学位論文要旨



No 217030
著者(漢字) 木村,周平
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,シュウヘイ
標題(和) 社会の災害的編成 : トルコ、イスタンブルにおける、地震災害をめぐる知識・政策および社会関係についての人類学的研究
標題(洋)
報告番号 217030
報告番号 乙17030
学位授与日 2008.10.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17030号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 福島,真人
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 准教授 岡本,拓司
 東京大学 准教授 木村,忠正
 東京外国語大学 教授 大塚,和夫
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、トルコ共和国、主にイスタンブルを対象に、自然災害という問題に関わる諸活動を民族誌的に記述し、そこにおける「社会的なもの」のあり方について考察するものである。それは災害というものを取り巻いて編成される、社会のひとつのあり方である。災害は、文化/社会人類学にとって中心的なテーマであったことはない。しかし、災害という問題は、自然/社会、過去/未来、科学/社会という、人類学にとってきわめて根本的な問題系に関わるものであり、その意味で人類学にとって重要な研究対象となりうるし、同時に質的な記述によって現地で展開する複雑なプロセスを記述することは、従来の自然科学や工学による災害研究にとっても大きな意味をもつといえる。

本論文のもとになる調査は 2004 年から2007 年の間に行われた。そのため、1999 年に近隣の県を震源とする大きな地震災害が発生したあと、イスタンブルを近い将来大きな地震が襲うという予測がなされ、そのことが住民一般にも広く知られている状況、いわば過去と未来の災害の間というありかたが、本論文における「民族誌的現在」を特徴づけている。本論文の目的は、この状況において、住民の間での協働的な活動がどのように立ち現れ、展開されているのか、またどのような問題に直面しているのか、についての布置を示すことにある。

本論文は、序論と結論および、3 部7 章の事例部分から構成されている。まず第1 章は「序論」として、上記のような本論文の目的および人類学的な災害研究の意義について述べたあと、先行研究を批判的に検討する。従来の研究は個別の災害の復興過程や、文化化された災害対応(災害下位文化とも呼ばれる)を扱ってきたが、途上国における災害対応が介入すべき問題として、いわゆる開発のなかに包摂されていくことを受け、1980 年代頃、「脆弱性(vulnerability)」という概念が提示されることになる。これはトップダウン型の、画一的な災害対応および開発に対する批判として現れたものであり、災害で発生する被害を日常の社会のあり方との連続性のなかで捉え、そうした開発が弱者をエンパワーするどころか、既存の格差を拡大しているだけである、ということを主張するものであった。

1990 年代にはこの「脆弱性」論に対して、それが当事者を受動的に捉えていたという批判から、筆者が「コミュニティの主体性」と呼ぶ議論が現れてくる。これは、「コミュニティ」というものがもつ、主体的な対応能力に目を向け、外からの介入によって防災を行うのではなく、彼らの対応能力を高めることを目指すべきだ、というものである。

これに対して筆者は、そこで前提とされている「コミュニティ」というものに対して疑問符を附す。現地における(それが何と呼ばれるのであれ)人々のまとまりはありうるが、それがいかに災害と関わるのか、あるいは災害と関わるような人々のまとまりはどのようなあり方をしているのかについての十分な検討が欠けているためである。それゆえ必要になるのは、社会関係が現地でどのように張り巡らされているかを理解すること、そのうえで、それがどのように災害という問題と関わるのかについて考察することである。

本論文で筆者は「コミュニティ」に代わって、未来の災害に向かって何らかの活動をしている人々のまとまりを指す言葉として「社会体」という語を採用した。ここでこの新しい語をあえて用いるのは、人々の集まりが様々な形態や規模のあいだを行き来しうる可能性に注目したいためである。つまり筆者は、この社会体という言葉で、コミュニティや住民組織、ネットワーク、あるいはトルコに固有の集団形態などを枠組として捉えられてきた、広い範囲での未来の災害に向けた集合的な活動の領域を切り開く様々な人々の集まりを、ひとつながりの議論のなかに収めることを目指しているのである。現地においては、社会体が、例えば行政的な地域区分と関わりをもてば「コミュニティ」と名乗り/呼ばれうるだろうし、制度化すればNGO やアソシエーションともなりうるだろう。本論文で論じられるのは、こうした社会体の活動やその条件である。

第 2 章からは事例部分になる。第2 章と第3 章から構成される第1 部「社会体の位置」では、未来の災害に向けた集合的活動の前提となるべき問題について検討される。そこで主張されるのは、本論文で言う災害に関わる社会体の形成と活動が、つねに国家や科学との関わりのなかにあり、その影響を受けていることである。具体的には、まず第2 章で19世紀末から1999 年の災害に至るまでのおよそ100 年間のトルコの災害対応の歴史があとづけられ、それに基づいて現在の社会体の位置づけが示される。つづいて第3 章では、人々の間に流通する科学的知識がどのようにして生み出されるかが地震観測所を事例に示され、そのうえで1999 年の災害後にどのように流通したかが論じられる。

第 2 部「社会体の領域」は、第4 章、第5 章、第6 章から構成される。そこでは1999 年から2005 年頃において、社会体がどのような要素によって構成され、またそこではどのような活動が行われたかが記述されるが、第2 部で特に中心になるのは、1999 年の災害後の復興から防災への移行期における社会体の形成と活動の困難さである。第4 章では、行政の防災プロジェクトを検討し、いかに未来の災害が介入可能な問題へと転換されたかが分析され、そこでは輸入された「住民参加」という概念がうまく現地に適応できなかったことが議論される。それを踏まえ、第5 章では災害に向けた社会体が検討されるが、とりわけ1999 年の災害直後に立ち上がった「市民社会」と呼ばれた被災地支援活動が、日常的な社会関係のネットワークとの関わりから論じられる。そして第6 章で示されるのは、未来の災害に関わる知識の問題である。1999 年の災害ののち、様々な防災教育が行われたが、それは十分な防災実践とは結びついていない。そこからは災害リスクを社会のレベルでの問題として捉えることの難しさが示される。

これに対して、第7 章と第8 章からなる第3 部「社会体の可能性」では、未来の災害をはじめから念頭に置いた活動を検討するが、そこでもやはり、社会体の持続的な活動におけるジレンマや問題が目につく。第7 章ではそれを「ボランティア(gonullu)」という概念との関わりから明示化する。そして第8 章では、そうしたジレンマを試行錯誤的に乗り越えて活動を展開しつつある、ひとつの社会体について事例を示す。

そして第 9 章では、以上の議論を踏まえ、結論として本論文から明らかになったこととして、以下のような点を示す。(1)法制度上、災害という問題は「現在」に至るまで公共の問題として政府が対応するべきものだと見なされてきたが、本論文において繰り返し転換点として扱われる1999 年の災害において、政府の事後的な対応が遅れ、その一方で市民社会組織が活躍したことで、はじめて政府ではない、社会のレベルでの主体の活動が認知されるようになったこと、また(2)地震国トルコの文脈において、防災や減災など、未来の地震というものを対処すべき(対処しうる)問題として捉えることは、むしろ近年になってようやく重要性を増してきたのであり、そこには近年の災害に関わる科学研究の発展の成果が大きな役割を担っていること、(3)イスタンブルは2600 年という長い歴史をもつにもかかわらず、生活環境という意味では実はこの50 年ほどの比較的短い期間に起きた急速な人口増と、それに伴う相互に絡み合った様々な分野での変化(都市範囲の拡大、アパルトマンの増加、住民組織の形成、地方政治におけるやり取り、建設施工業者の活動、左右対立、経済危機など)のプロセスによって「現在」の状況が作り出されたのであり、上で述べたような科学的な知識や情報は社会のレベルでの活動のあり方にも関与していること、(4)そうしたことを考えてもイスタンブルでは、少なくとも災害という文脈において、人々のまとまりとして「コミュニティ」あるいは「地域社会」という枠組みを適切だと見なしがたいこと、(5)日常的な社会関係は、計画において要請されるような、一体となって集合的な活動をする「まとまり」としてよりも、むしろ情報やモノのやり取りのネットワークとしてあり、そのネットワークは行政区分やその他の空間的な枠組みによって限定されないということ、そして(6)イスタンブルにおいては社会関係のネットワークやそれにもとづく協働的行為(imece)は存在するが、「未来の災害」という問題が、必ずしもそうした協働的行為の対象になりうるわけではなく、この問題を人々が協働することで乗り越えていく、というような姿勢が生まれにくくなっていたこと、である。

