No | 217020 | |
著者(漢字) | 木下,順子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | キノシタ,ジュンコ | |
標題(和) | 日本の酪農市場の寡占構造に関する実証研究 | |
標題(洋) | Empirical Approach to Oligopoly Markets in Japan's Dairy Industry | |
報告番号 | 217020 | |
報告番号 | 乙17020 | |
学位授与日 | 2008.10.03 | |
学位種別 | 論文博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 第17020号 | |
研究科 | ||
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本研究では、日本の酪農市場に関わる4つの実証テーマを取り上げ、産業組織論の系譜の中の最も新しい領域に位置づけられる新実証産業組織論(New Empirical Industrial Organization、以下「NEIO」と略す)に基づく各種アプローチを適用して分析を行う。各アプローチについては、各々の実証テーマの必要性に応じて選択されるとともに、前章において足かせとなった手法的課題を克服する観点から、次の章のアプローチが選ばれる形で展開している。これらの分析全体を通じた本研究の第一義的な目的は、NEIOによる実証アプローチの有効性、可能性、および課題を確認し、それにより寡占モデル研究の更なる学術的展開に一つの貢献を成すことである。 また、食料・農産物部門というのは、本来明らかに寡占分析の対象と考えられても、完全競争の分析枠組みが便宜的に適用されるのが近代ミクロ経済学における一般的な取り扱いとなっており、特に、生産者側が農協の共販機能を通じて寡占的市場支配力をもち得ることを考慮した実証分析の蓄積はまだ非常に少ない。さらに、商品が非常に細分化されており、必要な詳細データの入手が極めて困難であるという制約もあるため、分析の手がつけられていない興味深い実証テーマが食品市場には山積している。このように、寡占分析の対象としてはまだ新規な部門において、先行的な分析事例を提供することを通じて寡占研究の基礎を築くということも、本研究を進める上でねらいとする部分である。 本研究の第1章では、伝統的な寡占モデル分析において最も多く用いられるクールノー型競争に基づくモデルを用いる。クールノー型競争とは同質財市場において数量を戦略変数とする競争であり、これにより、従来は完全競争と仮定されることが多かった農業生産者が、酪農協を通じて寡占的市場支配力をもち得る状況を定式化し、日本の生乳需給モデルの再構築に取り組む。このモデルは、日本の酪農において乳量増加ホルモン剤(rbST)が仮に認可された場合の生乳需給へのインパクトを分析するために用いられる。酪農協の寡占力を考慮しているため、完全競争分析を行う場合に比べて乳価下落への影響が緩和されることは分析以前に明らかなことであるが、本分析の結果によれば、rbSTのように市場インパクトが非常に強い新技術が導入されると、酪農協の寡占力をもってしても価格を維持することはできず、乳価の急激な下落が生じて、日本の酪農生産基盤が弱体化する可能性が検証される。 だが、生乳市場から川下に降り、飲用牛乳の小売市場における製品差別化や需要の競合関係の実態を分析する場合には、第1章で用いた同質財の数量競争ではなく、異質財の価格競争に基づくモデルが必要となる。第2章では、飲用牛乳の製品差別化をめぐる実証課題に取り組むため、ブランド別の価格の推測変分を考慮した一般化ラーナー指数を活用する。ラーナー指数とはプライス・コスト・マージン率とも呼ばれ、本来は独占企業の市場支配力を示す定量指標であるが、本分析ではこれを寡占企業の場合に適用可能なように一般化したラーナー指数を試算し、その結果をベースに、分析対象ブランド間の需要の競合や寡占的価格設定の特徴を検討する。ここでの実証テーマは、日本人の牛乳離れの要因として指摘される乳飲料と牛乳との競合関係の検証が中心となる。 ただし、第2章の分析では、6財モデルの推計に伴う識別問題のために、価格の推測変分をデータから直接推計する試みを回避している点で問題が残る。そこで、第3章では市場構造をアプリオリに仮定せず、直接的に推計するため、分析対象を2財として価格の推測変分パラメターを組み込んだ一般化ベルトラン・モデルを展開する。その推計においては、従来の同様の分析では避けられていた同時推定法の適用を試み、従来の推計法と比較した同時推定法の有効性についても議論する。また、ここでの実証テーマは、寡占的価格設定を考慮しない従来の需要分析では実証の裏付けがとれなかった、牛乳と乳飲料ブランドの間の競合や製品差別化をめぐるいくつかの疑問点について解明を行う。例えば、牛乳が乳飲料よりも一般に安く売られているのはなぜか、また、牛乳はしばしば特売の対象とされるのはなぜか、といった疑問への回答が本分析結果から示唆される。 以上の3つの分析は、いずれも同業者間の「水平的」競争度に焦点を当てるが、現実に市場成果を左右している競争構造は水平的競争だけではなく、売り手と買い手の双方が寡占力をもつ双方寡占の場合の「垂直的」競争度も強く影響していると考えられる。そこで、第4章では、NEIOの下でもまだフロンティアの領域となっている双方寡占下における垂直的競争度の推計に取り組む。分析対象は、我が国の飲用牛乳取引に関わる酪農協、乳業メーカー、およびスーパーマーケットの3者であり、本分析で推計するのは、これらの3者の水平的競争度に加えて、「酪農協」対「メーカー」(=生処間)、および「メーカー」対「スーパーマーケット」(=処販間)の2段階における垂直的競争度である。その結果から、第一に、スーパーマーケットは同業者間でほぼ完全競争状態に近い激しい水平的競争にさらされているが、メーカーに対しては圧倒的に優位な取引交渉力をもつため、もし処販間の交渉力バランスが均衡した状態で取引を行えば、価格水準は現状よりも高くなる可能性が示唆される。第二に、生処間においては推計値に幅があり、ほぼ対等か、もしくはメーカー側が酪農協に対して圧倒的に優位であるという、多くの牛乳取引関係者の実感に基づく指摘にも一致した結果が得られる。また、この結果は、現在の世界的な飼料穀物価格の高騰により日本の畜産経営が危機的な状況であるにもかかわらず、乳価がなかなか引き上げられない理由について、垂直的競争構造に基づく定量的な説明を可能にすると考えられる。 さらに、垂直的競争度の計測手法を確立することは、国際貿易交渉や開発問題における喫緊の課題に対しても、新たな分析枠組みや問題解決の糸口を提供するものと期待される。例えば、アジアなどの発展途上国では、輸出業者や中間の流通業者の市場支配力が強いために、農産物等の輸出価格が上昇しても、それが農家に十分還元されないという実態があり、農家の貧困解消の大きな障害になっていることがしばしば指摘される。しかしながら、途上国の農産物市場における垂直的競争の実態を数量的に特定し、どの段階に問題が生じているのか等を実証した研究はほとんどない。こうした課題に対して一般にオーソライズされた分析手法を確立することにより、WTO(世界貿易機関)下の自由化交渉、途上国の貧困問題、開発問題等の議論に対して、より実践的な経済学的知見を提供することが可能になると期待される。 以上の議論を踏まえ、終章では、本研究を引き続き展開していく上での残された課題、およびNEIO研究の今後の展望等を整理する。 | |
審査要旨 | 「日本の酪農市場の寡占構造に関する実証研究」と題する本研究は、日本の酪農市場に関わる4つの実証テーマを取り上げ、新実証産業組織論(以下「NEIO」と略す)に基づく各種アプローチを適用して分析を行ったものである。本研究の目的は、NEIOによる実証アプローチの有効性、可能性、および課題を確認し、それにより寡占モデル研究の更なる学術的展開に一つの貢献を成すことにある。 第1章では、伝統的な寡占モデル分析で最も多用されるクールノー型モデルを用い、従来は完全競争と仮定されることが多かった農業生産者が、酪農協を通じて寡占的市場支配力をもち得る状況を定式化し、日本の生乳需給モデルの再構築に取り組んでいる。このモデルは、日本の酪農において乳量増加ホルモン剤(rbST)が仮に認可された場合の生乳需給へのインパクトを分析するために用いられ、その結果、rbSTのように市場インパクトが非常に強い新技術が導入されると、酪農協の寡占力をもってしても価格を維持できず、乳価の急激な下落が生じて、日本の酪農生産基盤が弱体化する可能性が検証された。 