学位論文要旨



No 216988
著者(漢字) 竹内,晧
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,アキラ
標題(和) 17世紀、18世紀フィンランド木造教会の研究 : フィンランド・ボスニア湾地域における箱柱式教会の構法と歴史について
標題(洋)
報告番号 216988
報告番号 乙16988
学位授与日 2008.07.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16988号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 准教授 藤井,恵介
 東京大学 教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

本論分は17世紀、18世紀、フィンランド・ボスニア湾地域に建設された、丸太組積造、箱柱式教会の構法について、その特質、推移、その誕生に関する技術的背景、更に、この国の木造建築史での位置付けを明らかにするものである。

北欧フィンランドはヨーロッパの最北端に位置し、国土の65パーセントが森林に覆われ、良質の木材資源に恵まれている。丸太組積造はバイキング時代(A.D. 600~800)に東ヨーロッパから、あるいは、ロシアから伝わり、農業の定着とともに次第に一般化していた。

一方、フィンランドの歴史を概観すると、1100年代にスウェーデン十字軍による侵攻で、スウェーデンの支配を受けることになる。このことは、西欧の文化を享受することになり、同時にキリスト教の文化が次第に浸透することになった。

13世紀初め、フィンランドの南西部、トゥルクに司教座が置かれると、石造教会の技術が伝わった。また、それらを真似て木造教会も建設された。

当時の木造教会は、丸太組積造であった。それは、農家と同様な簡素な手法から始まったが、次第に高度な技術へ発展した。この技術を支えたのが、箱柱式教会というユニークな構法であった。箱柱式教会は17世紀に盛んに建設され、そして、18世紀には木造教会の技術的発展へ大きく貢献した。

序論は、フィンランドへ、どのようにキリスト教が伝わったかについてまず概観した。次に、フィンランドへ伝わった石造教会を図で確認した。更に、丸太組積造の原型ともいえる農家の構法を検証した。それは、住まいとして、仕事場として、日常の生活空間を目的としていた。建設に当たっては、少人数の作業であったから、校木(丸太組積造で壁を構成する材料)の長さには自ずと限度があった。また、屋根架構はいわゆる母屋組屋根で妻壁間に母屋材を渡す簡素な建物であった。従って、このような手法では、教会建築のような大空間の建設には不向きであったことを問題提起した。

また、既往の研究と本論分のスタンスについて示し、研究方法について述べた。

本論分は、現存する木造教会を、筆者自身が現地調査をすることで、既往の研究に無かった構法の特質、推移、発展をそれぞれの時代の中で、明らかにすることを目的とした。

第1章では箱柱式教会の特質を考察した。

本論の前に、まず、17世紀における、箱柱式教会以外の、その他の木造教会建設件数と分布を把握し、どのような構法であったかを検討した。そして、箱柱式教会との違いを浮き彫りにするため、その問題点を明らかにした。

この当時の、その他の木造教会は、農家と同じ手法であった。つまり、校木の接続には問題があり、長い壁を造るには不向きであった。また、母屋組屋根では、高い天井を構成するのは難しかった。とりわけ、石造教会で見られたより長い壁面や、リブ付ヴォールトに似た、高く立ち上がる天井を造るためには、何らかの構法的な開発が必要であった。

次に、箱柱式教会の建設件数と分布を確認した。そして、主に現存する11の実例によって、箱柱式教会の特質を部位ごとに考察した。

箱柱式教会では、井桁状に組積された箱柱(梁間方向約1.5m×桁行方向約1m)の中で、校木は切り替わり延長された。校木は経済的な長さでも、箱柱を介することで、壁の長さを自由に建設することができた。これは素晴らしいアイディアであった。更に、箱柱の頂部を繋ぎ梁で梁間、桁行方向と結ぶことで、強固な躯体を造り上げた。その上に、急勾配の鋏合掌組屋根を載せることに成功した。そして、この屋根架構を下地に直接天井板を張ることで、ゴシック様式のリブ付ヴォールトに似た、高く立ち上がる天井を完成させた。箱柱式教会は17世紀盛んに建設された。ただ、この構法はスパン(建物の幅)方向への技術的解決が無かったため、より大きな空間の要求には、益々、細長い礼拝堂になってしまった。そして、聖壇、説教壇は会衆席から遠退いた。

