学位論文要旨



No 217029
著者(漢字) 手塚,洋輔
著者(英字)
著者(カナ) テヅカ,ヨウスケ
標題(和) 過誤回避の行政と責任分担の政治 : リスク管理行政の構造分析
標題(洋)
報告番号 217029
報告番号 乙17029
学位授与日 2008.10.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17029号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御厨,貴
 東京大学 教授 玉井,克哉
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 金井,利之
 東京大学 客員教授 牧原,出
内容要旨 要旨を表示する

リスク管理行政に代表される不確実性下における意思決定においては,「するべきだったのにしなかった」という「不作為過誤」と,「するべきでなかったのにしてしまった」という「作為過誤」の2 つの過誤が生じうる。その一方で,不作為過誤と作為過誤を同時に回避することはできないというディレンマ状況,つまり「過誤回避のディレンマ」もあるため,どのようなリスク管理の制度を構築したとしても,過誤から免れることはできないという問題がある。この意味で,行政国家化の進展と軌を一にして展開されてきたリスク管理行政の特質は,実はきわめて脆弱で不安定な構造にあるということができる。

だとすれば,なぜ行政がリスク管理の中核を担いえたのかこそが問われるべき課題となろう。言い換えると「過誤回避のディレンマ」を克服するしくみをいかにして構築したのかである。本稿は,こうした関心から「過誤回避のディレンマ」というこれまでほとんど政治学において用いられてこなかった観点を導入し,新しいアプローチによってリスク管理行政の構造に接近しようとする試みである。

具体的には,次のような分析枠組みを提示した。(1)過誤回避のディレンマゆえに,行政は意思決定や制度設計に際して,作為過誤を回避するか,不作為過誤を回避するかのいずれを重視するかを選択しなければならない。(2)したがって,そうした過誤回避の選択は,行政にとってみれば,生じうる過誤によって帰責されるか否かに強く影響される。(3)そして,帰責のされ方は,決定と責任の範囲について,関係するアクターにどのように分担するかという責任分担の有り様と密接に関係し,行政がどの範囲で決定と責任を引き受けられるかは,行政が保有する専門性と執行能力によって限界づけられる。(4)さらに,従来軽視してきた側の過誤についても,それを問題視し「政治化」させようとする対抗勢力が出現すれば,重大な「過誤」として顕在化させることにもつながり,その結果として,新たな帰責をめぐって対立が生じる。以上の経緯を経て,帰責に応じて責任の再分担を行われるとともに,過誤回避の指向性の再選択されると考えられるのである。

第1 章から第4 章では,このような分析視角をふまえ,事例研究として,戦後の予防接種行政を素材に歴史的展開を跡付けた。ここで予防接種を選択した理由は,(1)国民全体を対象とし,身体への侵襲を伴うなど,権力性が強いにもかかわらず,これまでほとんど研究対象とされてこなかった行政分野であることや,(2)感染症の予防(不作為過誤回避)と副作用の防止(作為過誤回避)の狭間で,制度を選択しなければならないという点で「過誤回避のディレンマ」の典型例であるだけでなく,(3)その責任をめぐり,関係アクター間での分担が問題となってきたからである。とりわけ強制の是非は,公的な責任領域を考える上で格好の材料を提供している。

まず,1948 年,GHQ の占領政策の一環として成立した予防接種法は,軍事的色彩が強く,不作為過誤回避と,GHQ の威光による強い強制によって特徴付けられ,世界を見ても,その強制性と広汎性では類を見ないしくみであった。まずはここを戦後予防接種制度の起点としてとらえることが可能である。ここでは,作為過誤回避するほぼ唯一のしくみであった国家検定さえ機能していれば問題ないと考えられており,副作用の多くは「特異体質」として処理されるなど,作為過誤の問題は顕在化しえなかった(第1 章)。

占領終結後,軍事色の強かった予防接種を戦後日本社会の中に組み替えて浸透させていく必要があった。この時期は,腸チフスなどの伝統的な感染症が影を潜め,その代わりにこれまで対応できなかった感染症に新しくワクチンが開発されていく,そのような時代でもあったのである。そこでは諮問機関による意思決定が制度化され,政策根拠の一元化がはかられるとともに,強制接種を背景としつつもいかに自発的服従を確保するかが大きな問題となった。そのため,この時期には,しばしば法が想定しないような特別対策や混合ワクチンという形で事実上の定期接種化がなされ,学校での集団接種や母親への啓蒙強化など,さらには接種の無料化の普及によって予防接種が定着していくのである。制度制定当初から予防接種制度を特徴付けてきている不作為過誤回避指向は堅持されていた。そうした傾向は,ポリオの生ワクチン導入過程でも先鋭的に立ち現れるとともに,当時は集団接種の現場でも広汎に見られたのである(第2 章)。

