学位論文要旨



No 216998
著者(漢字) 石川,俊平
著者(英字)
著者(カナ) イシカワ,シュンペイ
標題(和) オリゴアレーン型触媒の創製と位置選択的クロスカップリングの開発
標題(洋)
報告番号 216998
報告番号 乙16998
学位授与日 2008.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16998号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 准教授 浦野,泰照
内容要旨 要旨を表示する

有機合成化学は医薬品開発などの研究とともにめざましい発展を遂げてきた。しかしながら、現在の化学合成の研究は、合成に急を要する分子の合成などに必ずしも効率的な方法をとるわけではない。これは、ある反応を行う際に、一般性が高くなるように開発された既存の反応剤を用い、その反応剤が有効に機能するように基質を修飾して反応を最適化するというストラテジーをとっているためであると筆者は考えた。これに対し筆者は過去の研究と生物のとる化学合成のストラテジーをヒントに、効率的に化学合成を行うためには次のようなストラテジーが有効であると考えた。

・反応には数種類の構成単位から容易に調製可能な触媒分子を使用する

・基質に応じて触媒を修飾することで反応を最適化する

・精密な分子認識によって基質を高活性な触媒中心に接近させ、高い特異性と選択性を発現させる

・直接的で短工程の合成経路を確立する

というものである。

筆者はこのストラテジーに沿った触媒分子の基本骨格としてオリゴアレーンという分子に着目した(Figure 1)。オリゴアレーン類は、アレーン単位が炭素一炭素結合で連結しているために化Figure 1. Oligoarenes.学的に安定であり、骨格は剛直なため触媒の構造予測が比較的容易にでき、芳香環上への官能基の導入や芳香環同士の連結パターンを変えることで多様性の構築が可能である。したがって、オリゴアレーン型触媒を用いれば、様々な基質に対する特異性や選択性の獲得が期待でき、様々な分子変換を可能にする高活性な反応を実現できると思われた。

そこで、本論文ではこのオリゴアレーン型触媒の創製を目的とし、次の2点を行った。

・オリゴアレーン型分子の効率的合成法の確立

・オリゴアレーン型分子の触媒への応用例としての位置選択的クロスカップリングの開発

まず、オリゴアレーン類の効率的合成法としてヒドロキシアリールボロン酸類をモノマー単位とする、Suzuki-Miyauraカップリング-トリフラート化二段階繰り返し合成法を考えた。これはポリペプチド合成を、N末端が保護されたアミノ酸をモノマー単位として縮合― 脱保護の二段階を繰り返す方法で行うことに対応するものである。

鍵となるSuzuki-Miyauraカップリングの条件を検討した結果、モノマー単位としてヒドロキシアリールボロン酸またはボロン酸無水物を用いる場合にはcondition A,Bが、モノマー単位としてヒドロキシアリールボロン酸のピナコールエステルを用いる場合にはcondition Dが、反応を室温で円滑に進行させることを見出した(Figure 3)。さらに、分岐点構築ユニットに保護された水酸基やクロロ基を持つ分子を利用することで、枝分かれ型のオリゴアレーン型分子も合成可能であることを見出した。

次に、オリゴアレーン型触媒の有効性を示すべく、最初の試みとして芳香環上のハロゲン原子に対する選択的なクロスカップリングを触媒開発のターゲットとした。これまでに、ヘテロ原子を含む複素環上のハロゲン原子の位置選択的な反応は多くの例が知られているが、単純なベンゼン環上での反応の報告例はわずかであつた。そして、これらのほとんどは、より電子不足の位置で反応が進行して選択性が発現する。もし反応を、基質の電子状態や立体を問わず、狙った位置のみで進行させることができれば、残った反応点を起点にさらに次の反応段階へ移ることができるので、複雑な多置換アレーンの化学合成を短縮化できる可能性がある。

位置選択性を得るには、触媒が基質を捕捉し、目的の反応点のみを高活性な触媒中心に接近させるように構造を設計することが有効と考えられた(Figure 4)。そこで、基質を捕捉するための水酸基と、遷移金属に配位するためのホスフィノ基を併せ持つオリゴアレーン型分子を合成することにした。触媒中心は高活性な触媒能が期待できるBuchwaldらのビフェニル型ホスフィンを設計した。そして、触媒構造は、アレーン鎖の部分を適切に変換することによって、基質の反応点の位置に応じて最適にチューニングできると考えた。

目的のホスフィンは、それまでに開発していた二段階繰り返し合成法を応用して合成した。種々検討を行った結果、ホスフィノ基をホスフィニル基として保護した55を出発物質とし、Suzuki-Miyauraカップリングとトリフラート化を繰り返してアレーン鎖を伸長し、最後に還元してHBF4塩として保護して精製する、という方法が優れていることを見出した。この合成法により様々な置換パターンを持っリガンドライブラリーを得ることができた。

合成した水酸基含有オリゴアレーン型ホスフィンを、Pd触媒のリガンドとして用い、まず、モノブロモフェノールとPhMgBrとのクロスカップリングについてスクリーニングした。その結果、多くのホスフィンでメタ位の反応が速かったのに対して、92はオルト位の反応を顕著に加速することを見出した。また、競合反応の検討から92は反応を位置特異的に進行させることを明らかとした。この反応では基質やリガンドの水酸基をメチルエーテルとした場合には良好に反応が進行しなかったことから、両方の水酸基が反応の加速に重要な役割を担っているといえる。

モノブロモフェノールの位置特異的な反応が良好な結果を収めたので、続いてこれを、同一ベンゼン環上の二つのハロゲン原子に対する位置選択的な反応へと展開した(Figure 5)。

まず2,4-dibromophenolの反応にっいて、リガンドを検討した結果、PCy3や水酸基のないビフェニル型ホスフィンを用いた場合には反応は遅いうえにオルト、パラ非選択的となったのに対し、92を用いた場合には高オルト選択性で迅速に反応が進行した。さらにリン原子上の置換基をFigure 5. Site-selective cross-coupling.ジフェニル(115)とするとジアリール化が抑制されて収率が向上した。

次に、ジクロロフェノール類についても検討した結果、反応は完壁なオルト選択性で進行し、ジブロモフェノールのときに問題となったジアリール化体は全く得られないことがわかった。さらにジブロモフェノールの場合と異なり、PCy3を用いたときにも高オルト選択性が得られることを見出した。92や115のオルト位への反応の加速効果は非常に大きく、4-bromo-2-chlrophenolの反応では、PCy3を用いるとパラ位のブロモ基が優先して反応するのに対し、92や115を用いるとオルト位のクロロ基と反応した化合物が優先して生成した。さらに、反応はフルオロ基に対しても進行したが、この場合はPCy3の反応性が92を上回った。

各ハロゲン原子に対する92とPCy3の反応性と選択性の要因を明らかにするために速度論的な解析による反応機構の考察を行った(Figure 6)。まず、Pd-92錯体を用いたときのo-bromophenolの反応速度は基質濃度の増加に伴い飽和したのに対し、p-bromophenolの反応速度は基質濃度による飽和は観測されなかった。また、2,4-dichlrophenolのオルト位の反応のキネティクスはo-bromophenolと同様の結果となり、2,4-difluorophenolのオルト位の反応のキネティクスはp-bromophenolに近い結果となった。一方、Pd-PCy3錯体を用いたときには、どのハロゲン原子のキネティクスも大きな差は見られなかった。以上の結果から、92を用いるオルト位のプロモ基やクロロ基に対する反応はMichaelis-Menten型の機構で進行していると推察される。すなわち、Pd-92錯体は基質がMgイオンを介して結合した錯体との速い平衡状態にあり、この錯体から律速段階で不可逆過程の酸化的付加が進行し、速いトランスメタル化と還元的脱離を経て目的物が生成し、触媒が再生すると推察される。92を用いる反応はリガンドの水酸基が基質のPdへの接近に効果的に働いて、触媒支配で高反応性と高選択性が発現すると考えられる(Figure 7)。一方、PCy3のクロロ基やフルオロ基への反応はMgとハロゲン原子の相互作用が結合切断に効果的となり、基質支配で高オルト選択性が発現したと考えられる。

