学位論文要旨



No 216986
著者(漢字) 政春,尋志
著者(英字)
著者(カナ) マサハル,ヒロシ
標題(和) 地図投影法の概念の整理と系統的教授法に関する研究
標題(洋) A study on reexamining basic concepts of map projections and on systematic teaching methods of the subject
報告番号 216986
報告番号 乙16986
学位授与日 2008.07.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16986号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 准教授 有川,正俊
 国立環境研究所 理事 安岡,善文
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、既往の教科書や一般向け解説書等の文献において地図投影法の基本的な概念の不正確な理解と説明が広まっている問題を指摘し、これら概念の意味内容を基本に立ち返って整理して、地図投影法を教授する際に留意すべき問題を明らかにした。また、ガウス-クリューゲル図法の開発者が誰であるかというこの図法の歴史についての誤解を指摘し、原典に当たってこの図法の複雑な歴史的経緯を解明した。これらの研究成果に基づき、今日の地理空間情報を扱う技術者を対象とした地図投影法の指導項目を検討し、これを系統的に学ぶことのできるように配列した教科書の案を作成した。

地理空間情報では位置をキーとして各種の情報が結び付けられる。位置を表す座標参照系として経緯度または地図投影法により平面上に写された座標が用いられる。このため、地図投影法の知識は地理空間情報を扱うために最も基礎的なものの一つである。従来は地図作成に携わる技術者でなければ必ずしも必要ではなかった地図投影法に関する知識が、今日ではより広範囲の地理空間情報の利用者にとって必要になってきている。

ところが、これらの利用者が地図投影法を要領よく学ぼうとしてもこれに適した教科書がない。コンピューター時代に適合した内容のものがないこと、地球を回転楕円体として扱う投影法は実用的には必須であるが高度な内容として省かれている場合が多いことが問題である。さらに地図投影法の学習を困難にしている背景として、地図投影法の専門用語にはその用語から類推される内容がその用語の専門的意味内容と乖離するもの、概念規定が曖昧なまま用いられているものがあること、いくつかの誤った見解の流布などの問題がある。地図投影法を現代的観点から整理して体系的に学べるような教授法の構築が求められており、そのためにはまずこの趣旨に沿った教科書が必要である。本研究はこれらの課題に応えることを目的とする。

本論文の第1章は序論として、最初に現代の地理空間情報科学における地図投影法の位置付けを論じた。ここでは、高機能化した地理情報システム(GIS)ソフトウェアでは異なる投影法に基づく地理空間データの重ね合わせ表示機能を有するものがあるが、これを活用するためにも地図投影法に関する基本的知識を持つことの必要性を指摘している。

次に、地図投影法教育の現代化の必要性として、地図投影法を扱った教科書参考書がそもそも少なく、しかも内容的にはコンピューターによる処理を扱わず逆に今日では意義のない経緯線網の作図法に紙数を割いていることを指摘している。また、回転楕円体の地図投影についての従来の教科書等の記述の問題点、すなわち地図編集の立場の教科書ではこれを詳しく扱っていないこと、一部のごく専門的な測地測量の書籍では詳しい数式が扱われているものの投影法の基礎概念が不正確であることを指摘し、地図投影の立場で簡潔に数式の導出法までを解説することの必要性を述べている。

最後に本研究の目的を、投影法指導の上で留意すべき誤解しやすい概念や用語の意味内容を詳細に明らかにするとともに投影法の指導に際して注意すべき点を明確にすること、ガウス-クリューゲル図法の歴史を明らかにすること、そしてこれらに基づいて今日の地理空間情報の作成や利用に携わる技術者に地図投影法の正確で体系的な理解を与えるための教科書を作成することとまとめた。

第2章は、「地図投影の定義と『投影』概念の問題」として、地図投影法の専門用語に関してその意味内容が誤解されやすい用語の中でも、第一に議論すべき「地図投影法」という用語そのものの問題を取り上げた。

地図投影は、地球表面から平面への数学的規則的な対応関係を定めたものであるが、「投影」の語に引きずられてこれを空間中の1点から射出する直線が地球表面上の点を通って平面やこれに展開可能な円筒・円錐面に当たる位置に投影することがその代表であるかのように誤解されることが多い。これらは地図投影のごく一部にすぎず多くの投影法はこのような幾何的な投影によるものではないが、一般向けの解説等では導入的に地図投影をこのような文字通りの投影で説明することがしばしば行われ、教育の場でも行われている。しかし、地図投影のこのような理解が、日本で広く見られるメルカトル図法の投影原理に関する誤解をはじめとする種々の誤解の原因になっている可能性がある。

