学位論文要旨



No 216979
著者(漢字) 金子,順一
著者(英字)
著者(カナ) カネコ,ジュンイチ
標題(和) 肝移植後の早期肝動脈、門脈血栓症に対する診断法の開発 : 肝再生に伴う凝固線溶系の変化の解析、血栓症診断の限界と新診断法
標題(洋)
報告番号 216979
報告番号 乙16979
学位授与日 2008.06.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16979号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 光嶋,勲
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 講師 今村,宏
 東京大学 講師 阿部,修
内容要旨 要旨を表示する

肝移植後のグラフト肝不全の原因となる早期肝動脈、門脈血栓症は3%から9%の頻度で発生する。私は、生体肝移植後の肝再生に伴う凝固線溶系の変化の解析、血栓症診断の限界と新診断法の開発について研究した。

1. 凝固線溶系の変化

1.1. 生体肝移植における術後凝固線溶系の変化

unfractionated heparin (未分画ヘパリン、UFH)は、部分肝移植後の血栓症の発症率を減らす目的で広く使用されている。しかし、UFH至適量についての意見は統一していない。

対象は2004年までの成人生体肝移植128例である。プロトコールでは術後2日目まで低分子ヘパリン(low-molecular-weight heparin、LMWH) 25 U/kg/dayを投与し、術後3日目にUFHに変更した。UFHの用量はactivated clotting time(活性化全血凝固時間、ACT)130秒から160秒を目標とし適宜増減した。血栓症の診断は、プロトコール超音波ドプラー検査で肝動脈ないし門脈の血流が検出されなかったものとした。赤血球輸血を要したか、緊急手術で血腫除去を行った症例を後出血と定義した。トロンビン・アンチトロンビン複合体(thrombin-antithrombin complex、TAT)、プラスミンインヒビター・ プラスミン複合体(plasmin-alpha2 plasmin inhibitor complex、PIC)を術前と術後2週間測定した。UFHの総投与量に影響を与える因子、グラフト肝重量等を単変量および多変量解析をした。

TATは術後3日目まで著明に上昇した後、緩やかに低下した。PICは術後3日目が最大値となり観察期間中に正常値に復さなかった。血栓症は3% (4例)、後出血は15% (19例)に発症した。1日当たりの投与UFH量は術後8日目までに直線的に増加し、その後定常となった。多変量解析では、グラフト肝重量のみが総UFH使用量に関連した因子であった(p=0.01)。

1.2. アンチトロンビン(antithrombin、AT)製剤投与の効果

肝移植後に、AT投与を含む抗凝固療法が適切であるかを検証した。

対象は2006年までの成人生体肝移植25例である(自主臨床試験P2005017)。AT(アンスロンビンP、ZLB Behring K.K.)1500単位を先行の15例(AT群)に対し術後1日目から3日目まで3日間投与した。その後の10例(対象群)はATを投与しなかった。両群は同じ抗凝固療法プロトコールで管理した。術後、血小板数が3万 /ul以下の時、血小板輸血を行った。術後2週間、AT、FDP-DD、血小板輸血量を測定した。両群のAT、フィブリン分解産物Dダイマー (fibrin degradation product D-dimmer、FDP-DD)の時系列データは、平均値と標準偏差値で表し二元配置分散分析で比較した。血小板を輸注された患者数をPearsonのχ2検定で比較した。

AT群のAT活性値は術後2日目から80%以上に維持された。対象群では、術後14日目から80%以上になった。両群に差を認めた(p=0.03、図1左)。対象群のFDP-DD値は、AT群より高値であった(p=0.03、図1右)。血小板輸血を必要とした例は、対象群の6例に対して、AT群では3例であり、両群間に差を認めた(p=0.04)。

1.3. 肝移植後のヘパリン起因性血小板減少症

肝移植後のヘパリン起因性血小板減少症(Heparin-induced thrombocytopenia、HIT)の発症率とHIT抗体陽性の頻度は報告されていない。

対象は2006年までのLMWH 25 U/kg/day、UFH(5000 U/day)を術後に投与した成人生体肝移植52例である(自主臨床試験P2005017)。platelet factor 4/heparin antibody (HIT抗体)を術前、術後7日目と14日目に測定した。血小板数を術後3週間連日測定した。術後4日目から14日目の間に、血小板数が50%以上低下した場合、ヘパリン惹起血小板凝集試験を行った。

術前のHIT抗体陽性患者の頻度は0.5%であり、術後7日目と14日目には各々5.6%であった。2人の患者が肝動脈血栓症を発症したが、血小板数は安定しHIT抗体は陰性であった。ほかの2人の患者は、各々術後6日目と術後9日目に急激に血小板が減少したが、HIT抗体とヘパリン惹起血小板凝集試験は陰性であった。

1.4. 結論

観察した凝固線溶系変化の特徴から、術後1週目はUFHの投与量の決定のために、頻回のACTのモニタリングが必要と考えられる。術後2週目の線溶系亢進の状態では出血の合併症が多いためUFHの投与量を減量すべきである。ATの術後投与は抗凝固剤に十分な抗凝固能を担保するため必要である。ATとUFHの同時投与はFDP-DDを減少させ、血小板数の減少を防ぐ可能性が示唆された。また、肝移植後のHIT抗体陽性率は低くヘパリン起因性血小板減少症は稀である。

2. 診断とその限界

2.1. 小児生体肝移植における超音波ドプラーによる肝動脈血栓症の予測

プロトコール超音波ドプラー検査で定期的に測定したresistive index (抵抗係数、RI)値[(収縮期血流速度-拡張期血流速度) / 収縮期血流速度]が、生体肝移植において肝動脈血栓症の予測因子として有用であるかを検討した。

2002年までの小児(18歳未満)生体肝移植70例を対象とし、692回の超音波ドプラー検査結果を集計した。測定したRI値を以下の3群に分けた。動脈血栓症を発症しなかった正常症例群では、術後2週間のすべてのRI値、血栓症発症例では7日前から2日前までのRI値(血栓症群1)、血栓症発症例の2日前から発症直前までのRI値(血栓症群2)とした。以上の3群のRI値を、時系列で表した。各群は平均と標準偏差値で表し、t検定で比較した。

肝動脈血栓症の頻度は10% (7例)であった。正常群63例の術後2週間の平均RI値(n=625)は、0.71+-0.1であった。血栓症群1(n=39)、血栓症群2(n=28)の平均RI値は、各々0.66+-0.09、0.52+-0.08であった。両群と血栓症群2との比較で、各々差があった(p<0.001)。RI値の閾値を0.6に設定した時、RI値が肝動脈血栓症を検出する感度と特異度は、各々83%と85%であった。

2.2. 同時性動脈門脈血栓症の診断

プロトコール超音波ドプラー検査が同時性の動脈門脈血栓症を予測可能か否か検討した。2003年までの生体肝移植213例を対象とした。抗凝固療法はAT、LMWHあるいはUFHを投与した。

同時性肝動脈門脈血栓症は4例(2%)に発症した。発症時期は術後1週間以内であった。同時性動脈門脈血栓症は超音波ドプラー検査により診断されたが、4例とも肝不全で死亡した。4例の肝動脈流速、RI値、門脈血流速は血栓症の発症直前まで正常であった。

2.3. 結論

RI値は肝動脈血栓症を予測する因子として感度が高く、RI値の低下は血栓症発症2日前から始まっていた。RI値が0.6以下のときは肝動脈狭窄を疑うべきである。一方、プロトコール超音波ドプラー検査は、同時性動脈門脈血栓症の発症予測はできない。

3. 新診断法の開発

3.1. 体内留置型超音波プローブによる肝血流測定の可能性

新たに極細径超音波プローブを開発した。10例の肝移植患者の術後48時間の連続モニタリングを施行し、肝内の血管と血流を安全かつ連続的に測定できるかを評価した。

新しいプローブの形状は、極小トランスデューサー(径8x4 mm)および超音波振動子を先端に配置しシリコンで被包した。2002年の生体肝移植症例10例を対象とした。閉腹の施行直前に、肝表面にこの極細径超音波プローブを留置した。腹部超音波機器SSD 5500に接続しモニタリングした。

全例で、術後48時間にわたって肝動脈と門脈の血流モニタリングが可能であった。

3.2. ブタ肝血流減少モデルにおけるレーザードプラーと近赤外分光法の比較

ブタ肝における流入血の変化を肝表から観察するのにあたり、レーザードプラー法または近赤外分光法のどちらが優れているかを比較検討した。ブタ(Sangen-strain、n=5、40+-6 kg)を使用した。肝流入血流量の測定に超音波トランジットタイム方式の超音波血流計装置T402(Transonic Medical system)を用いた。レーザードプラー流量計装置はALF 21(株式会社アドバンス)を使用し、組織血流(TBF、tissue blood flow)を測定した。近赤外分光法装置はNIRO 200 (株式会社浜松ホトニクス)を使用し、酸素化ヘモグロビン(ΔO2Hb、μmol/L)、脱酸素化ヘモグロビン(ΔHHb、μmol/L)、tissue oxygenation index(ヘモグロビン酸素飽和度、TOI)を測定した。実験は遮断しない対照群、門脈半遮断、門脈全遮断、肝動脈半遮断、肝動脈全遮断、肝動脈と門脈の半遮断、肝動脈と門脈の全遮断の7つの状態を作成した。血管を半遮断する状態では、超音波血流計で血流が最初の半量になるように制御した。測定した因子TBF、ΔO2Hb、ΔHHb、TOI、ΔO2HbとΔHHbの差(ΔO2Hb-ΔHHb)のデータは平均値と標準偏差値で表し、対照群と各状態群の比較を一元配置分散分析で行い、ボンフェローニの補正を行った。また、各因子間の比較を二元配置分散分析で行った。

