学位論文要旨



No 216981
著者(漢字) 岩澤,美帆
著者(英字)
著者(カナ) イワサワ,ミホ
標題(和) 日本における超低出生力 : パートナーシップ行動の変容と出生意欲の未充足をめぐって
標題(洋)
報告番号 216981
報告番号 乙16981
学位授与日 2008.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16981号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 准教授 佐藤,俊樹
 聖学院大学 教授 松原,望
 慶応義塾大学 教授 津谷,典子
内容要旨 要旨を表示する

近代化とともに人口転換を経験したほとんどの先進諸国で、今日、合計特殊出生率は人口置換水準である2.1を下まわっている。とりわけ合計特殊出生率が1.5に満たないような、いわゆる「超低出生力」地域については、その社会経済的影響に各方面から多大な関心が寄せられている。しかしながら、その要因やメカニズムについては、第二の人口転換仮説や家族主義とジェンダー要因説、出生力低下の負の連鎖など、いくつかの有力な仮説が提示されてはいるものの、理論的には発展途上の段階にあるといえる。本研究は、こうした超低出生力地域の一つに含まれる20世紀後半以降の日本について、出生力低下の要因と帰結に迫ることを目指した。具体的には、今日の出生力変動が、同時期に起こったパートナーシップ行動の変容(未婚化や離再婚、同棲の増加)と密接に関わっていること、さらに、出生力の低迷が、人々の積極的な選択の結果というよりも、ライフイベントの先送りによる出生意欲の未充足という形で発現していることを示し、このことが人口減少社会に向かう日本社会にとってどのような意味を持つのかを議論した。

出生力低下の要因解明については様々なアプローチがあるが、人々の行動変化とマクロ指標との関係を科学的に捉えることは容易ではなく、誤解のもとに議論がなされることが少なくない。そこで本研究では、出生力低下の行動要因をより厳密に把握するため、出生力の近接要因(出生力に直接的に作用する結婚行動や出生調節行動)の変化を推計するとともに、ライフコースのモデル化に基づいたマクロ・シミュレーションを活用することによって、どのような行動変化が出生率低下を引き起こし、それが、人口の規模や構造にどのような影響を与えるのかについて、可能な限り定量的に示すことを試みた。分析には「出生動向基本調査」(国立社会保障・人口問題研究所実施)、「人口・家族・世代に関する世論調査」(毎日新聞社人口問題調査会実施)といった全国標本抽出調査の個票、および「人口動態統計」「国勢調査」といった官庁統計の集計結果を利用した。

また、人口問題といえば、一般に、経済現象や社会保障、環境や資源といったマクロレベルの問題として議論されることが多い。しかし本研究では、人口現象という帰結が、結婚や出生に関する人々の希望や期待をどの程度反映したものなのか、といったミクロな視点を取り入れることにより、家族形成をめぐる日本人のアンビバレントな意識が、超低出生力の罠からの脱出をますます困難にしている可能性を指摘した。

本研究は3部構成となっている。序章では本研究における問題意識と分析枠組みの提示、および日本における出生力変動の歴史的な概観を示した。続く第I部は、「少子化過程におけるパートナーシップ行動の変容」と題し、日本及び諸外国におけるパートナーシップ行動の変容に関わる諸側面に焦点を当てた。第1章では日本の出生率低下の要因を結婚行動の変化(未婚化)と結婚後の夫婦の出生行動の変化に分解することを試みた。その結果、1970年代から2000年前後までの合計特殊出生率低下の約7割が、結婚行動の変化で説明できることが明らかになった。第2章では、諸外国でのパートナーシップ行動の変容および出生力への影響に関する諸議論を整理し、同棲や離婚後の再婚などパートナーシップが多様化している欧米諸国に対し、日本では総じてパートナー形成そのものが低調であることを指摘した。第3章では、日本の未婚化における構造的な要因に着目した。配偶者との出会いの機会別に初婚の発生率を観察したところ、見合いおよび職縁における発生率の低下が、著しい初婚率低下の大部分を説明していることが明らかになった。企業文化の衰退など、カップル形成を積極的に促してきた構造的要因の変化も未婚化の進展に少なからぬ影響を与えている可能性が示唆される。第4章では、先進諸外国では増加が確認されている同棲の実態について、調査データを用いて検証し、日本においても同棲経験を経て結婚するパターンが徐々に増えていることを明らかにした。今日30代前半の女性のおよそ2割が同棲を経験していることが示された。

