学位論文要旨



No 216977
著者(漢字) 井手,英策
著者(英字)
著者(カナ) イデ,エイサク
標題(和) 高橋財政の研究 : 昭和恐慌からの脱出と財政再建への苦闘
標題(洋)
報告番号 216977
報告番号 乙16977
学位授与日 2008.06.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第16977号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 持田,信樹
 東京大学 教授 神野,直彦
 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 教授 渋谷,博史
内容要旨 要旨を表示する

本論文のねらいは,独創的な政策体系で昭和恐慌からの脱出を達成したことで知られる高橋財政に関して,官僚,軍部,財界,政党といった各政策主体の意図と政策の実態分析を通じて新たな高橋財政像を提示することにある。当該期の財政分析については既に膨大な蓄積が存在している。しかし,こめ時期の政策運営を戦時財政の端緒として否定的に位置づけるにせよ,ケインズ政策の先駆けとして肯定的に位置づけるにせよ,まず注目されたのは,卓越した財政家である高橋是清の人物像や財政観であった。こうした「高橋是清の財政」に対して,本論文では大蔵省や日本銀行を中心とする政策主体が構想・実施した政策のあり方を原史料の考証によって描写し,この作業を通じてあらたな分析仮説として何が有効なのかを考えていく。その際取りくむのは,満州事変の勃発,政党政治の凋落期を経て戦時財政へと連続していく歴史の脈絡において,「なぜ一時の便法として開始された目銀引受が戦時財政の要目となったのか」という財政史研究における周知のしかし未解決のパズルである。分析仮説の提示,― 次資料を通じた実証によってこのパズルに対する回答を与えつつその仮説の有効性を示していく。

以下,ファクトファイディングスを中心に各章の内容を要約する。

序章では,研究史の整理および分析視角の提示を行う。歴史資料の考証の深度,包括性の両面において,研究史上の到達点として位置づけられるのは「昭和財政史」および「満州事変以後の財政金融史」である。これらは大内兵衛の監修のもとに執筆されており,ともにインフレ財政としての高橋財政の限界を鋭く批判した点で共通している。しかし,ここで本章が注目するのは,そうした批判の一方で,大内自身が,歴史的なコンテクストの変化とともに現在の批判的視座そのものが相対化されざるを得ないという事実に言及した点である。本論はこの視点を「歴史分析の時代被制約性」として位置づけつつ,財政史,日本経済史,日銀制度論およびインフレターゲット論のそれぞれが,戦後の政治経済状況,学界における知的関心の移り変わりに応じて,どのように議論の焦点を変化させたのかを論じた。そのうえで,現代の財政金融問題との関連,財政史の方法め豊富化,双方の観点から国家の論理を取り入れた財政分析が必要であること,また,それは近年の政治経済学における国家の再発見という動向とも符合することを指摘した。以上を踏まえ,大蔵省の政策体系に分析の焦点を定め,大内史観を批判的,発展的に継承するための概念として,貨幣による統治という財政の本質に深く根ざしつつ,予算過程における他の主体との複雑な関係のもとで様々な利害を統合し,自らの政治的影響力を拡大ないし堅持するための行動様式として「大蔵省統制」を位置づけた。

第1章では,高橋財政における不可欠の政策装置でありながら,同時に研究史上のブラックボックスでもあった日銀引受を取り上げている。日銀引受は高橋の「創意工夫」に基づくものであり,目銀は消極的にそれを受け入れたとするのが戦後財政金融史の前提となる理解である。しかし,当時,同行は金の流出と長期融資の固定化がもたらした変態的金融緩慢のもとで金融調節手段の喪失,レゾンデートルの危機に苦しんでいた。昭和5年設置の「日本銀行制度改善に関する大蔵省及日本銀行共同調査会」では,大蔵省・日銀間で新たな政策体系が議論され,その後,これに政府預金の補てんをめぐる大蔵省との確執も重なることで,以上の解決策として,日銀引受と公開市場操作をセットとした新たな政策枠組みが日銀によって積極的に受容された。ここでの合意は保証発行限度の拡大,限外発行税の引き下げなど,高橋財政期の政策体系を決定づける包括的な内容を有していた。また,金本位制離脱直後の政策分析をもとに,預金部資金の導入,買いオペによる資金供給,公募発行等の選択肢との比較からもそれらの政策体系が目的合理的であったと結論づけた。