第2章では十字形教会の推移について実例で考察した。

17世紀後半になると、スウェーデンでは、集中式の教会建築が流行し始めた。そのことは、やがてフィンランドに大きな影響をもたらし、十字形の木造教会へと流れが変わっていった。十字形教会は礼拝堂の中央に聖壇、説教壇を配置することができ、神学的にも都合が良かった。

十字形教会は、交わる各辺で校木が接続できたので、もはや箱柱は必要としなかったが、箱柱式教会の躯体を強固にする構法、技術は十字形教会に応用された。そして、十字形教会は次第に規模を拡大した。

18世紀後半には、人口増加に伴い、十字形教会は礼拝堂の面積拡大という目的で、複雑な形へと進化した。そして、最後には24面形の十字形教会を生み出した。その代表的な例は、ルオヴェシ教会であった。この教会は柱が一本も無く、丸太組積造の壁と屋根架構で支えられ、1500人収容の大空間であった。

この技術は、壁に平行な繋ぎ梁や、梁間方向に何本かの繋ぎ梁を結び、強固な躯体を造り上げた。その上に、急勾配の鋏合掌組屋根を載せ、ドームに似た天井を成功させた。これは箱柱式教会の構法を巧みに応用したものであった。24面形の十字形教会は北欧の国々では、フィンランドだけに見られた高い技術であった。

第3章では、箱柱式教会が生まれた技術的背景を探り、特殊な事情を検証した。

まず、躯体は、この国で古くから生活の中で利用されていた、箱柱の手法からヒントを得た。例えば、木造の古い橋や、教会に通うボートを格納する船小屋であった。いずれも井桁状に組んだ、箱柱を介して長い構造物を造っていた。この国の工匠達は、より長い壁を造るために、このような古い手法を教会建築へ応用したのであった。

次に、屋根架構は、スウェーデン中世石造教会を手本にしたものだった。石造教会に見られた、急勾配の鋏合掌組屋根を利用すれば、高く立ち上がった、リブ付ヴォールトに似た天井が可能だったからである。また、この屋根架構は経済的で、少人数でも施工が容易であった。

つまり、箱柱式教会の構法は、フィンランドの伝統的な手法と、スウェーデン中世石造教会の屋根架構を手本にして、二つの文化がうまく融合して生まれたのであった。

こうした技術を生み出した、ボスニア湾地域は特殊な事情があった。そこでは、古くからタール産業に支えられて、木造の造船産業も盛んであった。つまり、箱柱式教会の構法の背景には、高い造船技術があったから、このユニークな構法が編み出されたのであった。

記録によると、箱柱式教会の構法は16世紀末には、ボスニア湾地域に生まれていた。

第4章では箱柱式教会の歴史的位置付けについて考察した。

この国の、木造教会が辿った一貫した構法の進化、規模の拡大は、北欧のノルウェー、スウェーデンでは見られなかった。そして、箱柱式教会の構法は、ボスニア湾地域に生まれた、フィンランドの固有の技術文化であった。

フィンランドの工匠達は、遠い西欧の成熟した建築文化に憧れながら、新しい教会建築を目指した。箱柱式教会の技術に支えられて、彼らが求めたものは、17世紀はゴシック様式に似たリブ付ヴォールト天井で、18世紀は後期ルネッサンス様式に類似した、半球状のドーム形天井であった。

その結果、彼らの残した建築文化は、ヨーロッパの華やかな装飾を求めたものではなく、プロポーションあるいはバランスを重視した建築であった。そして、身近な木材を駆使し、斧を主体に造り上げた、伝統的な素朴な木の文化であった。