第II部は「出生意欲の未充足としての少子社会の諸相」と題している。ここでは、現代日本人女性の出生意欲や希望に着目し、今日の日本における出生発生が、こうした出生意欲をどの程度反映したものなのかを定量的に示すことを試みた。第5章では、再生産年齢女性の1年間の妊娠発生プロセスをモデル化し、出生数を出生意図別に推計することを試みた。その結果、不完全な避妊実行による意図せざる妊娠が相当数発生している可能性が示された。続く第6章では、第5章とは対極をなす、子どもを望みながら出生に至っていない挙児希望女性の存在に着目した。出産の先送り傾向によって、挙児希望女性は近年増加するとともに高齢化している。このことは、今後加齢による不妊者数を増加させる可能性がある。第7章では、今日および将来予測される出生数が人々の出生意欲を反映した水準を大幅に下回っている実態を、将来人口の規模と構造に与える影響として示すことを試みた。蓋然性の高い出生率仮定値を用いた将来推計人口と、今日の再生産年齢女性の予定子ども数を反映した出生率仮定値を用いた推計結果を比較することによって、両者による人口の差が2050年時点で3千万以上になることが明らかになった。これは予定されながらも逸することになるとみられる出産の機会が今後50年で3千万以上にのぼることを意味している。

第III部は「人口減少時代における政策対応の可能性と課題」と題し、日本における出生率低下過程についての本研究における理解がどのように政策対応に活かせるかを論じた。第8章では、出生行動の変化とその帰結としての人口変動との関係が必ずしも正確に認識されていないことを指摘し、その結果、今日の少子化対策をめぐって、何人産むかといった子どもの"数"のみに焦点をあてる傾向を生んでいる問題を論じた。その上で、今日の少子化においては出産の先送りが要因として大きいこと、さらに産む数は同じでも出生年齢が若年化するだけで人口減少を緩和させる効果をもつことを、将来推計人口手法に基づくマクロ・シミュレーションによって明らかにした。関連してすでに欧州で議論されている、若年での出生を容易にするテンポ政策の可能性について論じた。第9章では、人口減少社会に対応する社会システムの再構築のためには、少子化の帰結としての家族の変化を認識する必要があることを指摘した。今後の日本社会は、今日のドイツ語圏を大幅に上回る無子割合や離婚や再婚によって形成される複雑な家族の増加を経験すると予想される。長らく日本社会を支えてきた親族ネットワークが十分に機能しない可能性が高く、個人を支える新たな支援システムの構築が急務であることを述べた。

本論文が明らかにした高い出生意欲、狭小なライフコース、超低出生力という組み合わせは、現在の日本人が(1)従来型の家族像にこだわりながら、(2)自らの家族形成を先送りしつづけていることを意味する。その因果関係はともかく、(1)(2)が併存することで、当事者がほとんど意図も想定もしない形で、急激な生涯未婚率および生涯無子割合の上昇が起こっている。こうした当事者意識の欠如や認識の遅れは、人口減少にともなう急激な社会構造変化への対応を一層困難なものにしやすい。このような状況では家族をもたないことに自覚的になることも一つの生き方であるが、もし日本が超低出生力の罠から抜け出すことをめざすとすれば、いくつかの面で犠牲をはらっても、隘路bottle neckになっているライフコースの狭小さ、すなわちライフコース形態の硬直性を変えていく必要がある。