以上の分析をもとに,そのような目的合理的な政策体系がなぜ戦時財政の政策装置として帰結したのか,というパズルが設定される。第2章では,高橋財政の歴史的性格を論じるうえで前提とされてきた「健全財政か?軍事財政か?」という二項対立的な問題把握を批判的に取りあげ,大蔵省統制の現代化という側面からこの問題に迫っている。前半では,軍事費の増大が時局匡救事業の圧縮を余儀なくする中,起債統制と預金部普通資金を媒介としながら,一般会計以外の支出を通じて公共事業量の確保が図られた事実が明らかにされる。後半では,農村の利害関係の再編,新官僚による政治的圧力を背景に昭和8年米穀統制法が制定され,米価支持を通じた間接的な所得保障システムが構築されたこと,一方で,米穀需給調節特別会計を通じた債務が増大し,米穀証券の日銀引受によって財政の日銀信用への依存が進んだことが示される。大蔵省は一般会計以外の機能活用,地方財政の動員を図り,いわゆるマクロバジェティングへと政策体系を転換しながら農村宥和と軍拡の両立を試みた。こうした大蔵省統制の現代化ともいうべき選択を通じて,時局匡救事業の打切りがもたらす統治の危機を乗り切ろうとしたが,それは日銀引受を前提とした政策構造からの脱出をますます困難なものにしたのである。

以上の予算統制のあり方は,軍部からの予算要求が強まり,一般会計を通じた積極支出が更なる軍拡要求と結びつくという不安定な政治状況を反映していた。大蔵省はこうした政策構造からの脱却を決意し,健全財政への転換を図る。このいわゆる後期高橋財政への転換過程分析こそが本論におけるパズルを解くための扇の要であり,同時に既存の研究史において最も欠落していた部分でもある。そこで,第3章では,増税をめぐる政策論議を取りあげる。増税否定論者として知られる高橋に対して,大蔵省がどのような税制改革を構想しており,それがケインズ政策における中長期的な財政均衡という観点からどのように評価できるのか,それらが最終的にいかなる経緯のもとに臨時利得税として結実したのかを分析している。高橋が増税を否定する背後で,大蔵省は密かに中期的な財政均衡,戦前型従量税体系からの脱却,そして直接税中心主義,個人所得税の増徴から構成される現代的な租税システムを構想していた。しかし,政治家としてのキャリアが不十分な藤井はこれを拙劣な形で世に問うたことから,株式市場の暴落,政財界からの強い反発がもたらされ,国民の合意形成に完全に失敗する。さらに,彼が病に倒れた後再登場した高橋は,増税の実施時期,あるべき姿,ふたつの面から抜本的な税制改革の道を閉ざし,大蔵省構想は臨時利得税による急場しのぎの増税として決着させる。こうして,抜本的な収支均衡が放棄されたのち,国債発行の漸減に政策目標を定めたカッコつきの「健全財政」への転換が模索されることとなる。

第4章では,その財政健全化の過程を大蔵省内の論議,日銀との交渉,予算統制などの実態分析を通じて明らかにしている。民間資金需要と日銀の国債保有の増大を背景に,大蔵省はインフレへの懸念を高めていた。日銀はマクロ経済との関連から自行の見解をまとめ,これを参考に大蔵省は昭和11年度予算における国債漸減政策への転換を言明する。この歴史的な予算編成において同省は軍部の強烈な抵抗を受けながら,第2-3章で示された補助金削減,地方単独事業の増大,地方債の償還促進による国債消化資金の捻出,増税の回避に加え,行政費の圧縮,継続費による後年度負担の累積,一般・特別両会間の資金調整などきわめて技術的な予算編成を行う。結果,国債漸減には成功するものの軍事費の突出は歴然たるものとなる。こうした予算統制のあり方は現代の大蔵省統制の原型をなすものである。しかし,同時に,後年度負担の累増によって日銀信用からの脱却はほぼ不可能となり,財政の持続可能性は決定的に喪失されることとなった。

第5章では,以上の分析で得られた事実を整理し,高橋財政とならび称されるニューディール財政との比較を行っている。ここでは,ニューディール財政=民主主義との対比において高橋財政=ファシズムと位置づけ,政治規範の喪失を批判することではなく,それぞれの利益統合のありかたの相違として両国の財政政策の性格の違いを比較財政史的に描写することを重視している。具体的には,政治リーダーの財政思想,中央銀行信用への政府の接続可能性,予算制度と行政の位置づけ,意思決定の集権性などに着目する。ニューディール期には多元的な政策要求の展開と分権的な意思決定システムの強化がもたらされたが,その副作用として景気回復の遅れが問題となり,高橋財政では,機動的な財政出動と景気回復が可能となった反面,集権的な意思決定システム,軍事費の突出,日銀信用への依存がもたらされることとなったというのが本章の結論である。

