学位論文要旨



No 217015
著者(漢字) 兎澤,隆一
著者(英字)
著者(カナ) トザワ,リュウイチ
標題(和) 胎仔発生および肝コレステロール代謝におけるスクアレン合成酵素の役割 : スクアレン合成酵素欠損マウスの作出とその性状解析
標題(洋)
報告番号 217015
報告番号 乙17015
学位授与日 2008.09.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17015号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 准教授 平田,恭信
 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 准教授 石井,聡
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
内容要旨 要旨を表示する

コレステロールは動物細胞膜の主要構成要素として体内に広く分布するとともに、ステロイドホルモンやビタミンD、胆汁酸合成の前駆体として利用されるなど、生体機能を維持する上で必須な脂質成分である。さらに近年、コレステロールが形態形成、特に神経系の発生において重要な役割を果たしていることも明らかとなっている。すなわち、ヒトにおける奇形症候群や神経系障害の原因として先天性コレステロール合成異常症(メバロン酸キナーゼ欠損症やSmith-Lemli-Opitz症候群、デスモステロール血症など)が同定されているとともに、脊椎動物の体節パターン形成に関与するヘッジホッグ蛋白の機能発現にコレステロールが必須であることが明らかとなっている。その一方で、コレステロールの過度な増加が新たな疾病の原因になることも示されている。例えば、高コレステロール血症は動脈硬化巣の形成や進展を惹起し、心筋梗塞や狭心症といった冠動脈疾患の発症リスクを増大させることが、種々の疫学的調査や薬物介入試験によって明らかにされている。

生体内コレステロールの多くが体内にて生合成されることから、内因性コレステロールの生理的意義を明確化することは、上記の奇形症候群や高コレステロール血症に対するさらなる理解や治療戦略を考慮する上で極めて重要と考えられる。しかしながら、既知のコレステロール合成異常症はいずれもコレステロール合成系の上流あるいは末端酵素に変異を有するために(下図)、イソプレノイド代謝産物の減少やステロール性中間体の蓄積を伴うことから、病態形成と内因性コレステロール欠乏の関連性は不明確であった。また、コレステロール合成系の上流に作用するHMG-CoA還元酵素阻害薬(スタチン薬)は高コレステロール血症治療薬の第一選択薬として頻用されているが、同薬剤はコレステロールのみならず生体にとって重要なイソプレノイド産物の合成も抑制することから、副作用発現との関連が懸念されており、新たな機序を有する治療薬が期待されている。スクアレン合成酵素(以下SS)は、ファルネシル2リン酸よりスクアレンを生成する小胞体膜酵素である。SSはコレステロール合成に特異的な経路の初発酵素であり、コレステロールとイソプレノイド産物を生成する経路の分岐点の直後に位置する。したがって、その特異的欠損および阻害は、イソプレノイド産物の減少やステロール性中間体の蓄積を伴わずにコレステロール合成の低下をもたらすものと考えられる。

以上のような背景から、本研究では遺伝子ターゲティング法を用いた発生工学的手法によりSS欠損マウスを作製することで、胚発生や形態形成における内因性コレステロールの意義を再検証した。また、肝臓および血漿中コレステロール代謝に対するSS欠損の影響を検討し、SS阻害薬の有用性について考察をおこなった。

【研究結果】

結果1. SSホモ型欠損は胎生致死性であり、神経管閉塞不全を含む形態奇形を惹起する。

SSの酵素活性中心をコードするエクソン4-5をネオマイシン耐性遺伝子カセットで置換したターゲティングベクターを構築し、マウスES細胞に導入することでSSヘテロ型欠損マウスを取得した。ヘテロ型接合体同士の交配で得られた産仔にホモ型接合体は認められなかったことから、SSのホモ型欠損は胎生致死性と考えられた。子宮内の胎仔を解析したところ、胎生9.5-10.5日までにホモ型接合体が確認された。すなわち、マウスにおいては、内因性コレステロールの合成が抑制された状態においても、妊娠中期まで胎仔発生が維持できる可能性が示唆された。なお、ホモ型接合体胎仔は著しい成長遅延と神経管閉鎖不全による前脳の形成不全を呈していた。病理学的には神経提部に凝集した核を有する神経細胞を認め、アポトーシスの関与が示唆された。これらの観察から、SS活性が正常な胚発生、特に神経系発生に必須であることが示された。

結果2. SSホモ接合体の胎生致死性は、母体へのスクアレン補充や食餌性および遺伝性高コレステロール血症の導入によって回復しない 。

ホモ型接合体の胎生致死性がコレステロール欠乏に起因している可能性を検証する目的で、高コレステロール食負荷あるいはアポE欠損変異導入により妊娠親に高コレステロール血症を惹起し、ホモ型接合体産仔の取得を試みた。これらの条件において、妊娠親の血漿総コレステロール値は、普通食を負荷したSSヘテロ型/アポE野生型マウスに比べ3~17倍まで上昇したが、いずれの条件においても、ホモ型接合体産仔は得られなかった。これらの成績は、妊娠中期以降の胎仔発生に利用されるコレステロールは母体由来コレステロールのみでは不十分であることを示唆した。一方、高スクアレン食を負荷したヘテロ型接合体マウスの交配においてもホモ型接合体が得られなかったことから、ホモ型欠損マウスで観察される胎生致死性は、内因性コレステロール欠乏に由来するだけではなく、SS欠損に起因して蓄積するファルネシル2リン酸およびその代謝物が胎仔に致死的に作用した可能性も推察された。