ただし、ライフコースの多様化が全てを解決するわけではない。欧米諸国では、多様化がパートナー関係の不安定化を通じて、一部の集団、とりわけ女性と子どもの福祉を損なう事態がすでに確認されている。第二の人口転換の影の部分とも言うべきこうした事態に関わる要因のメカニズムの解明とそれをふまえた日本社会なりの解決策の提示は、今後取り組むべき課題としたい。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、今日の日本社会が、歴史的にも類を見ない未曾有の低出生力に直面していることに着目して、その要因と帰結について明らかにしようとしたものである。日本を含め多くの先進諸国において、近代化にともなって多産多死から少産少死へという人口転換が起きた後も、合計特殊出生率の低下が続き、人口置換水準である2.1を下回るレベルにまで落ち込んでいる。とくに合計特殊出生率が1.5を下まわるような超低出生力地域については、なぜこのような事態が生じ、今後どのような展開を示しうるのかについて、さまざまな仮説が提唱されてはいるものの、未だ検証が続いている段階である。

そのような中で、本論文は二つの興味深い視点から日本の人口転換後の出生力低下の過程を特徴づけることを試みたものである。一つ目の視点は、出生力と社会的変数をつなぐ近接要因に着目するというものであって、それに基づく分析の結果、未婚化や離再婚、同棲の増加といったパートナーシップ行動の変容が出生力の低下に大きく寄与していることを明らかにしている。もう一つは、人口に関する実態および将来像が、どの程度、個々人の出生意欲や希望を反映したものであるかという点に着目して、今日の出生力低下が出生意欲の未充足という形で進んでおり、そのことが、今後の人口減少社会への対応を一層困難にする可能性があることを詳述している。

本論文は序章、本論9章、および第10章の結論部分から成る。さらに本論部分は第I部「少子化過程におけるパートナーシップ行動の変容」、第II部「出生意欲の未充足としての少子社会の諸相」、第III部「人口減少時代における政策対応の可能性と課題」の3部構成となっている。

序章に続く第I部の「少子化過程におけるパートナーシップ行動の変容」では、日本および諸外国におけるパートナーシップ行動の変容に関わる諸側面を論じている。第1章では日本の出生率低下の要因を結婚行動の変化(未婚化)と結婚後の夫婦の出生行動の変化に分解することを試みており、1970年代から2000年前後までの合計特殊出生率低下の約7割が、結婚行動の変化で説明できることを示している。第2章では、諸外国でのパートナーシップ行動の変容および出生力への影響に関する諸議論を整理し、同棲や離婚後の再婚などパートナーシップが多様化している欧米諸国に対して、日本では総じてパートナーシップ形成そのものが低調であることを指摘している。第3章では、日本の未婚化における構造的な要因に着目して、配偶者との出会いの機会の変化、具体的には見合い結婚および職縁結婚の減少が、著しい初婚率低下の大部分を説明していることを明らかにしている。第4章では、先進諸国では増加が確認されている同棲が、近年、日本においても結婚前の形態として徐々に増えていることを明らかにしている。

第II部「出生意欲の未充足としての少子社会の諸相」では、現代の日本人女性の出生意欲に着目して、今日の日本における出生発生が、こうした出生意欲をどの程度反映したものなのかを定量的に示すことを試みている。第5章では、再生産年齢女性の1年間の妊娠発生プロセスをモデル化し、出生数を出生意図別に推計することによって、不完全な避妊実行による意図せざる妊娠が相当数発生している可能性を示している。続く第6章では、第5章とは対極をなす、子どもを望みながら出生に至っていない挙児希望女性の存在に着目している。出産の先送りが挙児希望女性人口の増加と高齢化をもたらしていることを示した上で、そのことが今後は不妊人口の増加として現れる可能性を指摘している。第7章では、今日および将来予測される出生数が人々の出生意欲を反映した水準を大幅に下回っている実態を定量的に示している。