終章では,結論とその現代的示唆を要約している。まず,財政史研究が前提としてきた金融従属仮説に関して,金本位制度が行き詰まりを見せる中で,自らの政策手段を獲得しようとする日銀の目的合理的な判断が存在し,制度設計の適切さ,その後の政策運営の巧妙さの故に他の主体から更なる政策要求をもたらしたという逆説的な事実が本論のパズルにおいて決定的に重要であったと述べた。次に,高橋財政では大蔵省統制の現代化が進み,古典的な財政の健全性概念が覆され,マクロ経済に弊害を与えないという意味での新たな健全性概念が確立したことを論じ,こうした変化は健全財政という言説を巧みに利用し,財政収支の均衡を回復しようとする大蔵省の戦術であったが,それは議会統制の形骸化をもたらし,国債漸減の達成と軍事予算の突出というアンビバレントな帰結を通じて自らの予算統制の正当性をも切り崩すこととなったと結論づけた。続けて,以上の歴史的経験が示唆するところについて,歴史の分岐点における民主主義の強化=分権の重要性,福祉国家に相応の累進性を保持した所得税制の再構築,動学的不整合性の観点からするインフレターゲット論の限界について触れた。最後に理論的な問題として,ある歴史段階のもとでの多様性を説く福祉国家論と同時に,その収斂傾向からの乖離に果たす個別経路の役割を強調する財政社会学の視点も重要であること,一方で,貨幣を通じた統治という本論の視点は,政策の受け手である国民の論理を解き明かすことで逆照射され,その作業が財政社会学的な分析には不可欠であることを指摘した。

審査要旨 要旨を表示する

1.審査論文の主題と位置付け

本研究は、1930年代の、いわゆる「高橋財政」について、財政社会学的アプローチから、「大蔵省統制」という側面に着目して、その歴史的性格を再検討したものである。本研究の構成は、次の通りである。

序章財政史研究の新たな方法を求めて

第1章新規国債の日銀引受発行制度をめぐる大蔵省・日本銀行の制度設計

第2章時局匡救事業期における新たな予算統制の展開

第3章租税制度の現代化をめぐる大蔵省構想とその挫折

第4章後期高橋財政への転換と財政の「健全化」

第5章高橋財政とニューディール財政

終章高橋財政における大蔵省統制の意義

松方財政、井上財政と並んで、いわゆる「高橋財政」は、戦前の経済政策史において、最も魅力に富んだ対象とされてきた。このため、「高橋財政」については財政史、日本経済史等の分野で膨大な研究蓄積がある。まず財政史では、1960年代まで、高橋財政=軍事財政の端緒という厳しい評価がなされてきた(大蔵省昭和財政史室1965;島1949)。他方、日本経済史の分野においてはケインズ政策のさきがけとして高橋財政を再評価する研究が70年代以降、発表されている(中村1971;三和1982)。その後、80年代以降には、日木銀行制度史を念頭に、高橋財政の金融的側面を分析する研究が蓄積され、金融政策の自律性をめぐって議論が活発化した(島(謹)1983、伊藤(正)1989)。近年では、デフレ経済から脱出するためのリフレ政策として、「高橋財政」を見直す研究も注目を浴びている(岩田2004)。

とはいえ、「高橋財政」の研究については、未だ解明すべき課題も多く残されている。特に、国債の日銀引受が何故、この時期に開始されたのか、日銀は受身の対応を迫られただ.けなのかなど、当然明らかにされているべきなのにいまだに明確な鮮答が得られていない問題も多い。また日銀引受が開始されたときに、高橋が出口戦略をどのように考えていたのか等も十分に解明はされていなかった。その一因は、日銀や大蔵省などの政策主体の意思決定過程に関する、信頼に足る一次資料が十分には発掘されていなかったことにある。

