学位論文要旨



No 217000
著者(漢字) 髙橋,信一
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,シンイチ
標題(和) 血小板凝集におけるアスピリン低反応性者の個人差に関する研究
標題(洋)
報告番号 217000
報告番号 乙17000
学位授与日 2008.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17000号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 津谷,喜一郎
 東京大学 准教授 有田,誠
内容要旨 要旨を表示する

序論

アスピリンは最もエビデンスの豊富な動脈血栓予防薬であり、国内では虚血性脳血管障害、虚血性心疾患を適応症とする。アスピリンは、血小板中COX-1を非可逆的に阻害し、強力な血小板凝集惹起作用を有するThromboxaneA2産生能を低下させて血栓形成を抑制する。

アスピリンと心疾患イベント予防効果に関連して、これまでに60以上の臨床試験が実施されてきた。それら臨床試験を総合的に解析したメタアナリシスにおいて、アスピリンは血栓症既往患者の心血管イベントの再発リスクを23%減少させたが、残りの70-80%ではイベントを抑制できず、アスピリン不応(aspirin resistance)と称される病態が広く周知されるようになった。その後、「生化学不応」(血小板機能がin vitroで充分に抑制されない現象)と「臨床不応」(心血管イベントが再発してしまう現象)の関連が複数報告され、アスピリン不応研究の重要性が強調された。同時に、不応患者の診断法研究が盛んに行われるようになった。

アスピリン不応の割合は0.4-50%と報告により大きく異なるが、これはアスピリン不応のモニタリング法が標準化されておらず、報告ごとに異なる評価系や判定基準が用いられるためである。また、その原因として喫煙、ストレス、遺伝子多型などの候補が挙げられ、COX-1など関連遺伝子の多型が不応の原因としてしばしば提起されるものの、SNPsによる質的変化(アミノ酸変化)・量的変化(タンパク質発現量)の両面から精査した例がなく、結論が出ていない。さらに、細胞(血小板)レベルでアスピリン不応の原因究明を実施するには、薬剤の暴露量(PK)の個人差を回避した検討が求められる。そこで本研究では、アスピリン不応研究の標準手法となりつつある血小板機能評価機PFA-100を評価の軸とし、暴露量の個人差を排除するためにin vitroで薬剤を添加し、(1)一般的な背景因子の中に、血液薬剤反応性(PD)の個人差をもたらす要因が存在するか、(2)標的分子であるCOXタンパクの増減または遺伝子多型による機能変化がアスピリン不応の原因か否かを明らかにすることに注力した。

方法

男性ボランティア325人をリクルートし、風邪薬服用や血液疾患等の除外基準により32人を除外した。このうち血小板機能が評価できた168名を解析した。アスピリン反応性とCOX遺伝子多型、タンパク質発現量の関連解析においては、極端なアスピリン反応性を示す30名をPhenotypicextremes群として選抜し、群間でCOXの発現量、SNPs頻度を比較した。血小板機能は、3種類の異なる測定系(PFA-100、比濁法および全血凝集計)にて評価し、in vitroアスピリン(溶媒、10または30μM)処置は30分間実施した。血液学的パラメーターとして、可溶性VCAM-1、アディポネクチン、高感度CRP、フィブリノーゲン、VWF抗原量、HbA1c、総コレステロール、HDLコレステロール、LDLコレステロール等を測定し、アスピリン反応性との関連性を解析した。血小板中COX-1、COX-2、Glycoprotein IIb(GPIIb,血小板特異的タンパク質)をウェスタン法にて検出した。COX-1は、全11エクソンをシークエンス解析した。COX-2は、アミノ酸が変異する6SNPs(M1I,R228H,P428A,E488G,V511A,G587R)の遺伝子型を解析した。

成績

アスピリン10μMで30分間処置した全血を用いてPFA-100CEPIカートリッジの閉塞時間を測定したところ、薬剤反応性の個人差が観察された。本研究では、10μM添加時の閉塞時間が250秒以上である群をアスピリン高反応性群(128人、76%)、250秒未満を低反応性群(40人、24%)と定義した。低反応性群に分類される被験者のうち、アスピリン30μM処置で閉塞時間が250秒を下回ったのは2人だけであり、この濃度ではほぼ全員に薬効が認められた。

低/高反応性群の背景および血液学的パラメーターを比較すると、年齢、BMI、喫煙、血小板数に差は認められなかったが、低反応性群ではヘモグロビン量が少なく、糖尿病の罹患率およびHb1Acが高かった。

また、VWFなど血管内皮細胞障害のパラメーターを調べたところ、低反応性群ではVWF抗原量、活性、sVCAM-1が高値であった。また、アディポネクチン量が高値を示した。

