学位論文要旨



No 216983
著者(漢字) 久保山,裕史
著者(英字)
著者(カナ) クボヤマ,ヒロフミ
標題(和) 林業経営におけるリスクに関する研究
標題(洋)
報告番号 216983
報告番号 乙16983
学位授与日 2008.07.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16983号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 白石,則彦
 東京大学 教授 山本,博一
 早稲田大学 教授 赤尾,健一
 東京大学 准教授 古井戸,宏通
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

林業においては、決定論的な議論が主になされてきたが、現実には様々なリスクが存在し、それを考慮する必要がある。林業経営の大きな特徴は、木材の生産に超長期を要すること、そして、その生産が自然条件に大きく左右されることであり、リスクを明示的に扱った場合、結果が大きく変わりうる。そこで本論では、個別の森林所有者が行う林業経営を念頭に置き、林業経営を取り巻く様々なリスクが及ぼす影響を経済学的に明らかにすることを主題とした。

リスクは「望ましくない事象の発生頻度およびその結果の大きさ」と定義でき、それらのうちで統計的に観察される客観的リスクを対象として、リスク分析の段階論に従って検討を行った。第一段階のリスクの同定において、自然に由来する気象災害と病虫獣害、人為活動に由来する素材価格変動、労賃の変動、販売の不確実性、林業労働災害、両方に由来する火災、薬剤汚染、地球温暖化、侵入病虫獣害、生物多様性喪失、遺伝子組み換えを林業経営に関するリスクとして選定した。

これらの中から定量が可能と考えられる、気象災害、生物多様性喪失、価格変動、労賃上昇、販売の不確実性を取り上げ、リスク分析の第二段階であるリスクアセスメント、あるいは第四段階のリスクマネジメントに関する分析を行った。

2.リスク分析のデータと方法

気象災害については、林野庁「森林国営保険事業統計書」を用いて主要な気象災害の林齢別の被害率を推計し、統計的な解析を行った。また、林業経営シミュレーションモデルに林齢別の被害率を導入し、土地期望価を比較することによって林分の最適輪伐期を分析した。さらに、森林保険の都道府県別の加入率データを用いて森林所有者の保険加入の要因分析を行った。

生物多様性喪失については、ここでは環境リスクではなく、水辺保全区域が導入された場合のリーガルリスクを分析対象とし、施業規制によって林業経営が受ける経済的な影響を空間解析手法を用いて分析した。

素材価格変動については、1974~2003年にわたる農林水産省統計部「木材需給報告書」の月別スギ中丸太価格を、季節変動、傾向変動、循環変動、不規則変動に分解し、それぞれの価格変動の特徴について分析した。また、労賃の変動については、林野庁「素材生産費等調査報告書」および厚生労働省「林業労働者職種別賃金調査報告」、農林水産省統計部「育林費調査報告」を用いて、伐出コストおよび造・育林コストに及ぼした影響について分析した。

販売に関わるリスクについては、東京大学農学部付属北海道演習林における広葉樹大径優良材の販売結果等を用いて、広葉樹大径材の入札価格の形成要因の分析や林木販売における価格形成の不確実性について分析を行った。

3.結果と考察

(1) 気象災害リスク

干害や凍害、雪害の被害率は造林初期において高く、雪害は40年生を越えるまで比較的高いことが明らかとなった。一方、風害の被害率は、幼齢期には低いが、高齢級においては雪害よりも高くなるので、今後主要なリスクとなる可能性が高いことを明らかにした。また、温暖化の影響によって、1987年以降の41年生以上の風害被害率は、それ以前と比べて有意に上昇していることが明らかとなった。人工林の林齢は今後上昇するので、大規模な風害が発生した場合には、大量の被害材供給がなされる可能性を指摘した。

経営モデルによる分析からは、成熟した段階における被害確率が最適輪伐期を短くする効果と、リスクの存在によって土地期望価が低下することによって伐期が長くなる効果の存在をシミュレーションによって明らかにした。そして、雪害は後者の効果が大きいために伐期をのばした方が有利であるが、風害は前者の効果が大きく、伐期を短くした方が有利であることを明らかにした。

また、雪害による土地期望価の低下が最も大きかったことから、高リスク地域においては林業経営における土地期望価が負になっている可能性もあり、そうした場所では広葉樹天然林経営が有効であることを明らかにした。

民有林の森林保険加入に関する分析では、加入率向上のためには、公有林への勧誘、森林組合が専従職員数や素材生産取扱量を増やしてその活動を活性化すること、また同時に、公的補助の受給を契機とする私有林等の加入が多いことから、そうした林分の加入を促進することが有効であることを指摘した。