そこで、この章ではまず内外の関連文献を参照しつつ上述の問題について述べ、次に従来あまり問題にされてこなかった数学の写像概念と地図投影との相違について検討し、地図投影を数学的により明確に定義することを試みた。第2.4節では各種文献における地図投影の導入的説明を調査し、地図投影法の定義そのものの記述には大きな問題はないが、円筒図法や円錐図法の説明では無批判に幾何的な投影概念を援用している例が見られることを示した。しかし、地図投影法の教育に際して、幾何的な投影だけではないことを強調して数学的対応関係として抽象的に扱うとするだけでは、分かりやすくするためには図解が必要とする見解と対立して事態の改善が見込めない。そこで、第2.6節で投影以外の具象的なイメージで地図投影を説明する試みを正距図法やサンソン図法、正角図法に対して行って、幾何的な投影のイメージを相対化することを試みた。

地図投影の用語は英語のmap projectionに直接対応していることから、外国語における地図投影法の用語の例を調べ、また「投影」という用語が地図投影の意味で用いられるようになった起源を調査した。この結果、地図投影法の始祖とされる2世紀のプトレマイオスには、幾何的な投影という考え方はないことが分かった。メルカトル、ライト、OEDの用例等の調査から、16世紀に英語でprojectionの語が地図投影の意味に用いられていることが分かった。これにより、幾何的な投影が地図投影法の起源であるかのような誤解には根拠がないことが明らかとなった。

第3章では、地図投影法に関する用語とその概念に関して問題になりうるものとして、正角図法、割円錐(割円筒)図法、正距図法を取り上げた。

正角図法は地形図の投影法や測量データの計算をはじめ広く実用的に用いられているが、正角性がどのような地図表現に有用であるかについては従来の地図投影等の教科書にはあまり論じられていない。そこで、正角図法が実際に用いられている例、用いられるべき例を分析して、それぞれ正角図法のどのような性質を利用しているかという観点で分類した。この分類は、(1)方位角を持った量の表現、(2)地点間の方位を示す図、(3)中大縮尺図、(4)測地測量、(5)航程線表示(正軸法メルカトル図法のみ)とした。これにより、それぞれで正角図法を用いるべき理由を明確にするとともに、本来正角図法を用いるべきでありながらこのことが十分には認識されていない例も見られることを指摘した。

割円錐図法あるいは割円筒図法の語は二標準緯線の図法の同義語であるが、説明の図解に円錐や円筒が球と交わる図が示されていることが多い。しかし、このような図解は投影の原理を正しく示すことができないことの注意喚起が必須であることを指摘した。

正距図法については、任意の2点間の距離を正しく表す投影法は存在しないという地図投影の基本原理に対して誤解を与えかねない問題があること、用語の定義も確定していないことを指摘し、用語として用いないほうが望ましいことを述べた。

第4章では、ガウス-クリューゲル図法について、特にその開発と利用の歴史的経緯に関する事項を扱った。ガウス-クリューゲル図法は地形図の投影法であるUTM図法や、測量に用いられる平面直角座標系に用いられている実用上非常に重要な投影法である。ところが、この図法の開発者や歴史的経緯に関して、我が国に特有ともいえる誤った見解が長らく流布されてきた。ガウス自身の著述を含むドイツの文献を詳細に分析すればこのような誤解が発生する余地はないが、近年では英語の文献にもこの誤った見解が影響していると考えられる事例がある。そこで、この章では、ガウス-クリューゲル図法とガウスの等角二重投影法の相違について解説するとともに、内外の各種文献の記述を批判的に整理した。そして、ガウスの遺稿やクリューゲルによるこの図法についての包括的な論文(Kruger, 1912)を含む各種文献の記述に基づいて、今日ガウス-クリューゲル図法と称される投影法はガウス自身が開発しこれを彼のハノーファー測量に用いたものであることを論証した。また、クリューゲル論文に記された第一公式の今日的意義を再評価し、これの導出法を含めて紹介した。この投影式は今日の文献にはほとんど紹介されていないが、極めて広い範囲について精度よく投影計算できるものである。最後に、ガウス-クリューゲル図法の歴史的経緯を整理した。

第5章は「地図投影法の系統的指導のための教材開発」とした。第5.1節は教材開発の意義と教科書の内容構成について検討した点を述べた。第5.1.3節に第5.2節の教科書案の内容構成について詳しく記した。第5.2節は教科書案の本体である。地図投影法のプログラミングの説明と回転楕円体の投影を扱ったことと、第2章から第4章で論じた従来文献に見られた問題について記述を工夫するとともに各所で注意喚起を行うようにしたこと、ティソーの指示楕円については従来の投影法教科書とは異なり局所的な一次変換として説明したことが特徴である。第5.3節は教科書としての記述から離れて、測量の基準に関して注意すべき問題と、他の教科書にない書き方をした第5.2.6節ティソーの指示楕円の記述に関する注記を補論として論じた。