だが、飲用牛乳の小売市場における製品差別化や需要の競合関係の実態を分析する場合には、同質財の数量競争ではなく、異質財の価格競争に基づくモデルが必要となる。そこで、第2章では、飲用牛乳の製品差別化をめぐる実証課題に取り組むため、ブランド別の価格の推測変分を考慮した一般化ラーナー指数を活用し、その結果をベースに、分析対象ブランド間の需要の競合や寡占的価格設定の特徴を検討している。ここでの実証テーマは、日本人の牛乳離れの要因として指摘される乳飲料と牛乳との競合関係の検証が中心である。 ただし、第2章の分析では、6財モデルの推計に伴う識別問題のために、価格の推測変分をデータから直接推計する試みを回避している点で問題が残った。そこで、第3章では市場構造をアプリオリに仮定せず、直接的に推計するため、分析対象を2財として価格の推測変分パラメターを組み込んだ一般化ベルトラン・モデルを展開し、その推計においては、従来の同様の分析では避けられていた同時推定法の適用を試み、従来の推計法と比較した同時推定法の有効性について議論している。ここでの実証テーマは、例えば、牛乳が乳飲料よりも一般に安く売られているのはなぜか、といった、寡占的価格設定を考慮しない従来の需要分析では実証の裏付けがとれなかった、牛乳と乳飲料ブランドの間の競合や製品差別化をめぐるいくつかの疑問点の解明である。 以上の3つの分析は、いずれも同業者間の「水平的」競争度に焦点を当てるが、現実に市場成果を左右している競争構造は水平的競争だけではなく、売り手と買い手の双方が寡占力をもつ双方寡占の場合の「垂直的」競争度も強く影響している。そこで、第4章では、NEIOの下でもまだフロンティアの領域となっている双方寡占下における垂直的競争度の推計に取り組んでいる。分析の結果、第一に、スーパーマーケットは同業者間でほぼ完全競争状態に近い激しい水平的競争にさらされているが、メーカーに対しては圧倒的に優位な取引交渉力をもつため、もし処販間の交渉力バランスが均衡した状態で取引を行えば、価格水準は現状よりも高くなる可能性が示唆されている。第二に、生処間においては推計値に幅があり、ほぼ対等か、もしくはメーカー側が酪農協に対して圧倒的に優位であるという、多くの牛乳取引関係者の実感に基づく指摘にも一致した結果が得られている。 この結果は、現在の世界的な飼料穀物価格の高騰により日本の畜産経営が危機的な状況であるにもかかわらず、乳価がなかなか引き上げられない理由について、垂直的競争構造に基づく定量的な説明を可能にすると考えられる。さらに、垂直的競争度の計測手法を確立することは、国際貿易交渉や開発問題における喫緊の課題に対しても、新たな分析枠組みや問題解決の糸口を提供するものと期待される。例えば、アジアなどの発展途上国では、輸出業者や中間の流通業者の市場支配力が強いために、農産物等の輸出価格が上昇しても、それが農家に十分還元されないという実態があり、農家の貧困解消の大きな障害になっていることがしばしば指摘される。しかしながら、途上国の農産物市場における垂直的競争の実態を数量的に特定し、どの段階に問題が生じているのか等を実証した研究はほとんどない。こうした課題に対して一般にオーソライズされた分析手法を確立することにより、WTO(世界貿易機関)下の自由化交渉、途上国の貧困問題、開発問題等の議論に対して、より実践的な経済学的知見を提供することが可能になると期待される。 以上を要するに、本論文は、日本の酪農市場の寡占構造に関する実証分析を通じて、NEIOのフレームワークにおける様々な手法を食料・農産物市場分析に適用する有用性と問題点とを明らかにしたものである。また、推測変分モデルを実際に計測することを通じて、現実の市場構造と市場成果の定量的関係性について有用な知見が得られている。食料・農産物市場の分析において推測変分モデルを適用した既存研究が、国内ではまだ希少である点も評価されてしかるべきである。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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