以上から明らかになるのは、「未来の地震」を問題化することの難しさと、さらにそれに対して協働的に取り組むことの難しさである。社会体が「未来の地震」について活動することを妨げる様々な要因が存在し、活動を持続するためにはそうした問題とうまく折り合いをつけなければならないのである。言い換えるなら、「未来の災害」に向かう社会体は、「ボランティア」やリソース、知識、未来像など、複数の要素の組み合わせによってはじめて存在しうるのであり、そしてそれらの諸要素の社会体への結びつきが持続するためには、様々なジレンマがひとつひとつ乗り越えていかれねばならない、ということである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、トルコ・イスタンブールを拠点として、地震をめぐる科学的知識と、行政組織、そして住民による自発的な組織の生成のあり方を、長期的なフィールドワークに基づいて分析した民族誌的な研究である。この論文では将来災害が予想される地震についての科学的予測を中心として、関連する地震学者、行政、そして住民がその未来に対して,いかに反応してきたか、その過程が詳細に記述されている。

人類学的な文脈における災害研究は、被災地の文化的特性を強調する議論が主流であり、それに対しコミュニティという概念が対抗する枠組みとして浮上してきた。しかし木村氏はこの概念がもつ固定的な性格を批判し、未来に向かって開かれた特徴をもつ集団として社会体という概念を提唱する。この概念を軸に、本論文では、地震学、行政、住民組織という大きく分けて三つの部分の相互関係が分析の対象となる。第1部は地震学者の活動、地震測量所における地震学的知識の構成およびその伝播のプロセスが詳細に記述される。トルコにおける地震研究所の日常的活動が描写されると同時に、そこで生じる地震学的知識がメディアを通じて独自の変容をする様子が興味深い。第2部はそれに対応した行政側の対応(都市計画、トルコ都市部における人間関係、行政を中心とした防災教育のあり方等)が描かれるが、行政の重要性が強調されるのにも関わらず、木村氏の調査によれば、その活動はさまざまな問題をもたざるをえない。そして第3部ではこうした行政組織とは別のボランティア組織が自発的に立ち上がってくる、そのダイナミズムが詳細に記述される。

本論文は、従来の人類学的な災害論が、比較的閉じた農民社会をモデルとして、そこにおける脆弱性やコミュニティの自律性を強調してきたのに対して、その基本概念を一新する新たな構図を打ち立てようと挑戦している。そのための観察拠点を、地震学、行政、そして住民組織と複合的に設定して、それぞれが相互作用するあり方を、民族誌的な細密さやトルコ社会の独自性を見失わずに記述しようと試みている。この試みにおいて、従来の災害研究の限定された枠組みを大きく革新する可能性があるという点で審査員の意見は一致した。また科学史の観点からいっても、従来の行政中心の防災対策から、新たな住民中心の活動への転換点として、1999年の災害が特定され、その歴史的な役割とインパクトを科学的知識と絡めて分析した点が高く評価された。また組織論的にも、災害にまつわる社会的編成の問題を、過去における歴史的なコミュニティの形成ではなく、未来に起こりうる事象を中心として編成されるもの、として論じるというのは、新たな観点であり、住民組織だけでなく、政府の働きや情報の流通の仕方への着目も高く評価された。

いくつかの問題点も指摘された。特にブルデューによる社会体(corps sociaux)という概念が、果たして新たな理論的認識を導きうるのか、それとも単にボランティア集団、NPOといった都市型のゆるい組織体を総括しているにすぎないのかは、判然としない点もあり、この点についてはさらなる理論的な彫琢が必要であろうとされた。 また地震学を中心とした科学者集団についても、トルコでの彼らの歴史的、文化的な特性や社会的地位の分析が不十分であり、更なる探求が必要であるとされた。また中東の社会人類学的な研究史の背景からいえば、トルコ社会を含めたより伝統的な社会集団や社会関係のあり方と、ボランティア型集団の関係、あるいは科学的知識を受け止める社会側についても、学歴による理解の違いや、階級格差といった問題等も、これからの課題として残された。

こうした指摘はあったが、全体としては、木村氏の論文は新たな領域に果敢に挑戦する刺激的な論文であり、今後の可能性も大きいものであるという点で審査員の意見を一致した。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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