評価方法またはアゴニストの種類にかかわらず、低反応性群ではアスピリン非処置(溶媒処置)の血小板凝集能が高かった。

アスピリンの標的であるCOXタンパクの増減または遺伝子多型による機能変化がアスピリン不応の原因であるかを調べるため、全例のうち極端な反応を示す3群(PR、GR-High、GR-Low)計30人を選抜し、COX-1/-2発現量およびSNPsとの関係を解析した。

血小板COX-1タンパク発現量は3群間で差がなく(血小板タンパク質1μg中のCOX-1は、約2.2ng)、アスピリンin vitro添加時に観察される薬剤反応性の個人差は、COX-1タンパク発現量に起因しないことが示唆された。また、用いた抗COX-1抗体のエピトープ配列は、COX-1スプライシングバリアントであるCOX-3およびpartial COX-1中にも存在するが、本検討においては単一バンドとしてCOX-1のみを検出した。

血小板タンパク質15μg中COX-2は、検出限界以下であった。従来、血小板COX-2が生化学不応の原因であるとの議論もあったが、COX-2蛋白発現量は極めて低いことが確認され、in vitro添加時に観察されるアスピリン反応性の個人差の原因ではないことが示唆された。

次に上記3群(PR、GR-High、GR-Low)とCOX-1遺伝子多型の関係を解析した。COX-1エクソン領域より5箇所の遺伝子多型を確認し、うち3ヶ所はアミノ酸変異をともなった。いずれも、アスピリン反応性の個人差を説明するにはアリル頻度が低く、またアスピリンによるアセチル化する部位、または活性部位の近傍でないことから、アスピリン反応性とCOX-1遺伝子多型の関連は低いと考えられた。

日本人におけるCOX-2遺伝子変異頻度を調べるために、全被験者から25人を無作為に選抜し、既知6遺伝子多型(M1I,R228H,P428A,E488G,V511A,G587R)を解析したところ、G587Rにおけるヘテロの一人以外は全員Wt/Wtであった。G587Rについても3群(PR、GR-High、GR-Low)では全員Wt/Wtであった。このように、日本人ではアミノ酸変異を伴うCOX-2遺伝子多型のアリル頻度は低く、アスピリン反応性の原因としてCOX-2遺伝子多型は考えにくいことが分かった。

考察

健常人において、薬剤暴露量の個人差を排除してもアスピリン反応性の個人差が観察された。このように、薬物動態以外にもアスピリン反応性を規定する血小板の要因が存在することが明確となった。また、アスピリン低反応性群の特徴として、(1)血小板凝集能をPFA-100,比濁法、及び全血凝集計のいずれで測定しても、アスピリン非添加時の血小板凝集能が亢進していること、(2)血漿中アディポネクチンレベルが高いこと、(3)糖尿病罹患率が高いことを明らかにした。(3)については、糖尿病罹患者での血小板機能の亢進が報告されていることから、(1)(3)より、血小板の反応性のベースラインが高いとアスピリンが効きにくい可能性が示唆された。(2)については、血小板反応性の原因、または結果なのか、それとも無関係かは不明である。

低反応性群は40人(24%)であったが、アスピリン濃度を30μMに増加させると2人以外は血小板機能が強く抑制された。このことから「臨床不応」(アスピリンを服用しているにもかかわらずイベントが抑制されない現象)は、高用量のアスピリン服用によって回避できる可能性が示唆された。また、健常人におけるアスピリン反応性は、血小板における標的タンパク質COX-1およびCOX-2のタンパク質量の増減(量的変化)または遺伝子多型による機能変化(質的変化)とは関連しないことが示唆された。

今後の展望

少なくとも健常人において、アスピリン不応は(1)薬剤感受性よりも、むしろ個人に固有の血小板凝集能と深く関連すること、(2)COXタンパク質量の増減または遺伝子多型による機能変化とは関連しないことを明らかにし、アスピリン不応にはCOXとは異なるシグナル分子の量および機能変化が複雑に影響すると推察した。血小板膜受容体であるコラーゲン/ADP受容体など様々なタンパク質の複合的影響が考えられ、種々遺伝子多型に加えてタンパク質発現量の網羅的解析が求められる。

本研究から、アスピリン用量の増大によって生化学不応ひいては臨床不応を減少させることの可能性が示唆された。最近の抗血小板薬処方の動向は、「出血を起こさない限り、血小板機能を最大限に抑制した方が、臨床予後が良い」との考え方が支配的である。しかし一方、全患者で確実に抗血小板作用を得るに十分なアスピリン用量は、多くの場合必要以上の用量であり、ときに致命的となる胃腸障害のリスクを増加させる。今後、患者毎に薬効をモニタリングしながらアスピリン用量を最適化することが医療の質向上の観点から求められ、そのためには血小板機能モニター法の開発(およびその標準化)、ならびに背景疾患毎のカットオフ値の設定を目的とする臨床試験が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

アスピリンは最もエビデンスの豊富な動脈血栓予防薬であり、国内では虚血性脳血管障害、虚血性心疾患を適応症とする。アスピリンは、血小板中COX-1を非可逆的に阻害し、強力な血小板凝集惹起作用を有するThromboxane A2産生能を低下させて血栓形成を抑制する。

アスピリンと心疾患イベント予防効果に関連して、これまでに60以上の臨床試験が実施されてきた。それら臨床試験を総合的に解析したメタアナリシスにおいて、アスピリンは血栓症既往患者の心血管イベントの再発リスクを23%減少させたが、残りの70-80%ではイベントを抑制できず、アスピリン不応(aspirinresistance)と称される病態が広く周知されるようになった。その後、「生化学不応」(血小板機能がin vitroで充分に抑制されない現象)と「臨床不応」(心血管イベントが再発してしまう現象)の関連が複数報告され、アスピリン不応研究の重要性が強調された。同時に、不応患者の診断法研究が盛んに行われるようになった。

アスピリン不応の割合は0.4-50%と報告により大きく異なるが、これはアスピリン不応のモニタリング法が標準化されておらず、報告ごとに異なる評価系や判定基準が用いられるためである。また、その原因として喫煙、ストレス、遺伝子多型などの候補が挙げられ、COX-1など関連遺伝子の多型が不応の原因としてしばしば提起されるものの、SNPsによる質的変化(アミノ酸変化)・量的変化(タンパク質発現量)の両面から精査した例がなく、結論が出ていない。さらに、細胞(血小板)レベルでアスピリン不応の原因究明を実施するには、薬剤の暴露量(PK)の個人差を回避した検討が求められる。そこで本研究において申請者は、アスピリン不応研究の標準手法となりつつある血小板機能評価機PFA-100を評価の軸とし、暴露量の個人差を排除するためにin vitroで薬剤を添加し、(1)一般的な背景因子の中に、血液薬剤反応性(PD)の個人差をもたらす要因が存在するか、(2)標的分子であるCOXタンパクの増減または遺伝子多型による機能変化がアスピリン不応の原因か否かを検討した。

男性ボランティア325人をリクルートし、風邪薬服用や血液疾患等の除外基準により32人を除外した。このうち血小板機能が評価できた168名を解析した。アスピリン反応性とCOX遺伝子多型、タンパク質発現量の関連解析においては、極端なアスピリシ反応性を示す30名をPhenotypic extremes群として選抜し、群間でCOXの発現量、SNPs頻度を比較した。血小板機能は、3種類の異なる測定系(PFA-100、比濁法および全血凝集計)にて評価し、in vitroアスピリン(溶媒、10または30μM)処置は30分間実施した。血液学的パラメーターとして、可溶性VCAM-1、アディポネクチン、高感度CRP、フィブリノーゲン、VWF抗原量、HbA1c、総コレステロール、HDLコレステロール、LDLコレステロール等を測定し、アスピリン反応性との関連性を解析した。血小板中COX-1、COX-2、Glycoprotein IIb(GPIIb,血小板特異的タンパク質)をウェスタン法にて検出した。GOX-1は、全11エクソンをシークエンス解析した。COX-2は、アミノ酸が変異する6SNPs(M1I,R228H,P428A,E488G,V511A,G587R)の遺伝子型を解析した。

アスピリン10μMで30分間処置した全血を用いてPFA-100CEPIカートリッジの閉塞時間を測定したところ、薬剤反応性の個人差が観察された。本研究では、10μM添加時の閉塞時間が250秒以上である群をアスピリン高反応性群(128人、76%)、250秒未満を低反応性群(40人、24%)と定義した。低反応性群に分類される被験者のうち、アスピリン30μM処置で閉塞時間が250秒を下回ったのは2人だけであり、この濃度ではほぼ全員に薬効が認められた。

低/高反応性群の背景および血液学的パラメーターを比較すると、年齢、BMI、喫煙、血小板数に差は認められなかったが、低反応性群ではヘモグロビン量が少なく、糖尿病の罹患率およびHb1Acが高かった。

また、VWFなど血管内皮細胞障害のパラメーターを調べたところ、低反応性群ではVWF抗原量、活性、sVCAM-1が高値であった。また、アディポネクチン量が高値を示した。