本研究では、政策主体としての国家を重視する近年の政治経済学的アプローチにおける方法論を取り入れた財政分析の枠組みを設定し、それを具体化した「大蔵省統制」の観点から、高橋財政期における政策の変遷を再検討しようと試みている。そのために、本研究では、良質な第一次質料を駆使した実証分析が行なわれている。以下、本書の核をなしている第1章から第4章を中心に、各章のより詳しい内容とその主な貢献について述べることにしたい。

II.各章の概要と評価

第1章では、高橋財政によってはじめられた新規国債の日銀引受についての通説の再検討が行われている。日銀引受は、一般的には、高橋蔵相の「創意工夫」(深井1941)にもとづくものであり、日銀は受身の政策対応を迫られた(日本銀行1984)とされている。これに対して、本書は、井上財政下の「日本銀行制度改善に関する大蔵省及日本銀行共同調査会」での論議を、日本銀行保管の一次資料である「日本銀行制度改善に関する諸調査資料」などに基づいて再検討し、日銀引受を前提とした政策運営が、大蔵省と日銀にとって肯定的に構想されたことを解明している。日銀は国債引受後の売りオペを媒介にした流動性のコントロールによつて、金融機関への影響力を強化しようとしていたことを、本書は浮き彫りにした。日銀が日銀引受を肯定的に受止めていたという問題提起は、1980年代にすでになされていたが(伊藤正直1989)、一次資料にもとづいて実証した点に本書の貢献がある。

第2章は、時局匡救事業期のスペンディング・ポリシーに焦点をあわせ、国と地方、一般会計と特別会計を通じた財政運営(「マクロ・バジェッティング」)が始まる過程を考察している。一般的には、後期高橋財政期には、軍事費の膨張に押されて時局匡救事業が打ち切られたことが強調されている(島1949;宮本1968)。これに対して本書では、大蔵省はそれを補うべく、預金部や米穀需給調節特別会計などを経由して農村への資金散布を拡大するなど、一般会計以外の機能や地方財政を動員して、省としての統治機能の確保をはかっているとする。本章については、審査委員から初歩的な問題点が指摘されたが(後述)、時局匡救事業が後退していった後にあらわれる農村救済事業として、米穀統制法を重視したことが問題提起として新しい。

第3章は、高橋財政下で、大蔵省主税局が時代に適応した租税体系を形成して、税収確保による本格的な「健全財政」を回復することに挫折した過程を検討している。2.26事件を契機として成立した廣田内閣のもとでの馬場税制改革には、これまで分厚い研究が蓄積されているが(神野1979;林1979)、その前の時期にあたる高橋財政期の租税政策については、研究史上の空白があった。これに対して本書は、一次資料である「濱田徳海文書」等を用いて、昭和9年の大蔵省主税局試案「税制整理案」(累進性の強化、第3種所得税の増徴を構想)が、高橋蔵相の非増税方針や株式市場における株価暴落、あるいは政財界の反発により、「臨時利得税」へと変質していった過程を、丹念にフォローしている。高橋の存在ゆえに現代的な税制改革が議論の俎上にのぼり、高橋の存在ゆえにそれらが否定されたという、本書が浮き彫りにした事実は、解釈の余地が残るにせよ、注目に値する。

第4章は、高橋最後の予算となった昭和11年度予算で打ち出された、国債漸減政策(後期高橋財政への転換)を検討している。後期高橋財政については、これまでは対極的な見解、すなわち経済軍事化と平和的経済成長との選択の余地があったという見解(三和1979)と日銀引受を前提にすると財政膨張は必然という評価(島(謹)1983)に分かれていた。本書は、旧大蔵省資料である『津島文書』や『青木(一)文書』あるいは『賀屋文書』などを用い、昭和11年度予算編成過程とそれにいたる過程での大蔵省内の政策論議、日銀との政策協調、予算統制の実態を通じて分析し、軍部の予算膨張圧力のもと、行政費の圧縮、継続費による後年度負担の累積、一般・特別両会計間の資金調整など、きわめて裁量性の高い予算統制の手法にまって国債漸減が実現されたことを解明している。

しかし、こうした予算統制は議会を排除したインフォーマルな政策手段であったことから、一見成功したかに思われる国債漸減政策は、実質的な緊縮政策・財政健全化策たりえず、結果的に財政膨張を容認するという限界を持っていたと本研究は、評価している。この点、本研究の主張は、やや折衷的であるとの印象をぬぐえない。しかし、当初は漠然とした財政収支均衡の必要性を考えていた大蔵省が、金融機関の市中消化能力限度に国債発行を押さえたうえで、歳入の範囲内に財政支出を抑制すべし、という日銀の「理論」に影響を受けていく過程を実証した点は、評価ざれてよい。

第1章から第4章までの実証を踏まえて、第5章では、高橋財政とニューディール財政の比較が行われている。日米の政策の相違は、ファシズム対ニューディールという類型化されたものではなく、政治リーダーの財政思想、中央銀行の対政府信用供与、予算統制における意思決定構造などの個別の制度や政策装置の相互作用に基づくものと評価している。そして、その結果が、ニューディール期に景気回復の遅れ、多元性を有していた意思決定システムなどをもたらしたのに対し、高橋財政では、機動的な財政出動と景気回復、集権的意思決定と軍事費の突出、日銀信用への依存をもたらすことになったとする。終章では、本書全体を総括して、日銀の政策判断が目的合理性を持っていた点からいわゆる「金融従属仮説」を批判するとともに、古典的な収支均衡ではなく、財政のマクロ的な「健全性」(金融機関の市中消化能力限度に国情発行を押さえたうえで、歳入の範囲内に財政支出を抑制すること)が追求されたことを、高橋財政の歴史的役割の1つとして評価している。

III.総合評価

このように、本研究は高橋財政に関する先行研究の水準を、越えるものとなっている。従来の研究は、高橋(是清)をケインズに先行する卓見をもった財政家と賞賛するにせよ、破滅的なインフレーションをもたらした赤字公債の日銀引受の発案者として非難するにせよ、個人の経歴・思想・資質を軸にして研究されてきた(偉大な財政家による独創的な財政政策というイメージ)ことは否めない。これに対して、本研究では、高橋財政が高橋是清の財政である面があるにしても、大蔵省や日銀など財政運営に関わるプレイヤーそれぞれの政策理念や利害の複雑な絡み合いによる合成物であることを浮き彫りにしている。大蔵省は貨幣による統治を通じて社会全体の統合を図り、日銀は通貨価値の安定を図りつつ、金融市場での制御のポジションを確保するといった、組織の論理に立脚して合理的に判断し行動したという側面に光をあてて、高橋財政像を描いた。また豊富かつ良質な一次資料を駆使して、歴史分析の実証水準を上げたことも本研究の長所といえよう。

以上のような内容と意義をもつ本研究であるが、いくつかの改良の余地がないわけではない。第1に、国家の自律性(具体的には、「貨幣による統治」と「予算による統治」)という観点から財政現象を分析する、という本研究の視点はまっとうであるにせよ、これまでの財政学の蓄積が十分には消化されていない。とくに本研究は、国家=大蔵省というシェーマを前提にしているが、当時大蔵省は必ずしも一枚岩ではなかった(主税局と主計局との違い等)。例えば、主税局のプランの背後にある国民経済像を検討することで、より興味深い結果が得られたことと思われる。第2に、歴史分析から現代の政策運営に対するインプリケーションを導出しようとする意欲は肯定できるが、その理論的枠組みは十分に洗練されてはいないごとくに、財政・金融のポリシー・ミックスに対する著者のスタンスは明確ではない。例えば、財政・金融分離論について、行政学や近年の金融論における研究史を整理したうえで、独自の見解を提示したならば、結論の現実的意味がより明確になったと考えられる。第3に、本研究は良質な一次資料を駆使しているものの、諸事実の解釈には疑問な点が残る。例えば、米穀需給調節特別会計には食糧政策としての意味があるが、そうした視点が欠落しているし、数値の解釈にも初歩的な問題がある。また井上財政期の共同調査会で日銀引受けを肯定した論理が、高橋財政期にどのように継承されていったのか、発券制度の改正や日銀引受に対する財界・金融界の政策要求がどのようなものであったのかも、本研究では十分には触れられていない。

以上述べたように、本研究はそれぞれ将来的な分析課題を残してはいるものの、全体として学位請求論文としての要件を十分に満たしている。平成19年7月27日に論文が提出された後、審査委員会(審査委員:伊藤正直、渋谷博史、神野直彦、持田信樹(主査)、森建資)を設置し、論文について検討した。さらに平成20年4月16日に口頭試問を行った上、慎重な審議を行った結果、審査委員一同、井手英策氏に博士(経済学)の学位を授与するのが妥当であるとの結論に達した。

[審査委員]

主査持田信樹

副査伊藤正直

渋谷博史

神野直彦

森建資

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