以上のように、オリゴアレーン型触媒のストラテジー、またはその研究過程で発見した触媒系によって、それまで為し得なかった化学合成が実現された。本論文で得られた知見は、今後、化学合成研究において、より複雑な分子へと応用し、さらに新しい化学を展開する上で有用な指針を与えると期待される。

Figure 1. Oligoarenes.

Figure 2. Repetitive two-step method for oligoarene synthesis.

Figure 3. Optimized conditions for Suzuki-Miyaura coupling.

Figure 4. Catalyst design and ligand synthesis.

Figure 5. Site-selective cross-coupling.

Figure 6. Kinetic studies.

Figure 7. Assumed transition states.

審査要旨 要旨を表示する

石川は「オリゴアレーン型触媒の創製と位置選択的クロスカップリングの開発」と題し、主に以下の2点の成果を挙げた。

1.オリゴアレーン型分子の二段階繰り返し合成法の開発

オリゴアレーン構造を分子骨格とする触媒の開発研究を行うにあたり、まず、多官能基化されたオリゴアレーンの効率的合成法の確立を目指し、鈴木カップリング反応を鍵段階とする二段階繰り返し合成法を開発した。この手法は、ヒドロキシフェニルボロン酸類をモノマー単位とする鈴木カップリングと、水酸基のトリフラート化の二段階を繰り返す手法であり、様々な官能基を任意の位置に持つオリゴアレーン鎖を容易に合成できる。鈴木カップリングの段階の反応条件の検討を重点的に行った結果、反応を室温で迅速かつ定量的に進行させることに成功した。さらに、モノマー単位としてボロン酸のピナコールエステル体を用いる合成法も検討した結果、塩基としてLiOH、パラジウムに対する配位子として1を用いる反応条件を見出した。このカップリング反応を鍵段階とする二段階繰り返し法(Scheme 1)により、種々の官能基を持つオリゴアレーン類の合成を実現した。

2.位置特異的および位置選択的クロスカップリングの開発

石川が自ら開発した上記の二段階繰り返し合成法を活用し、種々の水酸基含有オリゴアレーン型ホスフィン(Scheme 2a)を合成した。この分子は、リン原子がパラジウム等の遷移金属に配位して触媒活性部位を構築し、さらに水酸基部分が別種の金属を介して基質分子を捕捉する基質結合部位として機能することを期待して設計されたものである(Scheme 2b)。

これらのオリゴアレーン型ボスフィンとパラジウムとを組み合わせた触媒を用い、Grignard試薬を用いるクロスカップリング反応を検討した結果、あるボスフィン(2,3)を用いたときに、オルトブロモフェノールあるいはオルトプロモアニリンが特異的に高い反応性を示すことを明らかにした。さらに本触媒を用い、位置選択的クロスカップリング反応を検討し、ジブロモフェノール類やジブロモアニリン類のクロスカップリング反応がオルト選択的に進行するという、異例な選択的反応を実現した(Scheme 3)。この選択性は、従来の配位子では実現不可能なものである。

さらに、反応点のプロモ基の代わりにクロロ基を有する基質でも、オルト位選択的クロスカップリング反応が進行することも明らかにした。

以上の業績は、オリゴアレーン骨格を持つ触媒が有機合成化学において有用な触媒群になりうる可能性を大いに示唆すると同時に、位置選択的クロスカップリングが多置換芳香族化合物の有用な合成手法となることから、医薬合成をはじめとする有用化合物合成の分野において顕著な貢献をするものと考えられ、博士(薬学)の授与に値するものと結論した。

Scheme 1.

Scheme 2.

Scheme 3.

UTokyo Repositoryリンク