学位論文要旨



No 217012
著者(漢字) 堀江,宗正
著者(英字)
著者(カナ) ホリエ,ノリチカ
標題(和) 心理学のなかの「宗教」 : ポスト「宗教」・ポスト世俗主義の心理学的思想運動
標題(洋)
報告番号 217012
報告番号 乙17012
学位授与日 2008.09.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17012号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 教授 鶴岡,賀雄
 一橋大学 教授 深澤,英隆
 南山大学 教授 渡辺,学
 京都大学 教授 西平,直
内容要旨 要旨を表示する

宗教心理学は宗教学の一分野として考えられているものの、現実に調査研究に携わっているのは、宗教学者ではなく心理学者である。宗教学のなかでの論じ方としては、宗教心理学を宗教思想として読み直す試みがあり、一定の蓄積が見られる。本研究はその一つであり、一九〇〇年代から一九六〇年代までを中心とする宗教心理学を、ポスト「宗教」の思想運動として特徴づけるとともに、それを歴史的に位置づけ、さらにその評価について検討することを目的とする。

第一章では、宗教心理学の代表的研究者と思われるジェイムズ、フロイト、ユング、フロム、マズロー、エリクソンの諸説を概観し、その共通の論点として自己実現論があったことを示す。彼らは、宗教を研究対象として分析するなかで人間の心理的成熟のプロセスを描き出した。それは、ほぼ共通した内容を持ち、「自己実現」プロセスとして一括できるようなものであり、一面的な自我を脱して、本来的自己を実現してゆくプロセス、あるいはより真正なる自己に漸近してゆくプロセスであり、自己への究極的な関わりを特徴とするものである。自己実現を規範とする心理学的思想運動は、ベラーの宗教進化論における「近代宗教」の一例と考えられるだろう。

第二章では、フロイトとユングとエリクソンの儀礼論を取り上げ、それを通じて、彼らが近代化の脈絡のなかで心理療法をどのように位置づけていたかを見る。彼らは、共通して、宗教的・呪術的な儀礼と神経症をパラレルなものとしてとらえ、伝統的集合的な儀礼が力を失うなかで、神経症が目立ってきていることを指摘し、それを治療するものとして、儀礼における変容過程を「遊び」の方向に改変した心理療法を提示している。その背景にあるのは、自己理解を肩代わりする伝統が崩壊し、自己の筋立てが個人に任せられているという状況である。

第三章では、フロイト、ユング、フロムの近代社会論を整理し、そこに含まれる宗教論、近代社会論、ナチズム論、心理学が目指す共同性・社会性を見てゆく。彼らは、欲望のコントロールがコントロール不能なものによって脅かされる自律のパラドックスを問題化し、それを一神教の権威主義的側面から引き継がれた隠された他律とし、さらにこのパラドックスを無化しようとしたナチズムを批判した。それを通して、欲望を抑圧的ではない仕方でケアすることを目指した。それが暗黙のうちに是とする共同性・社会性とは、制度的社会に依存しながら、その規範を問い直し続け、他者との相互依存を自覚し、互いに欲望をケアし、相互調整しあうような人間が連なるネットワークである。

第四章では、フロイトの喪の仕事、死の欲動、ユングにおける「死と再生」、臨死体験、フランクルの強制収容所体験と生きる意味などを取り上げ、死と生をめぐる心理学的な思想を整理し、論点を確認し、彼らが共有していた心理学的死生観の特徴を把握する。それは死の現実性を直視した上で、なお生の意味を維持するために、心的現実における死と死後生のイメージを心理学的用語で再記述したものである。それは宗教的死生観によって否認された死の現実性を真正面から取り上げると同時に、ニヒリズム的死生観によって否定された生の意味や価値をすくい上げようとするものである。

第五章では、死生学において影響力の強いキューブラー=ロスを取り上げ、その思想がポスト「宗教」の思想として展開してゆく道筋を跡づける。まず、初期の死の過程の五段階説の意義を、否認と受容の葛藤の分節化に求め、その背景として医療の高度化と死期の延長と葛藤の可視化を指摘する。続いて、宗教的死生観を否認と断定する初期の立場から、自己欺瞞的でない信仰なら問題はないという相対主義的な立場を経て、死を受容するための共同体として宗教的伝統を再評価する立場に至り、患者の臨死体験の受容から、死後生の肯定に「回心」して実在論的だが個人の内的確信の立場にとどまるスピリチュアルな死生観に至った道筋を明らかにする。