ΔO2Hb-ΔHHbの対照群における平均値は12+-7%であり、すべての状態で対照群より低い値を示し、最も感度が良いと考えられた。各因子間の多重比較では、TBFと各因子の比較では差を認めた(p<0.05)。

3.3. 極細径近赤外光プローブの開発

新たにヒト用極細径近赤外光プローブを開発した。平成18年より臨床応用を開始した(研究倫理審査1050)。プローブは、近赤外分光法装置NIRO 120に接続し、移植後7日間の肝の酸素飽和度を連続モニタリングした。プロトタイプ2型は、平成19年東京大学産学連携本部に発明届けを提出した(12B073002-1)。プロトタイプ3型(図2C)は同平成19年より臨床応用を開始し、特許出願中である。

3.4. 結論

体内留置型の細径超音波ドプラープローブを肝移植後に世界で初めて臨床応用した。しかし、測定装置が大型のためモニタリング時間は術後48時間に限定した。ブタ肝血流減少モデルにおいて、近赤外分光法は肝動脈ないし門脈の血流量が半分以下に減少したとき、レーザードプラー法より感度が高いことから、新しいヒト用極細径近赤外分光プローブを開発した。世界で初めて臨床応用し、術後7日間の肝血流の連続監視が可能となった。

図1. アンチトロンビン(AT)活性値(左)とFDP-DD(右)の変化

各々、Y軸の灰色の棒は各正常範囲、○はコントロール群、●はAT群を示す。

図2. プロトタイプ3型(C)

矢印は加工されたプローブ先端の近赤外光の発光部と受光部を示す。各々、プローブ先端の左側は2本のケーブルの接合部を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、生体肝移植後の肝動脈、門脈血栓症に対する予防的抗凝固療法の評価と、肝再生に伴う凝固線溶系の変化の解析を行った。また、プロトコール超音波ドプラー検査による血栓症診断の評価を行い、近赤外分光法による新診断法の開発を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.肝移植後2週間においてactivated clotting time (活性化全血凝固時、ACT)を130秒から160秒の間にコントロールした。観察した凝固線溶系変化の特徴から、最初の術後1週間はunfractionated heparin (未分画ヘパリン、UFH)の投与量の決定のために、頻回のACTのモニタリングが必要と考えられる。また、術後2週目の線溶系亢進の状態では出血の合併症が多いためUFHの投与量を減量すべきことを示した。

2.antithrombin (アンチトロンビン、AT)の術後投与は抗凝固剤に十分な抗凝固能を担保するため必要であることを明らかにした。また、本研究では、ATとUFHの同時投与はfibrin degradation product D-dimmer(フィブリン分解産物Dダイマー、FDP-DD)を減少させ、血小板数の減少を防ぐ可能性が示唆された。

3.肝移植後のheparin induced thrombocytopenia(ヘパリン起因性血小板減少症)抗体陽性率は低くヘパリン起因性血小板減少症は稀である可能性を示した。

4.プロトコール超音波ドプラー検査結果からresistive index (抵抗係数、RI)値は肝動脈血栓症を予測する因子として感度が高く、RI値の低下は血栓症発症2日前から始まることを明らかにした。RI値が0.6以下のときは肝動脈狭窄を疑うべきであることを示した。また、プロトコール超音波ドプラー検査を行っても、同時性動脈門脈血栓症の発症予測はできないことが示唆された。

5.体内留置型の細径超音波ドプラープローブを肝移植後に世界で初めて臨床応用し、肝血流信号のモニタリングが可能なことを見出した。この技術は、肝表面から血栓症を診断するのに有用であることを明らかにした。しかし、測定装置が大型のためモニタリング時間は術後48時間に限定した。

6.より長期間の安定した肝血流の監視を目指して、レーザードプラー法と近赤外分光法を候補として、ブタ肝血流減少モデルにおいてどちらの方法が優れているかを比較検討した。近赤外分光法は肝動脈ないし門脈の血流量が半分以下に減少したとき、レーザードプラー法より感度が高いことが示唆された。

7.新しいヒト用極細径近赤外分光プローブを開発し、術後7日間の肝血流の安定した連続監視が可能となり、世界で初めて臨床応用した。特許出願中である。

以上、本論文はプロトコール超音波ドプラー検査による生体肝移植後の肝動脈、門脈血栓症診断の限界を明らかにした。近赤外分光法が肝血流の監視に有用であることを示し、ヒト用極細径近赤外分光プローブの開発を行った。肝移植の予後向上に重要な貢献をなすと考えられ、学位授与に値するものと考えられる。

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