評価方法まだはアゴニストの種類にかかわらず、低反応性群ではアスピリン非処置(溶媒処置)の血小板凝集能が高かった。

アスピリンの標的であるCOXタンパクの増減または遺伝子多型による機能変化がアスピリン不応の原因であるかを調べるため、全例のうち極端な反応を示す3群(PR、GR-High、GR-Low)計30人を選抜し、GOX-1/-2発現量およびSNPsとの関係を解析した。

血小板COX-1タンパク発現量は3群間で差がなく(血小板タンパク質1μg中のCOX-1は、約2.2ng)、アスピリンin vitro添加時に観察される薬剤反応性の個人差は、COX-1タンパク発現量に起因しないことが示唆された。また、用いた抗COX-1抗体のエピトープ配列は、COX-1スプライシングバリアントであるCOX-3およびpartialCOX-1中にも存在するが、本検討においては単一バンドとしてGOX-1のみを検出した。

血小板タンパク質15μg中COX-2は、検出限界以下であった。従来、血小板COX-2が生化学不応の原因であるとの議論もあったが、COX-2蛋白発現量は極めて低いことが確認され、in vitro添加時に観察されるアスピリン反応性の個人差の原因ではないことが示唆された。

次に上記3群(PR、GR-High、GR-Low)とGOX-1遺伝子多型の関係を解析した。COX-1エクソン領域より5箇所の遺伝子多型を確認し、うち3ヶ所はアミノ酸変異をともなった。いずれも、アスピリン反応性の個人差を説明するにはアリル頻度が低く、またアスピリンによるアセチル化する部位、または活性部位の近傍でないことから、アスピリン反応性とCOX-1遺伝子多型の関連は低いと考えられた。

日本人におけるCOX-2遺伝子変異頻度を調べるために、全被験者から25人を無作為に選抜し、既知6遺伝子多型(M1I,R228H,P428A,E488G,V511A,G587R)を解析したところ、G587Rにおけるヘテロの一人以外は全員Wt/Wtであった。G587Rについても3群(PR、GR-High、GR-Low)では全員Wt/Wtであった。このように、日本人ではアミノ酸変異を伴うCOX-2遺伝子多型のアリル頻度は低く、アスピリン反応性の原因としてCOX-2遺伝子多型は考えにくいことが分かった。

健常人において、薬剤暴露量の個人差を排除してもアスピリン反応性の個人差が観察された。このように、薬物動態以外にもアスピリン反応性を規定する血小板の要因が存在することが明確となった。また、アスピリン低反応性群の特徴として、(1)血小板凝集能をPFA-100,比濁法、及び全血凝集計のいずれで測定しても、アスピリン非添加時の血小板凝集能が亢進していること、(2)血漿中アディポネクチンレベルが高いこと、(3)糖尿病罹患率が高いことを明らかにした。(3)については、糖尿病罹患者での血小板機能の亢進が報告されていることから、(1)(3)より、血小板の反応性のベースラインが高いとアスピリンが効きにくい可能性が示唆された。(2)については、血小板反応性の原因、または結果なのか、それとも無関係かは不明である。

低反応性群は40人(24%)であったが、アスピリン濃度を30μMに増加させると2人以外は血小板機能が強く抑制された。このことから「臨床不応」(アスピリンを服用しているにもかかわらずイベントが抑制されない現象)は、高用量のアスピリン服用によって回避できる可能性が示唆された。また、健常人におけるアスピリン反応性は、血小板における標的タンパク質COX-1およびCOX-2のタンパク質量の増減(量的変化)または遺伝子多型による機能変化(質的変化)とは関連しないことが示唆された。

これらの結果から申請者は、少なくとも健常人において、アスピリン不応は(1)薬剤感受性よりも、むしろ個人に固有の血小板凝集能と深く関連すること、(2)COXタンパク質量の増減または遺伝子多型による機能変化とは関連しないことを明らかにし、アスピリン不応にはCOXとは異なるシグナル分子の量および機能変化が複雑に影響すると推察した。血小板膜受容体であるコラーゲン/ADP受容体など様々なタンパク質の複合的影響が考えられ、種々遺伝子多型に加えてタンパク質発現量の網羅的解析の必要性が考えられた。

本研究から、申請者はアスピリン用量の増大によって生化学不応ひいては臨床不応を減少させることの可能性を示唆し、患者毎に薬効をモニタリングしながらアスピリン用量を最適化することの必要性を主張した。これらの結果は、抗血小板療法に重要な方向付けを与えるものであり、博士(薬学)の学位にふさわしいものと判定した。

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