学位論文要旨



No 217040
著者(漢字) 宮部,浩幸
著者(英字)
著者(カナ) ミヤベ,ヒロユキ
標題(和) ポルトガルの建築における修復・改修デザインに関する研究 : ポウサーダに見る再生手法と理念
標題(洋)
報告番号 217040
報告番号 乙17040
学位授与日 2008.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17040号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岸田,省吾
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 教授 西出,和彦
 東京大学 教授 松村,秀一
 東京大学 教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

1章 序 -研究の背景、目的、対象、方法-

持続可能な環境を模索することが大きな目的になった今日において、日本でも古い建築の再活用が、その手段の一つとしてますます重要性を帯びている。

一方、ユーラシア大陸西端のポルトガルでも他の西欧諸国と同様に古い建築物の再利用は日常茶飯事で、歴史的建造物も積極的に活用されている。歴史的建造物の活用例の中でも先駆的役割を果たし、同時に独自のデザインを展開しているのが一連のポウサーダである。

それらのなかには歴史的建造物と現代建築の独自の融合形態を作り出しているものがある。その独自性が新旧の調和的ないし対比的統合を目指す今日の改修デザインの理念や手法を拡大し、豊かにすると考えられる。

ポウサーダはもともと国営のホテルで、観光業に力を入れる政府の命で1938年に始まった一連の計画である。1948年からはポルトガルではあまり例のなかった歴史的建造物の積極的な活用に乗り出した。ポルトガルにおいて歴史的建造物に現代建築を増築することに先鞭をつけたのもポウサーダである。これらはポウサーダ・イストリカあるいはポウサーダ・デザイン・イストリコと呼ばれ、現在に至るまで20が実現され、今も新しい計画が進行中である。

これらはポルトガルにおける歴史的建造物の再活用や修復・改修・増築を語る上で頻繁に引用される事例を複数含んでいる。それにも関わらず、ポウサーダを一連のものとして取り上げ、その改修デザインの理念や手法の研究はまだ行われていない。

一方、ポルトガルの修復・改修の歴史に関する既往の研究では、修復・改修で「新旧」がどのように関係づけられているかということを、建築に用いられている様式や表現といった見た目、つまり「視覚的現象」に基づいて説明している。

ここで言う「新旧」とは、既存の状態が「旧」で、それに応答して加えられた(あるいは削られた)デザインが「新」である。建築の設計が既往のコンテクストへの応答を重要視していることと同様に、コンテクストに既存建物がある修復・改修においても「新旧」の扱いが重要である。

一方で視覚的現象に現れにくい平面形式とその変遷については触れられていない。設計においては重要な位置を占める平面形式と視覚的現象の関係はよくわからないままである。

以上の状況を踏まえ、本論の目的は以下のようなものとする。

1. 全20のポウサーダに見られる修復・改修の事例を視覚的現象に基づいて分類、整理し、特徴的な手法の有無を検証すること。

2. 上記の変遷で見られた手法を、ポルトガルにおける修復・改修の歴史の中で位置づけを明らかにすること。

3. 修復・改修で変容する平面形式の型の有無やその有様を明らかにすること。

4. 視覚的現象と平面形式の関係を明らかにすること。

5. 再生デザインの枠組みでポウサーダのデザインの独自性を評価すること。

研究の対象は歴史的建造物を転用したすべてのポウサーダとする。これらは1950年から2006年の間にポウサーダに転用されたもので、延べ20事例となる。筆者はすべての事例を訪れ、空間を体験し、写真撮影を行った。また、散在する文献を集め目録を作成した。

分析に先立ち、注目すべき点を明確にするため、文献をもとにポルトガルにおける修復・改修の歴史を概観する。

分析は平面形式の分析と視覚的現象の分析と両者の比較、考察からなる。

平面形式の分析では修復・改修で変容する平面形式に型が有るのかを確認し、その特徴を明らかにする。そのために、文献、図面、写真資料をもとに同スケールで作成した、各事例の過去から現在に至るまでの平面配置図を時系列に並べたものを用いる。

視覚的現象の分析では修復・改修の事例を分類、考察するため、写真と説明図を用いて、修復・改修によって生じる建築各部の新旧を区別する視覚的現象を記述する。

2章 ポルトガルにおける歴史的建造物の修復と改修の歴史の概観と分析の視点の抽出

歴史的建造物の修復と改修の歴史は「想像に任せた修復」から「新旧を区別する改修」への系譜であった。19世紀以来、新旧を同化する、区別するということが、改修のデザインにおいて重要な課題であったことが分かった。研究対象とした事例の多くが属している80年代以降、修復のデザインは「想像に任せた修復」と「新旧を区別する改修」の間を揺れ動いていた。そして、その時期にできたものには概観しただけではどちらとも判断できない事例が見いだせる。両者の間で独特な手法が生まれている可能性がある。このことから、本論の着目すべき点が「想像に任せた修復」と「新旧を区別する改修」の狭間であると考えた。

3章 事例紹介と平面形式の変容過程

各事例の過去から現在に至るまでの平面配置図を時系列に並べ、その変容過程を検証した。平面形式には建築が成長するにつれ、収斂して行く型が見られた。型はホテル以前のもとの用途によって異なり、修道院を起源とする事例は「修道院モデル」、城を起源とする事例は「城塞モデル」に収斂していた。

修道院モデルは中庭を持った本館とその周縁から外へ延びる別館という組み合わせに着目することで見いだせる型で、別館がある程度までの成長を保証している。

城塞モデルは変わらない外形と外部空間に着目すると見えてくる型で、堅牢な外壁や城壁による保持される概形と広場や中庭といった保持される外部空間がある。成長には消極的で地下や目立たない外部空間に増築が施される。

そして、一端、型に到達すると機能の変更に関係なく平面形式はほとんど変化しない傾向があった。この傾向は17世紀から21世紀の現在に至るまで見られる普遍性の高いものであった。

4章 視覚的現象の分析

新旧を区分する視覚的現象を記述し、分析を行った。「想像に任せた修復」は視覚的に得られる新旧区分が実際と一致しない(右図上段)、「新旧を区別する改修」は視覚的に得られる新旧区分が実際と一致するもの(右図中段、白色が新、グレーが旧に見えるところ)として説明できた。

2つの分類に当てはまらない事例の視覚的現象は概形をとらえたとは実際の新旧区分と一致せず、詳細に着目したときには実際と一致する性質がみられた。その視覚的現象では、真実を含む複数の新旧区分が生成していた。視覚像に含意として織り込まれたいくつかの新旧区分が詳細な観察や記憶によって導かれ開示される。これを3つめの種類の修復・改修として、これを「新旧を織り込む改修」と呼ぶこととした。

歴史的な背景に照らしてみると、「新旧を織り込む改修」は「想像に任せた修復」とそのアンチテーゼである「新旧を区別する改修」の葛藤の果てに創造されたと考えることができた。また、この手法の視覚的現象を詳細に見ると「概形に同化、細部に区別」を仕込み、新旧区分の認識を遅らせる特徴が見られた。

新旧区分を判断する際には視覚像に加え記憶が作用していた。この記憶を召喚するものには、記憶にあるものと類似したものと、差異を示すものがあった。差異を示すものは「新旧を織り込む改修」に多く見られ、記憶にあるものと眼前のものの差異が顕在化するにつれ新旧区分が生成していた。

視覚的現象を記述して行くと、目の前のものについて新旧を示すだけでなく、かつてあったものの不在を暗示する事例も見られた。

5章 終章 -平面形式と視覚的現象の比較- -結論-

平面形式と視覚的現象の比較を行った。平面形式、視覚的現象ともに、過去に生成した型や手法の性質を保持しながら、新しい条件に対応して行く共通性が見られた。

本論はポウサーダの修復・改修を研究し、「想像に任せた修復」、「新旧を区別する改修」に加えて、「新旧を織り込む改修」の手法の一端を明らかにすることができた。また、それの歴史的、文化的背景の中での位置付けも確認できた。以下に本論で確認された事柄の中でも特に重要と思われる5つを列挙する。

1. 「新旧を織り込む改修」の視覚的現象では、視覚的に取り出せるまとまりに新旧の判断を促す因子が重なり新旧区分が見いだされる関係が複数有り、その中に真実の新旧区分と一致するものが含まれていること。

2. 「新旧を織り込む改修」が「想像に任せた修復」と「新旧を区別する修復」の葛藤の果てに創造されたこと

3. 「新旧を織り込む改修」の事例の中に「概形に同化、細部に区別」を作り、新旧区分の認識を遅らせるデザイン手法を確認したこと

4. 機能や意匠の変更に関係なく一度収斂すると変わらない平面形式の型があること

5. 平面形式、視覚的現象ともに、過去に生成した型や手法の性質を保持しながら、新しい条件に対応して行く共通性が見られたこと

これらを考察すると「新旧を織り込む改修」は、ポルトガルが手本とした19世紀、20世紀のフランス、イタリアの手法や現在主流となっている新旧の関係を調和ないしは対比から二者択一的に選択する方法と比べた場合、それらとは異なる独自な手法であると当時に、建築デザインの一般則になりうる可能性を見いだせた。

「新旧を織り込む改修」は近隣諸国よりも「想像に任せた修復」が浸透し「新旧を区別する改修」の導入が遅れた独特な歴史と「保守性」と「発展性」が均衡しながら新しい可能性を探り出す伝統を背景にポウサーダの改修デザインに結実した手法であった。

そして、「新旧を織り込む改修」は新旧の区分について「一瞥」と「凝視」で異なる認識を持たせることで成立していた。「一瞥」と「凝視」の認識がもつ意味のずらし方、重ね方で様々なデザインが展開できることを示していた。

ポウサーダの改修デザインに見られた「新旧を織り込む改修」は新旧の調和的あるいは対比的統合を二者択一的に目指す今日の改修デザインの理念や手法を拡大し新たな選択肢を与えると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

この論文は、歴史的建造物を転用したポルトガルのポウサーダをとりあげ、その修復・改修デザインの理念と方法を明らかにするとともに、歴史的建造物を活用するデザインにおける基本的かつ応用可能な知見を得ることを目的としている。

本論文は、五つの章で構成される。

第1章では、研究の目的や背景、研究方法、論文の構成について説明している。

持続可能な環境づくりが急務である今日、歴史的建造物の修復・改修の理念や方法を豊富化することが重要なデザイン上の課題であること、ポルトガルにおけるポウサーダの建築には歴史性と現代性の独特な融合形態が見られること、ポウサーダに関する既往の研究がその特質を理解するには不十分であることなどを確認した上で、研究の目的として、1)視覚的現象に基づきポウサーダの特徴的なデザイン手法を明らかにすること、2)その手法をポルトガルの修復・改修の歴史の中で位置づけること、3)増・改修における平面形式の変容の法則を明らかにすること、4)視覚的現象と平面形式の関係を明らかにすること、5)再生デザインの枠組みでポウサーダの独自性を評価すること、の五つがあげられる。研究の手順として、関連資料の収集・整理と現地調査、修復・改修の歴史的概観と分析視点の検討を経て、対象の具体的な分析へと進むことが示され、分析の方法として対象の視覚的現象における新旧区分、平面形式の変容過程を考察することの意味が述べられる。

第2章では、ポルトガルにおける歴史的建造物の修復・改修の歴史を概観し、デザイン上の課題の変遷が説明される。19世紀以来、視覚的現象として新旧を同化する、あるいは区別することが大きな課題となってきたこと、1980年代以降、いずれとも判断できないような曖昧な事例が現れてきたことを確認し、ポウサーダを分析する基本的な視点が、新旧の同化と区別、すなわち「想像に任せた修復」と「新旧を区別する改修」の狭間にあることが示される。

第3章では、20例の分析対象をとりあげ、その平面形式の変容過程が検討され、「修道院モデル」と「城塞モデル」の二つの型に分かれることが明らかにされる。前者は修道院を起源とするもので、中庭のある平面形式が周辺部で成長するもの、後者は中世の城郭を起源とし、増築は限定的で概形と外部空間にはほとんど変化がない型であることが確認される。

第4章では、新旧を区分する視覚的現象について記述・分析され、「想像に任せた修復」では新旧区分が実際と一致しないこと、「新旧を区別する改修」では一致することが説明されるとともに、建築の概形では実際の新旧区分と一致せず、細部の意匠では一致する「新旧を織り込む改修」が存在することが説明される。また、こうした第三の方法というべきものは、対照的な他の二つのデザイン方法の葛藤の中で生まれたという歴史的解釈が示される一方、記憶が介在するなどして新旧区分の認識が遅延する知覚・認識上の特徴が見られることが指摘される。

第5章では、前章までの分析を踏まえ、結論としての考察が示される。まず「新旧を織り込む改修」における平面形式の変遷と視覚的現象に見られた特徴の関係が検討される。これを含めすべての分析を概観し、ポウサーダのデザインには「新旧を織り込む改修」という独自の方法が存在すること、その特徴として1)「新旧を織り込む改修」では真実の区分を含む複数の新旧区分がある、2)「新旧を織り込む改修」は「想像に任せた」と「新旧を区別する」の二つの修復・改修方法の葛藤の結果生み出された、3)「新旧を織り込む改修」には新旧区分の認識を遅らせる「概形に同化、細部に区別」が存在する、4)機能、意匠の変更に無関係な安定した平面形式上の型がある、5)平面形式、視覚的現象ともに過去の型や手法の特徴を保持しながら新しい条件に対応する、の五つが再確認される。

最後にこれらを総括し、「新旧を織り込む改修」が、歴史的建造物修復・改修におけるポルトガルの後進性が背景となり生まれたこと、それが「一瞥」と「凝視」という知覚における新旧認識の複数性の上に成立し、現在主流となっている新旧「同化」か「区別」かの二者択一的なデザインの理念や方法を拡大する可能性を示すものであるとされる。

以上のように、本論文は、これまで明確にされていなかったポルトガルにおける歴史的建造物の修復・改修デザインの独自性を綿密な調査と実証的な分析に基づき解明するとともに、修復・改修分野のデザイン手法と理念に新しい展開をもたらしうる基本的な知見を示し、建築デザイン論研究の分野に大きな寄与をなしたものである。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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