第六章では、これまでの議論を整理する。心理学者において「宗教」とは、体験を直視する個人的宗教性と体験を和らげて媒介する共同的宗教性の二つの場を持つものとしてとらえられる。後者が崩れ、個人が無意識的なものに直面して神経症的になる近代の状況に対して、心理学者たちは、個人的宗教性の成長をサポートすると同時に、それがもたらす危機から個人を守ろうとする。欲望や悪などの最終的にはコントロール不能なものを、抑圧・否認して、一面的で虚偽的な自我を構成し、症状として表出するのではなく(世俗主義の神経症的状況)、一定のルールのもとで心理学的に理解し(遊びとしてのセラピー)、状況的な理性的判断によって、より大きな満足をもたらす欲望へ陶冶し(欲望のケア)、潜在的可能性としての全体的で真正な自己を、漸次的に実現してゆく(自己実現)。その過程で、人類の心的世界のなかに生きる神話的・宗教的なイメージや共同的規範は再発見され、再活用される。そのような生は、生の意味の形成と蓄積の過程であり、生の意味は死を経てなお人類の心的世界のなかで生きる(心理学的死生観)。このような思想的内容をもつ心理学的思想運動は、宗教の批判的継承であると同時に、近代世俗主義の批判的継承であるという意味で、ポスト「宗教」・ポスト世俗主義の思想運動と特徴づけられる。

以後の章は、このような特徴を持つ心理学的思想運動をさまざまな角度から思想史的に位置づけてゆく。

第七章では、現代思想と宗教心理学を、近代思想史の流れのなかで理解する。現代思想は、他者を排除して自己が普遍性と直結するような思想体系全般を鋭く批判してきた。批判の対象には、形而上学以後の宗教も当然含まれる。一方、宗教心理学は、宗教を心理学的に分析することを通して、自己実現思想を展開してきた。現代思想のインパクトを受け止めるならば、宗教心理学は「心の存在論から心の倫理学へ」と転換するべきであろう。だが、心理学的自己実現論は、他者論を包括し補正する多元論的方向性をも有している。このような考察を通して、ここで取り上げている心理学的思想運動は、〈自己〉の霊性(スピリチュアリティ)と〈他者〉の霊性(スピリチュアリテ)の中間にあるものとして位置づけられる。

第八章では、〈自己〉の霊性、あるいは心理学的思想運動の現代的・大衆的展開である「癒し」の運動を検討する。まず現代の「癒し」概念を、心身の全体的健康の回復とし、それを通じて生き方が変わり成長するようなものと定義する。そして、このような意味での「癒し」が、医学・宗教・心理学のそれぞれの境界領域を総合したものであることを確認する。次に、歴史的視点から、現代の癒しの運動を、都市化と医療の近代化にともなう病と治療の伝統的コンテクストの崩壊という状況のなかで、自己治癒能力の活性化をサポートするような古今東西の諸実践を再編する試みとして意義づける。最後に、癒しの「運動」が不可避的に「癒し」の理念から外れてゆくという構造的矛盾──技法化・専門家支配・消費主義──について指摘する。

第九章では、西洋における心理学を宗教史の枠組みに位置づける。まず心理学の前史としての哲学と宗教について簡単にまとめ、心理学の発生に宗教が関与していたことを示すリード、エレンベルガー、ヒルマンらの議論を参照し、一神教的心理学と多神教的心理学という類型を立てる。一神教的心理学においては、魂は、神との関連で規定され、身体とは切り離される。それに対して、多神教的心理学においては、諸霊、神々、あるいは呪的力が、意識・無意識・身体を含む魂に働きかける。これらは、ベラーの宗教進化論を参照するなら、歴史宗教から一神教的心理学への流れと、原始宗教から、民衆宗教、近代宗教へと続く多神教的心理学の流れとして理解される。

以上のことから、ポスト「宗教」・ポスト世俗主義の心理学的思想運動は、「歴史宗教─世俗主義─一神教的心理学」の系譜を批判的に継承しつつ、「原始宗教─民衆宗教─多神教的心理学─現代の癒しの運動」の系譜から生まれ、かつそれと距離をとりながら関係し続けるものとして、位置づけられる。

第一〇章では、心理学的思想運動を、文化・社会の視点から批判的に評価する先行研究を取り上げ、心理学的思想運動をどう評価するべきかを考える。具体的には、リーフ以後の「心理学的人間」論を年代順に整理する。全体的に現代アメリカの大衆文化論の一つとして成立しており、心理学理論の理解を欠いた実践面の一面的な批判になっていると指摘できる。その上で、「心理学的人間」を、理念と実践の構造的矛盾を考慮した多面的な評価を可能とするような記述概念に練り上げることを提案する。すなわち、心理学的人間は、心理学に依拠して自己と他者と共同体を理解し、その理解にもとづいて行動するようなキャラクターだが、対人関係のなかで自己が形成されると考えて真正性を探究する一方で、対人関係を利用する操作的態度に帰着する可能性もあり、また権威主義を問い直して新たな価値観や共同体感覚を探究する一方で、現実的実践に結びつかずに保守的な姿勢に帰着する面もあるととらえられる。

以上のように、ポスト「宗教」・ポスト世俗主義と特徴づけられる心理学的思想運動の思想史的位置づけと社会的評価を検討してきた本研究は、ポスト「宗教」の思想研究の一つとして位置づけられる。本研究で例証されるのは、狭義の「宗教」の画定と広義の宗教の拡散との同時進行のなかで、ポスト「宗教」的な思想運動が展開するということである。今後の課題としては、宗教「的」心理学や「スピリチュアリティ」など、心理学的思想運動の実践面の具体的研究があげられる。

審査要旨 要旨を表示する

堀江宗正氏の「心理学のなかの「宗教」――ポスト「宗教」・ポスト世俗主義の心理学的思想運動」は、宗教を心理学的に論じながら、伝統的な「宗教」の機能を引き継ぐような学問・思想を展開した心理学者・思想家群を論じた野心的な業績である。19世紀末から20世紀中葉にかけて活躍した心理学者・思想家、まずはS.フロイトとC.ユング、そしてW.ジェイムズ、E.エリクソン、A.マズロー、E.フロム、V.フランクル、J.ヒルマンなどの学問・思想が「宗教」との関わりにおいて論じられていく。「宗教としての心理学」と見なす立場もあるが、この論考では「宗教」とは異なるが「宗教」に深く関わる現代的な学問・思想として取り上げ論ずる独自の立場が提示される(序章)。

彼らの仕事は宗教心理学と理解されることが多かったが、むしろ「宗教」にかわる「自己実現」の道を説いた思想として考えられる。そう理解することで、「宗教」と世俗主義の双方に距離をとろうとする、現代人の生き方や考え方の反省に貢献できるという。(第一章)。第二章から第五章までは、「儀礼論」「現代社会論」「死生観」が取り上げられる。儀礼は集団を通して心理的安定をもたらす機能を果たしてきたが、心理学的思想家は儀礼を遊びへと変容させて癒しをもたらそうとする(第二章)。また、現代社会は自律を促しつつ隠れた他律を招きがちだが、彼らは抑圧的でない欲望のケアによって権威主義的な態度を克服する道を示そうとしてきた(第三章)。また、彼らは宗教的な来世観を断念しつつも、死を超えてなお意味が求められるうることを示した。だが、さらに後の世代に属するキュブラー=ロスの場合は、はっきりと死後生を肯定する立場へと転じる。心理学的死生観を超えてスピリチュアルな死生観に至る道だ(第四,五章)。

第六章では以上の議論が総括され、第七章からはこうした心理学的思想運動の思想史的宗教史的位置付けが試みられる。形而上学批判を前提に差異や他者性を軸として展開する現代哲学思想との対比(第七章)、アニミズム的な民衆宗教を引き継ぐ「癒し」の運動との関連(第八章)、心理学史の中での無意識論の位置づけや宗教進化論との関連(第九章)が問われていく。第一〇章では総括的な評価が試みられる。P.リーフ以来の先駆的な「心理学的人間」論、セラピストという現代的性格類型を論じたA.マッキンタイアやR.ベラーらの批判的評価に学びつつも、堀江氏はP.ホーマンズやCh.テイラーにならって、ポジティブな自己実現論の思想としての側面を重視すべきだとする。ロマン主義的な傾向が自己に閉塞する傾向をもつことを認めつつも、心理学的思想運動全体としては倫理的批判性を失わないものだと評価する。個人化が進む社会でポスト「宗教」・ポスト世俗主義の立場が不可避となるが、心理学的思想運動はその有力な担い手となるのだと論じる。

多くの心理学者・思想家を取り上げ、その学問・思想の意義を的確に評価し、壮大な文脈を設定してその中に大胆に位置づけ、現代宗教研究の新たな領域を力強く切り開いている。総括的であるかわりに個々の心理学者・思想家の理解としては深みに欠ける恨みがあるが、骨太の構想力と広汎かつ丹念な読解作業の積み上げが結合した独創的な論考として高く評価できる。よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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