第6章は全体の結論として、第6.1節「地図投影法の概念とその指導法」と、第6.2節「ガウス-クリューゲル図法の歴史的経緯に関する問題」のそれぞれについて、本研究の成果を取りまとめるとともに、今後の課題について記した。

審査要旨 要旨を表示する

地理空間情報では位置をキーとして各種の情報が結び付けられ高度に活用される。位置を表す座標参照系として経緯度または地図投影法により平面上に写された座標が用いられるため、地図投影法の知識は地理空間情報を扱うために最も基礎的なものの一つである。しかしながら、地図投影法の知識の普及は十分ではない。この背景に、従来の教科書等で無批判に踏襲されてきた説明の仕方に多くの問題があることが考えられる。本論文は、地図投影法の用語やその概念に関する問題を分析し、整理するとともに、地図投影法を現代的観点から整理して体系的に学べるような教授法の構築を目的としている。併せて、今日実用的に重要な投影法であるガウス-クリューゲル図法の歴史に関する誤解を指摘し、原典に当たってこの図法の複雑な歴史的経緯を解明した。

最初に現代の地理空間情報科学における地図投影法の位置付けを論じ、高機能化した地理情報システム(GIS)ソフトウェアでは異なる投影法に基づく地理空間データを重ね合わせ表示する機能を有するが、これを活用するためにも地図投影法に関する基本的知識を持つことの必要性を指摘している。次いで、既往の教科書等を批判的に検討し、現代のニーズに応える地図投影法教科書の満たすべき内容を、基本概念の正確な記述、主要投影法の数式とその導出法の記述、投影のコンピュータプログラム作成への導入、地球を回転楕円体として扱う投影法の解説を含むことと整理した。

本論文では、地図投影法の専門用語にはその用語から類推される内容がその用語の専門的意味内容と乖離するものがあること、概念規定が曖昧なまま用いられているものがあること等を地図投影法に関わる用語の問題として指摘し、最初に「地図投影法」の語そのものに着目し論じた。地図投影法の導入に、これを光源からの光線が影を投げかける文字通りの投影によって球面を平面に投影するという解説がされることがある。しかし、大多数の地図投影法はこのようなものではないので、この説明は正しい理解に困難をもたらす恐れがある。内外の文献における地図投影法の導入的説明を調査し、定義そのものの記述については概ね妥当であるものの、円筒図法の解説等に「投影」の観念が残っている場合が多いことを示した。地図投影を「投影」ととらえることが、日本に根強いメルカトル図法の原理の誤解にも関係しており、「地図投影は『投影』とは限らない」という注意喚起の重要性を指摘した。また、一部の文献に幾何的な投影が地図投影の原型であるという記述がみられるが、地図投影法の始祖とされる2世紀のプトレマイオスには幾何的な投影という考え方はなく、これらの記述も「投影」の語からの類推による誤解であることを示した。地図投影を「投影」の観念から解放することはこれに派生する様々な誤解を防止し、地図投影法への導入においても重要である。

さらに、地図投影法に関する用語とその概念について、正角図法、割円錐(割円筒)図法、正距図法等に関する問題を論じた。正角図法がどのような地図表現に有用であるかを包括的に論じ、その意義を明確にした。割円錐等の用語については用語の語義から類推される内容と用法とに齟齬があり、指導に際して注意喚起が必要であることを指摘した。

次いで、ガウス-クリューゲル図法について、特にその開発と利用の歴史的経緯に関する事項を論じ、この図法をガウスは開発していないとする、我が国に長らく流布されてきた誤った見解を批判し、ガウスの遺稿やクリューゲルによるこの図法についての包括的な論文(Kruger, 1912)を含む各種文献の調査に基づいて、今日ガウス-クリューゲル図法と称される投影法はガウス自身が開発しこれを彼のハノーファー測量に用いたものであることを論証した。また、クリューゲル論文に記された第一公式は他の文献でほとんど見る機会がないが幅広い経度帯に精度よく適用できる優れたものであることを示して、その今日的意義を再評価した。

以上で論じた内容を反映し、地図投影法指導の今日的課題に応える教科書の試案を作成した。教材開発の意義と投影法の系統的指導のための教科書の内容構成について検討し、その上で、読者層を幅広い分野の技術者層と想定して、基礎から実用上重要な回転楕円体の投影に至る内容を体系的にまとめた教科書を作成した。

以上のように、本論文は地図投影法の用語とその概念規定について分析し、従来無批判に用いられてきたが投影法の正確な理解のために障害となる可能性がある用語等の問題を指摘し、これらの概念規定の整理を行った。これを踏まえ幅広い技術者層向けの系統的な地図投影法の教科書の在り方を検討し、具体的な試案としてまとめた。これにより、地理空間情報の幅広い活用が課題となっている今日において、その基礎の一つである地図投影法の正確な知識の普及に貢献することが期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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