森林保険加入率が15%と低いのは、森林の資産価値が低いことが一因と考えられる。これに対して、森林の標準価値の再評価を行えば、保険料を大幅に引き下げることができ加入も促進されるであろう。

(2)環境リスク

岩手山周辺地域を対象として行った解析結果から、水辺管理区域(RMZ)の幅が15mの時、地域全体の4%が規制対象となり、50mとすると11%と高い割合となった。4%という値はそれほど大きくないが、本論では対象としなかった川幅1.5m未満の永久河川や間欠河川も対象に加えた場合には、この値は大きくなる可能性がある。

岩手山周辺地域では、森林区域以外における水辺林の残存量がわずかであったことから、その回復が地域全体の水辺保全上重要であるといえる。森林区域においては、水辺の人工林化が進んでいるということはなかったが、水辺林における民有林の占有割合は高く、その林齢は高くないことが明らかとなった。また、現状における水辺林の施業規制は緩やかであることや、道路に比較的近く、伐出に向いていることから、民有林に顕著な影響が出る可能性が高いことを明らかにした。RMZを禁伐とする場合、立木の買い取りによって実施するためには数億円単位の予算が必要となるので、補償措置を講じるのが現実的であると考えられる。その際、小規模林分を規制から除外すると、RMZが断片化することが明らかとなった。

(3)経済的なリスク

素材価格の変動の振れ幅が、1990年以降拡大したのは季節変動の拡大によるところが大きく、不規則変動の振れ幅は縮小した。傾向変動は10年以上継続するため、これに対処するのは困難であるが、循環変動は約10年の周期なので、上昇期に販売量を増やし、下降期には減らすという対策をとりうる。季節変動については、6、7月を避けて、10~2月の伐採・出荷を増やせば収入を増やすことができる。そして、不規則変動は、毎月同じ量の販売を行うことによって影響を平準化できるが、季節変動と比べると小さいので、ある程度季節に応じて販売量を調整するのが得策であろう。

労賃は平均年率2.4%で上昇してきたが、伐出コストは労働生産性の向上によって単価の上昇はほとんど起こらなかった。しかし、労働生産性がさらに向上していれば、立木価格の低下は緩和されたと考えられる。

一方、労賃の上昇は造・育林コストの増加に直結しており、高い率で低下を続けてきた立木販売収入とともに、林業経営を圧迫してきたと考えることができる。これらの労賃の変動リスクを緩和するためには、生産性の向上と省力(粗放)化が重要である。

次に、優良広葉樹大径材の販売価格は、枯損の有無や伐採高、品等・材長等によって違いが出ることから、樹種ごとの生理・生態学的な特徴や市場動向の把握が重要である。また、大径木の正確な価値判断は熟練者でも難しく、形質良好なものについては、素材生産を行い、市売委託販売を行った方が有利であることを明らかにした。

4.結論

人工林の過半は40年生を過ぎており、高リスク地域においては風害に注意する必要がある。間伐等によって耐性を高めて主伐を延長するか、近いうちに主伐を行うのかを選択することが望ましいと考える。ここで、実施直後に被害率を増大させない間伐方法の検討や、リスクマップの作成が重要な課題と考える。今後の気象災害面積は、これまでよりも少ないという結果が得られたが、被害材の発生量は増加するものと推計されており、木材市場に大きな影響が出ることが予想され、被害材への対策が求められる。

将来、本格的に主伐が行われだしたとき、あるいは大規模な気象災害が発生したときの跡地の再造林は、地域のリスクや地位、地利等を十分に考慮した上で更新方法を決定するべきである。その場合、天然更新の選択も認めるべきであり、適切に管理されるならば、環境リスクの観点からも望ましいと考える。広葉樹林経営における伐採収入は、しばらく多くは期待できないと思われるが、長期的には需要拡大が実現するであろう。

伐採跡地に再造林する場合には、造林コストの削減は急務であることから、疎植とすれば、気象災害リスクに対しても有効である可能性が高い。労賃の上昇傾向は弱まりつつあり、そうした粗放化や機械化による生産性向上を進めれば、その変動リスクを小さくすることができるであろう。

最後に、林業経営において立木販売を行っていく場合、適正な価格形成が収入を確保する上で重要であることはいうまでもなかろう。針葉樹並材は価格差が小さいので立木販売によっても適正価格をある程度実現可能であるが、小規模所有者の場合、買い手に関する情報が限られ、適正価格が形成され難いという問題がある。これに対して、適正な素材価格と伐出コストをもたらす主体形成およびシステムの構築が必要であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

従来、林業経営の議論は主に決定論的なされてきたが、現実には様々なリスクが存在し、それを考慮する必要がある。林業経営は超長期を要するのでリスクによって結果が大きく変わりうるからである。本論文はこの点に着目し、林業経営を取り巻く様々なリスクが及ぼす影響を経済学的に明らかにするものである。

リスクは「望ましくない事象の発生頻度およびその結果」と定義でき、それらのうちで統計的に観察される客観的リスクを対象として、リスク分析の段階論に従って検討を行った。第一段階のリスクの同定としては、定量が可能と考えられる、気象災害、環境保全のための経営規制、価格変動、労賃上昇、販売の不確実性を取り上げることとし、第二段階であるリスクアセスメント、あるいは第四段階のリスクマネジメントに関する分析を行った。

(1) 気象災害リスク

干害や凍害、雪害の被害率は造林初期において高く、雪害は40年生を越えるまで比較的高いことが明らかとなった。一方、風害の被害率は、幼齢期には低いが、高齢級においては雪害よりも高くなるので、今後主要なリスクとなる可能性が高いことを明らかにした。また、温暖化の影響によって、1987年以降の41年生以上の風害被害率は、それ以前と比べて有意に上昇していることが明らかとなった。人工林の林齢は今後上昇するので、大規模な風害が発生した場合には、大量の被害材供給がなされる可能性を指摘した。

経営モデルによる分析からは、成熟した段階における被害確率が最適輪伐期を短くする効果と、リスクの存在によって土地期望価が低下することによって伐期が長くなる効果の存在をシミュレーションによって明らかにした。そして、雪害は後者の効果が大きいために伐期をのばした方が有利であるが、風害は前者の効果が大きく、伐期を短くした方が有利であることを明らかにした。

また、雪害による土地期望価の低下が最も大きかったことから、高リスク地域においては林業経営における土地期望価が負になっている可能性もあり、そうした場所では広葉樹天然林経営が有効であることを明らかにした。

(2)環境規制リスク

岩手山周辺地域を対象として行った解析結果から、水辺管理区域(RMZ)の幅が15mの時、地域全体の4%が規制対象となり、50mとすると11%と高い割合となった。4%という値はそれほど大きくないが、本論では対象としなかった川幅1.5m未満の永久河川や間欠河川も対象に加えた場合には、この値はさらに大きくなる可能性がある。また、現状における水辺林の施業規制は緩やかであることや、道路に比較的近く、伐出に向いていることから、民有林に顕著な影響が出る可能性が高いことを明らかにした。RMZを禁伐とする場合、立木の買い取りによって実施するためには数億円単位の予算が必要となるので、補償措置を講じるのが現実的であると考えられる。その際、小規模林分を規制から除外すると、RMZが断片化することが明らかとなった。

(3)経済的なリスク

素材価格の変動の振れ幅が、1990年以降拡大したのは季節変動の拡大によるところが大きく、不規則変動の振れ幅は縮小した。傾向変動は10年以上継続するため、これに対処するのは困難であるが、循環変動は約10年の周期なので、上昇期に販売量を増やし、下降期には減らすという対策をとりうる。季節変動については、6、7月を避けて、10~2月の伐採・出荷を増やせば収入を増やすことができる。そして、不規則変動は、毎月同じ量の販売を行うことによって影響を平準化できるが、季節変動と比べると小さいので、ある程度季節に応じて販売量を調整するのが得策であろう。

労賃は平均年率2.4%で上昇してきたが、伐出コストは労働生産性の向上によって単価の上昇はほとんど起こらなかった。しかし、労働生産性がさらに向上していれば、立木価格の低下は緩和されたと考えられる。

一方、労賃の上昇は造・育林コストの増加に直結しており、高い率で低下を続けてきた立木販売収入とともに、林業経営を圧迫してきたと考えることができる。これらの労賃の変動リスクを緩和するためには、生産性の向上と省力(粗放)化が重要である。

次に、優良広葉樹大径材の販売価格は、枯損の有無や伐採高、品等・材長等によって違いが出ることから、樹種ごとの生理・生態学的な特徴や市場動向の把握が重要である。また、大径木の正確な価値判断は熟練者でも難しく、形質良好なものについては、素材生産を行い、市売委託販売を行った方が有利であることを明らかにした。

以上、本論文は、実証的な統計データに基づき林業経営に与えるリスクの影響を経済学的に明らかにしたものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク