学位論文要旨



No 216984
著者(漢字) 清崎,俊博
著者(英字)
著者(カナ) キヨサキ,トシヒロ
標題(和) コムギの新しいシステインプロテイナーゼとその機能に関する食品科学的・植物生理学的研究
標題(洋)
報告番号 216984
報告番号 乙16984
学位授与日 2008.07.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16984号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 准教授 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

コムギは世界の三大穀物の一つで、世界中の人々の「食」を支えている。コムギ種子中には約10~14%のタンパク質が含まれているが、主要なタンパク質成分は、水や食塩水に不溶性のグリアジンとグルテニンである。粉に水を加えてこねると、グリアジンとグルテニンはグルテンを形成する。グルテンが持つ伸展性と弾性が、パン、麺類、菓子類などをはじめとする小麦独特の加工食品を作り出す。この最も重要な加工特性を担うタンパク質の品質改良には膨大な研究努力が注がれてきた。しかしながら、その鍵を握ると思われるプロテイナーゼとそのインヒビターの関与については、分子レベルでは詳細に研究されないままであった。本研究では、コムギ種子貯蔵タンパク質のダイナミズムに関する知見を得るために、主要なプロテイナーゼと思われるシステインプロテイナーゼをスクリーニングし、貯蔵タンパク質に対する作用を検討するとともに、内在のシスタチン(システインプロテイナーゼインヒビター)のスクリーニングをも行い、システインプロテイナーゼとシスタチンの相互作用の解明、およびジベレリンによる活性制御について詳細に解析した。

第1章序論に続き第2章では、コムギ発芽種子よりシステインプロテイナーゼをスクリーニングし、4種類の異なるクローン、トリティカインα、β、γ、グリアダインを取得したことに言及した。これらのクローンはパパインタイプのシステインプロテイナーゼに属し、一次構造は互いに40~62%の相同性を有していた。種子における発現時期と部位を解析した結果、トリティカインαおよびγmRNAは開花後1~2週目までの登熟期と吸水1~3日目の発芽種子で発現し、グリアダインは発芽種子に特異的に発現し、トリティカインβはいずれの種子においても僅かな発現しか認められなかった。これらのシステインプロテイナーゼが特徴ある発現パターンを示すことを明らかにした。吸水時にジベレリンの生合成阻害剤であるウニコナゾールを培地に添加したところ、トリティカインα、γ、グリアダインは発現が抑制され、ジベレリンによって発現が誘導されることが検証された。In situ hybridization の結果、4つのシステインプロテイナーゼは、いずれも発芽種子の胚およびアリューロン細胞で発現していた。すなわち、トリティカインα、β、γ、グリアダインは発現時期をずらしながら、貯蔵タンパク質の分解にディファレンシアルに関与している可能性が示唆された。

第3章では、4種のシステインプロテイナーゼのうち、最も発現量が多く、ジベレリンによって発現が顕著に誘導されるグリアダインについての詳細な解析について述べた。グリアダインを大腸菌を宿主として発現生産させ、酵素学的解析を行った結果、カテプシンLの基質であるz-FR-MCAを効率よく水解し、Km値は9.5μMで、高い親和性を示した。また、グリアダインの至適pHがカテプシンLに近いこと、一次構造の相同性からも、グリアダインがカテプシンL様のシステインプロテイナーゼであることが確認された。

組み換えグリアダインを作出し、コムギ貯蔵タンパク質に作用させると、グリアジン画分のみを特異的に水解した。本酵素の名称は、この性質ゆえに付けたものである。グリアダイン抗体を作製し、組織染色によって発現する組織を検討したところ、胚に隣接する胚乳とアリューロン細胞でシグナルが観察された。このことは、アリューロン層で合成されたグリアダインが胚乳へと漏出し、胚乳にあるプロテインボディーを分解することを示唆する。

第4章の研究では、コムギ種子内在のシスタチンのスクリーニングを行った。登熟過程にあるコムギ種子から作製したcDNAライブラリーから、WC1, WC2, WC3, WC4, の4つのシスタチンクローンを得た。WC1およびWC4の阻害活性をカテプシンB,H,Lに対して行った結果、カテプシンLおよびHに対して卵白シスタチンと同程度の阻害活性を示した。コムギシスタチンは、種子、芽、根など植物体のいたるところで発現が確認されたが、WC1およびWC4は、既知の植物シスタチンとは異なり、発芽期にも強い発現が観察された。発芽期に発現が認められたWC1およびWC4はグリアダインに対して、IC50がWC1では1.7 x 10-8 M, WC4では5.0 x 10-8 Mと強い阻害活性を示した。

本研究の結果より、コムギ発芽種子におけるシステインプロテイナーゼおよびシスタチンの関係を考察することができる。コムギ種子では吸水を引き金としてジベレリンが胚で合成され、胚盤を通過してアリューロン層へ達する。アリューロン細胞のジベレリン受容体で受容されたジベレリンのシグナルは、グリアダイン遺伝子のシスエレメントに応答し、グリアダインの合成が誘導される。アリューロン細胞で合成されたグリアダインは、胚乳に分泌され、貯蔵タンパク質を分解し、発芽のために必要なエネルギー源や新生組織の構成要素となるアミノ酸を産生するためのプロテオリシスに関与する。一方、シスタチンもアリューロン細胞で合成され、グリアダインの活性制御を行い、プロテイナーゼによる過剰なタンパク質分解の制御を担っているものと思われる。すなわち、コムギ種子内では、プロテイナーゼとそれを制御するインヒビターが、共に発現することによってバイオレギュレーターとして作動し、種子内のプロテオリシスのダイナミックな秩序を保っている可能性が示唆された。

また、グリアダインは、食品加工への応用も期待できる。グリアダインは、難消化性タンパク質グリアジンを特異的に切断し、同じプロラミンに分類されたコメのプロラミンには作用しなかったことから、コムギのグリアジンに対して高い特異性を持つと考えられる。コムギ粉に水を加えて捏ねることによって生成するグルテンは、コムギ食品の品質に大きく影響を与えることから、グリアダインを利用してグルテンの物性をコントロールできる可能性が示唆された。今後、本酵素を用いた新しい加工食品の創出に期待したい。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、コムギの新しいシステインプロテイナニガ(CP)を見い出し、その機能に関する食品科学的・植物生理学的研究をまとめたものである。コムギは重要な食糧種実であり、コムギ種子中の主要なタンパク質であるグリアジンとグルテニンから形成されるグルテンの伸展性と弾性が、パン、麺類、菓子類などをはじめとする小麦独特の加工食品を作り出す。この最も重要な加工特性を担うタンパク質に関わるプロテイナーゼとそのインヒビターの関与について、分子レベルでは詳細に研究されないままであった。本研究では、コムギ種子中のプロテオリIシスのメカニズムを明らかにし、コムギ固有のジスタチン(CPインヒビター)によるCPの制御の解明を行った。本論文は5章から構成されている。

本研究の背景と目的を述べた第1章に続き、第2章では、コムギ発芽種子よりCPをスクリーニングし、4種類のクローン(トリティカインα、β、γ、クリアダインと命名)を取得した。これらのCPはパパインファミリーに属し、一次構造は互いに40~62%の相同性を有していた。また、登熟期あるいは発芽期において特徴ある発現パターンを示すことを明らかにし、トリティカインα、γ、クリアダインはジベレリンによって発現が誘導されることを検証した。これらCPは発現時期をずらしながら、貯蔵タンパク質の分解にディファレンシアルに関与している可能性が推定された。

第3章では、4種のCPのうち、最も発現量が多く、ジベレリンによって発現が顕著に誘導されるクリアダインについての詳細な解析を行った。クリアダインを大腸菌を宿主として発現生産させ・、し酵素学的解析を行った結果、カテプシンLの基質であるZ-Phe-Arg-MCAを効率よく水解し、Km値は9.5μMと高い親和性を示した。また、クリアダインはその至適pHや一次構造の相同性から、カテプシンL様のCPであることが確認された。組み換えプリアダインをコムギ貯蔵タンパク質に作用させると、in vitro でグリアジンのみを特異的に水解したため、本酵素をクリアダインと命名したものである。組織染色では胚に隣接する胚乳とアリューロン細胞でシグナルが観察された。このことは、アリューロン層で合成されたクリアダインが胚乳へと漏出し、胚乳にあるプロテインボディーをin vivo でも分解することを示すものである。

第4章では,コムギ種子内在のシスタチンのスクリーニングを行い,4種類(WCl, WC2, WC3,WC4)のクローンを得た。既知の植物シスタチンと同様にWC1およびWC4はカテプシンLおよびカテプシンHに対して高い阻害活性を示したが、既知の植物シスタチンとは異なり、発芽期にも強い発現が観察された。また、クリアダインに対するICsoは、WC1では1.7× 10(-8)M, WC4では5.OX10(-8)Mと高い阻害活性を示した。

第5章の総合討論では、コムギ種子に内在する主要なCPであるクリアダインとシスタチンの関係を考察している。すなわち、吸水を引き金として合成されるジベレリンによるシグナルが、クリアダイン遺伝子のcisエレメントに作用し、合成が誘導される。その結果、クリアダインは胚乳中の貯蔵タンパク質を分解し、発芽のためのエネルギー源や新生組織の構成要素となるアミノ酸の産生に関与すると結論される。

本研究が提出した上記の知見を一般論へと敷桁すると、基礎面では、コムギ種子内で複数種のCPとそのインヒビターであるシスタチン類が相互制御因子として共発現して種子タンパク質代謝のダイナミズムを決定し、応用面では、コムギ加工の基軸となるグルテンの食品科学的特性を決定すると概括できる。

以上、本研究は、CPによるコムギ種子中のプロテオリンスのメカニズムの一端を明らかにし、シスタチンによるCPの制御の実態を分子レベルで解明したものである。しかも、本研究で見い出したクリアダインは食品に新たな加工特性を付与する可能性が期待され、学術的・応用的意義は大きい。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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