学位論文要旨



No 217002
著者(漢字) 高尾,忠志
著者(英字)
著者(カナ) タカオ,タダシ
標題(和) 市民との協働による地場のデザインの実現プロセスに関する実証的研究
標題(洋)
報告番号 217002
報告番号 乙17002
学位授与日 2008.09.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17002号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 中井,祐
 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 准教授 堀田,昌英
 東京大学 准教授 羽藤,英二
 政策研究大学院大学 教授 篠原,修
内容要旨 要旨を表示する

今後わが国は歴史上経験したことのない人口減少時代に直面する.地方都市の中心市街地の多くは衰退の危機に瀕しており,離島や山村では限界集落が増加し,既に消滅した集落も少なくない.このような状況の中で,各地域では生き残りをかけたまちづくり活動が盛んになりつつある.地域の環境形成や風景形成に大きな影響を及ぼす土木事業の未来を考える時,我々は土木のデザインを地域づくりの観点から捉えなおす必要がある.

また,地域の持つらしさや魅力,品格を風景の観点から評価したとき,わが国の現在の風景は煩雑で,無個性で画一的であり,十分なクオリティを持っているとは言い難い.一方,高度経済成長期以前にわが国の町や田園が有していた風景は,地域それぞれにおいて個性的で,情緒あふれる美しいものであった.地域固有の美しい風景形成を推進していくことが求められている時代の中で,土木のデザインにおいて地域がそもそも有していた風景の再構築を目指すことが重要である.

本研究では,以上のような問題意識の中で,土木構造物のデザインの向上を目指すために,材料と制度に着目する.材料については,地場の技術,材料,職人が公共空間や建築物の整備において活用されることがなくなり,これに代わって万国共通の材料が使用されたことによって,地域の個性が失われてきた.地域固有のデザインの実現を仕組みとして担保することを考えた場合,土木事業における地場材の活用に着目することの意義は大きい.そして,そのためには,地場の材料や技術と現代の材料や技術との発展的融合が必要となる.一方,制度については,標準設計を軸とした設計システムによって,煩雑で画一的な風景がつくられてきた.これまでも,地域固有の風景形成や地域づくりに合わせた整備を目的として,国土交通省により景観デザインに関するガイドラインが作成されるとともに,個別の事業において様々な取り組みが行なわれてきたが,その手法や成果には限界があった.それぞれの地域の状況に対して柔軟に対応した,地域固有の景観形成に向けては,標準設計のデザインクオリティの向上とともに,標準設計を原則とした設計システムを根本から見直すことが必要である.

また,土木構造物は,生活基盤として日常的に利用されると同時に,災害時には地域を守る役割も果たすものである.しかし,地域づくりの観点から言えば,その起爆剤となり,地域の将来像を示す役割を担うことが求められ,そのためには土木構造物は地域住民それぞれにとっての価値を生み出す必要がある.土木構造物が地域住民にとって価値を持つために,設計者や行政担当者がどのように市民と向き合い,発展的な関係を築けば良いかは検討すべき重要な問題と言える.地域にとっての風景形成や地域づくりに寄与する土木構造物の実現に向けた契機,もしくは手段として市民参加を捉えなおすことが重要である.

本研究の対象である「地場のデザイン」は,「土木のデザイン」の中に含まれるため,篠原による定義を基本としながら,「地場のデザイン」を以下のように定義し,その実現条件を明らかにすることを本研究の目的とした.

<地場のデザインの定義>

(イ)地域固有の材料(植生も含む)および計画・設計・施工技術と,現代のユニバーサルな材料,計画・設計・施工技術を融合させ,地域風土に適したシステムを構築し,地域住民にとっての原風景を再構築する行為

(ロ)地域住民の活動の舞台をつくり,地域住民とその場所の関係を構築することによって,地域住民にとっての価値を創出し,最終的には地域全体のまちづくりに寄与することを目指す行為

第1章では,上記の内容を論文の背景として述べるとともに,土木デザインのプロセスの事後評価に関する既往研究の問題点を指摘することによって,本研究の独自性を示した.すなわち,(1)土木デザインに関わる人材についてデザインの実現という観点から設計者,行政担当者,市民それぞれの能力や姿勢を評価する研究であること,(2)土木デザインの検討体制についてデザインの実現という観点から評価する研究であること,(3)関係者それぞれの立場による視点に基づいた実証的な記述を行ない,デザインプロセスに対する多面的な分析による事後評価を行なう研究であること,の3点である.

第2章では,土木事業の設計制度に関する既往の知見を整理し,実現プロセスの記述構成と分析方法を提示した.土木事業における現行の設計システムについて,設計制度の特徴として目的の単純化,標準設計制度,補助事業の採択要件による整備方針の固定化,標準設計を前提とした積算,発注制度と事業区分による業務の細分化を指摘し,またそれらを運用する体制としてインハウスを前提とした検討体制,委員会方式,住民参加型検討体制を整理した.その上で地場のデザインの実現に向けて発生する課題とその対応策について,「デザイン検討」と「合意形成」の2つのプロセスにおいて課題が発生し,その対応策として「人材」「体制」「予算・契約」に関する事項が存在することを明らかにした.

第3章では,地場のデザインを実現した事例として夢見橋(宮崎県日南市),児ノ口公園(愛知県豊田市),壷屋やちむん通り(沖縄県那覇市)について調査を行ない,その実現プロセスを明らかにし,第2章で提示した記述構成に基づいて記述した.事例調査においては記述の根拠を明示しながら,多面的な視点に基づいてプロセスを記述することを重要視し,研究データとして事業の検討資料や議事録,報告書等の一次資料を基本とする実証的な立場をとり,これを補足するものとして関係者へのヒアリング調査を行なった.また,特に合意形成プロセスの記述にあたっては,単に事実のみを記述するのではなく,その背景や関係者の意図を出来る限り明らかにした.

第4章では,第3章で得られた調査結果について分析を行ない,地場のデザインの実現条件について考察を行なった.3つの事例に見られた地場のデザインの実現に向けた課題は,デザイン検討上の課題として,(1)オリジナルデザインの検討,(2)地場材,地場工法活用の技術的課題,(3)地場材活用に向けた予算上の課題,(4)オリジナルデザインの施工の特殊性が,合意形成上の課題として(1)既成概念に対する合意形成,(2)計画変更に対する抵抗,(3)多様な価値観の存在,(4)制度に起因する課題,(5)一般市民への展開,が挙げられる.

課題に対する人材のあり方として,設計者は,(1)標準設計や特定の概念にとらわれない柔軟な設計思考,(2)現場をベースとした設計アプローチ,(3)設計監理が可能な地元の設計者と言ったデザイン検討に関する能力と,(4)具体的なビジョンを提示し,説明する能力,(5)住民コーディネート能力と言った能力,(6)ビジョンの一貫性とディテールの柔軟性という姿勢が求められる.行政担当者は,(1)地域コミュニティに合わせた合意形成能力,(2)庁内調整能力と言った合意形成能力,(3)制度の枠組みを超えた積極的な姿勢,(4)丁寧に説明する姿勢が求められる.市民は,(1)地域の特性に関する知見や専門的な技術と言ったデザイン検討に関する能力,(2)地域コミュニティに関して精通していること,(3)一般市民が参加するイベントの企画能力と言った合意形成能力,(4)具体的な提案と積極的な行動と言った姿勢が求められる.

さらに,検討体制については,(1)市民と専門家との協働体制,(2)専門家同士の協働体制,(3)設計の一貫性と言ったデザイン検討体制,(4)地域事情に精通した市民との協働体制,(5)開かれた検討の場,(6)市民の組織化と言った合意形成体制が有効であり,加えて行政担当者をバックアップする事業の位置づけが重要である.

最後に,予算・契約については,(1)設計の一貫性と設計委託期間の不整合,(2)ボランティアによる設計監理,(3)材料の性質に合わせた購入と強度仕様,基準,単価の未設定による苦労が今後の課題として挙げられる.以上の人材,検討体制,予算・契約に関する事項が,本研究で明らかにした地場のデザインの実現条件である.

さらに,本研究では,地場のデザインの実現に必要な専門的な技術を持った市民を「専門的市民」として,その能力と姿勢について以下のように定義した(能力については(a)~(c)のいずれかに該当すればよい).

<専門的市民の定義>

(a)地域の風土や歴史に関する深い知見を有する者

(b)地域コミュニティに関する社会学的な知見や技術を有する者

(c)地場の材料や工法に関する工学的な技術を有する者

(d)事業プロセスに対して積極的・主体的に参加する者

(e)具体的な提案をする者

そして,地場のデザインの検討プロセスを,基本設計段階,実施設計段階・施工段階,竣工後・維持管理に分けた場合,その各段階において専門的市民が発揮する能力が異なっており,専門的市民は,地場のデザインの実現プロセスを通じて必ずしも同一人物ではなく,その時の状況に応じて必要な能力を持っている者がなりえることを明らかにした.

さらに,専門的市民との協働による地場のデザインの可能性と課題として,(1)専門的市民との協働によるデザインクオリティの向上,(2)専門的市民が集まる環境づくり,(3)地域コミュニティへの負の影響を指摘した.

第5章では,本研究の結論として,以上の研究成果をまとめるとともに,地場のデザインの実現プロセスを提案した.さらに,その実現プロセスの成立に向けて,国レベルでは設計責任を設計者へうつすこと,プロジェクトを単位とした行政担当者の人事の導入,県レベルでは地場の材料と工法に関する技術開発,公共事業への応用に向けた仕様の確立,市町村レベルでは景観形成や地域づくりの観点から事業のランクづけを行なう仕組みづくりが必要であることを指摘した.

審査要旨 要旨を表示する

わが国における戦後の土木事業は,奇跡とも呼ばれる高度経済成長を支えたことや,国民の生活基盤として機能していることが評価される一方で,そのデザインクオリティは十分ではなく,煩雑で画一的な風景を形成してきたと指摘されることが多い.これまでも,単体の構造物における景観デザインの質の向上や,一体的に空間や風景を形成する複数の構造物におけるデザイントータリティーの確保の観点からの評価は行なわれてきたが,地域固有の風景の再構築や地域づくりの観点から土木デザインの評価が行なわれることは皆無と言って良いのが現状である.本論文は,それらの観点から土木デザインを評価する視点として,特に材料,設計制度,市民参加に着目した「地場のデザイン」を新たに定義している.その上で,地場のデザインを実現した夢見橋,児ノ口公園,壺屋やちむん通りの実現プロセスを,特にプロセスにおいて直面した課題とその対応策に着目して実証的に明らかにし,それらをもとに地場のデザインの実現条件を,人材,体制,制度に関して論考したものである.このような,デザインの実現プロセスにおける課題と対応策に着目して,現行の設計制度に対する改善点や行政担当者,設計者,市民と言った人材のあり方を分析する試みは既往研究には見ることはできず,独自性の高い着眼点であると言うことができる.第一章では,上記の内容を論文の背景として述べている.

第二章では,土木事業における現行の設計制度の特徴を整理した上で,地場のデザインの実現に向けて発生する課題とその対応策について分析する視点を仮説的に提示している.特に,デザインの実現プロセスにおける課題について,これまでも指摘されてきたデザイン検討プロセスそのものにおける課題に加えて,デザインの合意形成プロセスにおける課題が存在することを指摘したことは本研究の成果と言える.また,その対応策についても,人材,体制,予算・契約に分類されることを指摘し,その上で,デザインの実現プロセスを記述するための枠組みを提示したことも本研究の成果として高く評価できるものである.

第三章では,地場のデザインを実現した事例として夢見橋,児ノ口公園,壺屋やちむん通りを取り上げ,そのデザインの実現プロセスについて,詳細な調査を行い,第二章で提示した枠組みに従って記述を行っている.これらの調査および記述においては,まちづくりやデザインプロセスに関する既往研究においてプロセスの記述の根拠が曖昧に扱われてきた問題に対して,実証的な姿勢をとっている点が評価できる.特に,関係者それぞれの視点からみた多面的な記述を行うために,事業の位置づけや経緯と言った背景に加えて,主な関係者が対象事業に関わるまでの人物個々の背景に関しても調査している点は注目すべき成果である.さらに,実現プロセスの中で,関係者がどのような課題にぶつかり,それらをどのように乗り越えたかについて,設計者の思考プロセス,設計・施行の技術的課題,関係者の合意形成プロセスについて総合的に分析しており,プロセス分析の緻密さと記録性の高さは本研究の成果として高く評価される.

第四章では,第三章の成果に基づいて,地場のデザインの実現プロセスを分析し,その実現条件を論じている.まず,地場のデザインの実現に向けて直面する課題をデザイン検討と合意形成について分類し,それらの課題に対応する地場のデザインの実現条件として,ビジョンを示す設計者の一貫した関与,「専門的市民」との協働,デザイン検討と合意形成に対応した体制,事業の位置づけに後押しされた行政担当者の積極的施策,設計制度の改善と地場材に関するシステムの構築を指摘している.特に,デザイン検討において地域や合意形成上の専門性を有した市民の参加を「専門的市民」と定義し,設計者と市民の協働体制に関する新しい概念を提示したことは本研究の成果として高く評価される.さらに,専門的市民が実現プロセスを通して一定ではなく,その状況に応じて必要な能力を持っている者がなりえることを指摘したことも本研究の注目すべき成果である.

第五章では,前三章の知見をもとに,地場のデザインの実現プロセスモデルを提案している.さらに現行の設計制度の改善点として,国レベルでは設計責任を設計者へうつすこと,プロジェクトを単位とした行政担当者の人事の導入,県レベルでは地場の材料と工法に関する技術開発,公共事業への応用に向けた仕様の確立,市町村レベルでは景観形成や地域づくりの観点から事業のランクづけを行なう仕組みづくりが必要であることを指摘している.

以上概観したように,本研究の最も評価すべき点は,デザインの実現プロセスにおける課題と対応策に着目して実証的な記録方法を提示した点と,それらをもとにデザインの実現条件を詳細かつ総合的に分析し,更に日本における土木設計制度のあり方を論じた点にある.また,このような本研究のアプローチは,先行事例におけるデザインの実現に対する多面的かつ総合的な事後評価的視点を欠く既往の研究には見ることのできない,独自性の高い方法論であると結論付けることができる.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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