だが,そうした過誤回避構造は,1960 年代後半になると変容を余儀なくされた。作為過誤が顕在化したのである。まず,被害者レベルで,副作用被害の「政治化」が企図されるようになる。すなわち,それまで「特異体質」として甘受していた健康被害が,実は予防接種に不可避のものであって,医師や行政へ帰責できる性質のものとして認識されるようになったのである。そして,予防接種事故に関する訴追が接種医師に対してなされるようになると,医師会を中心として行政に対し医師の免責を強く要求し,行政と医師との責任分配のあり方が争点化された。一方,厚生省も,種痘禍問題を直接の契機として,無過失責任による救済制度を暫定的にせよ創設し,不可避に発生する作為過誤への懸念を解消しようと試みるに至ったのである。ただ,この段階ではあくまで作為過誤は回避するべきものというよりは不可避だから救済するという方向ことに留意する必要がある。すなわち,それまで個人の特異体質として放置されていた健康被害を「予防接種に不可避なもの」として包摂し,不作為過誤回避的指向を維持しつつ,公的責任を拡大する方向で責任分配の再画定がはかられたのである(第3 章)。

しかしながら,こうした公的責任の拡大による安定化は長くは続かなかった。まず,不可避な作為過誤が,管理するべき対象として再定義されたのである。予防接種禍訴訟を通じて,予防接種事故は単なる不可避なものではなく,行政の過失に起因するとの主張が被害者原告よりなされるようになり,最終的に国の施策上の過失が認定され,集団接種体制の不備によって回避できたはずの副作用(作為過誤)が生じたと指摘されたのである。他方,インフルエンザ・MMR への対応で明らかになったように,地域の医師会から厚生省と異なる科学的な根拠が出され,厚生省の諮問機関の一元性が崩れた。それによって決定根拠の調達が困難となったため,同意接種方式への導入によって責任分配の再画定が模索され,強制接種体制は,事実上終焉を迎える。これらを背景に進められた94 年改正では,強制接種から勧奨接種へ,集団接種から個別接種へという政策転換が行われた。作為過誤回避と不作為過誤回避の狭間にある予防接種行政は,公的責任の縮小へと一転し,予防接種実施の最終判断を保護者の同意に委ねるとともに,ワクチンの選定についても決定回避傾向を強めるに至ったのである(第4 章)。

最後に,結語において,本論での議論を総括し,過誤回避のディレンマへの対応形態の析出をするとともに,その意義について考察を行った。まず第1 に,戦後予防接種行政は,作為過誤の態様に応じて,潜在の時期・不可避の時期・回避可能な時期という3 つの時期に区分することができることを示した。そして第2 に,責任分担の問題が,そうした転換を促進した要因である旨を指摘した。すなわち,1970 年前後に起きた(1)から(2)への変化は,「補償」を中心とした公的責任の拡大という形で責任分担の再画定が行われたのに対し,1990 年前後に惹起した(2)から(3)への転換は,「責任の分散」によって公的責任の縮小の方向で再画定したのである。

さらに,これら「潜在化」・「補償」・「責任の分散」はそれぞれ過誤回避のディレンマを回避する方策に照応する。敷衍すると,過誤回避のディレンマの中では,対抗する過誤を潜在化させられる場合あるいは補償等によって中和させるような方策をとることができる場合には,過誤回避のディレンマが表出することが少ないため,行政の責任領域を拡大が可能となる。その一方で,それが顕在化してしまうと「責任の分散」戦略に見られるように,行政の責任領域を縮小へさせるへと大きく転回させることによって,過誤回避のディレンマから逃れようともする。そして,この「分散」戦略が示唆するのは,行政に対する作為過誤・不作為過誤両方に対する過誤回避の期待水準が高まるほど,自らの役割を限定させて,他に決定と責任を委譲しようとする逆説的な関係なのである。

審査要旨 要旨を表示する

本稿はリスク管理行政における意思決定に際し、「不作為過誤」と「作為過誤」の2つの過誤に着目し、この2つを同時に回避できない「過誤回避のディレンマ」をいかに克服するしくみを、日本の行政が構築したかについて、新たな政治学及び行政学の理論と、予防接種行政の歴史的展開との2側面から考究した試みである。以下理論的貢献と実証的貢献に分けて審査過程を記述する。

まず理論的貢献について、「過誤回避のディレンマ」というKey Wordについて、議論が集中した。著者は、「過誤回避のディレンマ」があるからこそ、行政は自らの決定に際して作為過誤の回避か、不作為過誤の回避かのいずれかを選択しなければならないと主張する。これに対して、作為過誤と不作為過誤は同時にはおこらず、程度問題ならばディレンマとは言えないのではないかとの反論がなされた。著者は、マクロレベル、ミクロレベルでの作為過誤と不作為過誤の問題が分別されていないことを認めつつ、行政当局の土俵にのらぬためには、ディレンマ論の先に何がしかのブレークスルーがあることを、本稿が射程距離に入れていることを主張した。これに対して、ディレンマ論は、科学社会論への応用が可能であり、リスク管理論の中でのマクロな意味とミクロな問題とのつながりを示唆しており、本稿はその点で評価できるとの見解が示された。また著者の見方が行政当局側に力点を置いていることに対しては、これまでは被害者の見方に立った研究が主流だったが、行政の論理を戦後の予防接種行政という具体例を通して一貫して追究した点が高く評価された。その上で、1994年接種法改正が、プロフェッションによる小政治と、市民・世論・社会による批難の政治をのりこえ、厚生大臣を主とする政治家の政治判断によって、公的責任に結着をつけた過程の解明が、評価を得た。総じて過誤を構築主義で組み立て、社会理論が社会学に対応するように、過誤理論を行政学に対応させた点がユニークとされた。また学者の瑣雑な議論や政治行政と業界との利権がらみの話を必要としない構成のため、予防接種行政の事例に止まらず、この論理の他の行政学の事例への射程距離の長さ、応用範囲の広さが指摘され、著者の今後の伸びが期待された。

歴史的実証については、戦後の予防接種行政を四つの時代に区分して叙述している。第1章では、1948年の予防接種法の成立の過程を、GHQの占領行政との関連の中で位置づける。副作用被害は個人の特異体質として処理され、いずれの過誤回避も不作為過誤回避的指向であった。第2章では独立後、1960年初頭に争点化したポリオ問題を事例に、不作為過誤回避と作為過誤回避の対立を検討する。最終的に軍事的色彩の強かった予防接種制度の戦後日本への定着過程を明らかにしている。第3章では、1967年前後から作為過誤の顕在化が急速に進展した過程を、国民のレベルと医師のレベルから解明する。そこから無過失責任による「救済」の必要性の論議が噴出し、最終的に1976年の予防接種法の抜本的改正へと結実する過程をダイナミックに描く。第4章では、戦後長らく続いてきた義務接種・集団接種による予防接種制度が、1994年の接種法の再改正によって勧奨接種・個人接種へと画期的に転換する過程を分析する。それには、80年代から90年代にかけてのインフルエンザとMMRに関する議論の広がりと、1992年の被害者訴訟における東京高裁判決と上告断念が影響を及ぼしていたと説く。これらの歴史的整理は、妥当であり説得的であると評価された。

また資料の点で、第1に法レベルの制度改正について、国立公文書館での公開され始めたばかりの資料へのアクセス、さらに情報公開制度をフルに活用しての内閣法制局による法令審査資料を駆使したこと、第2に医師レベルに関しては、医学雑誌の記事や医師会機関誌への徹底的な読みこみを行ったこと、第3に国民レベルでは、育児書・育児雑誌まで手広くあたったこと、第4に訴訟記録を判決ではなく、証人尋問にスポットをあてて利用したこと、第5にオーラル・ヒストリーの手法を用いて、現場の声の把握に努めたことが、いずれも高く評価された。

著者は、この5年間、先端研の「安全安心と科学技術人材養成プロジェクト(科学技術振興調整費)」に携わっており、ここでの経験が、自ずと著者の行政学・公共政策学的関心を科学技術論にむける契機となった。いわば安全安心の人材養成に携わりながら、本人自身もまたその学術的人材として養成された幸運にして稀なケースである。この点は、主査によって特筆すべきこととして一同に認められた。

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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