結果3. SSヘテロ型欠損は肝臓中SS活性を半減させるが、肝臓中のコレステロール合成活性およびコレステロール反応性遺伝子群の発現に影響を与えない。

ヘテロ型接合体における肝臓および精巣中SS酵素活性は、野生型の約50%に低下していたが、外見上正常であり、生殖能にも異常は認められなかった。また、肝臓中のコレステロール合成活性にも変化は認められなかった。さらに、ヘテロ型接合体肝臓におけるコレステロール感受性遺伝子群についてmRNA発現量を検討したところ、SS mRNA発現量は野生型の約50%に減少していたが、その他の脂質代謝関連遺伝子(LDL受容体、HMG-CoA還元酵素、HMG-CoA合成酵素、FPP合成酵素、脂肪酸合成酵素、アセチルCoAカルボキシラーゼ、ステロール7・水酸化酵素、SREBP-1、SREBP-2)には顕著な変動が認められなかった。これらの観察から、SSヘテロ型欠損は肝臓中SS活性を半減させるものの、肝臓におけるコレステロール代謝の恒常性に影響しないことが示された。

結果4. SSヘテロ型欠損は血漿脂質値およびリポ蛋白質組成に影響を与えない。

血漿総コレステロール値およびトリグリセリド値、リポ蛋白質組成に関し、野生型とヘテロ型接合体に有意な差異は認められなかった。また、高脂血症を惹起するLDL受容体欠損変異を導入した場合にも、SS野生型とヘテロ型接合体の血漿総コレステロール値およびトリグリセリド値に有意な差異は認められなかった。これらの結果より、SSヘテロ型欠損は血漿脂質代謝に影響しないことが示された。

以上、SS欠損マウスを用いた研究により、SSがマウスの正常な胎仔発生、特に神経系器官形成に重要な役割を果たしていることを明らかにした。また、SSヘテロ型欠損で肝臓中のSS酵素活性が半減した場合においても、肝コレステロール合成活性や血漿中脂質組成に影響が認められなかったことから、SS阻害薬に血漿コレステロール低下作用を期待するためには、酵素活性を50%以上阻害する必要があることが示唆された。

図 コレステロール合成経路とその欠損症

審査要旨 要旨を表示する

近年の研究により、コレステロールが形態形成、特に神経系の発生において重要であることが示される一方で、高コレステロール血症が動脈硬化巣の形成や進展を惹起し、冠動脈疾患の発症リスクを増大させることも明らかにされている。本研究は、胎仔の発生や形態形成、肝臓および血漿中コレステロール代謝における内因性コレステロールの意義を明らかにする目的で、コレステロール生合成系酵素の一つであるスクアレン合成酵素(以下SS)を欠損したマウスを作製し、胎仔発生と産仔における肝および血漿中コレステロール代謝への影響に関する解析から下記の結果を得ている。

1.マウスES細胞を用いた遺伝子ターゲティング法によりSSヘテロ型欠損マウスを取得した。ヘテロ型接合体の一般性状および生殖能に異常は認めなかった。

2.ヘテロ型接合体同士の交配でホモ型接合体産仔が得られなかったことから、SSのホモ型欠損は胎生致死性と考えられた。子宮内の胎仔を解析したところ、胎生9.5-10.5日までにホモ型接合体が確認された。すなわち、マウスにおいては、内因性コレステロールの合成が抑制された状態においても、妊娠中期まで胎仔発生が維持できる可能性が示唆された。

3.ホモ型接合体胎仔は著しい成長遅延と神経管閉鎖不全による前脳の形成不全を呈していた。病理学的には神経提部に凝集した核を有する神経細胞を認め、アポトーシスの関与が示唆された。これらの結果から、SS活性が正常な胚発生、特に神経系発生に必須であることが示された。

4.高コレステロール食負荷あるいはアポE欠損変異導入により高コレステロール血症を惹起させたヘテロ型接合体の交配によってもホモ型接合体産仔は得られなかった。これらの成績は、妊娠中期以降の胎仔発生に利用されるコレステロールは母体由来コレステロールのみでは不十分であることを示唆した。

5.SS反応生成物であるスクアレンを負荷したヘテロ型接合体マウスの交配においてもホモ型接合体が得られなかったことから、ホモ型欠損マウスで観察される胎生致死性は、内因性コレステロール欠乏に由来するだけではなく、SSの反応基質であるファルネシル2リン酸およびその代謝物が胎仔に致死的に作用した可能性も推察された。

6.ヘテロ型接合体における肝臓および精巣中SS酵素活性は野生型の約50%に低下していたが、肝臓中のコレステロール合成活性やコレステロール感受性遺伝子群のmRNA発現量に有意な変動は認められなかった。これらの結果から、SSヘテロ型欠損は肝臓中SS活性を半減させるものの、肝臓におけるコレステロール代謝の恒常性に影響しないことが示された。

7.SS野生型とヘテロ型接合体マウスの血漿総コレステロール値およびトリグリセリド値、リポ蛋白質組成に有意な差異は認められなかった。また、高脂血症を惹起するLDL受容体欠損変異を導入した場合にも、SS野生型とヘテロ型接合体の血漿総コレステロール値およびトリグリセリド値に有意な差異は認められなかった。これらの結果から、SSヘテロ型欠損は血漿脂質代謝に影響しないことが示された。

以上、本論文はマウスにおいてSSが妊娠中期以降の正常な胎仔発生、特に神経系器官形成に重要な役割を果たしていること、ヘテロ型欠損により肝臓中のSS酵素活性が半減した場合においても肝コレステロール合成活性や血漿中脂質組成に影響を及ぼさないことを明らかにした。SS欠損マウスはコレステロール生合成系酵素の欠損マウスとして世界で最初の作製例であり、本研究は胎仔発生と肝および血漿中コレステロール代謝におけるSSおよび内因性コレステロールの役割に関する研究の端緒となったとともに、高コレステロール血症治療薬を指向したSS阻害薬の開発において有用な実験系を提供したと考えられることから、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク