学位論文要旨



No 217036
著者(漢字) 川上,和人
著者(英字)
著者(カナ) カワカミ,カズト
標題(和) 小笠原群島におけるメグロ個体群の現状と個体群存続に影響する要因
標題(洋) Anthropogenic effects on the population status and viability of the Bonin Islands White-eye, Apalopteron familiare
報告番号 217036
報告番号 乙17036
学位授与日 2008.11.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17036号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,広芳
 東京大学 教授 富樫,一巳
 東京大学 准教授 宮下,直
 東京大学 准教授 加藤,和弘
 首都大学東京 准教授 鈴木,惟司
内容要旨 要旨を表示する

海洋島は大陸と陸続きになったことがないため独特の生物相を有し、生物多様性保全の要所となっている。特に、競争種や捕食者の欠如によりニッチの拡大などにもとづく種分化が起きており、一般に高い固有種率を持つことが知られている。その一方で、海洋島の生態系は人為的攬乱に対して脆弱であり、世界各地で環境破壊による生息地の減少や侵略的外来種に脅かされている。小笠原群島は日本を代表する海洋島であり、高い固有率を誇っている。しかし、1830年から入植が始まり、、森林伐採や外来動植物の移入などの人為的影響により、多くの在来種が絶滅の危機に瀕している。

小笠原群島には、もともと4種の固有鳥類が生息していたが、そのうち3種は絶滅し、現在はメジロ科のメグロApalopteron familiareのみが生残している。メグロは、競争者や捕食者がいない環境で進化してきたため、ヒッチの拡大や卵数の減少などが生じており、海洋島で進化した生物として代表的な生態を持っている。本種は、聳島列島と父島列島に生息する基亜種ムコジマメグロと、母島列島に生息する亜種ははジマメグロの2亜種が記載されているが、前者は既に絶滅している。後者は母島列島の有人島である母島、無人島である向島及び妹島にのみ生残している。しかし、母島には移入種であるネコが野生化しており、メグロの捕食者となっている。また、小笠原群島では体サイズや食性がメグロと似ているメジロが移入され、広く野生化しており、資源を巡る競争の影響が心配されている。このような背景から、メグロは保全の必要性が高いと考えられている。そこで本研究では、個体群の現状を把握し、個体群の存続に影響する要因を解明することで、メグロの保全に資することを目的とする。

母島列島内のメグロの分布は不均一で、メグロが生息する島としない島が混在している。このことから、メグロは島間移動を行わず、島ごとに個体群の分化が進んでいる可能性がある。個体群の構造を明らかにすることは、保全単位を議論する上で重要である。そこで、メグロのmtDNAの制限領域及び外部形態を島間で比較し、個体群の構造を解明した。また、個体の移動状況を把握するため、脚環により識別した個体の追跡を行った。この結果、母島と妹島ではmtDNAの制限領域において、それぞれに固有のハプロタイプが見つかったが、向島では広域に分布する単一のハプロタイプしか見つからなかった。また、妹島と向島の集団では、くちばしの形態に違いが見られた。識別個体の追跡調査で確認された個体の移動は、最大でも0. 5kin程度であった。これらのことから、メグロは移動性が低く、島間での交流はほとんどないと考えられた。約2万年前のウルム氷期には海水面が低かったため、母島列島の各島は全てつながっており、メグロの個体群も連続していたはずだが、その後の海面上昇により各島の個体群が独立したと考えられる。現在の不連続な分布は、いくっかの小島で個体群が絶滅したものの、移動性の低さかも新たな個体群が成立しなかったことにより生じた可能性がある。

メグロの分布の中心である母島は有人島であるため人為的擾乱も大きく、個体群の存続が心配されている。また、個体群間の交流が少ないため、特に無人島の小個体群では絶滅め可能性が高い可能性がある。そこで、メグロが絶滅する可能性を評価するため、各個体群め個体数推定を行い、特に小個体群における存続可能性分析(PVA)を行った。まず、環境構造と個体群密度の関係をもとに個体数を推定したところ、母島では約15, 000個体が、向島と妹島ではそれぞれ400-500個体が生息していると考えられた。母島に生息する個体数は十分に多いため、すぐに絶滅する可能性は低いと考えられる。次に、小個体群が100年後に絶滅する確率を、個体群シミュレーションモデルを用いて推定した。モデルには、約10年間の個体識別に基づく野外調査で得られた変数を用いた。この結果、個体数が300個体を下回ると、絶滅しやすくなることが示唆された。このことから、無人島の小個体群は絶滅の可能性が高いと考えられる。また、成鳥の死亡率の増加や、繁殖成功度の低下が生じた場合には、絶滅確率の上昇を招くことが明ちかになった。

成鳥の死亡率を増加させる要因としては、移入捕食者が考えられる。小笠原群島における陸鳥類の捕食者としては、入植初期から野生化しているネコが挙げられる。そこで、ネコの捕食現況を明らかにし、メグロに対する捕食圧を推定した。まず、母島の野外で見つかったネコの糞を分析した結果、糞の10%程度に陸鳥が含まれていた。次に、飼いネコの食痕分析の結果では、捕食された陸島の約7り%がメジロ、約13%がメグロであった。これは、調査対象地である集落周辺の相対生息密度とほぼ一致した。ネコが母島に100頭程度生息し、食物の10%に陸鳥が、陸島の約20%がメグロであると仮定した場合、毎年約1,500個体のメグロがネコにより捕食されT(いる可能性があるが、これは母島の正常な個体群における年間死亡数の20%以下である。このため、個体群全体としては、ネコによる捕食の影響は大きいとは言えない。ただし、採集されたネコの糞及びネコによる捕食痕の残る鳥の死体の分布を調べたところ、ネコは農地や居住地周辺の開放地で密度が高いと考えられた、このため、ネコの捕食圧は島内で一様ではなく、開放地で特に高い可能性がある。一方、繁殖成功度の低下をもたらす原因を明らかにするため、メグロの繁殖失敗の要因を調査した。その結果、気象害による巣の落下や雛の死亡が大きな割合を占めていることが明らかになった。また、ヒョドリによる卵の捕食も確認された。

メグロの個体群に対しては、ネコの捕食による影響だけでなぐ、ニッチが重複する移入種メジロによる食物をめぐる競争を介した影響もあるかもしれない。母島では、移入種であるアノールトカゲやオオヒキガエルの捕食により昆虫類が減少しているため、メグロの利用可能な食物が減少していると考えられる。このような状況下では、ニッチの重なる移入種メジロが、競争を通してメグロの個体群や行動に影響を与えている可能性がある。そこでまず、両種の環境選好と最近の個体群密度の変化を調べた。その結果、メグロは原生環境に近い湿性高木林で、メジロは開放地周辺で個体群密度が高かったが、母島の大部分を覆う二次林では、同程度の密度で生息していた。また、メジロの個体群密度は増加傾向にあるものの、メグロの密度は安定していることが明らかになった。次に、メジロがメグロの食物利用、空間利用に与える影響を評価した。その結果、両種の食性は類似していたが、メジロの影響でメグロの採食内容が大きく変わることはなかった。ただし、メジロが生息する場所では、メグロが森林の上層を利用する頻度が減少した。以上のことから、メジロの存在はメグロの個体群や行動に大きな影響を与えていないと考えられた。

前述の通り母島ではメグロの食物となる昆虫が減少していると考えられるにも関わらす、メグロとメジロは深刻な競争を伴わずに共存していた。この理由を推定するため、昆虫の移入捕食者が生息しない無人島と母島の間でメグロの食性を比較した。その結果、メグロは母島において外来植物果実を頻繁に採食することで、植物質の採食割合を増加させていた。移入果実という豊富な資源を利用することで、メジロとの競争が生じなかったのかもしれない。

メグロの個体群は島により遺伝的な差異が見られたため、それぞれの島の個体群を保全単位として扱う必要があると考えられる。各島の個体群の遺伝的固有性を考えるとご個体の人為的な島間移動は望ましくない。 PVAの結果、現在の環境が維持されれば、メグロが近い将来に絶滅する可能性は低いと考えられたが、個体群サイズが小さぐなると、絶滅の確率が大幅に増加した。無人島では個体数の少なさから相対的に絶滅しやすいと考えられるため、個体群をモニタリングしていく必要がある。特に向島は遺伝的多様性が低く、また過去にはネコの野生化も観察されているため、この島でのモニタリングの必要性が高いと考えられる。

メグロの遺伝的多様性の維持のためには、過去に個体群が絶滅した島に対して再導入を計ることも必要かもしれない。特に、妹島の個体群は遺伝的な固有性を持つものの、個体群サイズが小さいため絶滅の確率が高く、保全の優先度が高い。この島の個体を、過去にメグロが生息した姪島に再導入することは、保全上有効と考えられる。

母島には十分な個体数のメグぱが生息しており、絶滅する可能性は低い。しかし、母島では開発により開放地が増加する傾向にある。開放地は、メグロの密度が低い一方で、ネコの個体数が多い。また、近年は温暖化による気象災害の大規模化が指摘されているが、開放地周辺の森林は気象害の影響も受けやすく、繁殖成功度が低下しやすいと考えられる。このことから、母島でも局地的にメグロの密度が減少する可能性がある。メグロは湿性高木林を好むが、現在の母島ではその面積は限られている。湿性高木林では、移入動物の密度も低く、また構造的に気象害の影響を受けにくいため、二次林を湿性高木林に復元することが望ましい。