17世紀、18世紀のフィンランドの木造教会は、箱柱式教会の構法に支えられて、最も発展し、活気に満ちた時代であった。

第1章の箱柱式教会の特質、第2章の十字形教会の推移、第3章の箱柱式教会が生まれた背景、そして、第4章の歴史的位置付けを通して、箱柱式教会の構法と歴史を明らかにすることができたと考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は17世紀、18世紀フィンランドの木造教会建築に関する研究である。特にフィンランド・ボスニア湾地域に生まれた、箱柱式教会の構法についての特質、推移、その誕生に関する技術的背景、更に、この国の木造建築史での位置付けを明らかにするものである。

北欧の国々の木造建築について、先行研究は非常に少ない。従って、この時代の木造建築について、歴史について、新たなページを開くものと考えてよいだろう。

先行研究の少ない中、申請者は基礎的資料を十分に収集し、その上、時間をかけて現地の調査を踏まえ、自らの作図等により、本構法を明らかにしようと試みたもので、評価に値するものである。

序論では研究の目的が明確にされた上で、まず、フィンランドのたどった歴史、北欧でのキリスト教の流れが紹介され、本構法の生まれる環境を明らかにしている。その上で、既往の研究が紹介される。このような書き方は一般の論文とスタイルを異にしているが、特殊な国の、特殊な構法だけに、まずその周辺について、あらかじめ紹介をしたものと評価しよう。また序論の最後に、既往の研究と、申請者の研究のスタンスと方法が述べられている。即ち、現地調査によって本構法を明らかにしようとする意図が示されており、評価されるところである。我が国において、この種の先行研究は見当たらない。

第1章は本構法の特質を著わしている。ここでは、当時のそれ以外の構法がどうであったかについて紹介され、本構法の違い、利点を際立たせている。特質についてはいくつかの実例を並べ、部位ごとにその特徴を紹介し、総合的に本構法を説いている。収集した基本データーの上に、現地調査により独自の製作した作図などを加え、丁寧な構法の説明は評価に値するところである。

第2章は十字形の推移について述べられている。ここでは、前段、スウェーデンでの新しい様式がフィンランドへも伝えられた歴史が述べられる。伝えられた十字形教会へ、本構法が次第に応用され推移していく過程を、実例に基づいて丁寧に説明されている。ここでも、調査結果が論の重要な部分を構成しており好感が持てる。

第3章は本構法がどのような背景の中で誕生したかが紹介されている。本構法を二つに分解し、躯体はフィンランドの伝統的手法の中から、屋根架構はスウェーデンの石造教会を手本にして、つまり、二つの文化が一体となって生まれたとする申請者の論理は興味ある。北欧の建築文化が、このようにして生まれたという一つの例が示されており、興味ある提言と判断した。

第4章は本構法の歴史的位置づけである。

本構法の技術は、やがて十字形教会へと利用され、応用され、十字形教会が発展したことが述べられる。この時代の後半には、大規模な十字形教会の実例があげられ、本構法がフィンランドの建築史に大きく寄与したことが述べられる。本構法は北欧の他の国には存在しなかったとするところに、この構法の特殊性があろう。この構法に着目した、申請者の並々ならぬフィンランド木造建築への愛着を感じさせられる。

既往の研究の一つの文献に基づいて、北欧三国との比較が論じられるが、スウェーデン、ノルウェーの内容にもう一歩の突っ込みが不足しているが、本論文の目的からしてやむ負えない所と判断した。

本論文は先行研究の非常に少ない中、申請者による現地調査によって、それらのデーターによって、構法の歴史を解き明かしてゆこうとするものである。そこに独創性があり、意義があるものと判断した。

以上、新しい知見が多く見られ、貴重な論文であることを評価したい。

尚、本論文に関連する既発表論文との関連が記載されていないので、追記するよう指示をした。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク