を設置しただけでは不十分であるためだと考えられたことから、三要素を総合的に組み合わせた「旅館・ホテル等における夜間の防火管理体制指導マニュアル(旅館避難マニュアル)」が作成されたこと

(2)旅館避難マニュアルでは、限界時間内避難の考え方や限界時間の設定方法などについては建築物防災対策要綱の考え方が採用されたが、避難時間については、従業員が行う一定の対応行動に要する時間を測定して、宿泊客の避難可能性を検証する方法論をとったこと

第5章では、以下のことを明らかにした。

(1) 特別養護老人ホーム松寿園の火災(昭和62年)を契機に、就寝中の多数の自力避難困難者を少数の職員で避難させることの困難性が顕在化したことから、旅館避難マニュアルを改良した「社会福祉施設及び病院における夜間の防火管理体制指導マニュアル(福祉施設避難マニュアル)」が作成されたこと

(2)福祉施設避難マニュアルでは、「出火区画」と「隣接区画」の概念を明確化し、自力避難困難者は出火区画から隣接区画に限界時間内に全員避難させた後、さらに安全な区域に避難させること、各室の戸を閉鎖して区画を形成することにより限界時間を引き延ばすこと、バルコニーがある場合は各室の区画を形成してより効率的に避難させることなど、三要素を総合して防火安全性能を確保する方法論が、旅館避難マニュアルよりさらに進んだ形で提示されたこと

第6章では、建築基準法と消防法がそれぞれ性能規定化されたため、三要素の間の互換性の関係をより積極的に基準に取り入れていくことが可能になったとの認識に立ち、福祉施設マニュアルの考え方を応用して両法が円滑に連携する新たな避難安全検証法が作成可能ではないかとの視点から、法律の枠組みを超えて三要素の互換性を採用する場合の方法論について考察し、その可能性と課題について以下のことを明らかにした。

(1) 両法令において防火安全性能の視点から共通の客観的な指標、方法論及び基準が整備されれば、建築的要素と(消防)設備的要素を必要な防火安全性能を確保するための対等の要素として体系的に互換性を認めていくことが可能になったこと

(2) 現在未整備の自力避難困難者の存在を考慮した避難安全検証法については、福祉施設避難マニュアルの考え方を導入することにより作成可能になると考えられること

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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