審査要旨 要旨を表示する

海洋島は大陸と陸続きになったことがないため固有の生物相を有し、生物多様性保全の要所となっている。特に、競争種や捕食者の欠如により独特の種分化が起きており、一般に高い固有種率を持つことが知られている。その一方で、海洋島の生態系は人為的攪乱に対して脆弱であり、世界各地で環境破壊による生息地の減少や侵略的外来種に脅かされている。

小笠原群島は日本を代表する海洋島であり、生物多様性の保全上の注目を受けている。しかし、1830年から入植が始まり、森林伐採や外来動植物の移入などの人為的影響により、多くの在来種が絶滅の危機に瀕している。小笠原群島には、過去に4種の固有鳥類が生息したが、メグロApalopteron familiare(メジロ科)以外の3種は絶滅している。メグロも聟島列島と父島列島では絶滅し、母島列島の有人島である母島、無人島である向島および妹島にのみ生残している。メグロは分布が限られている上、移入動物などの人為的攪乱に脅かされており、絶滅危惧種に指定されている。本研究は、メグロの個体群の現状を把握し、その存続に影響する要因を解明することで、保全に資することを目的としている。

母島列島内にはメグロが生息する島としない島が混在していることから、本種は島間移動を行なわず、島ごとに個体群が分化している可能性がある。そこで、メグロのmtDNAの制限領域及び外部形態を比較し、個体群の構造を解明した。また、標識個体の追跡により、実際の移動状況を把握した。この結果、母島と妹島では、mtDNAの制限領域に固有のハプロタイプが見つかった。また、妹島と向島の集団では、くちばしの形態に違いが見られた。識別個体の追跡調査で確認された個体の移動は、最大でも0.5km程度で、島間移動は見られなかった。以上より、メグロは島間の交流がほとんどないと考えられた。

母島は有人島であるため人為的攪乱も大きく、個体群の存続が心配されている。また、無人島の小個体群では絶滅の可能性が高い可能性がある。そこで、メグロが絶滅する可能性を評価するため、各個体群の個体数推定を行なうとともに、個体群存続可能性分析(PVA)を行なった。まず、環境構造と個体群密度の関係をもとに個体数を推定したところ、母島では約15,000個体が、向島と妹島ではそれぞれ400-500個体が生息していると考えられた。PVAの結果からは、メグロは小個体群では絶滅しやすいことが示唆された。また、成鳥の死亡率の増加や、繁殖成功度の低下が生じた場合には、絶滅確率の上昇を招くことが明らかになった。

成鳥の死亡率を増加させる要因としては、移入種であるネコの補食圧が考えられる。そこで、ネコの捕食現況を明らかにし、メグロに対する捕食圧を推定した。母島におけるネコの糞と食痕の分析結果から、ネコの捕食によるメグロの死亡は、母島の正常な個体群における年間死亡数の20%以下と考えられた。ただし、糞の分布状況などから、ネコは農地や居住地周辺の開放地で密度が高いと考えられた。一方、繁殖成功度の低下をもたらす主要な原因は、気象害による巣の落下や雛の死亡だった。

母島では、外来動物の捕食によりメグロの食物となる昆虫類が減少している。このような状況下では、ニッチの重なる移入種メジロZosterops japonicusが、メグロに影響を与えている可能性がある。メグロは原生環境に近い湿性高木林を好み、メジロは開放地を好む傾向があるが、母島を広く覆う二次林では同程度の密度で両種が生息している。そこで、メジロの影響によるメグロの資源利用の変化を調べた結果、メグロはメジロとの共存域で果実の採食頻度および森林の下層利用頻度を増加させていた。ただし、メジロの影響により個体群密度が低下する傾向は見られなかった。

メグロは、現在の状況が維持されれば、すぐに絶滅するとは考えにくい。しかし、母島では開発により開放地が増加している。開放地はメグロの密度が低く、移入種であるメジロやネコの密度が高い。また、開放地周辺の森林は構造の貧弱さから気象害の影響も受けやすく、繁殖成功度が低下しやすいと考えられる。このため、開放地周辺では局地的に密度が減少する可能性がある。メグロの好む湿性高木林の面積は、現在の母島では限られている。高木林では移入動物の密度も低く、構造的に気象害の影響を受けにくいため、二次林を湿性高木林に復元することが望ましい。

以上より、本研究は、希少種メグロの個体群の現状やその存続にかかわる重要な要因を解明し、今後の保全のあり方について考察した重要な研究と考えられる。したがって、本研究は基礎、応用両面から学術上貢献するところが大きく、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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