第III部「人口減少時代における政策対応の可能性と課題」では、日本における少子化過程についての本研究における知見がどのような形で政策対応に活かせるかを論じている。第8章では、一般に、出生行動の変化と人口変動との関係が正しく理解されていないために、今日の少子化対策をめぐって、何人産むかといった子どもの「数」のみに焦点をあてた議論に終始していることを指摘している。その上で、将来推計人口の手法に基づくマクロ・シミュレーションによって、今日の少子化においては出産の先送りが要因として大きいこと、それゆえに産む数は同じでも出生年齢が若年化するだけで人口減少を緩和させる効果をもつことを明らかにしている。関連して、すでに欧州で議論されている、若年での出生を容易にするテンポ政策の可能性についても論じている。第9章では、人口減少社会に適応するためには、少子化の帰結としての家族の変化を認識することが極めて重要であることを指摘している。今後の日本社会は、現在のドイツ語圏を上回るほどの無子割合や離婚や再婚によって形成される複雑な家族の増加が予想され、長らく日本社会を支えてきた親族ネットワークが十分に機能しなくなる可能性が高い。そのため、親族に代わり個人を支える新たな支援システムの構築を早急に進めるべきであることを主張している。

以上のような内容をもつ本論文には、次のような長所が認められる。

第一に、出生率低下の要因と帰結について、実態に関して可能な限り客観的なデータの収集と測定を試み、結果を定量的に示している点である。出生率低下の要因については、さまざまな領域の専門家によって数々の仮説が提唱され、その解釈に応じた対応策が主張されているとはいえ、それらの中には客観的検証や効果の評価が困難な議論が少なくない。本論文で提示された定量的な分析結果は、そうしたさまざまな議論の客観的比較や評価を可能にし、対応策を検討するうえで大きな貢献をもたらすと期待できる。

第二に、出生率低下の要因を説明する中で、行動変化との親和性が高いコーホート指標に重点を置くとともに、出生力の近接要因を軸としたモデルを構築するなど、方法論的個人主義の立場からマクロ指標の変化を説明した点である。強制的な出産コントロールができない先進諸国では、出生力の変化は個人の態度変容を経由するしかない。そのためにも方法論的個人主義にたったモデル化は不可欠である。

第三に、日本の出生力低下は個々人の積極的な選択の結果として生じたものでないことを示すことによって、少子化という事態が特定の世代や性など、社会の一部の集団の責任に帰すことはできないことを明らかにした点である。今日の日本社会は、経済的には家族形成を先送りできる程度には豊かであるにしても、制度的には狭小な家族形成パターンのみが許容されるという状況にある。その狭間にあって、従来通りの家族像やライフコース像を抱いたまま、それを実現することも否定することもできないでいる現状を鋭く指摘した点も高く評価できる。

しかしながら、本論文にも問題点がないわけでない。まず、本来時間軸上の順を追って生じる出生力の近接要因群を、一部の分析では、一時点での調査データによる構造要因として扱っていることである。そのため、直接的な因果関係は捉えられておらず、幅を持たせているとはいえ仮定に基づいた推計が含まれている点については、今後、縦断調査データなどを利用することで再確認をすべきであろう。また、出生タイミング変化の出生力への影響の重要性を指摘しているものの、タイミングの変化の具体的なメカニズムを論じるためには、ライフコースの他の側面、たとえば就業行動との関連の特定が不可欠である。本研究ではそうした視点が不足している。

このような欠点は、しかし、本論文の価値を損なうものではない。既存のデータを最大限に活用し、社会内部の異質性にとどまらず、世代間の行動変化という大きな流れに焦点をあてた本研究におけるモデル構築とそれに基づく実証分析は、今後、部分的な改良を加えることで超低出生力に関する議論に十分に寄与する可能性を備えていると考えられる。

以上のように、本論文は相関社会科学的な視座から、精緻な理論枠組みと着実な実証分析を重ねて、20世紀後半以降の日本の出生力低下を解明し、その解決策の枠組みを提示したすぐれた研究であると評価できる。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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